初対面
「じゃーな怜斗。また明日」
教室から出たところで、翔太は爽やかな笑顔を振りまきながら手を振る。
「ああ。また明日な」
俺も軽く手を振り、それぞれ歩き出した。
高校生活が始まって約一ヶ月。
クラスの中でグループが形成され、ある程度メンバーが固定される時期になったが、俺は変わらず一人でいた。
いつも一緒にいるはずの中学校からの友人である上田翔太も、サッカー部に正式入部してしまったため、本格的に一人で登下校をすることになってしまったのだ。
とは言っても、クラスの仲はそこそこ良く、話しかければ優しく返事をしてくれるクラスメイトが多数いる。
普段は干渉しないが、お互いに困った時は助け合う。
この関係が俺にとってはちょうどいい距離感であり、とてもありがたく感じている。
それから約一時間、図書室で気になる本を読み、キリのいい場面まで読み終えたところで、帰宅することにした。
今日は昼過ぎから雨が降っていて、夕方には止むという予報だったが、17時を過ぎた今も変わらず雨が降っている。
わざわざ借りないで読んでいたのは、その間に雨が止んでたらいいなぁという願いも含んでいたのだが、どうやらその願いは無駄に終わったようだ。
「みんな青春してるなー」
渡り廊下を見ると、バドミントン部やテニス部が室内練習をしていた。
男女一緒になって、技術の向上のために練習する。
数年前の俺なら、そんな青春に憧れて入部を考えたかもしれない。
「⋯⋯帰るか」
相対的に自身の状況をみて、少しだけ哀れに感じ、いつの間にか止まっている足を再び動かした。
下駄箱から靴を取り、傘を手に取り、玄関から出ようとした時、視界の端に写った見知った人物を捉えた。
「咲良さん?」
咲良 紫音さんは、同じクラスであり、俺の隣に座る女の子。
いつも三人くらいで話している派手めな女の子というのが彼女の印象だった。
しかし、今目の前にいる咲良さんは、どう見ても大人しめな女の子だった。
「⋯えっと⋯隣の席の」
「あっ、俺は音無 怜斗。どうしたの?こんなところで」
「あの⋯傘を⋯忘れちゃって」
緊張してるような、困っているような、警戒しているような
そんな声で、咲良さんは言った。
「もし良かったら、この傘どうぞ」
咲良さんと同じ目線まで腰をかがめて、できるだけ優しい声で言った。
「でも、音無くんの傘が⋯」
「大丈夫。俺の家はすぐそこだから。走ったらそんなに濡れないよ」
俺は嘘をついた。
小走りでも10分弱はかかるため、そこそこ濡れてしまうだろう。
「⋯⋯⋯⋯」
「じゃあ、俺は帰るから。ちゃんと傘使うんだよ」
それでも悩む咲良さんに半ば押し付けるように傘を差し出し、俺はその場を去った。
そして次の日、しっかり風邪をひいた。
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⋯⋯どうしよう⋯⋯私のせいだ。
傘を借りた翌日、音無くんは学校を休んだ。
担任の先生が「体調不良」と言ったことで、昨日の出来事が原因だということがはっきりした。
音無怜斗くん
この一ヶ月、一度も話すことは無かった。
授業中にふと隣を見るといつも丁寧に板書していて、ノートを見せてとも、課題を教えてとも言わない、多分真面目で頭のいい人。
そんな人物だからこそ、授業を受けることの邪魔をしてしまった私はひどく自分を責めた。
昼休み、友達の宮前 陽乃と高良 凛と共にいつも通り弁当を食べていると
「しーちゃんどうしたの?」
陽乃に問いただされ、ドキリとして箸を落としそうになってしまった。
「どうもしてないよ!大丈夫!」
私は平然を装い、笑顔を作ってご飯を口に運ぶ。
「シオ、あたしも思ってたけど、今日おかしいよ」
凛からも指摘される
その後も凛からは心配され、陽乃からは「また告白されたか?」とからかわれ、その度に否定する。
これは理由を聞くまで引かないやつかなあ⋯
ついに私は折れ、昨日の放課後のことを二人に説明した。
「なるほどねー。そんなことが」
「で、シオはどうしたいの?」
「私は、傘のお礼をするのと、ちゃんと謝りたい」
でも⋯⋯
「シオ、男子と対面で会話できるの?」
そう。私は、男性が苦手だ。
高校生になって少しはマシになったのかもしれないけど、まだ相対して話すと緊張するし、言葉が出てこなくなる。
音無くんの家に行って感謝と謝罪を伝える勇気は、正直ない。
二人について行ってもらう?いや、それでも対面で話すことに変わりは無い。
「どうしたら⋯⋯」
「あたしら二人で行ってこようか?」
凛の提案に思考が傾く。ただ
「私の言葉で言いたい」
そこだけは揺らぎたくなかった。
「じゃーさ、私とりんちゃんで傘とプリントだけ渡しに行って、その時にしーちゃんの連絡先教えようか?」
「そしたら対面せずに自分の言葉で伝えられるでしょ!」と自信満々に笑顔を向ける陽乃。
凛も「いいねそれ」と肯定する。
私は申し訳なさもあり、別の案を出そうと思考を巡らせていたが
「しーちゃん。男の子と自分から関わろうとしただけでも、大きな一歩だと思うよ。だから、私たちに甘えなよ!」
と押されたことで、最終的にはそれでお願いすることにした。
「二人とも、ありがとう。そしてごめんなさい」
私が頭を下げると、二人は「全然いいよ」と笑顔で返事した。
陽乃にも凛にも、感謝してもし足りない。
なんて優しくてあたたかい人なんだろうか。
それに対して、私は。咲良紫音という女は
私は自身の不甲斐なさと勇気の無さ失望にしながら、二人の背中を見送った。