意外なエンドロール
宿に戻る頃には、トモルの顔色はすっかり青ざめて、触れてすぐにわかるほど体温が上がっていた。
「薬は?」神白は弟を着替えさせながら、思わずまた小言を言ってしまった。「頼むから自衛してくれよ…」
「うん、はい、はい」トモルは言い返す気力も無いのか、雑にうなずいた。
「明日、ルイさんが迎えに来るの?」
「は? なんでおれだけ帰らせる気なんだ……」トモルは顔をしかめた。「怪獣は片付いただろうが。てめーも帰るぞ」
「なんで? 僕まだ土曜日まで」
「部屋を片付けるっつってんだろが」
「ええー……」
「ええーじゃないよ! お前はさ、どんだけおれに世話を焼かせる気?」
「は? いま、トモ君の世話焼いてるのこっちなんだけど」
「君たちまだ喧嘩するの? 懲りないねえ……」
伊東は自分だけさっさと布団に潜り込んで、またスマホを眺めていたが、突然「ああ!」と叫んで飛び起きた。
「え、なに、伊東君」
「あああ……凡ミスだ」伊東はスマホの画面を見つめたまま、すごく悔しそうに言った。「こんな単純なことを間違えるとは!」
「何なの?」
神白は横から画面を覗き込んだ。
どこかに投稿されたらしい、「怪獣」ショーの動画だった。
「あ、また、今夜も上映してたんだ? どこでやったんだろ……木下さんも忙しいな」
「忙しいはずだよ。あんの、タヌキ野郎……」伊東は舌打ちしそうな勢いで叫んだ。「覚えてるか、アキちゃん、あいつら秋田での初日の上映の後、宮城県まで戻って、2日後にはまた秋田にいた」
「もちろん忘れてないよ」それを追って2往復分を運転したのはほとんど神白なのだ。
「なぜそんなことする必要がある? 機材も、技術者も、丸ごとだぞ。秋田での次の上映が控えてるのに、わざわざ一式持って全員引き返した。機材のトラブルなら機材だけ送ればいい。誰かの用事なら人間だけ行けば良くて、機材は動かさなくていい」
「……え、まさか、上映のため?」
「実演の必要があったからだ。営業だよ。新たなスポンサーを取るための」
「ええ? あ、じゃあ、原山さんたちから別なスポンサー取るの禁止されてたのに、水面下じゃ動いてたわけだ」
「水面下じゃないよ、堂々とだよ」伊東は画面を指した。「ユウちゃんの足の傷がどっちだったかわかるか? 前に撃たれてできた傷」
「えーと……右足かな」神白は先ほどの廃屋の攻防を思い返して、言った。
「この怪獣の怪我は左足だ」
「ええ? あれ? 前からそうだった?」
「前からだよ。僕が印刷した怪獣も、傷は左足だった」
「どういうこと? 画像が反転してる?」
「違う、モデルはユウちゃんだけじゃないんだ」
「ええ……まさか」
「え、あんな怪物みたいなワニがまだ他にもいるの?」トモルが聞いた。
「違う違う。大きさは加工できるんだから、そこは問題じゃないよ」伊東は首をふった。「これはコラージュだよ。ユウちゃんがモデルになったのは顔だけで、この傷のある前足はどこか別な動物園か何かの、別な爬虫類の足だ。たぶん後足や尻尾も違う生き物なんじゃないか? それだけじゃない。この怪獣の『動き方』はワニの動きじゃない。おそらく人間のアクターに演じさせてトレースしたものだ。オープニングの蝶のCGも……水面に立つ水飛沫の描写も。全部、別々の『素材』がある」
「なぜそんなことわかる?」トモルが聞いた。
「エンドロールが追加された」
伊東はトモルにも画面が見えるように、腕を伸ばしてスマホを持ち直した。
動画には撮影者のものらしい『何、何あれ?』という声が入っていた。
宙に輝く点の集合体で描かれる怪獣が、大きな水飛沫をあげて消えたあと、確かに映画のエンドロールのようなものが始まった。
まるで、色のついた雪のようだ。湖畔の暗闇が見えないスクリーンとなり、色とりどりに揺らめく輝点で描画された文字が、滑らかに宙を降りて行く。1行、また1行……「明川熱帯園」「スターワークス」「鹿山市」などの文字が、辛うじて読み取れた。撮影の角度が良くないのか、画質の問題なのか、その他のほとんどの文字は潰れて読めなかった。
だが、SNSの時代だ。そこにエンドロールがあるという情報さえあれば、誰かがそれを読み解き、そこに書かれている名前や団体名を調べ上げ、連鎖的に共有し拡散するだろう。この場合はむしろ、容易に読み取れない状態のほうが「解読」作業が過熱し、注目度は上がるはずだ。
各地で上映ショーを繰り返し、合間の営業で「素材」の提供者を増やし、その宣伝効果を約束して先行投資をさせる……20回の上映を手早く済ませてしまうつもりだったなんて大嘘だ。天候が、場所の都合が、と言い訳して予定を引き延ばしては、「裏の」スポンサーを集め、原山たちに契約上の制限を取り消させる機会をずっとうかがっていたのだろう。
「うーん、確かにタヌキ野郎だな」
木下リーダーの柔和な丸顔を思い浮かべて、神白は言った。
「君の会社とは格が違ったな」
「いや、たぶんうちの社長と馬が合いそうだよ。このあと、キツネとタヌキの化かし合いが見れるんじゃないか? 僕は同席したくないけど」
「マジかよ。業界人は怖いな……」伊東はスマホを手元に戻し、また大量の投稿をスクロールしていった。
「おい、とにかく明日帰るからな」トモルが布団をかぶりながら言った。「お前ら運転しろよ。アキちゃん。わかってるな? もう十分だろ、十分楽しんだよな? 帰るからな?」
「ああ、はいはい」
「ほんとにわかってんのかなあ」
「え、でもまだ火曜日だよね」伊東はスマホを見たままニヤニヤ笑った。「アキちゃんは夏休みまだ半分残ってんじゃん。土曜まででしょ?」
「余計なことを言うな!」とトモルは叫んだ。




