契約内容002
「あ……ちょっと待て。そこは、や、やめっ」
「ふーん。ここが気持ちいいんだ」
「なっ、あーーーーっ、貴様っ! 待、やめっ」
「ふふっ、まってあげない」
あぁ……癒しだわ。仕事でストレスがマッハな金曜日の夜は、アイムを愛撫するに限るわね。
待って欲しいと懇願する、自称、地獄の大公爵様をさらに愛撫してやったら、大の字になって伸びてしまった。身もだえる表情がたまらない。
「ううっ、なんて淫乱女なのだ。貴様はサキュバスかっ! 今、貴様の眼にはアレに見えても、実際はデリケートな場所なのだぞ。もっと他の所に……って、きいておるのかっ……ぁ」
息も絶え絶えに「これ以上はお嫁にいけない」と目を潤ませてきたので、仕方なく手をひっこめたら、止めるなとばかりに手をつかみ返された。一体どっちがいいのかしら。
「でも『肉球』に快楽を与えるのが契約だったし」
「くっ、言うな。あと一世紀はその言葉を耳にしたくない。このような愚かな人間の小娘に、このワタシが契約ミスを犯してしまうとはなんたる不覚。そもそも、肉球も肉体もかわらんではないか。何故、このワタシが小娘に猫の姿で弄られなければならんのだ。人の姿でもよかろう? そちらのワタシならもっと快楽
「やめるわよ」
「……」
瞬時にアイムはおとなしくなった。
なんだかんだと肉球マッサージを彼は気に入っている。私が風呂からあがると待ってましたとばかりに、ベッドにゴロンとしているのだ。だが無駄にプライドが高い彼は、どうしても私にやらせてくださいと言わせたいらしい。人の姿で誘惑してきたり、大蛇になって体に纏わりついてきたりと、嫌がる事ばかりする。
あまりにも腹が立ったので、
人の時→頬を連続ひっぱたき蹴っ飛ばす。
蛇の時→踏みつけ燃えるゴミとして捨てる。
と、人道に基づき躾けた所、最近はプライドもくそもなくなったのか、猫姿でいる事が多くなった。そして金曜日は彼が満足するまでマッサージしてあげる、というのが日課になっている。
アイム曰く「貴様は猫以外には冷酷非道な悪魔」らしいが、悪魔に非道といわれるのは遺憾だわ。本物の人や蛇にはしないし……多分。だいたい私ほど、愛悪魔家(だが、猫姿に限る)はいないのに。腹から青い血を出す謎の生き物など普通、拾ったりしないもの。
「だが、ワタシは貴様の婚約者なのだろう? それらしき事をしなくてよいのか?」
肉球マッサージにご満悦なのか、抜けた顔でアイムがいう。折角のイケ猫が台無しね。
「それらしき事って?」
「貴様……わざととぼけおってからに」
「まぁまぁ、一緒にお風呂も入ったし寝たじゃない。ラッブラブーだよ」
「なっ! それは猫限定ではないか。風呂で貴様は服の一つも脱がず、ワタシを桶にいれるだけだし、寝るのも、人の姿になった途端、殴る、蹴るばかりで触れさせてもくれぬ、婚約者なのに思ってたのと違うではないか!」
アイムがムキー! と怒りながら拗ねている。
「まぁまぁ、城に1000人の妾がいるんでしょ? 欲求不満時はそこで発散させ
「この破廉恥娘がっ! 処女なら処女らしく貞淑な言葉を選ばぬか! だいたい貴様はワタシを踏みつけた上、辱めた女だ。何もせず地獄に帰るなどプライドが許さぬ!」
本当、無駄にプライドが高いわね。私だってイケメンが嫌いなわけじゃない。猫の耳をつけた男性にはちょっと抵抗があるが、パーツが本物なら話しは別だ。その耳で睦言の一つでも言われたら、ちょっとは、その気になったかもしれない。
だが、ベッドで自分のモテっぷり自慢されたら猫耳でも御免だわ。猫でなければ即、捨てている。そもそも女性へのアプローチが全然なってないのに、妾が1000人って本当なのかしら? ネットでアイムを調べると、火炎魔法が使え、頭もいいらしいが、嘘ばかりつく悪魔らしいし。この前だって、肉球で私を騙そうとしたし。
まって……火魔法? 魔法……つかい。
「童貞は30を超すと魔法使いになるという、伝説の」
「どっ……」
思わず呟いたら、突如、アイムは肩を震わせ部屋の隅っこに逃げてしまった。どこかにトラウマワードがあったらしい。これ以上苛めたら泣いちゃうからやめてあげようと、慰めついでにベッドから立ち上がると、携帯がけたたましくなった。
バーンバーババーンバババーンバババーン♪ おわったぁぁぁ~♪
やばい。この着信音は──母だわ。
この間、進行状況について電話したばかりだというのに。なんてせっかちなの。それとも婚活の失敗がばれたのかしら?
恐る恐る携帯を手に取る横で、アイムが「なんだ、貴様がそこまで怯える奴は誰なんだ?」と興味深くこちらを見ているが、それどころではない。
「もしもし……」
『久美ちゃん久しぶり。あれからどうかしら? 前、電話でいってたあの人とはどうなったの?』
「……別れました」
言ったとたん、おほほほほほほほほっ、ほらごらんなさいと甲高い笑い声が聞こえ、思わず耳から携帯を遠ざけてしまった。
『なら、わかっているわね? そ─
「まって! 母様、違うの。その人とは別れたんだけど、今は別の人と付き合っていて、同棲もしていて婚約も承諾してくれて」
『本当なの? どういう人?』
「猫耳──」
やばいわ。猫耳つけた腰布以外、裸の悪魔なんですとは流石に言えないし。
『ねこみって猫耳??? 貴方、いくら猫が好きだからって、それはやばい人なんじゃないの?』
ええ……やばいです。なんせ『人』ですらありません。
どうしよう、猫耳の彼になってしまった。これをなかったことにするぐらい上手く誤魔化せる言葉はないものかしら。
あたふたとしていたら、携帯をアイムにもぎ取られた。しかもいつの間にか人の姿になっている。
「母君ですか? はじめまして。わたくし、お嬢さんとお付き合いさせていただいております、猫宮アイルと申します。はははっ、猫耳と聞こえましたか?───えぇ、父方は日本人なのですが、母が──
誰よ、お前は。
アイムは母と会話しながら、どうだとばかりに上から目線で私を見る。なんだかわからないけど、とても屈辱だ。
「──ええ、もちろんかまいせんよ」
まって、何がかまわないの?
携帯をもぎ取ろうとするも、ひょいっとよけられた。
「はい、わかりました。では明日」
ピ、っと私に確認もせずアイムは電話をきってしまった。明日ってなに? 嫌な予感しかしない。
「……何を言ったの?」
「婚約者たるワタシが、貴様の母君に挨拶をしてやろうと言ってやったのだ、ということで明日、貴様の実家とやらに行くぞ」
なんですてぇぇぇっぇぇ!!!!
☆☆☆☆☆
ガターン、ゴトーン。
列車に揺られて実家へドナドナ……。
まさか折角の休日だというのに、アイムをつれて実家に帰る羽目になるなんて。
「おい! 貴様! 貴様!!! 聞いておるのか?」
「(ちょ!! 静かにしてよ 誰かに聞かれたら困るでしょ?)」
さっきから足元のアイムが煩い。
「ちっ──仕方ないな」
『あーあーあー。聞こえるか? 久美』
うわぁ、脳内までアイムのバカ声がっ。疲れてるのかしら。
『久美……このワタシが気を使って、心話で話しかけてやったというのに。これは至極疲れる術なのだぞ。長くはもたん。あとバカ声とか、心の声、駄々洩れだからな。いい加減にしろ』
『で、なによ。あんまり人の心の中とか見られたくないんだけど』
見られたら、アイムはネコモフと肉球以外、なんの魅力もないとか、猫じゃなかったら捨ててやる! と日ごろ思ってる事がばれてしまう。
『……久美、だから心の声が駄々洩れだといっておろうに。まぁ良い、このワタシの肉球の快楽に囚われる愚かな娘を見るのも一興だ、とかそうじゃなかたぁぁぁ!! 久美! 何故なんだ。ワタシは今日、婚約者として母君に会いに行くのではなかったのか?』
『そうだけど』
『なら、なぜ猫の姿で行くんだ。しかも大公爵たるこのワタシを猫籠にいれるなど、なんたる屈辱』
『それは……』
にゃんこと旅行! て思わないと実家にかえるまで、モチベーションが持たないし。人だと交通費がかかる、あと煩い。ましてや猫耳の裸族なんて連れて歩いたらお巡りさんに職質されて面倒くさそうだし。
『だから心の声が駄々洩れだと。何処まで猫好きなのだ。だいたいワタシがその気になれば、外見や服装など簡単に変えられるわっ。それよりも婚約者同士として、もっとこう……親密ぶりを練習をしておいたほうが良いのではないか?』
『十分に親密でしょ? 昨夜だって契約通りしてあげたじゃない』
そう、昨夜、婚約者として私の要求通りに振舞って欲しいと頼んだら、この悪魔はさらに契約を持ち掛けてきたのだ。元々婚約者となる条件だったと付き返したら、全然それらしい事をしてないと言われ、仕方なくさらに契約を結ぶことになった。
【アイムと田中久美の契約書2】
アイムが婚約者として振舞う度に、その夜、久美がアイムを抱かなくてはいけない。
『ということで、ちゃんと抱いてあげたでしょう』
『違ーーう。思ってたのと違ぁぁぁう。抱くっていったら久美、あれだろう? 男女がその……』
アイムは恥ずかしいのか籠の中でモゾモゾしだした。やっぱり1000人妾説は嘘ね。
『だって、主導権は私でしょ。私が(私のやり方で)アイムを抱くという契約だったでしょ?』
『抱くの意味が違いすぎるわぁぁぁ。ワタシは久美が恥じらいながら抱きついてくる顔を見てみたかったのだ。それをっ!! 肉球マッサージという卑怯な手で誘惑しおって! この悪魔めっ。しかもワタシより先に寝るとか……あの後、生殺しで色々と……あぁっ、くそぅ』
心話、怖すぎ。アイムの妄想する変態映像がこちらまで飛んできた。どうやら私が先に寝てしまったことで、あの後、色々ともやもやしたらしいわね。
『ほらほら、もう駅についたわよ~』
『ごまかすな~! 久美! 覚えておくがよい。このワタシが人の姿に戻った暁にはっ』
『高位悪魔なのに、契約を反故にするの?』
『……ぐっ!!!』
ふぅ、やっと大人しくなった。
降車した駅は、都心の殺伐とした風景とは違い長閑な度田舎だ。これからの事を思うと、心は殺伐とするけど。あの母とこれから戦わなくてはいけないのだから。
私はアイムを猫籠から出し、男子トイレに放つと彼はニンマリと悪い顔をしながら人の姿となって出てきた。ちなみに度田舎なので周囲に人気はない。アイム曰く、人がいたとしても幻術を使って上手く変身できるらしい。
「待たせたな、貴様。ワタシがいなくてさぞかし寂しかっただろう?」
「別に」
「……貴様。人になった途端、視線まで冷たくなりおって。ちょっとは雰囲気というのをだな」
ぶつぶつと文句を言う悪魔は、黒髪、黒目のスーツ姿の男性だ。五芒星もない。いくらなんでもあのファッションは、まずいという常識はあったようで良かったわ。だが母に外人の血を引いていると言ってしまったてまえか、顔の造形は掘りの深いまま、初めて会った時の顔と同じだ。
「どうだ? 貴様の理想通りの男だろう? ……あ~貴様が望むのなら、婚約者らしく恋人繋ぎをしてやってもかまわんぞ?」
「別に無理にしなくていいわ」
「………」
私の前に差し出された手がぴくぴくと震えている。もしかして……
「繋いでほしいの?」
「なっ!! これは、アレだ。久々に人間の姿になったのでちょっとした、その……」
「ならいいわ。でも、できたらもう少し地味にできない? 地味顔で七三分けとかが理想なんだけど」
「……貴様っ! ワタシの美しい顔と髪型をわざわざ改悪しろとはなんたる屈辱!! モヤモヤ発散の為、夜遅くまで爽やか男子をあれこれ調べてやったというに」
爽やか男子……がっつき男子にしかみえないわね。しかも、もやもや発散の為にやったとかいわれても嬉しくない。
「そもそも貴様が、生理的に受け受けない輩と結婚させられると言うから心」
「心配?」
もしかして私を心配して、がっつき……じゃなかった爽やか男子に?
「違うわっ! このワタシの圧倒的美しさを見せつけ絶望させる為にきまっておろう。他人の不幸の蜜ほど旨いものはないぞ。ふはははははははははははっ」
「……」
やっぱり、アイムだわ。
無視して先に歩き始めたら、プンスカ怒られてしまった。
そんなこんなで実家に到着したのはいいのだけど、目の前の扉が精神的に重い。横開きの純和風な作りの扉がオール鉄製に見えてくる。
「どうした? 開けんのか?」
「あける……わよ」
ガラガラガラ。
ゴクリとつばを飲み込み、我が家の扉を開けると
「久美ちゃんは渡さん! 死ねや! ごらぁぁぁぁぁ!」
甲冑の鎧男が突然、アイムの喉元に槍を突き出してきた。が、アイムはニヤリと笑うと、いとも簡単に槍の刃の部分を、玩具の様にぐにゃっと曲げてしまった。何とも恐ろしい。あの力業で責められたら、私など簡単にやられるのではないかしら?
「鎧男よ! さては生理的に受け付けんとはお前か? このワタシに攻撃をしかけてくるとは、良い度胸だ。死ね」
「まってそれ父様だから!」
「は?……」
アイムの手がピタリと止まる。
危ない。もう少しで父までぐにゃっとなる所だったわ。父も父だ。相手がアイムでなければ死傷事件になっていたわよ。
「久美ちゃん……パパは生理的に無理って本当なの?」
父が鎧兜のなかで、ふごーふごーと鼻息荒くしながら泣いている。だが、この場面で、最初に言うセリフがそれでいいの?
「父様の事じゃないわ。あと、この人が私の婚約者なの。一応、乱暴はしないで」
「はじめまして。わたくしは久美さんとお付き合いさせていただいております、猫宮アイルと申します」
先程の悪人めいた顔から一転して、キラキラスマイルで父に微笑むアイム。死ねとか言っちゃったし、いまさら猫かぶっても意味ないと思うけど。
「あぁ、はじめまして久美の父です。趣味で毎日鎧兜をかぶって槍の練習でしてな。死ねやごらぁぁは日本の伝統的掛け声でして」
「それは勇ましくて素敵ですね。わたくしときたら、緊張してしまって、ヨイドキョウダシーネと、つい母国語でこんにちはと、ご挨拶をしてしまいました」
ははははっと父とアイムが互いに笑いあっている。二人ともさっきの事をなかったことにしようと必死ね。槍の言い訳といい母国語の言い訳といい、無理な設定だけど。
だが妙ね。母が見当たらない。てっきり真っ先に来るものだと思っていたのに。
「貴様 なんだかいい匂いがするぞ。貴様の料理と違ってこれは期待できそうだ」
「え? ああ、そういえば」
昼時だ。なるほど、台所にいるのね。母なりにもてなそうとしてくれてるのかもしれない。赤飯とか焚いてないといいけど。食中毒事件になりそうだし。
鎧姿のままの父に奥座敷へと案内され、ふすまを開けると
「あらぁ、いらっしゃい」
着物姿の母が、ばっちりメイクして座っていた。あら? 料理していたのではないの?
「母様……久しぶり」
「久しぶりねぇ。この人が久美ちゃんの婚約者さんなのね。あらぁ、あらあらあら、ま~~」
母がアイムの周囲をぐるぐると回っては、ミーハー女子高生みたいにキャーキャー言っている。さすがのアイムも母のミーハーぶりに若干ひいているのか黙ったままだ。父も父で、そんな母をおろろと見るばかりで止めてもくれない。
「超イケメンじゃない! 見たところ久美ちゃんより年下かしらぁ~。しかもこの筋肉の付き具合……そそるわぁ」
アイムが母の熱視線にぶるぶると肩を震わせている。やばい……あれは本気で怖がっている。
「それでぇ? 久美のどこが好きなの? 」
「そ、れは」
やめてあげて、なんかよくわからんがアイムのHPが視覚的に0よ。
「母様、アイルが緊張してる(というか怯えている)から」
「そっ、そうだよ母~さん。この人、刃物を……」
「二人ともおだまり! 父さんもなんですかその恰好は? 兜ぐらい脱いだらどうなの?」
「諸事情によりそれは出来ぬ。槍とかでついちゃったし、顔バレ怖い。マジ怖い」
「……。それより久美ちゃん、まさか偽装の婚約者じゃないでしょうね? こんなイケメンだし疑わしいわ」
鋭い。そしてサラリと父の事は流したわね、母。
「彼は本当に、私の婚約者です。同棲もしてるっていったじゃない。ねぇ~?」
ばれてたまるかと、アイムの腕に手を絡ませたら、アイムの顔が真っ赤になった。上手いわ、アイム。
「あらら、初な反応ねぇ。ふ~ん、どうやら今回は本当みたいね。偽装だと思っていたから、壮ちゃんも呼んで準備万端にしてしまったじゃない」
………な ん で す って??
「お義母さん、久美、あと……まぁいいや。そこをどいてくれないかな? 鍋をちゃぶ台に置きたいんだけど?」
テノール調の柔らかな声が背後から突き刺さる。
奴は……まさか。
「壮士……」
「やぁ、久美、久しぶり」
振り向くと、聖人君子の如くにっこりとほほ笑む、生理的に受け付けないあいつがそこにいた。
その後、タノシイお鍋会が開催され、私もアイムもげっそりになってしまうのだが。それはまた別のお話。
お読みいただきありがとうございました。