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研究室へ行くふたり

キャンパスの中心には幅が広めの道路が1本通り、その両脇に大きな四角い建物がいくつも立ち並ぶ。それらはすべて、大学の所有する建物らしかった。


「改めて来ると、すごいですね」と、神白は言った。


「え、何が?」


「規模がすごい。これがぜんぶ工学部でしょう?」


「ああ、工学部っていうのはひとつの組織の名前じゃないからね」伊東は意外なことを言った。「学科が5つある。それぞれまったく違うことをやってる。あの建物が生物系で、あっちに見えてるのは建築学科。僕はこのふたつにはまったく関わったことがない。建物にも入れないんだ。別組織なんだよ」


「うん……だから、どっちにしろすごいよね。これはもう、ひとつの街だね」


「まあねえ。このキャンパスだけでバス停が3つあるもんなあ。地下鉄の駅ももう1個欲しいくらいだよ」


10分ほど歩き、それから伊東は道路よりも少し奥まった場所にある、新しそうな建物に向かった。入口の自動ドアは反応しなかったが、伊東は慣れた手つきでその脇の機器の蓋を開け、現れた番号ボタンで4桁の数字を入力した。

小さな電子音が鳴り、自動ドアが開く。


「僕も入っていいの?」神白は入口で少しためらった。


「いいよ。割とみんな入りたい放題だよ」伊東は早足で建物に入った。


「でも、部外者だってバレたら怒られるよね」神白は半歩遅れて追いながら言った。


「いや、全然。部外者も山ほど来るよ」


「そう? 他の部外者は、何しに来るの?」


「さあね」


「さあねって……すごく不安なんだけど」


「いや、さほど内輪な場所じゃないって、ここは。国立大学ってのは公共財産なんだよ。公園と同じだよ、市民は誰でも入り放題」


「そんなわけないでしょ? 適当だなあ」


絨毯風の柔らかいタイルが敷かれた廊下は、とても静かだった。両脇に、一定間隔で簡素なドアが並び、表札のようなプレートには研究室の名前や、教授の名前や、よくわからない専門用語が書かれていた。


廊下の中ほどに小さなエレベータがあり、伊東はそれに乗り込んで4階のボタンを押した。


「伊東君、いつもこんなところで暮らしてるんだね」と、神白は言った。


「うん。こんなところって?」


「うーん。上手く言えないけど、不思議な場所だな」


ひとことで言うなら、生活感のない建物だった。もちろん、生活をする場所ではないから、そこに生活感を求めるのはおかしいのかもしれないが。


それでも普通は、町で出会う企業や個人の持つ建物には、その持ち主や使用者の身分なり、価値観なり、普段の息づかいというものが必ず感じられる。もっと下世話なことを言うなら、建物とその内装を見れば、そこを使う人たちの扱う財産のレベルがわかる。その人たちがその場所で生み出した価値、稼ぎ出した財産が、蓄積されてその場所を作り上げているのだ。


この建物にはまったくそれがない。お金は潤沢に掛けられているが、それはここで財産が生み出されているからではない。ただ、ここはそうあるべきもの、そうであって当然のものだからという理由で、無条件に費用が投入されている。

そして、ここにいる人々は皆、伊東と同じように、そのこと自体には無頓着なのだろう。


4階でエレベータを降りると、その正面の壁に「向山研」と手書きで書かれた大きな張り紙があった。雑な右向きの矢印が添えられている。

伊東はその方向へ早足で行き、小さな黒板がかかっているドアの前で立ち止まった。黒板には、ごちゃごちゃと沢山のマグネットが貼り付けてあった。


マグネットのひとつひとつには、研究室に所属するメンバーの名前の一部が記されているようだった。黒板はチョークの白い線で3つの区画に分けられており、上の区画が「在室」、右下が「不在」、左下が「一時不在」と記されていた。

今は、全てのマグネットが「不在」の区画にあった。


伊東は「伊」のマグネットを「在室」の区画に移動してから、雑な動作でドアノブに手を掛けた。ドアがするりと開いた。

「なんだ、開いてる。誰か居るの」彼はぶつぶつ言いながら大きくドアを開けた。


最初に、壁沿いにぐるりと据えられたデスクが目に入った。それぞれのデスクは物でいっぱいだった。パソコンや本、カバン、ペットボトル、お菓子の箱、それくらいはまだわかるが、アニメキャラクターの巨大な縫いぐるみや、映画のポスター、空のギタースタンド、ミニ四駆、ゲーム機、プラモデルとフィギュア、立体ジグソーパズル、少女漫画誌、毛布、健康まくら、ティーポット、ワッフルメーカー……何でもありだ。何の部屋だか分からない。


神白は呆れてひとつひとつを眺めていたが、ドアの影から急に眼鏡の男がひとり現れたので、思わず「あっ」と言ってしまった。


「谷中先生。何してるんすか」伊東もぎょっとしたように身をすくめた。


「探し物」と、男は言った。「レーザーポインタが1個無いんだよ」


40代くらいに見える。温厚そうな顔立ちだが、眼鏡の奥の目が何となくずる賢そうで、不思議な力強さを感じさせた。

体格は中肉中背で、これといった特徴はない。ただ、立っている姿勢がどこかバランス悪く、不健康そうに見えた。いかにもデスクワークが身に染みてしまっている身体だ。

服装は半袖のシンプルな襟付きシャツに、チノパン、スニーカー。どれもくたびれきっているが、清潔だった。

神白はこの仕事を始めてからの習慣として、相手の腕時計をさりげなく見た。


ブランド。

時計専門のメーカー、老舗のひとつ。


服装の無頓着さとは相容れないグレードだ。

主張しないデザインで 、わかる者にしかわからない趣味の良さだった。


「友達? 見ない顔だね」と、谷中は言った。


「先生、薄情ですね」伊東はずけずけと言った。「先生の命の恩人でしょ。神白ですよ」


「ああ! そっか。ああ、ごめん」谷中は笑顔を見せながら、力強い瞳でじっと神白を見た。「君が神白君か。その節はお世話になりまして」


「あ、いえ」神白は急なことで口ごもった。「別に僕は何も……」


「いやいや、神白君があのとき医療隊を呼び直してくれなかったら、俺も伊東君も死んでたよ。ほんと後回しにされるとこだったんだ」


「先生が電話口でベラベラ喋るからですよ」と、伊東は言った。「こんなベラベラ喋るんなら平気そうだって、思われたんですよ」


「いやほんと俺たち死んでたよな」谷中は快活に笑って、「ちょっと待ってて、神白君、まだここにいる? ちょっと待ってて」

バタバタとした足取りで廊下に出ると、数歩先の別なドアを開けてその部屋に入って行った。


「この時間帯なら誰もいないと思ったのに」伊東はかなり面倒くさそうな顔で溜息をついた。「よりによって一番うるさい人に捕まった」


「先生、元気そうで良かった」と、神白は言った。


「ああ。元気だな相変わらず」


「伊東君もね」と、神白は言った。「無事で良かったよ。本当にそれはね」


「そう」伊東は鼻で笑うような声を出したが、顔は笑ってはおらず、わずかに目を細めただけだった。


それから伊東は、手前から2番目のデスクに歩み寄り、その上のパソコン本体のスイッチを入れた。そこが伊東の席のようだった。


他の雑多なおもちゃが積まれた席に比べると整頓されているほうだったが、デスク上部の本棚には少年漫画がずらりと詰め込まれていた。それに、机のふちや引き出しの前面に所狭しと、ペットボトルやパンの包装についてくるキャンペーンシールが貼られていた。集めている、という感じでもなく、貼り方や種類はバラバラだが、とにかく枚数が多い。すでに食器数枚はもらえるくらい溜まっていそうだった。


「伊東君って変わってますね」と、神白は言った。


また皮肉が返ってくるかと思ったが、伊東は笑いながら「そうだね」と言った。

彼はパソコンの画面を覗き込みながら、キャスター付きの椅子に腰かけた。


「忘れ物って何?」神白はその椅子の背もたれに少し寄りかかって、同じ画面を覗き込んだ。


「あ、忘れ物はこっちね」伊東はデスクの隅に立てかけてあった英語の教材のようなものを取って、キーボードのすぐ脇に置き直した。「まあそれはともかく。えっと、Twitterで見れるかな?」

伊東は素早く目的の画面を開いて、その検索窓に「#kaiju」と入力した。


昨日の「上映」の様子が動画や写真で大量に投稿されていた。


改めて見ると、映像は粗い。この怪獣を構成しているのが「点」の集合であることがはっきりとわかる。つまり、ドット絵、もしくは、点描画のようなものに近い。動いている状態だとリアルに感じられるが、静止画になってしまうと立体感が読み取れず、何がなんだかわからない写真も多かった。


「これはな……ほんと、なんだろうなあ」伊東はぶつぶつ言いながら次々と画像を切り替え、そのうちのいくつかをダウンロードして保存した。「イグアナ? イグアナってこんなんだっけ?」


「さあ。僕は実在のものだとは思っていなかったから」


「亀とかもこんな顔のやついるよな、きっと。どこまで修正かけてるか、だよなあ」

伊東は保存した画像を別なソフトで開き、表示サイズを変え、それから何かの操作を手早く繰り返した。


怪獣の絵はまず、モノクロになり、そのあと背景がほとんど消えて、「本体」部分だけが黒く濃く浮かび上がった。


「ここをね」伊東は左手で画面の一部を指差しながら、右手のマウスで操作をおこなって、画像を拡大した。「この、左足を見て。ここに傷跡がある。不規則に盛り上がっている。これ、反対側の足には無い。これを目印に探せる」


「そういう『絵』だっていう可能性はない? 本当に実在する?」と、神白は聞いた。


「『絵』なら、この傷跡は必要ない。ほとんど目立ってないから、演出的な意味合いはないし、描画の手間が増えるからメリットはまったくない。単純に、ここに傷跡が描かれているのは、そのほうが楽だったからという理由のはずだ。つまり、モデルとなる実物がまずあって、それをトレースしているからだ」


伊東はキーボードを操作した。すると、部屋の隅に置いてあった大きなプリンターが動き出した。伊東は席を立ってそちらへ行き、モノクロに処理した「怪獣の絵」がプリントされた紙を持って戻ってきた。


「遊びで使っていいの?」神白は笑って聞いた。「研究用でしょう? このパソコンも」


「まあ誤差の範囲だよ、これくらいはね」


「君は、ハマり出すと熱くなるタイプだね」と、神白は言った。


「だって別に、他にすることもないわけでしょ。僕もちょうど夏休みだし」

伊東はまた席に着き、先ほど保存した他の画像を、同じようにモノクロに加工して印刷し始めた。


そのとき、ドアが勢い良く開いて、谷中が「お待たせ」と言いながら入ってきた。

「何してんの? 宿題?」谷中は素早く近付いてきてパソコンの画面を覗き込み、「あ」と言った。

「あ、ゴジラだ」


「ああ、ゴジラっていう可能性もありましたね」伊東はなぜか感心したようにつぶやいた。「なるほど」


「え、それ以外の可能性なんてあるの?」

谷中は、大真面目な表情で、ものすごく不思議そうに聞き返した。


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