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一騎打ち(前)

舗装道路が途切れたところで車を降り、朽ちかけた木の階段を10分ほど登った。


登りきったところに湾曲した岩の壁があり、洞窟の入口となる暗い小さめの穴があいていた。今朝見たほうの、地面の穴よりは少し広い。その手前に、破られた鉄柵の残骸と思われるものが転がっていた。駐車場の入口などに後付けするタイプの、伸縮式の鉄柵だ。キャスターが付いていて、本来はレールに沿って開け閉めするタイプのものだろう。

破られたというよりも、軽く乗り越えられてしまったという形か。


やや左手のほうに、森の始まりと岩壁との隙間に無理やりねじ込んだように、二階建ての廃屋が建っていた。住居ではなく、物置か作業場として建てられたものに見えた。

全ての窓が割れ、屋根に穴があき、歪んで外れかけた戸に細板が交差して打ち付けられている。


「こちらから」遠藤は階段脇から森の中へと入る、舗装されていない林道を示した。

元は、太めの獣道のようなものだったのかもしれない。

車一台通れるほどの幅に下草と低木がなぎ倒され、枝が折られ、地面が踏み荒らされて所々めくれ上がっていた。


「行き先がわかりやすいのはいいね」と、伊東は言った。


「この道はどこに通じてるんですか?」と神白は聞いた。「出口が分かっているなら、先回りとかは」


「道なりに行けば山頂です。途中で変なほうへ逸れなければですけど」遠藤は言いながら、手早く後部座席から薄手のジャンパーと長ズボンを引っ張り出し、今着ているものの上にそのまま着込んだ。

「あなたがたはその格好で入るんですか?」遠藤は神白と伊東の服装を見て言った。


ふたりとも軽装だ。脚はなんとか隠れているが、半袖なので腕が剥き出しだった。

「上着余ってるなら、彼に貸してもらえます?」神白は伊東を見やって言った。「僕はこのまま入ります」


「これを」遠藤はウィンドブレーカーのようなものを伊東に押し付け、それから黒い、縦に長いバッグを座席の奥から引き出して担いだ。


決して背が低くない彼女が背負っても、その先が足元に付きそうなほど長かった。


「それが猟銃?」伊東が聞いた。


遠藤が無言で森に入っていこうとするので、神白は急いで呼び止めた。

「待って。せっかく3人だ、役割分担をしませんか」


反発されるかもしれない、と思ったが、遠藤は素直に振り向いて神白の言葉を待った。


「あなたしか武器を使えない」神白は素早く考えた。「それ、どこででも撃てるものですか」


「場所は選びませんが、そう素早く撃てるものではないです」と遠藤は言った。


「では遠藤さんは待ち伏せを。僕がユウちゃんを追います。ユウちゃんは原則、人影を見たら逃げずに向かってきますよね」


「でしょうね。餌と認識してます」


「なら、ゾンビと同じだ。追い立てるのではなく、おびき寄せる。僕が囮になってユウちゃんをこの道に引き返させてくるから、遠藤さんはどこかやりやすい場所で構えて待ってください。伊東君は遠藤さんに付いて。できれば木に登って、見張り役、戦況の把握をしてほしい」


「危ないですよ」遠藤はじっと神白の目を見返しながら言った。「ご自分が何を言ってるかわかってますか?」


「わかってる」


「あなたに銃口が向くことになるんですよ。それに後ろからはユウちゃんに追われる」


「大丈夫」神白は言いながら、急激に身体に血が回ってくるのを感じた。


2年前まで、こんな事ばかりしていた。思い返すとその記憶は灰色に沈んでいるのに、身体は熱を持って覚えている。

思わず笑みがこぼれそうになり、このタイミングで笑うと相手が不安になるのでは、と考えた。


「わかりました」遠藤は言った。「何にせよ急がないと。もう30分経ってます。ユウちゃんの気が変わって里に降りようとするとまずいです」


「先に入るので」神白は踏み荒らされた獣道を見ながら、素早く足場の計画を立てた。「伊東君、待ち伏せ場所が決まったらだいたいの位置をメールで知らせて。僕もユウちゃんを見つけたらメールする」


「ユウちゃんが大きく道を逸れているときはすぐに連絡をください」遠藤は言った。「里に下りる兆しがあれば役場にもう一度警告するので」


「わかりました」


「その銃でほんとに殺せるの?」伊東は遠藤の背中の荷物を見ながら、言った。


「わかりません」遠藤はあっさりと言った。「熊撃ち用ですが、あの肌を通るかどうかは。駄目なら、口が開くのを待って口の中を撃ちます」


「それは、相撃ちってことだよね?」


「そもそも、そういうことにはならないと思います」と遠藤は言った。「ユウちゃんは洞窟に戻りますよ。戻らせます」


「……だといいけどね」


「伊東君、気を付けて。遠藤さんも。……お互い、無茶はしないように」

神白は言って、獣道に踏み込んだ。


思ったよりも、地面が固い。これなら走れる、と、神白はほっとした。

だがそれは同時に、この固い地面をめくりあげるほど相手が巨大で怪力だということでもある。


里に下りられてしまったら、人死にも覚悟しなければならないだろう。


「アキちゃん!」伊東が後ろから叫んだ。「いちばん無茶してんの、お前だからな!」


神白は振り返らずに片手を挙げ、地面を蹴る足を強めた。


なだらかな上りと、カーブ。

それが下りに転じ、急激に樹々が深くなる。


真夏の森だから、かなりの入りづらさを覚悟していたが、空気はからりとして虫も少なかった。水はけの良い土地なのかもしれない。歩きやすい森だ。それに、「ユウちゃん」の通った跡がそのまま道になっているので、遮るものが少なく、進むべき方向にも迷わない。


これなら、追うこと自体はさほど難しくない。問題は遠藤の武器が通用するかどうかだ。もし、仕留められなかったら? いや、今はそれを悩んでも仕方ない。


道はひときわ強くカーブした後、再び上り坂になっていた。


予想はしていたことだが、以前よりも体力が落ちていた。気を付けていないと上り坂で息が切れそうになる。ここでへたるわけにはいかない。意識して深く息を吸い、歩幅を大きくする。


やがて、湧き水か何かに近付いたのか、急激に足元が柔らかくなった。足元には湿った腐葉土が降り積もり、肌でわかるほど湿度が高い。立ち込める生き物の気配がぐっと濃くなる。

知らない鳥の声がはるか頭上から降っている。


枝分かれした道を夢中で駆け抜けてしまいそうになり、神白ははっとして立ち止まった。


本来の獣道は前方へ続いている。しかし、樹々のなぎ倒された「ユウちゃんの足跡」は左に逸れていた。


元は道が無かった場所に、無理に分け入ったようだ。折られた低木の配置からそれがわかる。

太く傾いた老木を回り込んで、ごく小さな泉が、



血。



反射的に息をつめた。下がるべきか、踏み込んで確かめるべきか、数瞬迷った。


泉に生き物の気配はなかった。ほとんど水たまりと大差ないような、小さな地下水の湧き出し口だ。それが今、血で真っ赤に染まり、その周りの濡れた岩場にも、どす黒いシミがいくつかできている。まだそのシミは乾いておらず、やや赤みを残している。


近い。ついさっき。たった今か。


妙な想像をしそうになって、慌てて思考を切り替える。この血の量ならかなり大型の動物だ。鹿、猪、熊。しかし死骸は見当たらない。ユウちゃんが狩をしたのか。


つまり、断食させて餓死を待つという作戦が一歩遠のいたということでもある。何もかも後手に回っている。まずいのではないか。


生臭い光景に気を取られて、ユウちゃんに薙ぎ倒された草木の跡がそこで途切れていることに気づくのが遅れた。


笹薮の中にひそんだ大きな目と目が合った。


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