都合のいい記憶
「だとすると、ロケ地は相当限られてきそうだね。もし、国内だとしたらだけど。5メートルのワニを飼える場所なんて、全国探しても数えるほどしかないんじゃない?」
「そうかもな。第一、ワニは飼うときに必ず届出をしてマイクロチップを埋めなきゃいけないらしい。だから日本にいるワニは基本的には全頭、各都道府県が把握している」
「……え、それってワニをペットとして飼う人がいるってこと?」
「いるよ、そりゃ」伊東は頷いた。「爬虫類って熱狂的なファンがいるんだよ」
動物園以外の場所にいるワニというものを、神白はうまく思い浮かべることができなかった。まさか放し飼いにもできないだろうし。犬を飼うみたいに、専用の小屋を用意したり、リードで繋いだりするのだろうか。そんなことをしたところで、懐くような生き物にも思えないが。機会があれば飼い主のことだって平気で食ってしまいそうなイメージだ。
実際にどこかの飼育員が噛まれて大事になったというニュースを、つい数年前に見た気がする。
「せっかくだから清水先輩には伊豆まで行ってもらうかな」伊東は麺をすすりながら、また楽しそうに言った。「熱川バナナワニ園。ワニが100匹いるらしい」
「いや、まあそこらへんは君と先輩でよく話し合って……僕はほんとに金は出せないから」
「わかったよ、大丈夫だってそれは」伊東は意外と優しい口調で言った。「学生さんには学生さんなりのやりくりってものがあるんだよ」
「清水先輩って、僕も会ったことある人だよね」と、神白は言った。
「そうそう。君を土下座させて動画撮った人」
「ああ」神白はその一連の流れを思い出した気がして、笑いかけたが、直後にそれは笑っていいような記憶なのかどうか、急激に自信が無くなった。
そして、しっかりと思い出してみようとすると、記憶がまだらになり、入り組んで時系列も失われていることに気づいた。
あのとき最終的にはすごく悲惨なことが……違う、それは別な日だ。ずっと後? もしくはその前。伊東はどういうふうに記憶しているのだろうか?
伊東は手を止めて、少し驚いたような目で神白を見ていた。それからものすごく薄く笑っているような、不思議な表情になった。
「あのときはすごかったな」伊東は穏やかな声で言った。「君は『なんかやってた』よな。いつもだけど。僕は3度も迎えに行ったのに、君は敵を全滅させるまで戻らなかったね」
「ああ……そうだったかな」
「そのあと、帰ってきて号泣してたね。あれこそ動画に撮っておくべきだったな。最高にウザかったから」
「僕、覚えてないかも」と、神白は言った。
「うん」伊東は何故か笑った。「覚えてないという顔をしている」
「いや、記憶はあるよ、ただ、起きたことの順番が……」
「順番も何もないよ。君は『なんかやってた』。そのあと、帰ってきて今の仕事に就いただろ。あれ? あのとき就職した先が、今の職場だよね?」
「だと思うけど」
それは違いない。だとしたら、やはりそれほど昔のことではない。この仕事を始めて、まだ2年だ。ほとんど何もできるようになってはいない。まだまだ、新人気分が抜けない。
「あまり、そう、考え込まないで」伊東はまるで宥めるような口調で言った。
それから彼は皿を持ち上げ、残りの麺と具を勢いよく口に入れると、そのまま立ち上がって食器を下げに行った。
神白はしばらくぼんやりと待ってから、もうこのテーブルには用が無いことに気づいた。
空の紙コップを捨ててから建物に入ってみると、思った以上に冷房が効いていた。汗が一気に引いていく。
伊東は売店で飲み物を選んでいた。
神白は横に並んだ。
「僕、覚えてるよ」と、神白は言った。
「うん、そう」伊東はジュースを取りながら生返事をした。
「伊東君が僕を助けてくれた」
「そうだった? 都合のいい記憶だな」
「僕を助けてくれたでしょ? 伊東君が、仕事しろ、って言った。違う人生を考えろって。それで僕はこの仕事に就いた」
「あんまりそういう大事なことを、人のせいにしない方がいいよ」
伊東は生真面目な感じでそう言って、レジへ向かった。
「けどさ……」
「待って」伊東は会計待ちの列の最後尾につくと、スマホを覗き込んで急に声を張り上げた。「やった。当たったぞ」
「え、何が?」
「怪獣が出る。今夜も秋田だ」伊東はTwitterの画面を見せた。
いつもの「祭り」が始まっていた。
「これ、どこだろう? ああ、でもまだ遠そうだな」伊東は誰かの投稿した地図情報を見ながら、すごく嬉しそうな顔だった。「これ、けっこう内陸じゃない? 高速を途中で降りた方がいいかな?」
「どうかなあ。道にもよるな。高速で先まで行ってしまってから引き返した方が、早い時もあるし」
「午前3時だって。完全に夜だよね? 早めに着いてどこかで寝ておきたいな」
「そうだねえ」神白は笑った。「伊東君て、子供のとき、恐竜とか好きだった?」
「え、どうかなあ。ミニカーとかのほうが好きだった気がするけど」
「へえ。意外だなあ」
「意外なの?」
「ゲームばっかりしてた人かと……」
「馬鹿にしてんのか」
「ともかく、やっぱり今夜は、宿を取りたいんだけど」神白は謝らないように気をつけながら言った。「ちょっと本当にベッドか布団で寝ないと無理かも」
「最初から僕はそう言ってる」と伊東は言った。
「でも、金が無くて……いや、今夜分は出せるけど、毎日は無理」
「そう……」伊東はスマホの画面をものすごい速さでスクロールしながら、「じゃ、そろそろ転職したら?」と言った。




