勝手な人たち(前)
「あれ?」助手席でうとうとしていたトモルが、神白から預かったスマホを見直して、急に言った。「止まった?」
「え?」神白も猛烈に眠かった。車体がいつのまにか中央線を越えかけていることに気づき、慌てて戻す。辺りは相変わらず両側が森林で、他の車は一台も見当たらない。小雨が降り始めており、夜明けの空はまたしても重たい灰色だった。
もうとっくに、休まなければならないタイミングだった。しかし、途中のコンビニでトモルをトイレに行かせたために相当引き離されてしまっており、これ以上遅れを取りたくなかった。伊東のスマホがいつまでも追跡できる保証はないのだ。電源が落ちるか、もしくは意図的に切られてしまったら、それまでだ。
「うん、やっぱ止まった」トモルは『iPhoneをさがす』アプリが示す地図を見ながら言った。「なんだろう。ここ、周り何も無さそうだけどな。自販機か何か見つけたんかな」
「スマホだけ捨てたとか……?」神白は昔見たスパイ映画を思い出して言った。
「え、だって伊東君があのメモを残したんだろ? アキちゃんがこの方法で追ってこれるように。それなのに、途中で振り切ったりする?」
「そもそも、追ってくるように仕向けたのが何らかの罠かもしれないし」
「なんでだよ」トモルは笑った。「お前ら友達じゃないのかよ……あっ、」
着信音が鳴り出し、トモルはすぐに電話に出た。
「伊東君? 無事なの? ……え、うん……」
相手は伊東に間違いないらしく、トモルは少しのあいだ相手の言葉を聞いてから、「わかった。今向かってる。2、30分は待ってもらうかも。道路から見えるところにいて。……うん、じゃあね」
そう言って電話を切った。
「トモ君。僕のふりして応対するなよ」と、神白は言った。
「別に、ふりなんかしてないよ。名乗るタイミングが無かっただけで」
「名乗ってください」
「要件が通じりゃいいだろう。伊東君、電源切れそうらしい」
「何が起きてるの?」
「知らないけど、車から降ろされたみたいだ。今、ひとりでこの道路沿いにいるらしい。当てずっぽうで30分って言っちゃったけど、着くかなあ」
「ちょっとさ……僕はほんとに眠いんだけど」
「アキちゃん、事故るなよ」
「お前がいなきゃとっくに追い付いてたんだよ」神白は大きな溜息をついた。「どうしてこう、どいつもこいつも、勝手なんだ」
「そりゃあ、みんなお前を見習ってるのさ」と、トモルは言った。
ともかく出来る限りスピードを上げ、それから20分ほど走ると、ガードレールの向こうの隙間のような歩道に、伊東の姿が見えた。
神白はハザードをたいて車を寄せ、助手席側の窓を下ろした。
「ちょっとさ! なんで馬鹿がふたりに増えてんの?」伊東は勢いよく言った。
小雨を浴びて、髪と肩が少し濡れていた。
「伊東君、素敵なご挨拶だね」と、トモルは言った。「久しぶり」
「トモ君、久しぶり。……アキちゃん、これどういうこと?」
「どういうことなのか聞きたいのはこっちだよ」神白は運転席を降りた。「とにかく、悪いけど運転代わって。僕は少し寝たい」
「ああ、腹立つ」伊東はガードレールを乗り越え、運転席側に回ってきた。「よりによって、運転できない人が仲間に加わるとは。君たちはマジで使えないな、ふたりとも」
「トモ君に追われてること、言ってくれれば良かったのに」と、神白は言った。
「いや、だってまさかここまで来ると思わないし。え、っていうかどうやって来たの?」伊東は乗り込みながら、助手席のトモルに尋ねた。
トモルが何か言っているのを聞き流し、神白は後部座席に入った。靴を脱ぎ、横向きに寝転ぶ。足を伸ばせるような幅は無いが、今は上半身を横にできるだけでありがたかった。
「僕は寝るからね。あとよろしく」神白は足を曲げて仰向けになり、目を閉じた。「事情もあとで聞く」
「アキちゃん、僕だって寝てないんだからね」伊東はクギを刺すように言いながら、車を出した。
「知るか。君が寝てないのは君の勝手だろうが」と、神白は言った。
「おっ。キレてる、キレてる」
「いったい君は何をしてるんですか」
「ワニの『飼い主』が会場に来てたんだ。3人組で、仲間割れしてて。結構大声で言い争っててさ、内容聞いてすぐにワニの話だと分かったから、横からスマホで録音してたら……バレてスマホを取り上げられた」伊東はとても楽しそうだった。「で、録音は消されちゃって。口止めに応じる条件としてワニを見せろって頼んで車に乗せてもらったんだけど、さっきまた言い争いが始まって、結局僕だけ降ろされてしまった」
「何を、してるんですか」神白は寝転んだ姿勢で目の上に腕を乗せたまま、もう一度言った。「知らない人の車に乗っちゃいけないって、教わらなかった? 何かあったらどうする気だったの」
「だからアキちゃんにメモを残したじゃない? あいつら、また録音されちゃ困るからって、スマホ返してくれなくてさ……結局、車降りるときに返してもらえたけど。だから、こっちから連絡ができなくて、追ってきてもらうしかなくて」
「ワニって何の話?」トモルが口を挟んだ。
伊東は、怪獣の左足に見つけた傷跡からあの映像が「実写」だと推理した経緯や、専門家の見解などを手短に話した。
「そうそう、怪獣屋さんが僕に、地名を言ったよ」神白は口を挟んだ。「どうしてワニを映してるんですか、って鎌かけたら、なぜそれを知ってる、って言って、それから、『サワクマ』に行ったのか、と……」
「ああ、うん、じゃあ間違いない」伊東は頷いた。「ワニはそこだ。澤久間村、牛引、字小川、五十二番。ここからあと二十分ほどで着く」
「やけに、行先がピンポイントだね」
「だってあいつら僕の目の前でカーナビ使うんだもの。カーナビに登録されてた自宅住所が丸見え。こっちがガッカリするほどのヌケサクどもだよ」
「ヌケサクね……」
「ちょっとトモ君。寝る体勢に入らないで」伊東は助手席に声を掛けていた。「今言った地名を検索してよ。君は脚が使えないんだからせめて手を働かせろよ」
「おい、何様のつもりだよ」と、トモルは言い返した。
「大丈夫。『頭を』働かせろなんて無茶は言わないから」
「ああ。てめえが車を降ろされた理由がよく分かったぞ」
神白の意識がはっきりしていたのはその辺りまでで、その後は、耳に入る言葉が意味を成さなくなり、眠りに引きずり込まれていった。




