思い出の場所
「ウォーキングって気持ちいいね」
咲良さんは大きく深呼吸をして、貴重な涼しい風を体全体で受け止める。
咲良さんの家から十分弱、ようやく川沿いの歩道に到達し、開けたところに来た瞬間に空気が一変した。
「空気が澄んでて心地いいな。人気も少ないし、このルートは正解だな」
午後の三時といえば、最高気温から下がり始める頃。普通のウォーキングは気温が下がった夕方あたりから始めるため、この時間に歩きに来るのは俺たちくらいだった。
新鮮な空気を吸い、他愛のない話をしながら川沿いを進むと、公園の場所を指し示す看板が出てくるようになった。
そしてついに、片道三十分のそこそこ長い道のりを歩んで目的地である公園に到着した。
「いつ見ても広いな、この公園は」
周りを木で囲み、その内側には天然芝で縦横100メートル以上はある広場が広がり、手前にはブランコ、シーソー、すべり台、ジャングルジム等の遊具が設置され、奥には木陰にベンチが並んでいる。
ここまでは人がいなかったが、公園には数組のカップルや親子が見受けられ、そこかしこで会話や遊具で盛り上がっていた。
「とりあえず、あっちのベンチで休みたいな⋯。疲れちゃって⋯」
あれだけ元気よく歩き出した咲良さんも、夏の暑さにやられて息を切らしていた。一番近くのベンチに向かってフラフラと歩き、どっしり座って汗を拭っている。
俺はベンチに向かう前に自販機で二つの飲み物を購入し、すぐに後を追った。
「咲良さん、どっちがいい?」
そう言って、俺は両手で二つの飲み物を差し出した。
「スポーツドリンクと⋯オレンジジュース?」
「うん。どっちが好きか分からなかったから、好きな方をどうぞ」
「じゃあ、こっちで⋯」
咲良さんは不思議そうにオレンジジュースを手に取り、『染みる!美味しい!』と言いながら飲んだ。
「でもなんでオレンジジュース?」
「オレンジジュースに含まれるクエン酸は乳酸を除去してくれて、ビタミンは筋肉疲労の回復をしてくれるから運動後に飲むのは効果的なんだ」
以前、ふと見た時にテレビでそう言っていた⋯気がする。俺の知識はほとんどが受け売りであり、うろ覚えだ。
「へえ⋯。って、飲み物代!」
咲良さんは律儀に自分の分を払おうと財布を取り出す。俺はそのくらい気にしないように言うが、なかなか引いてくれる様子がない。「次買う時に奢って」と提案することで、ひとまず退いてくれた。
「この間もこれくらいは歩いたのに、どうしてこうも疲れが違うんだろうね」
オレンジジュースを数口飲み、ぷはぁと息を吐いて、咲良さんが呟く。
「なんでだろうな⋯。何も考えられないや」
座って落ち着くと頭の回転が止まり、脳が思考をやめてしまう。咲良さんも同じなようで、その後は特に会話なく、互いに木陰の涼しさを満喫した。
「音無くんのおかげで、またやりたかったことが一つ埋まったよ」
依然美味しい空気を味わっていると、不意に咲良さんが口を開く。
「今日は、“友達と公園に来る“。そしてこの前は、“友達と遠くに遊びに行く”。漫画を読んでる時に自分も行ってみたくなるけど、陽乃も凛も部活とかで忙しいから、心に留めておいたんだ」
「これからは行きたいところは言葉に出そう。俺でよければ一緒に行くから」
無心で口にして、数秒の沈黙の間に脳が覚醒する。とんだ恥ずかしいセリフを言ったことに気がついた俺は、つい顔を背ける。
「⋯ありがとう」
少し間があき、咲良さんは感謝を述べる。俺はさすがに気持ち悪かっただろうかと焦ったが
「⋯この公園ね、思い出の場所なの。まだお父さんが生きてる頃、蒼が遊びに行きたいって言う度に両親が連れてきてくれた、私が唯一覚えている場所」
俺はドキリとする。咲良さんの父親が亡くなっているのは知っていたが、本人の口から出ると重みが違う。そこには確かなリアルさがあった。
「でも、男の人が苦手になって以来、一度も来れなかった。もう来れないんじゃないかって、忘れてしまうんじゃないかって思って、怖かった」
顔を強ばらせ、緊張した面持ちだったが、咲良さんはすぐに落ち着きを取り戻す。
「でももう大丈夫。それも全部、音無くんのおかげ。何度言っても言い足りない。それくらい、私は音無くんに感謝しています」
咲良さんは澄み切った笑顔をこちらに向け、堂々と言い切る。顔を赤らめることがない様子からその言葉が本心であると受け止められ、こちらが照れくさくなってしまう。
「そろそろ帰ろう、咲良さん。そして⋯」
「帰り道で、これから行きたいところを話し合おう」
俺も目を見て堂々と言葉を放ち、本心で言い返した。
お読みいただきありがとうございます!
よろしければブックマーク、★の評価をよろしくお願いします!




