(1)命の螺旋・奇跡
「……天城!」
友人の声が、コンクリートをかけ上がる音と共にやって来た。
「……レイ。」
目を開き、友人の顔を確認しようと試みる…が、夕方の逆行に邪魔された。
「動くな!今止血する!」
手を震わせながら、患部を処置しようとするレイ。
おそらく、その処置は完璧なのだろう。
……だが、
「待て、レイ。」
瞬間、手がとまり、
「……もう、遅ぇよ。」
「やめてくれ!今助けてみせるから!」
そして、固く閉じられた。
いまだに表情はよく見えない。
なにを考えているか、なにがあったのか、知らない。
……だけど、それでも、
「レイ……お前に、言っておくことがある。」
俺は、お前に伝えなきゃいけない。
友達として。
……この物語は、碌でなしの恋物語。
でも、それでも、
……俺を、忘れないでくれ。
あいじょう。~とある雑用係の野暮な愛情~
「……クソッ!」
悪態を吐きながら、薄暗い路地を駆ける。
……不味い、完璧に対象を見失った。
「……考えたくもないな。」
このミッションに失敗した先を想像する。
良くて腕一本、最悪大陸棚の底。
……少なくとも、碌な目に合わないのは確かだろう。
背中にヒンヤリとしたものが伝ったのが分かる。
一歩、また一歩と地を穿ち、加速して、
そうして、走って、走って、走って…
「ッ!」
俺は、それに気づいた。
「……そう来るか。」
走りを止め、ゆっくりとそれに近づいていく。
……迂闊だった。
相手はプロ、スピードで言えば俺の数倍は速い。
故に、走力で勝負をかけてくる
……そう思い込んでいた。
だが、違うのだ。
ヤツはプロだ。
そんな技に頼らずとも、追跡者を撒く術は心得ているはず。
「……そこに慢心は生まれる。」
確かに、素晴らしい腕前だった。
ここまで俺が追い込まれることは久しくなかった。
流石はプロ。といった所だろう。
「…だけどな。」
ヤツがプロであるのと同様に、俺もプロなのだ。
負けられない戦い……
そんな死線を幾度もくぐりぬけてきた。
「……チェックメイト…お仕舞いだ。」
そうして、俺はそれの前に立って、
その戦いに、終止符を撃ったのだった……
「……その戦果が、この猫一匹というワケかい?」
「ああ、激戦だった。」
膝元で眠るタマを撫でつつ、返す。
「……フカフカだな。」
「だろうねぇ。彼のパトロンの飼い猫だろう?」
言うや否や、俺の膝から猫を奪い取るレイ。
身勝手な奴である。
「……飼い猫の捜索に世話、おまけにこれから家事の手伝いときたモンだ…家政婦ににでもなったのかい?」」
「いや、転職はしてない」
レイの腕からネコを奪い返す。
「…今も昔も、この組織の構成員だ。」
……フカフカだ。
「今の君を見て、誰が信じるんだろうねぇ?」
ふふ。と、普段以上に不思議な笑みを湛えるレイ。
「……嬉しそうだな。」
「おや、分かるかい?」
上機嫌といった様子でつり上がった口角。
だいたい、こういう時は……
「……仕事か?」
「確かに、それも一つある…チンケな盗人さんを脅かしてやったんだけどね…そしたら、まさかのコレさ。」
コトリ、と音を響かせ、レイがデスクにそれを置く。
「……犬のバッヂか。」
「ご名答。」
「盗人も捕まって、内通者も処理できて上々というわけさ。」
「……そりゃあ、よかったな。」
捕まった犬…潜入捜査官は今頃尋問中だろうか?
この男にバレたことのが運の尽きだろう。
名も知らぬ捜査官が少し憐れに思えた。
「そう思うなら、少しは表情に出したまえよ。君。
……そんなんだから友人ができないのだよ?」
「ああ、知ってる。」
…昔からそうなのだから。
「ま、まぁ君がそう言うのなら良いんだが……
君、高校で友達いるのかい?」
「行く気がなかった所にぶちこまれて、できると思うか?」
「全く思わないね。」
「…でも、教育は若人にとって必需品だよ。」
「……お前も行ってないクセに。」
「私は、幹部だからね…仕事で忙しいのだよ。」
「……そう言えばそうだったな。」
クラン・特別幹部、如月レイ。
クラン内最年少構成員であり、ボスの右腕。
直接戦闘能力こそないが、持ち前の頭脳と残虐性から内外問わず危険視されているらしい。
……事実、クラン関係者でもこの病院に訪れるのは数えるほどしかいない。
「……それにしても、何時にもまして誰もいないな。」
「あぁ、まったくだ。」
「病に犯されているのに、この私を頼らないなんて愚の骨頂だよ」
「そうだろう?天城。」
「いいや、まったく」
「むしろお前が医療行為が出来るなんて信じられないんだが?」
「失礼な、ボス譲りのメス捌きが信じられないのかい?」
「あの人のメスで人命が救われた所、見たことないよ。」
むしろ、あの人のメスが築くのは死体の山だろう。
……本当にロクでもない組織である。
「……時間だ、もう行く。」
時計を見れば、既に5時過ぎ。
そろそろ仕事の頃合いだ。
「ああ、雑務雑用、頑張ってくれたまえ。」
肘掛け椅子にもたれ掛かり、手をヘラヘラと振るレイ。
蹴飛ばしたくなる衝動を抑え、ドアノブに手を掛けて…
「キャッ!」
瞬間、胸元に衝突。
流石に支えきれないので、できるだけ怪我をしないような転ぶ。
「……痛てて… すいません。…お怪我は、ありませんか?」
大きな唾の帽子を被った少女が、そこにはいた。
どこにでもいる…ワケではないが、普通の、エメラルド色の髪をした少女。
「……へ、へへ、へ、」
「?」
……が、頬を赤らめ、壊れたラジオのように同じ音を
発し始めた。
___まさか、脳が?
疑念が生まれた瞬間、レイを呼ぼうとして、
「変態だー!」
次の瞬間に見えたのは、天井。
顎の痛みを感じる暇もなく、意識は急速にブラックアウトしていった。
……こうして、
私は、古明地こいしという少女と出会ったのだった…