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怪獣ショーふたたび

池はすり鉢状の窪地の中央にあった。

その水際を縁取るように、低木と藪がみっしりと生い茂り、斜面を見えなくしている。その更に外側、すり鉢の淵を半周するようにジョギングコースのようなものが走り、暗いオレンジ色のフィルターが掛かった外灯が一定間隔で並んでいた。


外灯にフィルターが掛かっているのは走光性の虫を引き付けないためだ。こういった自然豊かな土地で夜中に明かりを灯すと、大量の虫が引き寄せられて激突し、あっという間に辺りを汚してしまう。だから、常夜灯にはフィルターを掛けて光の強さと色味を抑える。しかし、それでも結構な数の羽虫や蛾が集まってきて、外灯の柱にびっしりと張り付いていた。

そのため、ほとんどの「観客」は外灯の真下を避け、足元が分からなくならない程度に、少し離れた暗闇にたむろしていた。


伊東も外灯には近づこうとしなかったが、神白はその柱の根元に仰向けに転がっている甲虫を見つけて、思わず歩み寄った。

「ミヤマ……」

靴の端で突くと、クワガタは姿勢を取り戻して素早く歩き出した。神白は手を伸ばし、背中の両縁を挟むようにして摘み取った。


「何してんの」伊東が一歩も近づこうとせずに、嫌そうに声を掛けた。


「ミヤマクワガタ。大きい」


「ちょっと! それ持って近付いてこないで」伊東は鋭く叫んだ。


「え、駄目? 虫、駄目な人?」


「いらないから」伊東はうんざりしたように言った。「ガキか。虫取りに来たんじゃないんだよ」


「でも、こんな大きいのは滅多に見られないよ」

クワガタは神白の手から逃れようと激しく足を動かしている。その足の付け根の突起が神白の指に食い込んで、チクチクと痛んだ。

「元気だなあ」


「珍しくないだろう、別に、君にとっては。家の裏にいっぱいいるだろうが」と、伊東は言った。


「いっぱいいるけど、何度見てもいいんだよ。それに、一匹一匹違うし」


「馬鹿じゃないの」


「そっか、ワニもクワガタと一緒だよな、きっと。種類によって顔と大きさが違う」神白は足元にクワガタをおろし、スマホを出してその全身を撮影しようとした。しかしクワガタは自由になった途端にかなりの速さで歩き出してしまい、結局ぶれた写真しか撮れなかった。


「お前は何をしに来たんだ」伊東は溜息をついた。


「何って、遊びに来たんだけど」


「仕事をしろ、仕事を」


「でも、僕は休暇中なんですが」


「営業は足で稼ぐもんだろうが。現場百篇。相手が呆れ果てるまで通い詰めてやっとだろ?」


「そんな押し売りみたいなこと、今どき犯罪だから」

しかし、言いながら神白は双眼鏡を取り出して池の周囲を観察した。

外灯に照らされたジョギングコースの周辺以外は、ほぼ真っ暗で、何がなんだか分からない。夜空は完全な曇り空。ときどき小雨の予兆のような水滴が顔や腕に当たる。

こんな場所に、こんな時間に、百名以上の人間が集まっていること自体が、異常なことだった。


窪地の周りは起伏に富んだ森が広がり、ところどころが切り開かれている。不景気のおりに経営破綻したキャンプ場を自治体が買い取って整備したもので、現在は日帰りキャンプのみ受け入れているようだった。


こういった場所は比較的安く押さえられて、交渉次第でかなり融通が利く、穴場的な「会場」候補のひとつだ。神白はつい、仕事目線でこの場所を評してから、あの「怪獣屋さん」達もまさにその目線でこの場所を選んだに違いないと気づいた。


前回の上映も、自治体の管理する公園だった。おそらく、その前もほとんどがそうだろう。それなりの広さの「舞台」と「客席」を確保できて、夜中に自由に出入りできる場所、となると、意外と候補は限られる。そして恐らく、場所によっては、出入り自由とはいえ事前の交渉はしているのではないか。


なにせ、すでに規模が大きくなりすぎている。無用のトラブルや事故を防ぐためにも、事前の許可と打ち合わせは必要だろう。

本日駆けつけた観客は、目算でざっと150名。そのうちの何割かは「チェイサー」で、神白たちと同じようにこの近辺に宿を取っているはずだ。宿側にしてみれば臨時の「書き入れ時」である。


金が動き始めている。


「確かにご同業かもしれないな」神白は伊東に、双眼鏡を差し出した。


「え、何?」


「僕には見つけられない。伊東君探してみてくれる?」


「はあ……」伊東は双眼鏡を受け取り、しかしそれは使わずに目を細めて池と、その周りの茂みや森を見渡した。「こう暗いと、すぐ分かりそうなもんだけどな。まさか向こうも真っ暗闇で作業はできないだろ。明かりを目印に探せるはずなんだけど」


「どれくらい遠くから映せるものなの?」


「さあね。5キロ、10キロってことも……不可能とは言い切れない。ただ、現実的には近ければ近いほど色々と楽だし、確実なはずだけど」


「電源はどこから取るんだろう」ふと、神白は思い付いて言った。


「前回は発電機を使ってたよ」と伊東は言った。「そうか、だとすると『音』ですぐわかるはずだ」


「発電機? そんなのあった?」


「うん。テントにあった。ガソリン式の自家発電機。要するに車と同じで、エンジン音がするから、それなりにうるさいはずなんだけど。前回はかなり対岸が遠かったから、音は気にならなかったよね。僕たちが着いたときにはもう撤収が始まってたし……」


わっ、と周りの人だかりが湧いた。池の中央に突然、色とりどりの光の点が乱舞し始めた。


光の点はそれぞれが羽のある生き物のように四方八方へ飛び回り、それからすっと引き寄せられるように集まって「怪獣」の形になった。上半身が垂直に水面から飛び出したような姿勢で、太く短い前足が空を掻いている。鋭い歯の並ぶ大きな口が、こちらに向けて開いた。


バイクをふかしているようなエンジン音が、確かに響いていた。

音源は、おそらく池のすぐ縁。向かって左へ回り込んだあたり。その方向に目をこらすと、一瞬だけ青白い光が見えた。


「あった」神白は伊東の腕を引きながら指さした。


「行ってらっしゃい」伊東はスマホを構えて怪獣を動画で撮影し始め、振り向かなかった。


「あ、君は来ないの」


「誰が行くか。蚊に刺されたくない」


「じゃあまた後で」

神白は伊東を置いて走り出した。


ショーに湧く人だかりを避けながら、外灯に照らされるジョギングコースを駆け、池の周りの藪の切れ目を探す。道のようなものは見当たらない。降り口が見つからないまま、ジョギングコースは窪地を逸れて別な広場の方へ向かうようだった。

神白はペンライトを取り出してスイッチを入れ、用心深く、しかし素早く、藪に踏み込んで道なき道へと入って行った。


思った以上の急斜面だった。腐葉土が積もり、柔らかい。神白は咄嗟に足元の笹の枝を掴んで身体を支えながら、足場を探った。鋭い葉の縁に触れないように気をつけてはいたが、やはりあちこち肌を切ってしまった。

低木に見えた樹々も、実際には神白の背丈をはるかに超えており、数メートルも下ると元いたジョギングコースはまったく見えなくなった。


エンジン音ははっきりと聞こえている。だが、明かりが無い。光が漏れないように相当工夫を重ねているのだろう。仕掛けが見えると興ざめだ、と、あのリーダーは言っていた。


彼らは単なる技術者ではない。プロ意識の高い、エンターテイナーだ。

観客を楽しませるためなら、どんな手間も惜しまないわけだ。


どうにか獣道のようなものを見つけて、神白は足を速めた。ときどき、急に突き出した硬い木の根に足を取られそうになる。こういう場所では、転ぶことはできない。地面に何があるか、どんな状態か、分からないからだ。うっかり転んで手をついたとき、そこが不規則に窪んでいればそれだけで「持っていかれて」関節をやられてしまう可能性がある。それに、枝や木片などが刃物のように突き刺さってしまうこともある。素手で触るべきでない虫や植物も沢山ある……むしろ、こういう場所には素手で触って良いもののほうが少ない。


テントは闇に溶け込んでおり、目の前に来るまでまったく分からなかった。前回とは違い、本格的なキャンプ用のテントだ。暗幕のような重たい布が掛けられて、光が漏れないようになっていた。発電機のエンジン音は、テントから少しだけ離れた場所から聞こえていた。


暗幕の切れ目を見つけて掻き分け、靴を脱いでテントの入口をくぐると、生暖かい空気と淡い暖色の光、そして「うわっ」という、リーダーの声が出迎えた。


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