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言葉の壁

伊東がトモルの車椅子を押して、駐車場と歩道の境目まで着いたところだったので、神白は駆け足になって追いついた。


「スロープから回してよ」車椅子を持ち上げられたトモルは、文句を言った。


「そのほうが良かった?」と、伊東が聞いた。


「どっちだって文句言うんだよ」と神白は言った。


道の駅は3つの建物がだらりと横並びになっていた。中央の土産物屋だけが開店しており、その両脇の食堂と産直センターはまだ準備中のようだ。


土産物屋の入口前がベンチの並んだ広場になっていた。その片隅で、ふたりの男が立ったまま言い争っていた。

ツーリング中のライダーという雰囲気ではない。どちらも、さっき居間から出て来たといった格好の、中年の男だった。


眼鏡をかけた、痩せて背の高いほうが勢いよく喋り続けており、背の低い丸い体型の男はぶつぶつと言い返しながらも、押され気味のようだった。


伊東はわざとっぽく親しげな調子で「ハラヤマさん」と言いながら、トモルの車椅子ごと突っ込んで行った。


振り向いた痩せた男は、伊東の顔を見るなり嫌そうな顔をした。「君、まだいたの」


「酷いじゃない? ワニを見せてくれる約束だったのに」伊東は馴れ馴れしく微笑んだ。「もう見てきたよ。飼い主の女の子が、見せてくれた」


「ハヤちゃん?」と、痩せた男は言った。


「ハヤちゃんて言うの? いや、知らないけど。なにを揉めてるの? あ、Twitter見たよ。お金集まりそう?」


「見た? そうなんだ、もうやっぱり見られてるよな。だってさ……集まったとこでどうする? おめえが個人で集めてもどうしようもねえじゃねえか」原山は伊東に向けかけていた言葉の続きを、もうひとりの男にぶつけた。「困るんだよ、こんなこと。結局大勢に見られてるじゃねえか」


「見られるために書いたんだ、当たり前だろ」太った男はぼそぼそと言い返した。「SNSってなんだかわかってるのか」


「わかってるよ。わかってないのはおめえだろう。こんなのして、どうするんだよ、ワニ見たいって人が今、大勢押し掛けてきたら。相手し切れないだろう。それに、下手な騒ぎになったら、ハヤちゃんが余計に困ることになるんだぞ。よく話し合ってからにしようって何度も言ってる、言ってたじゃねえか。こんなことで揉めてどうすんだよ」


「そんなこと言ったって、金は必要だろう」太った男はいらついた顔をした。「それにもう、時間もない」


「余計、時間を使うことになってるってのがわからねえのか? だいたいな、おめえはよ、そもそもが林田さんに……」


「林田さんはこっちについてるんだ」と、太った男は言った。「原山さんがいくら騒いだって駄目だ。もう決まったことなんだ」


「ああ? どういう意味だ、こら、もう一度ちゃんと……」


トモルは首だけ器用に曲げて神白のほうを振り返った。「なんかこれ長くなりそうだから、そっちでおやつでも買わない?」


「そうだね」伊東は車椅子の向きを雑に変えて、土産物屋の入口へ押していった。


神白は自動ドアが開きやすいように、ふたりを追い越して先に入口へ近付いた。


入店してすぐ右脇のレジは無人で、「お会計は奥で」と、矢印つきの手書きのプレートが立ててあった。

横に細長い店舗だ。ドライブの合間に口にするような飲み物、お菓子、軽食の類や、ご当地クッキー、プチケーキ、本格的なつけものや佃煮、キーホルダーやステッカー等、こうした店にありがちな商品が雑多な配置で詰め込まれていた。


先客はふたりだけだった。泊りがけでドライブでもしている雰囲気の若いカップルで、何種も並んだご当地クッキーの箱を見ながら談笑しているが、買う気は無さそうだ。ここへは休憩がてらに立ち寄っただけなのだろう。

リーダーが危惧した「怪獣」目当ての人々は見当たらないようなので、神白はほっとした。


「さっきの人たち何て言ってたの?」伊東が、急に聞いた。


「え、何が?」と、神白は聞き返した。


「アキちゃん聞き取れた?」伊東はまた意図のよくわからない微笑みを浮かべていた。「SNSがどうっていうのは聞こえたけど」


「いや、僕も話はよくわからなかったけど」


「ガキの喧嘩だな」と、トモルが言った。「お前のやり方じゃうまくいかないだの、誰それはこっちの味方だの。たぶん、林田っていう人があのふたりより偉い人なんだろ」


「はあ。やっぱり聞き取れるんだね」と、伊東は言った。


「聞き取れるって、何が?」神白は真顔で返してしまった。「伊東君には聞こえないの?」


「まあ半分くらいは。単語は分かるよ。あの喋り方さあ、東北弁だよね……」


「そう?」

神白は先ほど聞いた会話を素早く思い返したが、特にこの地方ならではの方言が混じっていたようには思えなかった。

そもそも、東北弁という大きな括りが実際にあるわけではない。本格的な秋田の言葉なら、神白にも聞き取れるはずはないのだ。


「伊東君は綺麗な日本語で育ってるからさ」トモルは言った。「ご両親、都会の人だろ?」


「都会じゃないけど、まあ、根無し草だからね。というか、たぶん僕の両親はもともと関西訛りなんだけど、こっち住むようになって直したんだよ。僕はその後で生まれてるから」


「じゃ、もう、ほぼ外国だ。君と僕で会話が成立することのほうが不思議だな」トモルは笑った。


リーダーが先ほどの電話で「言葉が聞き取れない」と言っていたのは、このことなのか。神白は思ってもみなかった「壁」を発見した気がして、しばらくぼんやりと考え込んでしまった。


スナック菓子を買って建物を出ると、広場で言い争う男は4人に増えていた。

加わったのは、先ほどのふたりと同年代に見える中年の男と、それよりはだいぶ若い男だった。彼らはふたりとも、太った小さい男のほうに加勢する様子で、痩せた男、原山のほうは一気に先ほどの勢いを無くしていた。


伊東はニヤニヤ笑いながら、4人の声が聞こえる程度の位置のベンチに陣取って、菓子を食べ始めた。


神白は嫌がるトモルを無理やり車椅子から引っ張り出して、伊東の隣に座らせた。長時間同じ姿勢で座らせたくないのは、彼が普通の人と違って「身じろぎ」をしにくいためだ。座ったまま無意識に重心を移動したり力の掛け方を変えたりといったことができないため、そのぶん消耗が早いし、リスクも多い。できればやはり、早めに宿を取って横になれる場所を確保したかった。


4人の男の言い争いはいつまでも続いたが、話は一向に先へ進まず、同じことの繰り返しのようだった。内容は結局、「ハヤちゃん」と呼ばれるあの飼い主の女が言っていたこと以上のものではない。巨大なワニが観光資源になるかもしれないと思った彼らがあのリーダー達を雇い、「怪獣」の上映会を仕掛けて人目を集めたは良いが、その先をどうするかという点で意思統一ができていなかったのだろう。杜撰な話だが、珍しいことではなかった。実際に神白が今までに関わってきたイベントでも、こうして話がだいぶ進んでしまってから関係者が揉め出すということはしょっちゅうで、社内ではそれ専用の対応フローを用意しているくらいだった。


「ねえ、やっぱりもう良くない?」

どうしようもない内輪揉めの言い争いをしばらく見学した後、神白は他のふたりに言った。

「この人たち、たぶん来年までずっとこれやってると思う。これ以上首を突っ込んでたって、この夏中に何か解決するとは思えないよ……」


「弱気になるなよ、ユウちゃんは現在進行形で餓死しかかってるんだぞ」伊東は自信ありげな笑みを崩さなかった。「来年までなんて冗談じゃない。君、来年までご飯はお預けと言われて、そうですか、って言える?」


「だってどうすんの? これきっと泥沼だよ」


「問題はシンプルだ。この村で飼っていたワニが、飼えなくなった。だからワニを処分しなきゃならない。まあこいつらは確かにクソどもだな、ユウちゃんのために何一つ役に立つことをしそうにない。それでも、怪獣屋さんとの契約に意味はあったと思うよ。少なくとも、多くの人がこの件に興味を持つきっかけにはなったんだからね」


「逆効果じゃないか?」と、トモルは言った。「こうも知名度が上がっちゃうと、動物愛護みたいな連中が湧いてくるぞ。殺処分なんてけしからんとか、口出しだけして手は貸さないような連中が」


「やっぱり処分しか無いのかねえ……」神白は先ほど見たユウちゃんの巨大な顔を思い浮かべ、思わず溜息をついた。あのワニにしてみれば、選択肢のない過酷な環境でひたすらに生き延びてきただけなのに、あまりにも勝手な話ではある。たぶん、そもそも日本で、特にこの寒冷地で、ワニをペットにしようということ自体が、人間の身勝手だったのだろう。


菓子を食べ終わる頃、道の駅の駐車場にタクシーが乗り込んできて、眼鏡の若い男が降りた。オフィスカジュアルといった服装で、こんな田舎びた風景からは少し浮いて見えた。彼は座席からスポーツバッグを引っ張り出し、こちらに向かって来ながら手を振った。「怪獣屋さん」のリーダー、木下だった。


リーダーは真っ直ぐ神白たちの座るベンチへ来て、トモルの隣の空いたスペースに悠々と腰を下ろした。


言い争っている男たちは、議論に夢中でリーダーには気付きもしないようだった。もしくは、気付いていながらどうでも良いと思っているのか。


「あれはあなたの顧客じゃないんですか?」伊東が笑いながら、リーダーに聞いた。


「さて、どうだかね」リーダーは儀礼的な笑みを見せたが、表情は全体的に緊張していた。内心は苛立っているのかもしれなかった。

それから、彼はすぐ隣のトモルと、側に立ったままの神白を見比べ、「双子だ」と言った。


「見分けるのは簡単ですよ」と、トモルは言った。「僕が歩けないほうで、彼が座っていられないほう」


「なるほど」リーダーはベンチの脇の車椅子を見た。「なに、怪我? 治療中?」


「もう治らない」と、トモルは言った。


「そうか。大変だな……見間違えないのは助かるけど」

それからリーダーはシャツの胸ポケットから小さな名刺入れを取り出した。

「アキラくん、忘れないうちに」


神白は慌てて歩み寄り、名刺を受け取った。「わざわざ、すみません、いえ、ありがとうございます」


「もう、時間ないからメモ帳を破り取って渡そうかと思ったんだけど、君の会社ってそういう感じじゃなさそうだから、形式は大事かなと……コンビニで刷ってきたよ。この名刺、今んとこ持ってるの君だけだから。あ、予備にもう2、3枚持ってく?」


「いえ、大丈夫です……」神白は名刺を眺めながら、「あ」と言ってしまった。


名刺は簡潔なもので、社名と電話番号とメールアドレス、それと「代表 木下彰」の文字だけだった。


「名前が、同じですね」と、神白は言った。


「そう。アキラ繋がり。ま、よくあることだ」リーダーは何かを吹っ切るようにベンチから立ち上がった。「さて……。仕事をしよう。やりたくないが」


本当に働きたくなさそうな口調だったので、神白は思わず微笑んだ。


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