営業の成果
トモルを助手席に入れてから運転席に回ろうとすると、伊東がじっと物言いたげな目を向けていた。彼は後部ドアを開けて身体を半分入れかけたまま、動きを止めていた。
「何?」と神白は聞いた。
伊東は無言でドアを閉めて車から一歩離れた。
「トモ君、限界だろ?」と、伊東は言った。
「やっぱりそう見える?」
「絶対どこか痛いか、具合悪いだろう」
「うん」
兄弟だから些細な違いが目に付くのだろうと思っていたが、伊東の目にも明らかなのだとしたら、やはり杞憂ではないのだろう。
「どうするといいの? どこか、横になれるところ? この辺だと昼間っから長時間横になれる場所ってラブホくらいになっちゃうけど。少し足を伸ばして、またカラオケでも探す?」
「どうせ聞かないよ」神白は思わず溜息をついた。「具合が悪いなんて認めないし、彼のために予定を変えるなんて受け入れないと思う」
「だって、このまま連れ回したらどうなる?」
「さあ……下手すりゃ病院行きだな」
「それは……」
「いい、大丈夫だ」神白は助手席のドアを開け直し、トモルに向かって、「おい、お前具合悪くなったら自分で帰れるんだよな?」
「は?」トモルは嫌そうな顔で振り返った。
「明日迎えが来る前に、具合悪くて無理になったら」
「ならないよ」トモルは言い返したが、伊東の方を見て少し語調を和らげ、「そのときはタクシー呼んで帰るから」と言った。「金だけは持って来てるんだ」
「たぶん、これから夜中までずっと動くよ」伊東は言った。「今すぐ休むなら、どこか都合のいい場所まで送ってあげてもいいけど。今なら」
「なんだよ、セールスみたいだな」トモルは笑った。「いいよ。今はまだいい」
「いいの? 今だけだよ? ほんとにいいの? 後悔するよ?」
「しつこい」
「僕が不安なんだけど」伊東ははっきりと言った。「なんとかならないの?」
「君の修行が足りん」と、トモルは言った。「ほら、どっちが運転するんだ。早く出せよ。モタモタするんじゃない」
「僕たちお前の手下じゃないんですけど」神白はぶつぶつ言い返しながら運転席に回った。
ひとまずもう一度、澤久間村に向かってみることにした。
今朝寄った道の駅が見えてくる直前で、神白のスマホが鳴り出した。登録されていない電話番号だった。
ちょうど行く手が赤信号だったので、神白は停めて一瞬考えてから、ハンズフリーで出た。
「はい」
「すみません。神白、アキラ君ですか」
いきなりフルネームで呼ばれた。
「はい」
「あ、えっと、木下と言います。怪獣の上映やってる……」あのリーダーだった。「名刺いただいていたから。この番号で合ってた?」
「あ、お世話になっております」神白は反射的に言ったが、特に世話になっていないことに気づいた。
「今、電話大丈夫?」
「移動中ですが、手は空いてます」
「あ、じゃあ掛け直すよ」
「いえ、もう、着くんで……こちらから掛け直します。5分ほどお待ちいただけますか?」
「うん、急がないでね。別に用は無いから」
リーダーはまたどうしようもなく無神経なことを言って切った。
「今度は誰?」黙ってこちらを見ていたトモルが、不審そうに聞いた。
「怪獣屋さんの社長さんだ」
「社長さん?」
「営業の成果が出て来たね」と、伊東は面白がるような口調で言った。「なんだよ。用が無いのに電話するような仲なの? いつの間に」
「いや、なんだろう、こっちが聞きたい」
道の駅の駐車場に乗り入れ、神白は車を降りながら履歴に残った番号に掛け直した。
「もしもし、ああ、ごめん」リーダーは友達の電話を取るような調子で出た。「あのさ、突然なんだけど神白君、今、どこらへんにいる?」
「澤久間です」
「あ、やっぱり。だと思った。あれ? でもなんで?」
「よくわかりませんが、友達の彼がワニの関係者と揉めたらしくて……」
「揉めた? もう、嫌になっちゃう」リーダーは思い切りぼやいた。「今からそっち向かうんだ。寝て起きたらTwitterが面倒なことになってて、もう本当に。神白君、頼むよ、まだSNSに投稿するなよ。ねえ、他にそこに誰か来てる?」
「えっと……僕とその、友達の彼と、僕の弟です」
「弟? 弟もいたのか。いや、そうじゃなくて、他の『客』来てる?」
「いえ、今のところは、見かけてませんが」
「わかった。良かった」
「あの、でも、きちんと確認はしていないので」
「とにかく急いで向かう。ねえその、揉めてる人たちは今、どこにいるの?」
「さあ、ちょっとわからないです。ワニの、飼い主の女の子にはさっき会いましたが」
「ああ、彼女ね……」リーダーは含みのある間を置いて、「とりあえず、ああ、もし暇だったら、お昼ごろ道の駅に居てくれたらご飯を奢るよ。そこらへん、食べるところ、そこしか無いだろう」
「えっと、ご飯は申し訳ないので……」
「いや、口止め料だ。マジで、まだバラさないで。何ひとつ! ああ、どこでもドアが欲しい」
「大丈夫ですか? 何かお手伝いできることありますか?」
「とにかく他の客がもし来たら、なるべく写真とか撮らないで、今は投稿しないでもらえると助かるんだけど……無理な話だよなあ」
「わかりました、見かけたら一応声がけはしてみます」
「いいよ、声がけすること自体、問題になるだろう」
「まあ、何か理由をつけて時間稼ぎくらいはできます。弟が得意なんで、相談してみます」
「なんだよ、得意って。弟さんは何者なの?」
「うーん、不良、ですかね……」
どこへ行っても、道で偶然すれ違っただけの相手に、喧嘩をしかけたり、逆に仲間に取り込んだり、といったことができる人間だ。トモルのその性質は昔からで、そして、今も変わりなかった。
「ほんとにさ、トラブルだけは起こさないでよ。すでに十分トラブルなんだから」
「何が起きてるんです?」
「まあ仲間割れだな、着いたら詳しく話すよ、もし会えればね」
「あの、木下さん」電話が切れそうな雰囲気を感じて、神白は急いで言った。「どうしてこちらにお電話いただけたんですか?」
「いや、昨日ワニのこと言ってたから、もしかしたらそこにいるかな、と思って。俺、今日、ひとりなんだよね。他の3人は別行動なんだ、他の用事があってね。ひとりであの村行くと、心細いんだよな。俺は都会育ちだから。山とか川とか木とかばかり見ていると、どうにも落ち着かなくて……正直、言葉もあんまり聞き取れないし」
少し意外だった。「怪獣」の上映場所にしろ、伊東のスマホを取り返しに行ったオフィスにしろ、リーダーと会う場所はいつも都市部とは程遠い場所だったので、なんとなく田舎に住み慣れているようなイメージを抱いていた。それに、実際に田舎育ちの神白にとっては、山や川を眺めていて落ち着かないという意見自体が、新鮮だった。
リーダーにはしばらく道の駅にいるつもりであることを伝え、落ち合う約束をしてから電話を切った。




