カラオケに行くふたり
ひとまず車に戻って走り出してみたが、このあと行きたいところがない。この町は観光地でも何でもないし、地元に近すぎるので、ふたりにとって目新しいものがあるとは思えなかった。
「どうする、もう帰る? それとも宿に入る?」伊東が聞いた。
「宿に泊まる気なの? まあひとりでご自由に」
「え、違うの?」
「僕はこの1週間は車中泊とネカフェで乗り切る予定だから」と、神白は言った。
そもそも、ひとり旅の予定だったし、予算もさほど用意していない。
「ええ、ちょっと……社会人でしょ?」伊東は本当に嫌そうな顔をした。
「そんなこと言っても、非正規だし。たぶん伊東君よりも貧乏だよ僕は」
「搾取されてんなあ。学が無いと大変だねえ。あ、君は職歴も無かったね」
神白は聞かなかったことにして、
「うろうろ動き回ってもガソリン代がもったいないから、あと次の怪獣情報が入るまでは僕はこの近辺のネカフェに篭ろうかと思うよ。伊東君はどうする?」
「ネカフェねえ……」伊東は少しの間、窓の外を眺めて考えてから、「この町、カラオケないかな?」
「カラオケ? 探せばあるだろうけど。え、歌うの?」
「オールナイトパックを奢ってやるよ」伊東はすごく恩着せがましい口調で言った。「カラオケなら酒が飲めるし喋れるし。あ、僕は歌わないけど、神白は好きなだけ歌うと良いよ。いちおう聞いといてあげるよ」
「僕、わりと漫画読みたいんだけど……ま、いいですよ、じゃあ今夜はカラオケで。もう何でもいいから早く柔らかいところで横になりたい」
「本当は、さっきの建物を張り込んであのリーダーを直接尾行し続けるっていうプランもあるんだけど」
「それは、やりたきゃひとりでやって。っていうかこれ以上やると流石に通報されると思うよ……」
夕飯をとれるところを探したが、手頃な飲食店がたくさんありそうなのは20キロほど離れた隣町だった。先にカラオケ屋が見つかってしまったので、結局面倒になり、その隣のコンビニで適当なものを買って済ますことになった。
「お前との外出はなんでいつもこうなのかね」伊東は助手席でサラダパスタを食べながらまたひとしきり文句を言った。「お前と温かいもの食べた記憶がほとんどないんだけど」
「なんでって、伊東君がいつもタイミング悪い人だからじゃないんですか」
「僕なのかよ」
「だって、僕は心当たりないし」
「そこで反省しないから同じことを繰り返すんだよ」
「うん、だから伊東君が懲りればいいのに」
「ああいやだ。こんな社会人になりたくない」
カラオケ店はものすごく看板が錆び付いていた。ちゃんと稼働しているのか不安になる外観だったが、一応全国チェーンの店で、伊東の持っている会員カードが使えた。
「カラオケなんて久しぶりだな」薄暗い部屋に入りながら、神白は言った。
部屋は、煙草のにおいが染み付いてしまっている。ソファも傷だらけだ。どちらかというと、やはりネカフェのほうがまだ少しは寝心地が良さそうな気がした。
「何食べようかな」伊東はファミレスに入ったような調子で、フードメニューを取った。
「まだ食べるの」
「おつまみだよ。神白はビール?」
「え、ああ、飲む前提なの……」
伊東は壁に掛かっている受話器を取って、勝手に生ビールふたつと食べ物を数点注文した。
「カラオケってこういう場所だったっけ」
間髪入れず届いたビールを仕方なく受け取りながら、神白は言った。
「たいてい僕にとっては飲み食いする場所だけど」伊東は済ました感じで言って、「じゃ、乾杯」と、ジョッキを当てた。
「うん、乾杯……」
そのまま、伊東はジョッキを口に当て、凄い勢いで飲んでいった。
そんなに飲みたかったんだろうか、と神白はぼんやり眺めた。
ジョッキの傾きがどんどん大きくなっていき、最終的にはほぼ逆さまにするほどの勢いで伊東はビールを飲み干した。
「よくそんなに入るね……学生さんのノリは分からんなあ」
「おい」伊東は叩きつけるようにジョッキを置いてもう一方の手で口元をぬぐった。「乾杯と言ったら[杯を乾かす]んだよ。有言実行しろ」
「え、そんなルール聞いたことないけど」
「あり得ないでしょ。え、飲めないの? マジでさあ、飲もうとするフリもないってどういうことなの」
「伊東君、アルハラだよ」
「ちょっとさあ、そんなんでどうやって営業してんの? 接待とかないの?」
「いやまあ、お酒の席はたまにありますけど」神白は空になった伊東のジョッキに自分のビールを半分以上注いだ。
「え、ちょっとなに」
「足りないみたいだから」
「腹立つなあ。こんな奴と取引したくないわー」
「仕事の場合は、飲めばいいってものでもないよ」と、神白は言った。
それから伊東の注文したサイドメニューが次々と到着した。ほとんどが揚げ物だった。
伊東は調子良さそうによく食べ、よく飲み、ときどき曲を入れて歌った。神白の知らない曲だったが、普通に上手かった。
神白は適当に手をつけたところで靴を脱ぎ、ソファに寝転んだ。
「寝るの?」
「あと勝手にやっててね」
と言って、神白は目を閉じた。目を閉じてみると、やはり疲れていたのだと感じる。
伊東が立てていた音が止んだ。
カラオケルームらしからぬ沈黙の時間が流れた。
そのあと小さな溜息が聞こえて、彼は本日になってからいちばん心細そうな声で「アキちゃん」と言った。
わかってる。
伊東が何をしたいのかはわかっている。
でも、今はそんな気分じゃない。
楽しいことだけ考えていたい。
楽しいことだけ。
今だけ。
「トモ君と、何かあったよね?」
と、伊東は聞いた。
「……また、あとでね」神白は目を開けずに答えた。
早く眠りに落ちてしまいたい。
今すぐ……、
そして、二度と目覚めたくない。
この先これ以上楽しい日なんて、もう永久に来ない気がするから。