前日譚
その辞令は
左遷か、栄転かーー。
辞令
広報部第一広報課主任
弔野 ゆめ 殿
現世時刻2018年07月01日付で広報部第一広報課主任の命を解き、
同日をもって広報部現世広報課課長に命ずる。
一会誘魄死神結社 社長
朝出社したら、机の上に置かれていた1通の辞令。
読み終えた次の瞬間、辞令を握りしめた弔野ゆめの姿は、社長室にあった。
「社長これは一体何事ですか!!!」
握りしめ、シワのついた辞令を広げて突き付けながら、緩慢な動作で書類に万年筆を走らせる社長に詰め寄る。
「ああ、弔野ちゃん。よかった、丁度話に行こうと思ってたんだよ。わざわざ足を運ばせちゃってごめんね」
社長は万年筆を置くと、背もたれと肘掛けが窮屈そうな革張りの椅子から、小太りの身体を持ち上げた。
「まずは、改めて栄転おめでとう、弔野ちゃん。
君には期待してるからね。きっと新設した現世広報課でも活躍してくれると信じてるよ」
笑顔で右手を差し出す社長。弔野は辞表のしわを伸ばし、丁寧に畳んでから、渋々と、長い袖を捲って握手に応じる。
「まあ、ありがとうございます。……ではなくてですね、何ですかその、新設した?現世広報課って」
「あー、それね」
固く握られた手を半ば振りほどくようにして握手を解き、先の問いを持ちかける。
社長は特に気に留めた様子もなく、再び椅子の中に収まった。
「昨日の夜思い付いてさ。うちの結社ってさ、業績は悪くないけど、新規の受注が伸び悩んでるじゃない?
それで、どうしようかなって考えてたんだけど……。この前行ったセミナーで、「今後は、現世での知名度が高い結社ほど閻魔結社からの受注も増える!」って言われたのを思い出して、じゃあ現世広報にも力を入れてみようかなって。
思い立ったが吉日ってことで、とりあえずうちの結社でも課を立ち上げて、それで、蝶野ちゃんを課長に任命したというわけ」
一会誘魄死神結社。
現世と常世の狭間の世界、人間たちが考えた、空想の生物や神聖な存在たちの息づく世界、間世に生きる死神たちが集う、死神結社のひとつであり、弔野の所属する場でもある。
死神結社は、同じく間世で、人間の魂魄に裁きを下すことを生業とする閻魔の集いである閻魔結社から、現世の人間の魂魄を、間世へと誘導する、誘魄という仕事を受注している。
死神社会の中で、結社という文化が生まれてから日は浅い。魂魄を誘導する誘魄士の資格を個人で取り、個人で閻魔から仕事を受ける死神も未だ多いが、近年では結社を組むことの利点が多く取り沙汰されるようになり、黎明期には片手で数えられるほどだった結社の数は、数百まで膨らんでいる。
黎明期から存続してきた一会誘魄死神結社は、初期からの継続的な受注こそあれ、並みいる競合他社が増えたことにより、新規の受注が伸び悩んでいるのであった。
「はあ……、事情は分かりました。それで、具体的には何をする予定なんですか?現世広報って」
「それは自分で考えてよ、課長。現世諜報部に問い合わせるとかさ。一応そっちの部長にも連絡はしてあるから。
とりあえず、現世でのうちの結社の知名度が上がるなら、なんでも好きにやっていいよ」
無計画な社長の態度に、弔野は心の中で拳を握り締める。
わずかに込み上げた怒りを抑えながら、口を開く。
「……わかりました。できる限りは、やってみます。
それで、現世広報課の人員と予算は、どうなってます?」
「それなんだけどねー……ええっと」
言葉の端が濁り始める。
「現世広報課のメンバーは……今、広報部で手の空いてる人が居ないから、とりあえずは弔野ちゃんひとり。予算も……ほら、期の途中だからうまく配分できなくてさー。最初はなしって言ったら、怒る……?」
「…………!!?」
何を言われているのか理解するのに、少しの間があって。
「……は?
それって、ひとつの課として成り立ってるって言えます!?それなら私は第一広報課のままでよかったと思うのですが!部下のひとりもなくて何が課長、栄転ですか!その上予算はゼロなんて、寝言は寝ながら言ってください!!」
心の中で握りしめた拳を振り下ろさなかったことが奇跡だ。
「いや、いや、怒りはごもっともだよ!
でも、もし上手くいけば次期の予算も給与も、もちろん弾むし、現世広報を名乗るからには、現世視察だってもちろんお願いすることになるよ!ね?
弔野ちゃん誘魄士の資格返納しちゃったじゃない、こんな機会じゃないと現世行けないでしょ。気にならない?最近の現世」
現世視察。
誘魄以外の仕事に従事する死神に、現世を訪れる機会など滅多にない。
かつては誘魄士として現世に赴く事も多かった弔野だが、自ら誘魄士を辞した今では、全く機会に恵まれなかった。間世と比べて娯楽も多く、めまぐるしい変化を見せる現世。行きたいかと問われれば、当然答えは「はい」である。
弔野の目の色が変わった。
「社長……。それは本当ですか ?私言質取りましたよね今」
「まあ、無条件にとは言わないけどねー。はいこれ」
社長は1枚の紙を弔野に手渡した。
「なんです?これ。……ええっと
一会誘魄死神結社、現世での知名度向上計画!
目的、現世での当結社の知名度を向上させ、閻魔結社からの受注を増やす。
第一目標、現世の時間換算で、6カ月以内で500人に当結社の名を知らしめる。
第一目標を達成した場合、広報の質の更なる向上のため、現世広報課を、現世時間7日間の現世視察に派遣する。
第一目標が達成できなかった場合、
速やかに現世広報課を廃する……?
え、ということは、もし目標達成できなかったら私……」
先程までの昂りが一瞬にして冷める。
「うん、そうだね。第一広報課で主任に戻ってもらう予定だよ。役職的には左遷ってことになるかな」
人員1名。
予算0。
計画性ナシ。
かくして、一会誘魄死神結社広報部現世広報課課長、弔野ゆめの苦悩の日々は始まるのであった。