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進まぬ交渉

風は爽やかだったが、さすがに日差しがきつくなり始めていた。折よく、食堂が開店したので、木下は全員を促して店内の座席に入った。食堂は食券式で、混雑時以外は休憩スペースとしても開放しているようだった。


神白は「通訳」として同席を求められた。

と言っても、よそ者に話しかけるときは原山たちもだいぶ気を遣うようで、特に言葉の訛りが問題となる場面は無かった。


木下の提示した選択肢は「開設した新しいアカウントを完全に引き渡し、追加料金も払う」か、「ここで上映ショーを打ち切る」か、の二択。対して、原山たちの言い分は「これ以上の金は出せない」「アカウントは渡せない」「打ち切りも認めない」。完全に平行線だった。

伊東は初めの5分だけ隣のテーブルから見物していたが、すぐに飽きたらしく、トモルを連れて土産物屋のほうへ行ってしまった。


「そもそも、当初はどういう契約だったんですか?」神白はどちら側にともなく尋ねた。


「上映20回。20回目に澤久間村の地名を明かして、そのときのSNSのインプレッション・ポイントが一定以上だったら成功報酬を上乗せ」木下は淡々と言った。「次が18回目になる」


「20回という約束でもう払ってるんだから」と、4人のうちで最も若い栗岡という男が言った。若いと言っても、神白たちよりはひと回り以上、上だろう。目つきが鋭く、ただでさえ睨んでいるような印象を受ける。そして今は、実際に睨んでいた。


「残り3回ぶんの実費はお返しします」木下のほうは、特に何の感情も表に出さなかった。どちらかというと、声色は少し機嫌が良さそうに聞こえた。「お支払いいただいた金額の20分の3を返金させていただきます。その返金が済んだ時点で、契約終了ということで」


「違う違う、予定通りにちゃんと進めて。どうしてなの?」栗岡は素早く首を横に振った。「こっちは20回分のお金を払っていて、そっちはそれを了承してるわけだよね。これは契約違反だよ」


「契約書の文言についてここで蒸し返さないですが」木下は言った。「状況が大きく変わったわけですから、このまま進めることはできません。SNSの反響のコントロールを含めてお受けしています」


「それはもういいからさ。SNSはもう、こっちでやるから、あと3回の上映だけ……」


「そうはいかないでしょう」木下は柔らかい笑みを浮かべた。「うちではね、怪獣の上映そのものよりも、むしろSNSのコントロールのほうによほど時間を割いてきたんですよ。そのぶんの人件費はもう掛かってしまっているんです」


「そんなこと言ったって。こっちで別のアカウントを取っちゃいけないなんて話がある?」


「20回目が終わった後、うちのアカウントを引き継ぐという話かと思ったんですが。なぜ、このタイミングでもうひとつアカウントが必要になったんです?」


「こっちにも色々都合があって」


「だって、もう最後の上映まであと10日くらいですよ? その間くらい、アカウントを渡していただけないんですか」


「アカウントを渡して、追加料金だろう?」


「そうですね。それは、作業が増えますから、しかたない。人件費ぶんです」


「困るんだよ」


どうも話が妙だ。神白は横で聞きながら考え込んだ。上映はフィナーレを迎えようとしている。このまま木下たちに任せていれば、あと10日ほどで数千のフォロワーを持つアカウントを引き継ぎ、満を持して「澤久間村」を怪獣の里として売り出せるはずだった。その後で「仲間割れ」が起きるならまだ分かるが、このタイミングというのは変だ。それに、栗岡たちの態度があまりにも頑なではないか。


あと10日ばかりをどうしても待てないような、特別の事情があるのだとしたら、それは……


「神白君、大丈夫?」木下が聞いた。「疲れてない?」


「いえ、あ、すみません」


「何か飲み物でも買ってきたら?」木下はそう言いながら、何かを伝えたそうな目をした。

よく見ると、木下はテーブルの下でスマホを持ち、その画面を指先でとんとんと叩いていた。


「……すみません。失礼します」

神白は反応しすぎないように注意しながら、席を立った。


建物を出てからスマホを見ると、木下からショートメッセージが入っていた。

<あと10分で済ませる。外で待ってて。おごる。>


神白は自販機で飲み物を買いながら、よく考えなおした。考えたが、やはり結論は同じだった。

メッセージに返信を打つ。

<彼らは借金をしていませんか?>


<y>と、木下はすぐに返してきた。


y? 打ち間違いか?


隣の建物からトモルの車椅子を押した伊東が出てきて、神白を認めると向きを変えて近付いてきた。

ふたりが目の前に到着したとき、神白はやっと思い至った。

「『YES』か」


「は?」と、トモルが言った。


「ああ、だから、『Y』と『N』だったんだ」神白は、ふいに、谷中から受け取ったタイプライターを思い出した。「Yが『はい』でNが『いいえ』だから、YとNとハテナで、すべての質問に答えられるのか」


「え、何、今知ったの?」伊東が言った。

そんなことも知らないのか、と続くのかと思ったが、伊東は「わからなかったら、その場で聞けばいいのに」と言って笑った。


「いや、うん、思いつかなかったから」


「話し合いはどうなったの?」トモルが聞いた。


「うーん。たいした話じゃなさそうだな。あの人たち資金繰りに失敗したみたいだ」


「資金繰り?」


「いや、僕の憶測だけど、借金をしてるんじゃないかと思う。もしくは、何かの分割払いとか……? とにかく、あと数日以内に現ナマが必要なんじゃないかな。『怪獣屋さん』との契約はどっちにしろあと10日程度だったみたいだよ。そのたった10日を待っていられないような裏事情があるっぽいね」


トモルは鼻で笑った。「つくづく絵に描いたようなダメ企画だな」


「首を突っ込み甲斐があるだろ」と、伊東。


「社長さんが飯を奢ってくれるらしい」と神白は言った。


「飯? なんで?」トモルは聞き返した。「え、3人分?」


「さあ。僕だけかも」


「なんで? ズルくない?」


「じゃいいよ、お前が代わりに行けば」


「やだよ。なんの話すればいいんだよ。あの人なんなの、何者?」


「SEみたいだよ」


「SE? はあ、お前も偉くなったなー」


「別に、僕は偉くなってないよ…」


木下は8分後に出て来た。大股で、ほぼ走るような速さで近づいて来て、「ごめん、終わった。何か奢る。何か奢るから、車に乗せていただける?」


「かなり、ギュッと詰めることになりますけど」と神白は言った。「車椅子があるんで」


「ああ、そっか、じゃあ申し訳ない」


「いいよ、僕はここで待ってるから」と、トモルは言った。


「いや、そりゃいけない」木下は食堂のほうを振り返った。「ほんとはそこで奢ろうかと思ったんだけど、彼らが帰らないからな……さすがに気まずい。あ、わかった、出前取ろう、出前」


「出前? ここで、ですか?」神白は自分たちが今いる場所を見回した。

道の駅の建物前の広場。ベンチが並び、フリースペースになっている。日差しさえ気にしなければ、確かにここに何を持ち込んで食べるのも自由ではあるのだが。


「割とよくやるんだ、路上で出前。アプリがあってさ…」木下はスマホを取り出した。「お昼には早いけど、君たち若いから食べられるでしょう。スイーツとかもあるよ。あ、タピオカどう? タピオカ」


「話は決着ついたんですか?」と、神白は聞いた。


「うん。まあ、だって向こうは選択肢無いもんね。金も無いし予定も変更できない。だから、こっちの要求を飲んでもらうまでだよ」


「要求」


「成功報酬の支払い条件引き下げと、あと、他のスポンサーを排除するという縛りを外してもらった。実はそっちが本命だったんだよね。これでようやく自由の身だ」


「他のスポンサー排除って……そんなことしてたんですか」


「そう。それがネックだったわけだよ。彼らとの契約が終わるまで、他のスポンサーを取れない、という契約だった。これが意外とキツくてさ……というか、20回上映するのにこんなに時間がかかると思わなくて。1、2ヶ月くらいでちょちょいと終わらせるつもりが、天候やら場所の調整やらで思うように進まなかったんだ。長引いてくると、スポンサーを増やせない縛りは辛くて、もう」


「……あの、なんで僕に席を外させたんですか?」と、神白は聞いた。


「うん、ああ、ごめん。居てもらった方が心強かったんだけど。あの人たちプライド張ってそうだったから…若い人の前で自分たちの弱みを認めないだろうと思って。まあ、俺もあの人たちにとっちゃ『若造』なんだろうけどさ」

それから木下はスマホを伊東に差し出し、「何がいい?」と聞いた。画面には宅配メニューが表示されているようだった。

「ごめん、この時間だとまだピザ屋が開いてなかったから、選択肢少ないかも」


「ああ、これ、複数のお店が同時に検索できるんですね。いいな…」伊東はしばらくスクロールしながら眺めたが、「やっぱり、それならそこの食堂のもの頼んで、ここに持ち出して食べません?」


「え? ああ、そうか、外で食べるのOKなんだ」


「そんな感じだと思いますよ。僕、チキンカツ定食ね」なぜか、伊東は神白に向かって言った。


「あ、じゃ、カツカレー」と、トモルが言った。


「君たち、さっきピザ食べたばかりなのに、またガッツリ食べるの?」神白は呆れて聞いた。「まだ11時だよ?」


「アキラ君は、何がいい?」木下が聞いた。「ソフトクリームとかでもいいよ」


「券売機、見てもいいですか」


「じゃ、一緒に行こう」


そのとき、見覚えのある軽ワゴンが勢いよく駐車場に乗り込んできた。

泥を被った白い車体が、駐車区画を無視して停車する。エンジンを掛けっぱなしで、ワニの「飼い主」の彼女が素早く降りてきた。


今朝と同じく、長い手足がむき出しとなったラフな格好だ。足元だけ、ビーチサンダルではなくスニーカーになっていた。


「どうしたの?」伊東が、妙に優しい口調で聞いた。


彼女は真っ白な顔をして、少しのあいだ黙っていた。それから、「あなたがたはもう帰ってください。ユウちゃんが逃げたので」と言った。


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