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悪魔と久美の契約関係  作者: 七海 夕梨
Aim Route
4/9

契約内容003

ちょっと長め&糖度高め? です

 ぐつぐつと煮立つ鍋。壮士そうしが作っていたのは土手鍋だ。牡蠣と野菜を味噌で煮込んだそれは、匂いだけでもよだれが出てきそう。


 でも、にこにことアイムと壮士をみては微笑む母、なぜか鎧兜を死守する父、横で私に満面の笑みを送り続ける壮士が一緒だと思うと、食欲すらかき消されてしまう。


 唯一、味方予定のアイムは、鍋料理を珍しそうに見るだけで、全く役に立ちそうにない。しかも心話で『もう食っていいか?』と聞いてくるしまつ。婚約者として振舞う約束なんて、すっかり忘れてそうね。


「ところで久美くみちゃん、いいかしら?」

「なんでしょうか」


 とうとう来たわね、母の質問タイム。落ち着け久美。あらかじめ用意しておいた答えをいうだけよ。なれそめや、好きな所など即答できるまで頑張った私に隙はないわ! デートした場所もアイムとは打ち合わせ済みだ。(フィクションだけど)


「どこまでいったの?」

「デートの場所は──

「違うわよ! キスとかよ! それともその先までやったの? 婚約までしたんですもの、やることはやっちゃってるわよね? そこんとこ詳しく。性癖とかも込みで」

「……」


 母の破廉恥な質問に、アイムがカチンと固まり、箸に挟まれた牡蠣がぽろりと畳の上に転がった。童貞アイムはもう駄目ね、使い物にならない。キャパシティーが、すっかりオーバーしているわ。


 どうしよう、想定外だわ。しかも性癖……当たり前だけど、答えを用意してきていない。母の事だ、私の反応でアイムとの関係の真意を確かめるつもりね。


「母~さん! 何を聞いてるんだっ。アイルさんを前に!!」


 突然、父がバーンと机をたたき、場の空気を崩壊させた。


「だって、あなた……」


 父! ナイスフォローよ。鎧姿がさらに謎のすごみをだしてていいわ。


「子供もいますなんていわれたら、パパ、耐えれない。やってないよな? やってないと言ってくれぇぇ~久美ちゃん!! ぁぁぁぁぐは~~!!」


 畳に突っ伏し、父が泣き出した。そして折角回避できたと思った質問が舞い戻ってくる。父よ、あなたは、鎧ごと土に返ってください。


「落ち着いて、お義父さん、お義母さん、久美が困ってますよ。デリケートな質問はなしにしましょう。久美、牡蠣は幾つ欲しい?」


 横から壮士が、にっこりとほほ笑みながら聞いてくる。この笑顔はなに? 何を企んでいるの?


「……三つ」

「了解。白菜も一緒がいいかな? ちゃんと嫌いな菊菜はのけておいたよ」


 いつのまにか、私の取り皿を手に取った壮士が、私が欲しいものだけを取り分けてくれる。


 それにしても両親に婚約者を紹介する場で、アイムと壮士が私を挟んで座るのってどうなのかしら。母の質問を壮士が上手く誤魔化してくれたのはありがたいけれど、笑顔光線がまぶしくて鬱陶しいし勘弁してほしい。


「アイルさんは? よろしければとりますよ?」

「……結構だ」


 ぶっきらぼうに、アイムが壮士を睨みながら言うと、母が「きゃぁぁぁ~~三角関係よっ、イケメン二人が久美をっ」と、はぁはぁ言い出している。色々と末期ね。


「あぁ、すいません。先程から、牡蠣を落としたりしてるものですから、箸になれてないものかと」

「お前、誰に言っている? 箸の使つか──」「アイル~はい、あ~~ん」「ふごっ、」『久美! 貴様何のつもりだ!』


 途中から心話に切り替えたアイムが、牡蠣を頬張りながら怒っている。


『口調。婚約者として振舞う事、もう忘れたの? 壮士に喧嘩うってどうするのかしら』

『煩い! あやつの存在が気に食わんのだ』


 悪魔のくせに、まさかのやきもち?


『餅ではないっ、蜜だ。不幸の蜜を楽しむつもりであったのにっ、忌々しい』


 そっちね………。


『だいたいルシファー並の美青年とは聞いておらんぞ。てっきり醜悪な男だと思っておったのに。嫌がらせ大作戦が台無しではないかっ。しかも箸も使えんほど耄碌してると思われるなど何たる屈辱』



 はぁ、アイムも鎧男ちちと一緒に土に返ってくれないかしら、本当。


『久美! さっきからなにを言っておる。餅とか土に帰れとか。猫以外だと食い気か、生き埋めにする事しか考えられんのか。本当に悪魔だな』


 心話で話していてもこのレベルだなんて。この人に女心がわかる日はくるのかしら。


「二人とも、どうしたのかな? 聞いてる?」



 私とアイムが同時に え? という顔になった。どうやら心話の間、壮士が横で話しかけていたらしい。


「久美ちゃんったら、二人の世界に入っちゃって。しかも二人とも見つめ合ったまま……ふふふ、ここは若い人に任せて、主人と私は退席しますわね。あとはごゆっくり」



 てっきり居続けると思っていた母が片手で、ここから離れん~ぞぉぉ! といいはる父の首をつかみながら、すっと立ち上がった。


「──お義母さん」

「なにかしら壮ちゃん」

「これは没収しておきますね」


 いつの間にか、黒い何かを手に取った壮士が、素手で、それをぐしゃりとつぶす。


「そ、壮ちゃん、いつの間に。最後までいたらばれると思って早めに切り上げたというのに。しかもバックアップチップまで。やるわね」

「僕と久美の盗撮はかまいませんが、アイルさんに許可なくSNSにあげるのはいけませんよ」

「そうだぞ、母~さん、私の鎧姿までうつってたら恥ずかしいだろ?」


 それはどうでもいいと思うわ。


「SNSってどういう事?」


 母が気まずそうに視線をそらした。この反応は、盗撮は今回だけではないということね?


「どういう事なのかしら?」

「久美、お義母さんを責めないであげて。ちょっとした趣味で、僕らの子供の頃からの様子をSNSにあげてただけだよ」


 壮士が笑顔で爆弾発言をかました。その隙に、母が父と共に、マッハで部屋を飛び出し逃げていく。後で母のPCを亡き物にしておかないといけないわね。


 それよりも、よ。壮士と私の子供の頃って。壮士とは一緒に遊んだり、一緒に寝たり、一緒に風呂……壮士と最後に入ったのは小学──あぁ、考えただけで頭痛がしてきた。しかもアイムが心話で『風呂とはどういう事だ!』と攻め立ててくるからよけいに鬱陶しい。


「まさかお風呂は撮ってないわよね。犯罪だわ」


「大丈夫。僕らの入浴シーンは、完璧に消去したから。あの時間は二人だけのものにしたいからね」

ふた……、貴様!どういうことだ!」

「頭痛が……」


 あぁ、我が親ながら情けない。壮士も消すなら全部抹消してくれればいいのに。


「あ~アイルさん、誤解しないでくださいね。一緒にお風呂にはいったのは小学校低学年までですから。せいぜい、ほくろの位置ぐらいしか覚えてませんよ。今は貴方のほうがご存知でしょう?」


 目を細めながら、アイムを試すかのように壮士がいう。ほくろの位置を把握してるって本当なのかしら。私だって把握してない。壮士のこういう、私の全部を知っている感が、気持ち悪くて駄目、生理的に。


「も、ももももちろんだ。お前とは、比べられんほど密にな」


 アイムが凄く強がって言う。やめておけばいいのに。童貞には荷が重い内容よ。


「へぇ? 例えば?」

「うっ……も、揉ませてやっているっ。特に金曜の夜は激しく人のアレを揉みまく──

「アっ、アイル! 何をいいだすの。恥ずかしいから? ね」


 くっ、アレとかややこしい事を。肉球とは説明できない事を、わかってて言ってるんじゃないでしょうね。


「……久美、そういう趣味が」

「ない!」

「貴様、あれほど、癒しだとか言っておきながら……」

「癒し?……」


 壮士がゴクリとつばを飲み込んだ。いつも余裕ぶった彼がこういう顔をするのは初めて見る。それよりも何が悲しくって幼馴染にありもしない性癖を暴露されなくちゃいけないの。私は肉球以外に興味はないのにっ。でも、恥の上塗りだとしても、壮士との結婚は絶対に破断にもちこまなくては。


「わかってくれたかしら? 壮士。私たちはすっごくラッブラブーなのよ」

「わかっているよ。君が彼を愛しているのなら僕は身を引くべきだろう。()()()()()()()()()?」



 笑顔が怖い。なんだか見透かされてる気がするわ。


「もちろんよ。(猫の彼に)フォーリンラブだもの。毎日(肉球に)ラブラブしてるわ」

「アハハ、久美は相変わらず嘘が下手だね。君は恋愛関係で、嘘をつく時、かならずカタカナ用語が増える。お義母さんは騙せても、僕はそうはいかないよ」


 うぐっ。鋭いわね。あと何故セリフがカタカナってわかったのかしら。


「嘘なんか……」

「そう? じゃあ、アイルさんに聞いていいかな? さっきの続き」

「よかろ──

「ヤメテーヨー、アイルー、ハズカシイワー!!!!! 」


 すんでの所でアイムの声を遮った。壮士の事だ、アイムの嘘なんてすぐに見抜いてしまう。


「壮士、いい加減にして。プライバシーの侵害よ。そもそも壮士の事は、そういう意味で好きじゃないって何度もいったでしょう? いいかげん、放っておいて」

「放っておいてだって? へぇ、契約を反故にする気?」


 壮士が、ほれほれと言わんばかりに、血のりのついたボロボロの紙きれを私に見せつける。


「まだ、それをもっていたの?」

「うん。3歳の時、君に好きな人が出来なければ、僕と結婚してくれるって契約したからね。だから君を今まで大事にしてきたんだよ。また手を出せないままさよならなんて、嫌だからね、サラ」



 まて、サラって誰よ。


「落ち着いて壮士。それはサラさんとやってきなさい」

「だからやってる。この契約書、覚えているでしょう? もう逃げられないよ。愛してる、サラ」

「私はサラじゃないわ。あと、その契約は子供の頃の遊びでしょ! 第一あの時は、貴方が友達が一人もいないって泣くから」

「うん。いないよ。サラ以外はどうでもいいし。まぁ契約なんてしなくても、力を使えばいつでも君の心を奪えたけどね、無理強いは嫌いなんだ。君とだけは、本物の愛を深めたいからね。でも──悪魔こいつを喚ぶなんて酷いなぁ。今すぐ僕のものにしないといけなくなったじゃないか」


 ふぅ、とため息をついた壮士の黒髪が一気に伸び始め、頭部から牛の角のようなものが生え始めた。腰からのびた太い蛇のしっぽが、噛みつかんばかりに、牙をむきだしている。異形な姿に対し彼の人だった顔は、さらに美しく妖艶なものへと変わり、血のような赤い瞳が物欲しそうに私を捉えてくる。


「まさか悪魔?」


 普段は信じないけれど、実例が横にいるので疑いようがない。しかもこの感覚──アイムに魂を取られそうになった時と一緒だ。


「ご名答。嬉しいな……僕の姿をみても、叫び声一つあげないんだね。生まれ変わっても君は君のままだ。僕はね、僕の姿をちゃんと見てくれる人間には、一応、敬意は払う礼儀正しい悪魔なんだよ」


 壮士が耳元で、ねっとりと囁きかける。アイムの時以上に、声の色香に酔いそうだ。壮士を生理的に無理と思っていなかったら、簡単に彼に心を捧げていたかもしれない。


「礼儀正しい悪魔なら、少しは大人しくしてもらえないかしら」

「大人しくしてるほうだよ? これでも。サラ、これは最後の忠告だ。僕のものになって。そうしたら魂を奪ったりはしない。そこの悪魔からも守ってあげるよ」


 だから私は、サラじゃない。 変態悪魔の虚言には付き合ってられないわ。それよりも私のピンチにアイムは何を──


「アイル……って、アイム!!」

「……まさか、こやつは」


 先程から、どうも大人しいと思っていたら、アイムが口をぽかっと開けたまま壮士を凝視している。一体どうしたというの? いつもは偉そうで煩いくせに。


「アイム!」


 アイムの頭をポカっとなぐると「何をする! 貴様!」と、アイムがプンスカ怒り始めた。偉大なるワタシの頭を~!といつものノリまで取り戻している。


「アイム、私と契約してくれる?」

「サラ!! いけないよ」


 アイムは、ほぅと言う顔をすると、目元を細め、悪い顔をする。


「ふふん、よかろう。多重契約すれば、ワタシの力が増すからな。いでよ! 我が僕、タナカ!」


 空間がねじ曲がり、魔法陣のようなものが浮かびあがる。田中か……とうとう田中あれが召喚され──


「させないよ」



 壮士が、何やら複雑な、文字を空間に浮かび上がらせ、田中が召喚される予定の魔法陣をぐにゃりと歪めた。


「タ、タナカーーーーーーーーっ」


 アイムが田中の魔法陣に手を伸ばしたが間に合わず、陣は砂のように消え去る。


 田中がやられた。私も田中だし、なんだか複雑ね。死んでないといいのだけれど。


「ふふっ、君の(しもべ)悪魔、もう少し、ネーミングを悪魔っぽくしたほうがいいよ」


 壮士が、悪戯っぽくニコッと笑う。しっぽの蛇までシャシャシャシャっと笑っていて気持ちが悪い。


「おのれ、お前はソロモンの時代から好かん奴だったが、まぁ良い。貴様、例の紙をよこせ。ダイガクノートというやつだ」


 え……それでいいの? なら、タナカの犠牲はいらなかったんじゃ。


 私が、大学ノートの一部を彼に渡すと、アイムはさらさらと何やら書き出した


「ちょっと!アイム、勝手に契約内容を決めないでよ!」

「愚か者。こやつと戦うだけの力が必要なのだ。地獄では、一応、五本の指に入る程の強者だぞ。それ相応の対価を頂くにきまっておろう」


()は不要よ」


 私はアイムから、大学ノートの切れ端を奪いとると、ビリビリと破りすてた。その様を壮士が面白そうに見つめている。


「貴様!!!!! ワタシの力があてにならんとでも言うのではあるまいな? その気になれば、このニホンという国など、簡単に焦土と化せるのだぞ。今すぐ、黒焦げにされたいか! この愚か者めっ」

「落ち着いて、アイム、私が欲しいのは、力ではなくて、貴方の知識よ」


 私は大学ノートの切れ端に、ボールペンで契約内容を書くと、指をかみ切り血判を推す。



 【田中久美とアイムの契約書03】


 久美は、アイムの知識を借りる代わりに、一つだけ彼の願いを叶えなくてはならない。ただし、その内容は人命や魂、貞操には関与しないものとする。



 私から、紙を受け取ったアイムが、目を点にした後、大きくため息をついた。


「貴様はワタシを舐めているのか? ワタシの英知の扱いが、軽い! 軽すぎる。過去に私と契約した者は、英知を得たいがために自らの魂を生贄に捧げた者もいるのだぞ!」


「仕方ないわね。命にかかわらなければ、ちょっとだけおまけしてあげるからっ」

「ほぅ、その言葉、忘れるでないぞっ」


 アイムがニヤリと笑い、契約書にサインすると指に噛みつく。


「久美! 駄目だっ、悪魔に妥協案をだしてはいけないっ。騙されて魂を奪われてしまうっ」


 壮士が、契約書に火炎を投げつけたが、間に合わない。すでにアイムが青い血判を捺してしまった。ただの大学ノートの紙きれは、魔法陣のように青く輝き、壮士の炎をいとも簡単に跳ね返した。


「愚か者め。なされた契約は、高位の悪魔といえども消せぬのも忘れたか。しかも、こちらの世界では久美との多重契約で、今やお前よりも強いぞ。さっそく大公爵であるワタ──

「アイム! それは今、どうでもいいから。さっさと教えて」

「どう……覚えておけよ貴様──で、何だ、知りたい事とは? やっぱりこいつをやっつけて欲しいと言うのなら、また契約を結んでもらうぞ」

「壮士の名前しんめいよ。ソロモン時代がどうのとか言ってたじゃない? 知り合いなんでしょ?」

「……」

「まさか、名前を知らないの?」

「悪魔が、他の悪魔の真名を教えるのは……暗黙上のご法度でだな」

「暗黙上てのは、絶対じゃないのよ。いいから教えなさい」


 アイムは一瞬だけ絶句すると、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。


「くくくっ、相変わらずの悪魔ぶりだな。よかろう奴の名は……」

「やめろ! 僕の名前をいうなっ」

「アスモデウス、だ」

「アイムっ、お前ぇぇぇ」

 

 アイムが容赦なく壮士の真名を言う。


「アスモデウス、私の魂を奪うのをやめなさい。あと子供の頃の契約はなし。無効よ」


 私の言葉と同時に、壮士が手にしていた契約の紙が青い炎に包まれ消え去った。


「なっ……酷いな。契約関係がなくなれば、魔力が強い僕はこの世界に留まれないのに」


 悲壮な顔をした壮士の背後に、突如巨大な黒い魔法陣が出現した。まさか大技を繰り出す気なのかしら? と構えだけど違う。壮士の身体がその魔法陣にずぶずぶと呑まれているのだ。黒い陣からは怨嗟の交じった悲鳴が聞こえてくる。闇の先は、けっして良い場所とは思えない。


「──久美、助けて。僕と君は友達じゃないか。それに──このまま消えたら、我が子のように僕を可愛がってくれた君の両親と一緒にいれなくなってしまう。僕を家族だと思う人々を悲しませるような、残酷な事を君はするの?」

「それは──

「貴様! 悪魔やつの声に耳を傾けるな。あやつはああやって人を惑わし、心を酔わせるのだ。ソロモンですらその手で騙し、一時的とはいえ、奴になり替わり悪政の限りをしおった大悪魔ぞ。ワタシがソロモンに授けた英知を全部、無駄にしおった恨みは忘れておらぬからな。しかも、妾を700人も娶り毎夜やりたい放題──って、聞いておるのか? 久美!」

「聞いてるわ。貴方と同類じゃない。妾が1000人いるんでしょ?」

「……それは」


 アイムがしおしおと黙り込む。ふぅ、やっと静かになったわね。童貞の伝説効果は偉大だわ。やっと集中して考えられる。


「久美、助けてくれないの?」

「仕方がないわね」

「あぁ、久美……」


 壮士が赤い瞳を潤わせながら、感涙の声を漏らした。あの顔を見るとやる気が半減するけれど、壮士の存在を消すわけにはいかないわ。


 私は大学ノートをさらに1枚切り取り、ペンをとろうとすると


「この愚か者がっ」


 と、アイムが私の右手を強く握る。


「アイム──書けないわ」

「書かすかっ愚か者。奴は色欲の悪魔だ。貴様など、力を取り戻せば、簡単に誑し込まれるぞ。それでもよいのか?」

「嫌ね。生理的にむりだわ」


 私の肯定にアイムはホッとため息をつき、壮士の顔が絶望色に染まる。


「でも、()()は友達なのよ。だから()()()()()()()()()


「なっ」


 アイムが反射的に手をはなした隙に、私は契約書に文字を書き込んだ。アイムがギャーギャーと煩く吠えたが、無視を決め込むと、もう貴様など知らぬ、と拗ね、黙り込んでしまった。


 【田中久美と壮士の契約書】


『壮士はこの世界にとどまる代わりに、家族の()を悪魔の力を使わず慈しみ大切にしなくてはならない』



 アイムとの契約で、先程傷つけた指をさらに噛み、署名をし血判を捺す。流石に少し指が痛いわね。傷になってしまうかも。


「どうする? 壮士」


 魔法陣に吸い込まれそうな壮士に近づき、契約書を彼に見せる。壮士は一瞬、苦しそうな笑みを浮かべると「わかった」といい自らの唇を思い切り噛み切った。


「……!! 何を?」

「僕の両手は、もうあちらの世界に囚われて動けない。久美……僕の血に触れて。君の手でかわりに捺印してほしい」



 壮士の口から、ぽたりぽたりと赤い滴りが落ちる。まさか舌まで噛んだんじゃないでしょうね。



「大丈夫なの?」

「大丈夫。僕はこれでも……それなりに力のある悪魔だからね。契約の署名は省略できるし、血判も僕の血であれば十分」


 大丈夫? と聞いたのは契約の事ではないのだけど。


「そう、なら問題はないわね。失礼するわよ」


 私はパシーンと壮士の口元に契約書を押し付けた。壮士のふごっという悲鳴と同時に、契約書の紙に彼のキスマークがだらりと付く。若干きつく押し込んでしまったので、唇の形が潰れ血まみれになってしまったけど、問題ないわね。謎の魔法陣も消えたし、今の壮士はすでに人の姿に戻っている。


「久美……」


 壮士が、膝をつき、口元を抑えながら擦れた声を漏らした。その横でさっきまで拗ねていたアイムが「悪魔に慈しみ大切にせよとは。貴様は、まこと、卑劣極まりない悪魔だな」と、声をだして笑っている。本当に他人の不幸が好きね、悪魔なだけに。


「ごめんなさい、痛かったかしら? 血をつけるならこっちのほうが手っ取り早いと思ったのよ」


 正確には壮士の血に触れて捺印なんて、気持ち悪いから嫌だっただけなのだけど。


「いい……」



 い? なに? 痛いとでも言ったの?


「壮士?」



 呼びかけても彼は膝をついたまま茫然としている。


 まさか契約して、私の両親の面倒もついでにみてもらおうと思った事がばれたのかしら。


「なんて甘美な事を無意識にするんだ。君は本当に罪深い。君の血を僕の口に触れさせるなんて悪魔の婚姻のようだ」

「……」


 やっぱりむこうの世界に帰ってもらえばよかったわね。気持ち悪さが小煩いアイムの口まで止めてしまう程だもの。


「壮士、念を押しておくけれど、元の世界に帰りたくないのなら、あなたがいう家族──こちらの世界での両親と私の両親の面倒をお願いするわよ。という事で私は家に帰るから」


 将来的に二人の介護も任せるわ。父はすぐぼけそうだし。鎧姿でぼけられたら体力的に持たないだろうから。


「わかったよ、サラ──いや、久美。ちゃんと慈しむから。(だって君はいずれ僕のかぞくになるのだからね)」


 了承の後の言葉を、アイムには聞こえないよう、壮士はそっと耳打ちすると、私の手をとり、血のにじむ指をペロリとなめた。ゾワリと悪寒が走り固まった私をアイムが自身に引き寄せる。


「愚か者っ! 悪魔に耳を貸すなといっただろう。アスモ──いや、ソウシ、こやつはワタシの獲物だ。真名を知られた以上、お前は久美に逆らえん、手を出そうとしても無駄だ。契約をしてもらっただけでもありがたいと思え」

「それは、君もね」


 壮士を指さし上から目線でいうアイムに、壮士が目を細めて言う。このまま火炎戦争が起こり、遅くなって実家に泊まるなんてことは御免だわ。私は猫籠と荷物を持つと、バチバチと火花が散り始めた二人の間に割り入った。


「壮士、喧嘩はやめなさい」

「喧嘩なんてしてないよ? 彼が一方的に怒っているだけだ」


 にっこりと目を細めながら壮士がほほ笑む。その笑みが一番信用ならないのだけど。


「そう、わかったわ。じゃ帰るわよ。アイム」


 私はアイムの首根っこをつかむと、文句を言う彼を無視して、面倒な実家を後にした──もちろん、その前に母のPCを亡き物にしておくことも忘れなかった。





 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 帰り道。


 外はもう夕方だ。美しい夕焼け空を見ながらアイムと二人、田舎道を歩く。壮士が付いてくるのではと警戒していたけれど、契約は守るつもりらしい。あっさりと「気を付けて帰ってね」と笑顔で手を振り、送り出してくれた。ただ、あの笑顔は信頼してはいけない顔だ。私も彼とは長年の付き合いだから、それだけはわかる。


 ただ、今は──


「貴様! おい、貴様といっている」


 私の後ろを歩いていたアイムが、先程から何度も私を呼ぶから煩い。だいたい私の名前は貴様ではないのだけど。


「なにかしら」


 仕方なく立ち止まり振り向くと、秀麗な眉間に皺をよせたアイムが「気に食わん」っと不満の声を漏らした。


「今回はワタシが付いていたからよかったものの、あのような危険な奴を何故、侍らせておくのだ。今思えば、契約も曖昧で危険なものだ。家族を慈しみ大切にするなど抽象的すぎる。悪魔は自身にとっての慈しみ方を要求することもある。それは人道的でない事がほとんどなのだぞ。それにあやつの気がかわったらどうする? あの契約は奴の気が変われば、家族を慈しまなくてもよいともとれる。しかも貴様はそれをわかっていて、奴と契約を結んだであろう?」

「そうね。でもアスモデウスはともかく、()()はそんな事はしないわ」

「む……どこにそのような保障が」


 アイムが不服そうに口元を歪める。


「長年の友人だもの、私にだって少しはわかるわ。私の魂だって取るつもりはなかっただろうし。今回は悪魔を連れてきたものだから、彼なりに私を試したんでしょうね。ただ──彼の意に反した行いをすれば、容赦なく魂をとられたかもしれないけれど」


 ()()()()()()の色欲に囚われ溺れた瞬間にね。たぶん、だけど。


「ふんっ、そんなだから悪魔に魅入られるのだ。だいたい貴様は悪魔に甘すぎる。真名を知ったのなら契約せず命令で縛り付け、思いのままにすればよいものを」


 そんな事を教える悪魔も人に甘すぎると思うけれど。


「あら? アイムには命令してるわよ。ご飯を残すなとか、部屋をよごしたら掃除しなさいって。いつもいってるのに……全然使役されてないじゃない」

「……ワタシのいう命令とはそういう意味ではない。あと、掃除はワタシのほうがしているぞ。最近ではソウジキとやらを完全に使いこなせておる」


 そういえば……前より部屋がきれいになっているような。


「それと前から言いたかったのだが、貴様の飯は悪食ですら拒否するレベルだからな? 毒の耐性をつける意味では良い訓練ではあるが、人には振舞うなよ」


 それはどういう意味なのかしら。しかも真剣な顔で言われると微妙に傷つくのだけれど。食べてる私はなんともないのにっ。


「失礼ね。これだから悪魔の使役なんて面倒なのよ。せめて互いに同意がないと。その点、契約は便利ね。おかげで罪悪感なく、肉球を堪能できるし」


「ふんっ、どうだか。今に貴様も変わるのではないか? 人は大いなる力を手に入れると、その欲望に囚われ狂ってゆく。天界にいた天使とて同様だ。強い力を手に入れた天使は、より力を渇望し神になる事を求めた結果、地獄へと堕ちっていったのだからな」


 虚しそうな瞳をこちらに向けながらアイムが言う。ただその瞳は私を捕らえているようで他の誰かを見ているようだ。それにしてもアイムはちょっと難しく考えすぎじゃないかしら。


「なら傍で見ているといいわ。変わりそうなら貴方が小うるさく怒ってくれるでしょう? 大公爵の悪魔に対してうんたらかんたらと」

「ふんっ、よかろう。だが怒っても、貴様は問答無用で踏みつけ、ゴミ箱にいれそうだがな。実際、一度されたし。今思えば命令よりも酷いではないか?」


 そういえば、そんな事もあったわね。今思えば結構、非道な事をしたと思うのだけれど、された悪魔が嬉しそうに語るので黙っておくことにしましょう。


「それで……だ、久美。いつくれる気なのだ?」

「なにを?」

「なにを? ではないわっ。すっとぼけるなよ。契約の対価をよこせ」

「大公爵様のくせにせっかちね。それで何を対価に求めるの。言っておくけれど貞操関係は駄目よ。あと──

「おまけをくれると言った!! 少しぐらいいいだろう?」

「……」


 おまけって。まぁ、確かに言ったわね。でもなんだか言い方が子供みたいで、思わず笑いそうになってしまったわ。


「それで? 何がいいの?」

「て……」


 て? 


 アイムはそれ以上は口にせず、私の前に手を突き出した。女の私がみても長く無駄に綺麗な指先に嫉妬したくなる。


「仕方がないわね」


 私は彼の指に自身の指を絡めると、夕陽の中を二人、また歩き始めた。口数の多いアイムが文句を言わず、されるがままな事を考えると、これで合っていたみたいね。ただ一方的に私が繋いでいるだけで、アイムからは特に握り返すことはないけれど。


「久美……ソウシともこうやって手を繋いだのか?」


 人に聞いておきながら、視線は前を向いたまま、アイムが私に聞いてくる。


「昔はね」


 ぴくりと彼の手が一瞬、動いた。


「でも、恋人繋ぎをするのは、あなたが初めてよ」


 私がそういうと、アイムは顔を夕陽ように染めて「そうか……」といい強く手を握り返してきた。



 そのまま駅に着いたところで、私がにこにこと猫籠の扉を開けると、アイムが激怒しちゃったんだけど。


 それはまた別のお話。





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