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明かされる策謀

銃声は3度続いた。

少なくとも3発目は確かに当たったようで、巨大な怪物はピタリと足を止めて激しく頭を振り上げた。暗闇に半ば沈んだ体は、黒くじっとりと濡れ、傷口がどこにあるか見えない。ユウちゃんはそのまま後ずさりを始めたが、その動きは緩慢だった。冷たい雨に打たれ、体温が下がっているのだ。


伊東が遠藤のもとに駆け寄り、何か叫んでいる。猟友会の長髪の男はもうひとりの男に指示を出して洞窟の入口の方へ回らせ、同時に、焚き火に何かを投げ込んだ。促進剤だったのか、雨の中で激しく火が上がり、男は薪をすばやく継ぎ足していく。


神白はトモルの車椅子を強引にひいて階段口まで下がりながら、身体の内側を叩くような轟音に気づいて顔を上げた。


雨。暗闇にもわかる厚い雲。風は無い。熱気を伴う嵐が終わり、入れ替わるように、冷たく単調な雨雲が来ている。


不意に真昼のような白い光が視界を覆って、一瞬で消えた。


目が見えない。


「トモ……」


「大丈夫」トモルの手が闇の中でしっかりと掴んできた。「ここにいる、……」その先の言葉が空を覆う轟音に掻き消えた。


ビートを刻む低音……ローター音、

「ヘリ?」自分の声が聞こえない。「伊東君! どこにいる?」


自然のものではない突風が顔を打つ。


もう一度、真昼のような明かりがついて、岩壁の前の広場を大きく照らし出した。

ユウちゃんの黒い体がシルエットのように浮かび、長い背びれがギラギラと輝く。かれは後ずさろうとして前足を下げたまま、固まってしまったように動かずにいる。

明かりは真上に迫る大きなヘリコプターから投射されていた。


「上がれ! 上がれ! 上がれ!」

階段を何名もの男が勢いよく上がってきて、神白とトモルの脇を駆け抜けて行った。

総勢10名はいる。

彼らはユウちゃんを前にして一瞬足を緩めたが、相手が動かないのを見て、声を掛け合いながら更に近付いた。


数人掛かりで運ばれてきた大きな包みが解かれ、宙に広がる。


布か、巨大な投網のようなものに見えた。


それが顔に覆いかぶさる瞬間、ユウちゃんは口を開きかけたが、男たちのほうが手早かった。2名、4名がひと組となって、両側から次々とロープや布のようなものを掛けていく。硬い背びれの光る長い尾が一度だけ緩く波打ち、男たちは数歩下がったが、それが最後の抵抗だったようだ。まもなくユウちゃんの長い体は頭から尾まで隈なく簀巻きにされた。


伊東が雨の中を小走りに駆け寄ってきた。

彼はまず車椅子の前に屈みこんでトモルの顔を覗き込んだ。

「トモ君! 大丈夫か?」


「君は何をやってるんだよ」トモルは笑いながら言った。「あれは何者なんだ?」


「僕の、えーと」伊東は首を傾げた。「指導教官の、友達……の、手のもの」


「ええ、うん、何言ってんのかわからない」


「大学のコネだよ。学者さんだ」伊東はそれから顔を上げて神白を見た。


「酔いは覚めた?」と神白は聞いた。


「もともと、酔ってないよ」


「さあ、それはどうだか」


ヘリのローター音はまだ激しかったが、先程よりは少し真上を逸れ、高度もやや上がっていた。

ユウちゃんの体に何本ものワイヤーが掛けられ、ヘリに吊り上げられる形で宙に浮かぼうとしている。

簀巻きにされた長い体は、動く気配がなかった。


「……どこに運ぶの?」神白は聞いた。


「というか、あれ持ち上がるのか?」トモルが聞く。


「まあ大丈夫だと思う。重さは余裕を見てる」伊東は目を細めてヘリを見上げた。「すぐそこ、林道の出口までおろすだけだから。道路が繋がってりゃもっと簡単だったんだよ。まったく……」


「下におろしてどうするの」


「輸送用のトラックがきてる」伊東はあっさりと言った。「このまま岩手を突っ切って、仙台港まで。そこから船に乗る」


「まったく話が見えないんだけど?」


「次の飼い主のもとへ送るということだ。……ああ、倉川先生! こっち!」

伊東はユウちゃんを捕獲した男たちのひとりに向かって、大きく手を振った。


よく日焼けした精悍な顔立ちの男が、大股でこちらに近づいてきた。


歳は40まで行かないくらいに見える。背が高く、逞しい体格の男だった。筋肉が無駄なく引き締まり、しかも厚みがある。とても「先生」には見えない。


「いや、天が味方したな」倉川はとても機嫌が良かった。「伊東君! 君は強運の持ち主だなあ!」


「別に、僕じゃないと思いますけど」伊東は言い返し、それから神白とトモルに向かって、「こちら、僕の所属研究室の准教授の谷中先生の友人で、生態学者の、倉川先生だ」


「わざと長く言ってるよね?」とトモルは言い返した。


「先生、別に知りたくないでしょうが、こちらはカミシロとカミシロです」


「ああ、うん、兄弟? 似てるね」


「双子です」


「ああ! そうだ、同じ顔だな」倉川はそれから、宙吊りになったユウちゃんを見上げ、「いいな。完璧だ。動かないだろう」と言った。


「死んだ?」と、トモルが聞いた。


「いや、麻酔を打った……けどそれ以前に、寒くて動けないんだ。変温動物だからな。ほんとにこの雨は天の恵みだよ! 銃創のほうは、顎を撃たれてるけど、命に別状は無いだろう。傷は残るだろうが」


「すみません」と伊東は言った。「もっと時間掛かるかと思ったんで、彼女を止めるタイミングが悪くて…」


「いや、いいんだ、人命優先だからな。変なタイミングで止めると、彼女が死んでたかもしれん。しかし肝の座った子だな……あれで初心者なんだろう?」


その「彼女」と猟友会の2名は、徐々に高く釣り上がっていくユウちゃんを見上げながら、別な男と何事か話し合っていた。


かまどの焚火はかなり縮んでしまっていた。ヘリからの明かりが逸れると、また急に暗闇が戻って来た。


「あと、残り、トラックの方へ回って!」倉川は手持ち無沙汰になった男たちに向かって声を張り上げた。「宍戸さんたちに合流して!」


男たちはめいめいの腰にぶら下げたライトを揺らしながら、ぞろぞろと階段のほうへ戻って来た。

間近で見ると全員が若い。神白よりも若いように見える。おそらく、伊東と同じような身分、研究室に所属する学生たちなのだろう。


「早く、早く。先行って! まだ終わってないぞ」倉川は彼らを追い立てるように急かし、「俺もすぐ行く。あのまま入れるんだぞ! ほどくなよ! 絶対にほどくなよ!」


「なんすか、倉川さん、それはフリですか」

階段を降りていく彼らのうちのひとりがぼそっと言い、しかし足は緩めずそのまま下って行った。


「倉川先生の研究室、大所帯なんですね」伊東は言った。


「いや、俺のじゃないよ。ボスはあのひと」倉川はまだ広場の中央で遠藤と話している、背の高い白髪の男を目で示した。「それに今降りてったのはほとんどうちの子たちじゃない。隣から借りた」


「いいんですか、そんなの」


「だってうちは、ワニは専門じゃないし」


ヘリはユウちゃんを吊ったまま滑らかに横移動を始めていた。呆気ないほどの速さだ。改めて目を凝らすと、機体の横に「航空自衛隊」の文字が見えた。


「……いや、おかしくない?」トモルが半ば叫ぶように言った。「その予定があるならなぜ隠してたんだよ? 伊東君、お前さ、おかしいって!」


「おかしくないよ……」伊東は笑いながら言った。


「おかしいだろ! 引き取り手が決まってたんなら、あんなことさせる必要なかっただろうが? 彼女はこれを知ってたのか?」


「違う違う、彼女は知らない……というか、僕だってこうなると知らなかった。これは全部、今日、大慌てで決まったことで。間に合うかどうかわからないから、賭けだったんだ」


「すまん、無茶をさせた」と、倉川は言った。「ただ、もう今夜しか無いと思ってね。こんな良い条件であいつを洞窟から引きずり出すことはもうできない。あいつは暑いと無敵だろ。今の季節に、あの洞窟の中に踏み込むにしろ、昼間出てきたところを迎え討つにしろ、仕留めるのは難しいと思って。動画見たけど、ありゃ無理だよ、並みの怪力じゃない。ヘリでもクレーンでも絶対太刀打ちできんて。だからほんとは秋を待つつもりで、相当難航する予定だったんだ……その間に村に被害が出るかもわからないし、無理なら諦めるつもりだった」


「じゃあなぜ今夜上手くいったんですか?」神白は聞いた。


「いや、だから、天の恵み」倉川は笑った。「日が沈んでから気温が上がっただろう。こんなこと、ここら辺の地域じゃ何年かに一度しか無いよ。あいつを外に引きずり出して時間を稼げば、そのまま気温が一気に下がって仕留められると思った……結局自分から出てきてくれたから、なおのこと都合が良かった。いやでも、大変だったよ! 何が大変て、輸送ルートの手配が。まだ終わってないんだ。明日の朝、お役所が開くと同時に残りの書類を全部搔き集める」


「まだあるんですか?」伊東はうんざりした顔をした。


「しょうがないよ、ワニは厳しいんだ。飼うのも動かすのも全部許可がいる」


「新しい引き取り手は誰なんですか」と、トモルが聞いた。


「さあな、伊東君、どうなんだ?」倉川は伊東を見た。


「ああ、いや、本命はやっぱり無理っぽいです」伊東はまたスマホを見た。「予算の問題で。結局有力なのはインドネシアじゃないかと」


「マジかー。そこ、個人だろ、実質。どっか学術機関に引き取らせたかったなあ。もったいねえなー」


「オーストラリアのなんとかってところは、かなり前向きだったんですけどね。結局、輸送費をどこ持ちにするかみたいな話」


「だよな。こっちもほぼ出せないしな」


「とにかく僕はもうやれるだけやりましたからね」伊東は言った。「一生分の英文メールを送りましたよ、ほぼコピペだけど」


「伊東君、ほんとに何してたの……」神白は呆れて言った。「英語でメールなんかしてたの?」


「うん、だって倉川先生がお役所と闘うのに忙しくて。それに、ユウちゃんを実際に見たのが僕だけだったから。倉川先生の声掛けに対して反応があったところには、僕が代理で返信してたんだ。結局ね、どれくらい人間に懐いてるかという質問が多くて、凶暴化してるという時点で無理というところがほとんどだった。もしこれで人に懐いてたら、全世界から引っ張りだこだったのになあ!」


「いや、でも、人に懐いてたらこんなに大きくなれなかったからね……」


しかし、考えてもみなかった。この村ではすっかり「お荷物」か、割に合わない商売道具くらいの扱いだったユウちゃんを、輸送費を払ってまで欲しがる人間がいるとは。原山たちや木下リーダーがイベント費用の負担をなすりつけ合い、遠藤が苦渋の決断をする間も、伊東はこの巨大な生き物を丸ごと売りつける相手を探して「営業」をしていたのか。


「何を笑ってるの?」伊東が急にまじまじと神白を見て聞いた。


「え、笑ってますかね」


「ムカつくわ。マジで腹立つな。何がおかしいんだよ? 人が真剣に働いてる間、君たちゃ遊んでただけじゃないか!」


「伊東君、やっぱまだ酔ってるでしょう」


遠藤は倉川の「ボス」と話を終えたらしく、猟銃を長いケースに仕舞って担ぎ、足早にこちらへ近付いてきた。


相変わらずその顔には何の感情も浮かんでいなかったが、かなり疲れが出た様子だった。

「伊東さん」彼女は力強い黒い瞳を伊東に向けた。「ありがとう」


「え、ああ」

伊東は珍しくはにかんだような笑みを見せた。

「いや、これはすべて倉川先生のしたことで……」


「いや、これはすべて俺のボスのしたことで」と、倉川は素早く言った。


「ああ、はいはい、ぜんぶ私の責任ね」数歩遅れてやってきた白髪の男は、すごく疲れ切った口調で言いながら頷いた。「ほんと何でもいい。早く戻って休みたいよ、私は」


「先生、結局インドネシアだそうで」と、倉川は言った。


「あっそう。宍戸君のほうは大丈夫なの?」


「さあ、どうなんでしょ? 電話来ないから、大丈夫なんでは?」


「やだよもう。麻酔が効いてる気がしないんだよ、あのデカブツ!」


ボスが足を止めずに階段を降りていくので、倉川もそれを追って降りて行った。


猟友会のふたりは、その背中をだいぶ呆れたような目で見送っていた。


遠藤はまだまっすぐに伊東を見据えていた。

「伊東さん……伊東さんは、何者なんですか?」


「うん」伊東は心から嬉しそうに、もう一度笑みを見せた。「だから、それを聞けば良かったでしょ?」


「ていうか、僕はあの先生が何者なのか聞きたいよ…」神白は言った。「何? 君の先生の友達? 要するになんなの? なんで?」


「いや、僕も知らない。谷中先生に状況を知らせたら、あの人に繋いでくれた。ああ、いや、前にも会ったことあるんだ。元はゾンビの何かやってた先生だよ」


「ああそう……」


「今もだよ」と伊東は言った。「全国の山林にゾンビが放たれただろ。それで生態系が変わってしまったり、味を覚えた動物が人里を襲ったりで、どこもかなり問題になってる。だから倉川先生みたいな人たちはずっと経過を追ってる……ユウちゃんのことは、まあワニだったから珍しいケースではあるんだけど、決して個別の問題ではないんだよ」


「ああ」急に真面目な話をされて、神白は一気に重苦しい気分になった。


「まだ終わってないな」と、伊東は言った。


「そう……そうなんだろう」


思わず溜息が出る。爪痕が深すぎる。何もかもまだ、続いているのだ。トモルの身体のことだってそうだ。癒えることのない傷もある。


それでも、もう終わったから忘れろ、と言われるよりは、ずっとましな気分になれる気がした。


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