盗賊団と嘘つき師匠(5)
だがどういうわけか、師匠は横目でリコルの顔を見た。あの向こう側を見る目で。
「は、はは。すまねぇなお客さん。全部、俺の作り話だよ。こんな大金もらうわけにはいかねぇ。悪かったな」
剣士はフードの中からじっと師匠を見つめている。何かを見極めるように。
やがて、「そうか」と硬貨の入った袋に手を伸ばした。
周辺には人々の嘆息が立ち込める。ホラ吹きが大金を得る、おとぎ話のような展開をどこかで期待していたのかもしれない。
リコルは師匠のベストの裾をつかんだ。どうして受け取らなかったのかという抗議の意味を少しだけ込めて。
おもむろに師匠の手が優しく頭を撫でてくれる。
なにか事情があるのだけはよくわかった。
「おうおうおうおう、ちょっと待ちなぁ!」
ざわざわと日常に戻っていく群衆を掻き分けて、何者かがやってくる。
ごろつき風の三人組だった。
筋肉質な半裸の巨躯。ひどい猫背で、鼻と眉尻に幾つもピアスを付けた痩せぎす。道化師のような二股とんがり帽子の短尺。
三者それぞれ、黄色い原色のズボン、縞模様の魔物の毛皮、不釣り合いなほど大きな襞襟だとかいった、まわりから浮いたけばけばしい服装で。しかし手入れが甘いのか全体的に薄汚れた印象があり、それがまた粘っこくにたついている表情と相まって、わざわざたちが悪い人間ですと宣言している感すらある。
「おい兄ちゃん。誰に断ってここで商売してんだぁ、あぁん?」
一番小柄な男が、ドスのきいた声で師匠につっかかる。
「な、なんの話でしょうかぁ? 許可は王宮の方に出してあるはずなんですが」
許可など申請した記憶がリコルにはなかったが、とりあえず黙っておく。
不満げに口を尖らせたのは、師匠のわざとらしいぐらい弱気な対応が気に入らなかったからだ。
猫背の男が無言でナイフを取り出し、刃の側面をこれみよがしに舐める。
巨躯の男は大きな拳をもう片方の手の平で押さえポキポキと指を鳴らした。
周囲の人々は見てはいけないものから視線を逸らすようにしながら離れていく。
「悪ぃこたぁ言わねぇよ。ショバ代だけ払ってくれりゃいい。ちゃあんと、許可は与えてやるからよぉ」
「お、おいくらでしょうか?」
「ケケ、物分りが良い奴は嫌いじゃねぇ。大サービスだ。五十万クピドに負けといてやるよ」
「ご、五十万……」
三人組が下品な笑い声をあげる。
おそらく、剣士とのやり取りを遠巻きに見ていたのだろう。
「あ、生憎ですが、そんな大金は持っておりませんもので……」
「あぁ!? そこにあんだろうが!」
剣士が手を掛けていた袋を指差した。
「あ、いや、これはお客様のもので」
「ホラ話ひとつで手に入んだろぉ。それともなにか。俺たちの許可はいらねぇってかぁ!?」
小柄な男は『竜の涙』を乗せた木箱を蹴飛ばした。
二段に重ねっていた木箱はズレて転がり、落下したガラス瓶が3つほど砕け散る。一緒に落ちた袋の口から金貨が幾つかハミ出て転がる。その下を紫の液体が広がっていく。
リコルが小男を睨みつける。
「おぉ? なんだぁ嬢ちゃん? 体で払ってくれんのかなぁ?」
またも下品に笑う三人組。
「下衆が」
剣士はつぶやき、柄に手を掛ける。
しかし剣士が刀身を鞘から抜き出すよりも早く、リコルは拳を小男めがけて放っていた。
「たあぁあああ!」
「心得いちっ!」
師匠がキッと言い放つ。
腰をひねる動作の最中、師の声にハッと目を見開いたリコルは相手の顔面からとっさに狙いを逸らす。
小男の頬を鋭い風切り音が掠めた。
微動だに出来なかった小男は、まだ何が起きたのかわからないというような顔。
リコルはすぐさま拳を引っこめ、両肘を引き、仁王立ちのごとく正面に構えた。
大きな声で中空に向かって宣言する。
「獅子無撃流拳闘術心得、その一! 戦わずして勝つ!」
師弟以外の面々はポカンと口を開けた。
師匠だけがうんうんと頷いている。
「……ん、な、なめてんじぇねぇぞ!」
ようやく正気を取り戻した小男が口角泡を飛ばす。
「いやー、そういうことですので、ホント、申し訳ありません」
師匠が小男の両肩をガシッと掴んだ。ぐいぐいと押して場所を奪いながら、自身は膝をついて謝罪するような姿になっていく。
「私らはこれで店じまいにしますんで、どうかこの通り、お引取りください」
「は、放せっ!」師匠の腕を振りほどいた。「ザンダ、やっちまえ!」
巨躯の男がぬうっと歩み出る。
石畳に正座したような格好になっている師匠を大きな三白眼でぎろりと見下ろす。
「頭か? 腹か? 貴様はどこを潰して欲しい?」
大男の声は高かった。変声期前の子供が発した裏声のようだ。
思わず師匠が口元に力を込める。今にも吹き出しそうなぐらい体が震えている。だからこらえた意味はほとんどなかった。
大男は青筋を立てて、
「ぶっ潰してやる!」
可愛らしい声とともに、丸太のような腕を振り下ろした。
直撃をくらった石畳が弾け飛ぶ。
手応えがなかったようで、大男は訝り顔を上げた。
視線の先では、いつの間に移動したのか、師匠が飛び散ったガラス片を拾い集めている。
「はー。瓶だってタダじゃないんだぞー。まったく」
三人組が急速に殺気立つ。
小男は鉤爪を、大男はナックルダスターを取り出して装着した。
「随分とコケにしてくれるじゃねぇか」
長い爪同士を研ぐように擦りながら小男が凄む。
構わず師匠は拾った破片やら瓶やらを木箱に収めていく。
「ほれリコル。積んでくれ」
木箱をリコルに抱えさせると、道に落ちたままの金貨の袋にこぼれた硬貨を収め、剣士の前に差し出した。
「おいてめぇ」
「悪かったな、お客さん。面倒ごとに巻き込んじまって」
剣士は受け取り、腰に括りながら。
「いや、私の聞き方も性急過ぎた。侘びといってなんだが手を貸してやろうか?」
「おい!」
「いや大丈夫だ。問題ない」
「シカトこいてんじゃねぇぞ!」
三人組の重心が下がったその刹那、師匠の全身から波動が迸った。
まるで色のない炎。燃え盛る陽炎。怯ませるほどの圧が周囲に波及する。
「な、なんだぁ!?」
及び腰になっている三人組の前へ、師匠はつかつかと歩み出た。すっと片腕を天に掲げる。
リコルの目が輝いていた。こんな師匠の姿をずっと待ち望んでいたのだ。
「カプラム!」
掛け声とともに掲げた手を地面に付けた。
三人組が身構える。
しんと静まったままの時間が流れていく。
流れていく。
流れていく――
「って、なんも起きねぇじゃねぇか!」
「ざけんじゃねぇぞ!」
お手本のようなツッコミを入れた小男に続いて、巨躯が耳障りな声でいきり立つ。
すぐさま突撃してやるといわんばかりの三人を制するように師匠が言い放った。
「動くな!」
三人同時にビクッと震える。
「な、なんだよ?」
「それ以上近づいたら死ぬぞ?」
「はぁ?」
「爆発結界を張った。そこからあと数歩でも俺に近づけばドカンだ」
「な、なに言ってやがんだ。そんな魔法聞いたこと」
「この世の全てを知っていると?」
「くっ……」
歯噛みして黙った小男。だが、その後ろ側で視力でも悪いのか薄目にしながら状況を窺っていた猫背の男が、特に特徴もない声で「あっ!」と素っ頓狂な声を上げた。
「なんだ?」
「兄貴。こいつ、ウソケンですぜ」
「ウソケン?」
「嘘ばっかついてるって、この辺じゃ有名らしいっすよ」
「嘘? ……は、はーん」ニタニタと粘っこい目つきに変わる。「おいオメェら。ガキは上玉だ。それ以外は好きにしな」
返事代わりだろう。ナックル同士をぶつけ、ナイフをベロベロと舐める。
師匠の言葉を信じたかったリコルだが、それでも万が一を思うと不安だった。いざという場合に戦えるよう、抱えた木箱を降ろそうとする。
「動くなリコル!」
師の言葉でピタリと止まる。
「なるほど確かに、俺は嘘つきで通ってるさ。だとしても、この魔力の迸りはどう説明するっていうんだ?」
全身から発せられている波動の勢いは弱まる気配すらない。
「そ、それは」
「俺は争いは好まん。だが降りかかる火の粉は払う。だからお前たちに選ばせてやると言っているんだ。生き永らえるか、消し炭になるかをな」
「兄貴! ハッタリに決まってますって!」
「そ、そうだな……、ハッタリ」
「はっはっは! お前らの兄貴はなかなか頭が切れるようだな」
「んん?」大男が小首をかしげた。
「そこの兄貴はわかっているようだが、これはリスクの問題だ。俺の結界がハッタリかどうか、それを確かめるための賭け金はなんだい? そう。命さ。もしハッタリでなければ、あんたらは一瞬で燃え尽きる。それだけのリスクに合った見返りが、本当に得られると思うのか? そこの剣士さんは見たところかなりの手練だ。俺の弟子だって全力で逃げる。俺だって邪魔をするしな。簡単に望むものは手に入らん。つまり、結界を越えて得られるのは、せいぜい俺をぶん殴ってスッキリしたって気持ちぐらいなもんだ。――どうだい? これは命を賭けるに値する勝負かね、兄貴?」
師匠は大胆不敵に笑う。
大男はさらに首をかしげた。猫背は判断をすべて委ねてしまっているように、小男の方を見つめている。
憎々しげに低く唸る小男。だがやがて小さく舌打ちをした。
「いくぞ」
おもむろに踵を返す。
猫背と大男も後を追っていく。
三人組の背中が街中に消えたのを確認すると、師匠は「ふぅ」と息を吐いた。
発していた波動も消える。
「し、し、シショーーー!」
乱暴に木箱を降ろしてリコルが駆け寄る。
キラキラどころかギラギラに黄金色の目を光らせて。
「すごい、すごいぞ師匠! 魔法が使えたのか! それにそれに、ばぁーって、ばぁーーーって、何か出てた!」
「あ、ああ……」
バツが悪そうにポリポリと頬を掻く。
「爆発結界というのは私も初耳だ。あの波動といい。貴様、何者なのだ?」
「いや、まあ、そのぉ……、これなんだよ」
二人からじっと見つめられた師匠は根負けするように、首飾りに嵌った薄緑色の石をつまみ上げて見せた。
砕けた破片のように不揃いな面をした菱形の石。端の方に開けられた穴に紐を通して首から掛けられるようにしてある。
「これ、こうするとだな」
指を弾いて石をコツンと叩く。途端にさっきの波動が発生した。
「おおーーー!」
今度は石に「ふっ」と息を吹きかける。あっという間に波動は消えてしまう。
「おおおおおー!」
「こういうことなんだよ」
「なるほど。その石に魔力を高める力があるのだな」
「は?」
「ん?」
「ないぞ」
「……どういうことだ?」
リコルは悪い予感がした。
「いや、どうもこうも。これはただバァーってなる石だぞ。だいたい、爆発結界なんて魔法知らないし、そもそも魔法使えないし」
「本当にハッタリだったのか!?」
「ああ、当然だろ。な、リコル?」
同意を求められたが、口を半開きで唖然としたまま固まってしまった。