契約内容005
「初めまして」
「……初めまして」
「お嬢さん、ココアはいかがです?」
「美味しそうね。ありがとう」
「いえいえどういたしまして」
微笑みながら、机を挟んで目の前に座るは、Yシャツから垣間見える悩まし気な巨乳を黒色のレディーススーツで纏った麗人ならぬ悪魔──個人的には悪魔なんて全否定したいのだけれど、背中から生えている蝙蝠のような羽が違和感なく動いてる様をみれば認めるしかないわね。
「それで、貴方はどなたなのかしら?」
「おや? アルジから、何度か名前を耳にした事がありません?」
「アルジさん?」
と言われても覚えがないわ。
「──あぁ、アルジとは名前ではありませんよ。ん~こう言ったらいいかな。自分は契約用紙の~
「まさか、田中?」
「ピンポーン!」
人懐っこい顔で田中が微笑みかけてくる。
田中って──美子ちゃんと両想いになる為にアイムと契約した根暗で残念な人だと思っていたけれど、現実は案外、違うものなのね。あと女性だとは思わなかったわ。
「それで私になにか御用? 一応、ここ……会社なんだけれど」
残業で残っているのが私だけだったからよかったものの、万が一、他の社員に見られ、羽の生えたお姉さんとはどういうお知り合い? と聞かれたら返答に困るわ。
「ご挨拶に。今日から会社では、自分がお嬢さんの身辺警護をさせていただくことになりまして、ちなみに拒否権はありませんのでよろしく」
「警護ですって?」
なんだか、また厄介な事になったわね。
「ふふん~、アルジったら、やけにお嬢さんの護衛をしたがってたんですけどね、あの悪魔、顔だけはいいから、未婚の女性に迫られたら役に立たないでしょ? だから自分がうまく言って、ここでの護衛を申し出たんですよ。ホントっ、契約が前提でないと色事にはめっぽう奥手って、困りますよねぇ。やきもきさせられるというか。それはそれで、可愛いとは思うんですけど」
アイムったら、ずいぶんと部下に舐められつつも愛されてるのね。
「なら、貴方も羽をどうかすべきだと思うわ」
私の言に驚いたかのように、田中が大きく目を開く。おかしいわね、変な事を言ったかしら?
「見えますか?」
「え?」
へへへっ、と田中がニンマリと笑う。
「この羽が見えるって事は、お嬢さん、かなり精神が悪魔側に傾いてますよ。自分、下級悪魔なもんで隠さなくても、一般人にはこの羽は見えないんですけどねぇ」
「悪魔側……私が?」
田中の言が本当なら、漫画でいう、霊感が上がってるという事なのかしら。困ったわね、お化けが見えたら、怖くて殴り倒してしまうじゃない。
「えぇ、多分、アスモデウス様のせいだと思うんですけど。あの悪魔、人体に影響がでないよう年月かけてやったんだろうなぁ。コワァ~~」
「……」
壮士のやつ、何をやったのかしら。田中を問いただしたいけれど、気持ち悪くて聞けないというか、聞きたくないわ。今度、顔を見たら問答無用で殴っておきましょう。
「って話がそれちゃったなぁ。ま、そういう訳でしてよろしく。ちなみに自分は、余計な虫が付かない為の護衛が専門なんで、魔力は期待しないでくださいね」
それって頼りになる部分が存在するの?
「それで、虫ってなにかしら?」
また変な悪魔かしら? いいかげん、非日常から解放されたいのだけど。
「ぇ~~それ、自分に聞きますか? 会社ですよ? 誘惑ゾーンじゃないですか」
「まさか会社にも悪魔がいるの?」
「……はぁ、アルジも苦労するわけだ」
ため息をつきながら残念なものを見るかのように、田中が言う。失礼ね、これでも普通の人間なんだから、私に迫ってくる非日常なんて予測できるわけないでしょう?
「苦労するなら無理に護衛しなくて結構よ」
「いやいや、苦労の意味が違いますから。で、お嬢さん、契約書にサインしてもらえません?」
契約書?
「えぇ、なんせ自分が護衛につくんでね。防衛の為です。さっそく準備いたしますねぇ」
田中はウィンクすると悩まし気な胸の谷間からトランプ型のカードを抜き出し、大げさにも恭しい仕草で手渡してきた。魔法円が描かれたカードには、キラキラと文字が青く光っている。これが正式な契約用紙というわけね。
【アイムと田中久美の契約書005】
アイムが護衛できない時は、手下の田中が久美の護衛を行う。対価として久美はアイムとデートしなくてはならない。
「……本物?」
「あたりまえですよ! ちゃんとアルジの血判もあるでしょ? で? どうです?」
「どうって、御大層な紙と文字のわりに、内容が安価ね」
「そうじゃなくてぇぇぇ!!!」
「わかってるわよ。デートでしょ? それぐらいならいいわ」
「おぉぉぉぉぉぉ! あ……いっときますけど、猫はだめですよ、せめて人型としてやってくださいね」
ち、見抜かれたわね。アイムじゃなきゃ騙せると思ったのに。
「でも、あのアイムが本当にデートを対価にと望んだの?」
辱められた仕返しとばかりに貞操を狙ってくるような契約はあったけれど、正攻法で責めてくるとは思わな──あら? でもこの間は、対価として手を繋ぎたいって……まさか。
「あ~対価のところ、自分が勝手に書き換えたんですよ。契約用紙悪魔の特権で、ちょっとだけなら悪戯できるんでね。へへへっ」
──やっぱりね、おかしいと思ったのよ。
アイムったら手下を信頼するのはいいけれど、ちょっとフリーダムすぎると思うわ。
「それで? 悪戯で契約を私に結ばせたところで、貴方に何の得があるのかしら?」
「得ならありますよ~。契約によって自分は人が密集する建物に合法的にいけるんで、食事をとるのに便利なんです。フフンッ」
目を細め田中が悪い顔する。
「食事?」
「あれあれあれ?? 気になるなら食べられてみます?? いいですよ。お嬢さんからの申し出なら契約違反にはならないし。アルジのモノ……しかも初物を味わえるなんて背徳感たっぷりで食べがいがありそうだなぁ~、へへへっ、いいですか? ほんと、いいです??」
田中が黒瞳を琥珀色へと変化させ、ペロリと舌なめずりをしながら、狂喜を交えた笑みを浮かべてきた。縦長だった瞳孔は興奮の為か太くなり、ギラギラと突き刺すように見つめながら、私の頤に触れてくる。
全く、人のよさそうな顔をしておきながら、やはり悪魔ね。
「貴方、本当に私を食べたいの?」
「えぇ、ゾクゾクしません? 火傷をしちゃいそうな危険な食事、させてくださいよ」
吐息がかかる距離で、田中が頤から首筋を何度も何度も手でなぞりながら言う。なんだか品定めされてるみたいで気持ちが悪いわね。
「やめなさいっ。人肉を焼いて食べるなんて非道にも程があるわよ!」
ピタリと田中が硬直する。
「──お嬢さん、それ、ワザトイッテマス? 」
「え?」
「……」
その後、眉間に皺を寄せた田中に、復活の儀式が終了するまで待てと言われ、待つこと約5分。儀式とはラジオ体操らしい。盛大な溜息もセットで行っている。悪魔って変わっているのね。
「あ~~、お待たせしました。というわけでしてね、こうならないよう【契約】での縛りが必要なんですよ。これでも自分、夢魔なんで、空腹でうっかり貞操を頂いたら大変じゃないですか? まぁ、食べて欲しいなら、いつでもいただきますから言ってくださいね。お嬢さんからの申し出なら縛られないんで」
黒色に戻った瞳を細めながら田中が言う。
貞操?……まさか食事って、そっち???
「あれぇ~~その反応、まさか今頃気が付いた? ぅぁぁぁああ、さすが26歳になっても初物のままなだけありますね」
「煩いわね。まさか同性でそんな……そうね、貴方、美子ちゃんが好きなんですものね。うっかりしてたわ」
「あー、アルジったら、ばらしちゃうとか酷いなぁ」
ポリポリと頭を掻きながら、はははと乾いた笑みを田中がこぼす。
「ま、そんな事よりも、お嬢さん、契約書にさっさとサインしてくださいよ~。あ、デートは人型アルジとでお願いしますよ」
「仕方がないわね。うっかり食べられたら困るし。でもイノッチは駄目よ。あと、食事はちゃんと同意を得てからにしなさい」
契約書にイノッチの事と同意についても付け加え、ボールペンでサインを入れると指を噛み血判を捺す。ご丁寧な事に、手書きで【人型】アイムと、文言が追加されている。抜け目がないわね。
「サンキュ~お嬢さん。んじゃ、ちぁんと【人型】アルジとデートしてやってくださいよぉ~」
「……わかってるわよ。しつこいわね」
まさか、この私が悪魔に流されるなんて。しくじったわ。
それにしても、アイムとデートなんて考えるだけで頭が痛い。ロマンチックとはほぼ無縁の煩い外出になるわね、きっと。
はぁ、仕事は全然終わらないし、今日は厄日だわ。
「用が済んだのなら、もう遅いし、さっさと帰ったほうがいいわ。アイムには適当に冷蔵庫からあさって食べておくように伝えてもらえるかしら」
ココアを飲み干すと、再度PCとの睨みあいを開始する。まったく今度不具合を起こしてごらんなさい、プログラムごと抹消してやるわ。
「……あのぉ~、お嬢さん?? 自分、一応護衛なんですけど帰っていいんですか?」
「まさか……終わるまでいるつもり?? 遅くなるといったでしょう?」
「ぇーー。はぁ、仕方ないなぁ~」
どれどれ? と言わんばかりに田中が横から顔をのぞき込んでくる。
「ふんふん~、ここはこうですかねぇ~」
ポチポチと勝手に田中がキーボートを打ち始めた。
「ちょ、ちょっと」
「まぁまぁ、落ち着いて。ほぃ、完成~っと」
「──できてる。貴方、ただものじゃないわね」
悪魔なのにプログラミングができるって、そんなまさか……
「ふふん~自分に惚れちゃだめですよ~お嬢さん」
「惚れたわっ」
「え……」
「田中!! 護衛ついでに私の仕事を手伝ってくれるかしら。私の部署に回してもらえるよう、先週、昇進したイノッチに裏から手をまわしてもらえばいいわね。ぐふふふふ」
これで、脱残業よ~~。そして、豹太郎さんのにゃんこ動画を睡眠時間を削らずに心ゆくまで見る事ができるわぁぁぁ。
「ぅぁぁ~、黒っ。さすがアルジに悪魔と言わしめるだけの事はありますねぇ」
「あら? あなたほどではないと思うけれど?」
「いやいやいや、自分はお嬢さんほど黒くないですよ? たぶん、ね」
「ぐふふふ」「へへへへっ」
「ほぅ、帰ってくるのが遅いと思って来てみれば、ずいぶんと仲良くなったものだな」
へへへと笑う田中の顔が引きつった。
振り向くと、人の姿のアイムが不機嫌な顔で田中を見下している。うちの会社、それなりにセキュリティが高いはずなんだけれど、対悪魔に対しては無意味のようね。
「あ~~~アルジ、自分はお嬢さんと仕事の話をしていたんですよ」
と、口調は堂々としているものの、田中がさささっと私の影に隠れた。
「契約だと?」
「ぇ~、もう呆けちゃったんですか? 自分にお嬢さんの護衛をしろと契約書をよこしたじゃないですか?」
「確かに。だが久美の血の匂いがするのはなぜだ? あれはお前とワタシの契約であったはずだ。まさか内容を変え、久美に捺印させたのではあるまいな?」
アイムの問いに、田中があからさまに視線をそらした。あと、私の名前は貴様じゃないと何度いったら──以下略。
「まぁまぁ、そんな事いいじゃないですか、ね?」
「言え」
「ぉじょぉさぁぁん」
ちょっと田中、私を盾にするのをやめて。まさか私に対価を言えというの。めんどくさくなるから絶対嫌よっ。
「タナカ、久美の血の説明をしろ」
「それは……」
アイムの刺すような視線に田中が縮こまっている。なんて冷たい瞳なのかしら。私の魂を奪おうとした時とは比較にならないわ。あれが悪魔としての本来の顔なのね。このままだと田中が……。
仕方ないわね、有能な助手を失うわけにはいかないわ。
「アイム、話があるの」
「黙れ。ワタシはタナカに聞いてお
「私とデートしましょう」
「黙…………は? デェ?? ぇえええええええっ、なんだってえええ!!!」
アイムの氷のような覇気が崩壊し、頭から猫耳が勢いよく飛び出した。ややくせっ毛のある、ふんわりとした銀髪までピンと逆立っている。
なんて狼狽ぶり。そこまで嫌って事なのかしら。仮にも大公爵と豪語するなら、紳士らしく断るぐらいしたらどうなの?
「貴様!!! 水着の件で恐怖のどん底に貶めただけでは飽き足らず、今度は猫のワタシにいやらしい服を着せ、外に連れ歩こうなどと考えておるのではあるまいな?……なるほど、それでタナカを脅し、契約内容を変更させたのか。なんという卑劣っ!! この悪魔めがっ!」
指さしポーズでアイムが糾弾してくる。失礼ね、変更したのは私ではないわ。しかも四六時中、にゃんこ服を着せたいと妄想する変態女みたいに言わないでもらいた──あら、そこは合ってるわね。
「落ち着いてアイム。デートは人型の貴方とするのよ」
証拠とばかりにアイムに契約用紙を突きつけてやる。
「貴様が?? そう書いたのか?」
アイムは私から契約用紙を奪うようにもぎ取ると、「この筆跡……」と呟くと同時に、はぁと大きく息を吐いた。どうやら猫型でなくてよかったと安心したみ……あら? なんだか元気がないわね。まさか猫服を、本当は着たかったというの?
「アイム、契約なんてしなくとも、猫服ならいつだってOKよ。すでに50着──
「愚か者! この話の流れでなぜそうなるのだ。あと50着とかその先は怖いから話すな。さてタナカ、やはりお前が変更したのだな? 契約用紙の記載権限を【契約】で与えてやったというに、まさか内容を変更してくるとは、恩知らずな配下めっ……て、なんだ、タナカ、その顔は? 死にたいのか?」
背後で怯えていた田中が、いつの間にかニヤニヤと笑っている。恐怖でおかしくなったのかしら。
「アルジ、自分は契約を順守してますよ。アルジの意向に沿うように契約を記載するってのが契約条件ですからね。対価として夢魔に再誕させていただいた自分が、今もそのままの姿ってことは……へへへっ、デートついでに食されたらどうです? お嬢さんを」
「ば、馬鹿者! 俗物発言は控えろ」
アイムが猫耳を慌ただしく動がしながら田中を叱る、が、視線はこちらをむいていない。
「ぇ~、夢魔にそれ言わないでくださいよ~。アルジだってお嬢さんに抱けとか契約させてたくせに。なのに対価がもらえるとなったら手を繋ぐだけとか……あの時、自分の下半身がどれだけイラだっ
「だから俗物発言はやめろ、丸焼きにされたいかっ!!!」
「ぇええええっ」
アイムが顔を真っ赤にして掌から炎を出現させる。ちょっとまって冗談じゃないわ。
「アイム、ここで丸焼きはやめてちょうだい」
田中は大事な助手だし、会社を黒焦げにされるのは困るわ。
「「……ぁ」」
会話に割り込むように声を掛けた私を見て、二人が目を丸くする。あぁ、そういえばいた、みたいな顔──よくもまぁ、私を挟んで会話しておきながら、存在を無視できたものね。いたたまれない会話を聞いたこちらの身にもなって欲しいわ。
「で、どうするのアイム?」
「どうするのとは何だ? タナカはワタシの配下だ。どうしようと貴様には関係ない、てぇぇタナカ何処に顔を乗せている!!」
「お嬢さんの肩デース。後、お嬢さんはデートの事を聞いてるんだとおもいますよ?」
「なっ」
首元で田中が「ヘタレなんだから」と言いつつ、大きく息を吐くからくすぶったい。本当、この夢魔は馴れ馴れしいわね。
「で、どうするのアイム?」
「……貴様、本気でする気か?」
「契約書にサインしてしまったのだから諦めなさい」
すべては田中を助手にするため……デートはついでよ。そう、ついで。
「むっ、無理だっ」
立つこともできなくなったのか、アイムが腰を抜かしたかのようにペタンと座り込んだ。
無理。
そう、アイムの気持ちはよくわかったわ。
「ならデートはしなくて結構よ。ただし貴方の一方的な棄却なのだから、田中を助……護衛としての契約は施行させてもらうわよ」
「……勝手にしろ」
視線を下に向けたまま、私の顔すらアイムはみようとしない。
「アルジ! ぁああああ、もうこの悪魔はっ」
背後にいた田中がアイムの元に駆け寄り、バシバシと彼の頭をたたきだした。上下関係が完全に逆転しているわ、アイム。
「タナカ、お前は貴様の恐ろしさを知らんのか? 対価を餌に言葉巧みに騙すのだぞ……水着の時など1か月は悪夢を……」
「なんですかっ、水着程度で」
「水着が恐ろしいのではない、着用までの過程が恐ろしいのだ。久美の眼が狩人だった」
「はぁ、情けない。自分ならもっと破廉恥なの着させて欲しいと全裸で迫りますね」
「………お前に言ったワタシが愚かだった」
田中の発言にアイムが頭を抱える。
アイムったら、そんなに嫌だったのかしら。脱がせて着せてあげただけで? そういえばもう嫁にいけないとか泣いてたような。やりすぎたかしら。
「アイム?」
床にペタンと座るアイムの目線に合わせて屈むと、プイと顔を背けられた。
はぁ……本当に面倒くさい悪魔ね。
「大公爵悪魔のくせに私が恐い? 騙される? 笑っちゃうわね。貴方の悪魔の格ってその程度なの?」
「なんだと! このワタシを馬鹿にするのか!」
途端、アイムの眼に火が宿る。やっぱりアイムはこうでないとね。なんだかペースが崩れるわ。
「ならデートぐらい余裕でしょう? 今度は脱がしたりしないから」
多分。
「──ぅ、よ、よかろう。その挑戦状、うけてやろうではないか! 後で泣いて嫌だといっても知らぬからな」
やる気が出たのか、アイムは立ち上がると両手を腰にあて、クククと笑い出した。横で田中が棒読みで「サスガーダイコウシャクサマ」と言って囃し立てているが、完全に主人を馬鹿にした目だ。
「わかったわ。楽しみにしてる」
「ぇ……あぁ」
アイムの顔が途端に赤く染まる。なんだか可愛らしわね──って、変ね。悪魔が可愛らしい? といっても猫アイムとは違った可愛さだわ。私の愛は猫愛だけで構成されている思っていたのだけれど。不思議な事もあるものね。思わずグフフっと笑うと恐がられてしまった。酷いわね。
「さてと、終電をのがすと不味いから、そろそろ帰るわよ」
「あぁ」
「わーい。お嬢さんのおうちに堂々と入れるなんて幸せっ。そしてベッドにダイブしたい。へへへへっ」
「タナカ、お前はいつもどおり外で寝て来い」
「ぇぇぇぇえええ。アルジばっかりお嬢さんとずるい~」
当たり前のように、田中までついてくる。さすが田中、ナチュラルに居つくつもりね。その分、主人の分までしっかり働いてもらうわよ。でも、1LDKに3人? は狭いわね。どうしようかしら。
などと考えていたせいね、結局、自分の気持ちに気がついたのは、後になってからで。
でも、それはまた別のお話。
■■■■■幕外 (田中&アイム)
「ところでタナカ、今日はなぜその姿なのだ? いつもは違うだろう?」
久美のベッドでごろごろする寝間着姿の田中を、アイムが蹴っ飛ばしながら聞く。久美は自宅に着いた後、すぐに風呂に入ってしまった。当然のように田中が後について行くのをアイムがぶん殴り、止めて現在に至る。
「いた~~っ。アルジったら、マジ蹴りするとか酷いなぁ。パジャマ、お嬢さんの借りたからって妬かないでくださいよ。アルジも猫用ならあるってお嬢さん、言ってたじゃないですか? それを着たらいいでしょう? あぁぁこのパジャマ……胸のサイズが苦しい……ボタンが閉まらないぃぃ。でもお嬢さんの香りを手放したくないぃぃぃ」
悶えながら、田中が閉まらない胸元のボタンを必死になって止めている、が、虚しくボタンごと弾けてしまった。
「寝間着の話ではないっ、なぜ女性化してるのかと聞いておるのだ? あと猫用パジャマなど死んでもワタシは着んからな」
「ぇ~。お嬢さんの虫掃除なら女の姿が一番じゃないですか? 護衛だって女のほうが便利ですよ。最悪トイレの中までついていけますし。あれ? 何で怒ってるんですか? もしかして自分のスリーサイズ聞いてたんですかっ、アルジったらエッチなんだから。上がきゅうじゅ──
「愚か者! そのような事は聞いてはおらん。はぁ……もうよい、で、会社はどうだったのだ」
「ふふん~、ちょっとヤバイ痕跡がありまして──へへへっ、お嬢さん、悪魔に魅入られすぎじゃないですかねぇ。自分ですら、無意識に食いそうでしたし」
「食ったら殺すだけでは済まさんぞ」
アイムの視線に田中が身震いする。普段、田中の冗談には文句を言いつつもアイムは寛容な態度をとるが、久美に関しては別らしい。
「だからぁ、契約で縛りましたから大丈夫ですって。食いませんよ? 俺からはね」
中世的な顔立ちはそのままに、田中の体つきが少しずつ男性へと変化する──といっても変化したのは、胸元と声が少し低くなった程度。むしろ性別がどっちつかずな印象になったせいで背徳感がまし、色白の肢体と蠱惑的な紅瞳が、それをさらに加速させている。
「相変わらず信用ならん奴だな」
「酷いなぁ。俺が今、一番愛してるのは、アルジなのに。いつでも食ってくださいね」
「やめろっ。男同士など考えたくもない」
「女になったらいいですか? へへへ、アルジぃ~」
「離れろというにっ」
アイムが顔を青くしながら、すりよってくる夢魔をひっぺがす。
「ま、食事がてら色々人間関係、調べてきますから任せてくださいよ」
「──食いすぎるなよ。天使も監視し始めている。見つかると面倒だぞ」
真剣なアイムに対し、わかってますって~と言う田中は呑気なものだ。
──ミカエルといえば、あの指輪。
アイムは、遥か昔、自分を呼び出した少年の笑顔を思い出していた──同時に廃退し、消えていった国の情景も。
「この間の指輪といい……ただの杞憂だといいが」
一抹の不安が、水面に堕ちる墨滴のように、アイムの心の中に、じわじわと拡がっていた。