2020年本屋大賞作品を読んで
これは完全に個人的な感想です。特定の作家様や出版社への誹謗中傷の意図はまったくありません。誤解のないようにお願いします。
ネタバレをすることはありませんが、ストーリーの冒頭をある程度説明するため、これから読もうとお思いのかたはお避けください。
また、なるべく好き嫌いなど好みの問題に過ぎない部分は割愛しているつもりですが、それでもわりと辛口なエッセイになっているかと思われます。
そういうものが苦手な方はここでブラウザバックをお願いします。
ご存知のかたはご存知のことだけれども、仕事柄、比較的有名な賞をとった作品には基本的に目を通すことが多い。
今年の本屋大賞第一位をとった小説もそのご多分に漏れず、最近になって拝読した。
本のタイトルはこちら。
「流浪の月」
凪良ゆう・著 / 東京創元社(2019)
昨年度の「かがみの孤城」、その前の「蜜蜂と遠雷」が非常に良く、勤め先の図書館での生徒たちの反応も良かったのでこちらも購入した。
拝読前、個人的にもっとも気になっていたのは、この作家様がもともとボーイズラブの小説を長く書いてこられた方だということだった。
これまたご存知のかたはご存知だが、私自身も筋金入りの「腐」である。あんまり「女子」をつけたくないので、敢えて言うなら「貴腐人」である(笑)。興味がないわけがない。そんなこんなで、前々から読むのを非常に楽しみにしていた。
とはいえ、当作品はボーイズラブではなく、飽くまでも主人公は女性だ。恋人と呼べる関係ではないけれども、相手も男性である。
「えっ、ボーイズラブ苦手……」とおっしゃる方でも、安心して読んでくださればよいと思う。
さてさて。
一読して、私は思った。
「なんだろう。この違和感……」
そうなのである。
文章はとても綺麗で読みやすいし、心理描写も情景描写も巧み。まあこのあたりはプロの作家だったらわざわざ褒めるようなことでもないのかもしれないけれど(実際、商業ベースに乗っている本で読みにくい文章というのは、最近では滅多にお目にかからない)。
だから、どうも私の感じる違和感は、物語や登場人物の造形にあるようなのだ。
冒頭のストーリーを少しだけ紹介すると、主人公は9歳の少女、更紗。風変わりで上品でちょっとわがままな母親と、それに比べればまずまず常識的な父親に育てられている。
が、父親はやがて他界し、その父親に精神的に強烈に依存していた母親は、男をとっかえひっかえした挙げ句、娘を置いて失踪する。事実上の孤児となった更紗は母方の伯母の家に引き取られるが、そこにいる中学生の息子から、日々性的な虐待を受けることに。
幼すぎて反抗も反撃も、まして事態を伯母やその夫にいいつけることもままならず、少女は追い詰められていく。そしてとうとう、とある雨の日、いつも公園にいる不思議な青年に誘われるまま、彼の家に行くことになる。
青年の名は文。19歳の大学生。
普段、あまりにじっと公園にいる少女たちを凝視しているものだから、すっかり「あれはロリコンだ」と噂されるようになり、街の皆から警戒され、白い目で見られていた人だった。
客観的、また常識的に見れば、文が更紗を「誘拐」して「監禁」したということになる。だけれども、子供とはいえ更紗は自発的にそうしたのだ。文も別に彼女を監禁はしておらず、むしろ食事や寝床など、誠実に世話をしている。
暴力的なことはいっさいないし、家は自由に出入りできるようにし、常に「いつでも帰っていいよ」というスタンス。平和そのもの。しかし当然、世間はそれで放っておいてはくれない……。
結局、文は逮捕されて、更紗は呆気なくもとの家に戻される。
ここでようやく、更紗は意を決して息子のしていたことを伯母たちに暴露することができるのだが、驚愕されただけできちんと向き合ってはもらえない。そのままなし崩しに児童養護施設へ行くことになり、十年あまりが経過。成人して仕事を始める。
このとき、更紗はすでにとある男性との同棲を始めている。
最初の違和感はここ。
男性から幼いときに望まない性的虐待を受けて来た子が、わりと安易に男性との同棲を始めている、という点である。もちろん性的な関係も結んでいる。
それも、相手の方が非常に積極的で「お前を守ってやる」といい、近づいて来たからつきあったというのだ。更紗本人には「この人を愛している」などという感情は相当薄いか、ほぼ皆無である。性的な関係には、ぼんやりとした不快感を覚える程度だ。
彼と同棲する理由といえば、「経済的にも物理的にも、男に守ってもらっていたほうが都合がいいから。いい生活がしたいから」ということに集約されているといってもよい。つまり、非常に打算的。
うーん。ちょっとひどくないか。
高学歴とはいえないし、仕事もパートタイムに過ぎないけれども、それなりに働いていて収入もある。多少生活の質は落とさざるを得ないだろうけれど、わざわざ男に頼る必要があるとは思えない。
むしろ、男性とのそうした関係を嫌悪して、付き合いそのものを忌避しているほうが自然な気がするのだけれども。
ともかくも。
この男性とは数年で別れ、更紗は現在、それとはまた別の男、亮と同棲している。前の男と別れた理由は、男が最初のうちこそ「そんな大変な目に遭った君を俺が守ってやる」と言っていたにも関わらず、「君の過去の事件と傷の重さに耐えられない」等々と泣きごとを言い、最終的に音を上げたから。
実際は、更紗は文から性的な暴行など加えられていないのだったが、世間はまったくそれを信じてくれていないからだ。
さて、第二の同棲相手・亮と暮らしているこの期間に、更紗は偶然にも出所後の文を見つけてしまう。
更紗は文のことをずっと忘れておらず、奇妙に心惹かれるままに成長してきている。そしてどんどん距離を狭めていく。
別に恋人になりたいわけではない。相手に恋人がいるなら、その人と幸せになって欲しいとすら思っている。だからこの感情は恋でもなければ愛でもない。
だが、この奇妙な自分を理解してくれるのは文だけだと本能的に感じていて、どうしても離れていることができない。
ある意味、強烈な精神依存である。このあたり、彼女は自分を捨てていった母親と内面的なシンクロを見せているように思われる。
ふたつめの違和感がここだ。
人物の造形、それも特に主人公の造形である。
とにかくわがまま。自分勝手でひとりよがり。重たくて面倒くさいものは、たとえわが子であっても簡単に捨てていける人間性(これは母親の人間性だけれども、主人公の中にも色濃く遺伝しているように見える)。
同棲する男たちと何か問題や意見の相違があったとしても決して向き合わず、きちんと話し合おうとはしない。心の中では不満がいっぱいで、そうとう蓄積しているにも関わらず。
心の中で疑問や不満を呟くシーンはかなりあるのだけれど、相手に直接伝えるシーンは数えるほどだ。伝えると言っても、婉曲にやんわりと不満を匂わせる程度のことが多い。これでは鈍感な相手なら気づかないだろうと思われるレベル。これは付き合っている男性だけでなく、両親と文を除く、ほぼ全員に対してである。
周囲の人たちに自分のことを理解してもらうためにさしたる努力もしていない……というと言いすぎだろうか? しかし、そのように見えるのだ。
こうした中途半端な、ある意味甘えているともとれる態度が災いして、やがて更紗は余計に困った立場に立たされることになる。
事件当時、また大人になって以降も、警察などでそれなりに「文はなにもしていません」と言うシーンはあるけれど、ある程度くると「どうせ誰にも理解されないんだから」とあっさりとあきらめてしまう。このあたり、見ていて歯がゆいほどである。
主人公に据えるに際して、このぐらい読者の共感を得にくい人物もないものだと思うが、さてどうだろうか。
この物語の不思議な点がもうひとつあって、じつはこの話の中には、彼女の話をもっと真摯に聞いて、良識的に判断しようとする人物が誰もでてこない(ちょっと聞くふりはするが単に興味本位なだけの人なら出てくる)。ここもまた違和感のひとつだ。
普通に考えれば、こうした事件に巻き込まれた(と考えられる)子供の話をもっと丁寧に慎重に聞き取るプロの大人が複数いてもおかしくない。心療内科の医師やソーシャルワーカーなどといったプロの聞き手が。
いや、いたのかもしれないが、更紗はそれらの人もすべて自分に起こったことを先入観で決めてかかっていて、ろくに話を聞いてもらえなかったと述べている。子供の自分としては精一杯主張したのに、「こういう犯罪の被害者の児童はこういう状態のはず」という決めつけから、だれもまともに聞いてくれなかった、と。
が、幼い頃ならいざ知らず、いまの彼女はいい大人である。文によって性的に虐待されたため、心の傷が深くて話せないというわけでもない。そんな事実はないからだ。
つまりこの更紗、私にとってはなかなか不可解な女性なのである。
やがて亮が、更紗の文に対するこの奇妙な「執着」あるいは「心変わり」らしきものに気づいて、彼女に加虐しはじめる。「俺を裏切るのか」とばかりに、言葉と物理的な暴力が始まるのだ。このあたりの描写がすさまじくて、読んでいてかなり恐ろしくなった。
もとは、やや無神経で身勝手ながらも明るくて温かな男として描かれてきた亮。その亮が、ここへきて急に「実はDV気質の男」「DVの過去のある男」として描かれ始める。もちろん、それまでもちらほらと言動に不安定な部分は見え隠れしていたのだが。
いや、それにしても。
(……都合がいい)
私の最大の違和感がここにある。
もし、もしも亮がもとの通りの「一般的ないい男」のままで何の過去もない男であったら、更紗が文のもとへ走ることは決して人々の──ここでは「読者の」と言うべきか──賛同を得られない。むしろ非難の対象になるだろう。
更紗自身はそんなことはどうでもいいと言うのだろうが、作品世界の中の「世間」はどうでもよくても、外側にいるこの小説の「読者」までは無視すべきではないのでは、とつい考えてしまうのだ。読者にすら見捨てられる、共感できない主人公では、長丁場の作品を引っ張っていくことは難しい。
もちろん、後半の成長を見込んで、冒頭は主人公を多少愚かだったり幼かったりという造形にしておく、ということはあるだろう。物語をつくるうえでのひとつの手法としてだ。
しかし更紗の場合、子供時代が変に大人びていることもあって、ほとんどそうした「成長」らしいものが見えないのだ。
更紗が亮を裏切って文に走ることを、少なくとも読者にだけはよしと思ってもらうため、許してもらうために、物語の都合上、作者によって無理やりに亮が「悪いヤツ」というレッテルを貼られている。そんな感じがどうにも否めないのである。
まあもちろん、更紗のような「特別なつらい過去を持つ(と思われている)」女性を相手にする男たちが普通の感覚の男であったはずがないんだ……という見方もできるし、それもありうる話だとは思っている。
これはこれで、更紗という人が少女のころからクラスの「一般的な」「普通の」女の子たちに馴染めず、親しい友達がいないことも原因だろう。
彼女は少女のころから、ちょっと風変わりで高尚でみんなとは違う自分と家族のありかたを気に入っている。お酒やカクテルの知識を色々ともっていることはそれを端的に表す例として描写されている。
そうやって「ごく普通の」クラスメイトをやや見下している様子が冒頭の随所でうかがえる。それは疎外感というよりは、「私はあなたたちとは違う」という優越感に近いもののようだ。友達がいないのは、ある意味自業自得なのである。
そして友達がいないがゆえに、男性に関する様々な情報や付き合う前に気を付けるべきポイントなどにかなり疎いのだろうと思われる。
やや話題がそれた。
亮が過去につきあっていた女性にDVをした危ない男だという設定は、都合がよすぎるのではと述べた。
更紗と文のことをそれなりに理解してくれる良識的な人がだれも出てこないこともそうである。そんな人物がひとりでもいれば、この物語は壊れるのだ。
出てこないほうが都合がいい。
だが、それは誰にとってか?
作者にとって、あるいは主人公更紗にとってなのだろうか……?
この「尊さ」、「美しさ」を創出するためには、周囲のものはすべてこのように都合よくあらねばならない。
まったくの善意から、純粋に彼女の話を親身に聞く人も、彼女の人生を意味あるものにするための手助けをしようと思う人も、一人も出てきてもらっては困る。そんな人間、この世界にはだれ一人いないことにする。
すべてはこの、「美しい私たちの世界」を壊さないため──。
どうも私には、そのように見えてしまうのだ。
更紗は「これは誰にも許されない関係」「だれにも理解されなくてもいいの」と、自分たちだけの殻の中で満足していく。
これはそういう物語なのだ。
彼らの中だけで、完全に閉じた物語。
夢見る幼い少女のように、自分と相手だけに分かる「美しさ」「尊さ」を噛みしめて抱きしめて、いわゆる「世間」に対してはきれいに背を向ける。すっかり諦めた顔をして、「誰にも許されない、理解されない私たちってなんて素敵なの」とひとり微笑む。
そういう、「閉じた」物語なのである。
この更紗という人物に共感できない読者は、たぶん物語の外へぽーんと放り出されて、不安な顔で周囲を見回す。そうするしかない物語なのだろう。
決して良し悪しを言うわけではないし、ここまでくると、もはや読者の好みなのだとも思う(そして恐らく、私は「好きではない読者側」に分類される)。
本屋大賞の一位になるぐらいなのだから、世の中にこの物語を「素晴らしい」と思い、高く評価する人がたくさんいるのも事実だ。この言ってみれば「脆いガラスの城」のような世界に強く憧れる人たちも、恐らくたくさんいるのだろう。その判断や好みに物申しているつもりもさらさらない。
ついでながら、ラストに近づくにしたがって文個人の複雑な事情も明らかになっていく。もしも未読の方があるなら、二人の最後の選択とともに、個々人で読み通して確認してみて欲しい。
最後にもうひとつの可能性として、作者様がこれらのことすべてをもっとずっと高い位置から見下ろして、あらゆるファクターと可能性を考え抜いた上で構成している……という場合もあり得なくはない。
作者様はこの物語のこうした「都合のよさ」「身勝手さ」「ある種の人からは嫌われる要素」もすべて分かったうえで、読者の疑問や矛盾や不快感もすべて想定したうえでこの架空の物語を紡いだのかもしれないのだ。
そうだとしたら、これはまことに凄い才能、凄い作家ということになるだろう。
これだけ意図的にある一定の読者をイライラさせつつ、あまりに「ありえない」「都合のよすぎる」ファクターを編み合わせて、とある不思議で美しい世界を結実させてしまっていることになるわけだから。
私は小説というものは、どんなものであれこの世に存在していいものだと思っている。人はそれぞれ、自分だけの人生を生きるのと同じように自分だけの物語を持っている。そしてそれが時間をかけて醸成されてきた結果、作品として結実したものを発表する権利をもっている。
だからもちろん、これもこの世にあってよい物語だ。
この物語もきっと、世界のどこかで読んだ人の心を救うものだと思う。
そう認めている一方で、読後の私は老婆心ながら、これを「面白い」と思う読者と「つまらない」「不愉快だ」と思う読者で、きれいに分かれるのではないかと予想せざるを得なかった。
事実、某書籍販売サイトのレビュー欄には、両極端な賛否両論の言葉が躍っている。
まあ、ああいう所のレビューでは、もっともよい評価ともっとも悪い評価をつけたレビューについてはどちらもせいぜい話半分に見ておいたほうが良いだろうけれど。
さてさて。
私自身の所感は大体こんなところなのだが、皆さんはいったい、この本についてどんな感想を抱かれるだろうか……?
了
前書きでも述べている通りですが、こちらは単なる個人の感想であり、当該の書籍の作者や出版社を誹謗中傷する意図はいっさいありません。
一応感想欄は開いておりますが、今回はこのエッセイそのものが長い感想文みたいなものなので、基本的にお返事はしないでおきます(もちろんすべて読ませていただきます)。
ご感想は、できれば当該の書籍をお読みになった方でお願いします。
ただその際、未読の方たちのため、感想欄でも当該作品のネタバレは避けてください。また、当該書籍の本文の引用は一切しないでください。著作権侵害に該当する恐れがあります。
いつもは紹介するのですが、活動報告でのご感想者の紹介も今回はいたしません。
どうぞよろしくお願いします。