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仲よし夫婦の群像

作者: マボロショ

テレビで紹介された仲よし夫婦の姿を、活字にしてみました。

6月10日8時からの「新日本紀行」を見ました。NHKBSです。2021年放送分の再放送のようです。


この番組は、ある土地に、焦点を当てるのが普通ですが、今回は、あっちこっちに移動して、仲よし夫婦を見つけてそれを紹介するという趣向でした。


放送順に とらわれず、まとめやすい並べ方にして、まとめてみました。その旨、御了承をお願いします。


葛飾区で、煎餅を作っている鈴木敬さん。

若い時は、会社勤めをしていました。社員旅行で、たまたま同席した、若い女性と話をしました。

「中島みゆきの歌は、好き?」 「うん、好き」………ダビングしたテープを、くれました。「悪女」でした。

その女性、佐代子さんと結婚しました。可愛い女の子が生まれました。麻希と名づけました。………チャキチャキした、美人になりました。

柴又の川甚に鰻を食べに行きました。若旦那が、一心不乱に働いているのを見て、「中身に一目惚れ」、こんな人と人生を共にしたいなあ、と10日後には決断。

結婚式の日には、花嫁姿で、矢切りの渡しの小舟に乗るという演出もしました。

若女将としてスタートしましたが、間もなく、経営不振になり、そのストレスから、若旦那の純也さんが、うなされたり、夜中に絶叫しながら、飛び起きたり。「あんた、何で、一人で悩まんで、相談してくれへんの」と喧嘩になりました。離婚寸前まで行きました。結局、老舗料亭は畳むことになりました。

嫁さんの実家は、煎餅屋の後を継ぐものがいないと思っていたら、40歳の娘婿が、後継者としての修行を始めることになりました。今、二人で、必死になって、頑張っています。

「明るくて、元気のいい所が好きです」「恐ろしいとは、言わんのやねえ」

「ほんとは、若女将として、やってもらうはずだったのに、申し訳なくて、…………その反面、妻の実家で、一緒に働かせてもらえることが出来て、とても有難いという気持ちもあります。今は、毎日、…………」

川甚に近い川土手で、二人で話をします。と、言っても、しゃべるのは、奥さん、純也さんは、相槌だけですが。

「二人で歩む人生って、障害物競走みたい。一人で走る方が、ペースも自由に決められて、楽な面がありそうだけど、あえて一緒に走るぞという相手がいると、やはり心の支えになるのよねえ」


煎餅の直販店は、都心のビジネス街にあります。営業マンの手みやげに、ピッタリと、とても好評なのですが、佐代子さん1人で、切り盛りしています。

以前は、通勤していましたが、電車だと、リスクが高くなると思って、今は、店の近くで寝泊まりしています。

週末に、1泊だけ、家族の所に帰ります。

LINEで、毎日、お休み、の挨拶はしています。

「妻を戦場に送り出すような気持ちですよ」

「家を出る時は、さあ、一週間、頑張るぞ、という気持ちになりますよ。別々になって、かえって、支えられているなということが実感出来ます」


この佐代子さん、結婚しても、夫のことは、ずっと、「鈴木さん、鈴木さん」と呼んでいたそうです。子供が生まれてからは、「お父さん」になり、孫が生まれてからは「おじいちゃん」になりました。名前の「敬さん」と呼んだことは、「一度もないね」と、確認し合うほどです。



博多では、山笠に夢中になる男を、のぼせもん と言います。小さい頃から、締め込みが好きだったという荒牧英敏さん。5年前から、まとめ役の町総代を務めています。

奥さんのことを、ごりょんさん と言いますが、出会いは、はるかな昔。

飲食店に勤めていた信子さんのところに、毎日、通って口説き続けたそうです。

「3つ年上の女に丸め込まれた」とか言われても、「そうかもね」と平然。

「一年中、どこへ行っても、山笠の話ばっかり。楽しみは、それだけじゃないとかいな」

櫛田神社の門前で、焼き餅を売って、それが、生活の基盤になっています。ごりょんさんの支えなくしては、山笠はありえないのです。

先日、小さな箱を、無造作に置いて行きました。開けてみたら、過去、現在、未来という三つのダイヤをあしらったネックレスでした。その話をしながら、カメラマンの前で、嬉しそうに、着けようとします。



富山県の氷見市之川島弌英さん、光子さん夫婦。お互いに再婚です。

出会ったのは、18年前。居酒屋で、二人とも、猟をするのが好きということが分かって、意気投合。

弌英さんは、若い時からの趣味でした。

光子さんは、青森出身ですが、父親の趣味が狩猟でした。マタギみたいなことをしていて、傍でそれを見て育ちました。鴨を追い立てる要領も分かっています。うまく、追い立てます。

それを、弌英さんがズドン。 猟犬が、それを拾いに行きます。

鴨の毛をむしり取る作業なんかも、光子さんには、当然のごとく、身についている仕事です。


2日ほど寝かせて置いて、荒く切って、全量を煮込みます。素晴らしい出汁が取れます。  

それを、鍋に移して、鴨鍋パーティーです。御近所さんも来ます。

弌英さんは、首の所だけ貰います。他の所は、光子さんに食べさせます。

「うまいものを、かあちゃんに、食わせたい。こういう、幸せな人生を送れるのは、かあちゃんのお陰!

感謝しとるよ。乾杯! もう一回、乾杯しようか」

「一回でいいよ。何回もすると、感激が薄くなって行く気がする」



同じく富山県の八尾町。おわら風の盆で有名な所です。

三味線の得意な吉川春之さんの所へ、山奥の村から、京子さんが嫁いで来ました。

「私も、三味線をしたい」と練習を始めます。うまく行きません。 

「そんなら、歌やーいい」と、春之さんがい言うので、歌を始めました。以来、四半世紀。


今年は、合いの手を入れる、お囃子名人の初盆です。

京子さんが歌います。


♪山の畠で 二人で撒いた 蕎麦も花咲く おわら風の盆


遺族も感激する絶唱でした!



鳥取県の海に近い所で、共に教師として生きて来た宮内さん夫婦。

稔さんのガンが重くなって、入院。 闘病生活、3か月でした。

「その間、自分は食べられないで、点滴ばかりなのに、私のことばかり、心配するの。ちゃんと、食べているか、とかね。やさしいひとでしょ? いい人過ぎるでしよ?」

お盆には、精霊船を海に流します。

「お父さん、沈まんでね。かんばってね。………バイ、バイ。…………」



四国は、祖谷の天空の里。急斜面の、一番高い所に住む、山西義徳さん、モトエさん。

小さい頃から顔馴染みというか、お隣同士でした。

子育ての間は、義徳さん、出稼ぎで頑張りました。

今は、また、二人だけの生活に戻りました。

機械は、使えない斜面ですから、鍬で耕します。一鍬、一鍬、土を少しでも上に戻そうと懸命です。

しゃがいもを収穫する時、背中の籠に入れます。あまりの急斜面なので、バランスを崩すと、芋がこぼれてしまうほどです。

冬の間は、収穫がありませんので、大根などは、小さく切って、乾燥させて、保存食にします。

「こうしておけば、死なん程度には生きて行けるからね」

「土に 生かしてもろうとるようなもんよ」

「ここには、苦しいことも、楽しいことも、いろいろあるよ。苦しい方が多くて、8割くらいかなあ」


どれか、感動的な話もあったでしょう? それとも、全部?


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