おっさんが憑依したので、妻と娘に気付かれないように父親を演じることにする
今日も終電間近まで会社で残業をした帰りだった。
毎日が残業で給料もそんなによくない。
家に帰って寝て起きたら出社の毎日の中で、数少ない休日も大抵は、酒を飲んでゴロゴロ過ごす。
そのために少ない給料は、趣味らしいことに当てることができず、少ないながらも蓄えることができた。
「はぁ、ダルい」
毎日の繰り返しで終電間際の電車では、ぐったりする。
これから帰りにコンビニに寄ってからアパートに帰宅する予定だ。
「仕事辞めたいなぁ」
そうは言っても30半ばで結婚もできず、低賃金で流されるままの俺は、きっと死ぬまでこのままなのだろう。
意志薄弱と言うべきか、転職や賃金交渉するのが面倒という惰性っぷりだ。
最近の楽しみは、通勤の電車内でタブレットで見るネット小説くらいだろう。
異世界への転生して前世と決別して活躍する。
冒険者パーティーから追放されてからの理想の生活を手に入れる。
そんな小説をただただ消費している。
明日は、お気に入りの作品は更新されているだろうか、と思いながらアパートの帰路にある信号機に差し掛かった。
そこで猛スピードで走ってくるトラックを見て、残業で疲れた頭が現実を受け入れるのを拒否して思わず足を止めてしまう。
そんな私目掛けて、トラックが真っ直ぐ駆け抜けて、激しい痛みと共に意識がブツンと途切れる。
「――っ!? いってぇぇ!」
俺は、トラックに衝突した衝撃で意識を飛ばした後、目を覚ます。
辺りを見回すと何故か崖下に落ちており、私の体は、地に塗れている。
頭からは固まった血を流し、胸は三本線の引っ掻き傷、右足は骨折したのか変な方向に曲がっている。
「はぁ、はぁ……どうなってるんだ? 生きてるのか?」
確か、トラックに引かれたはずが、服装自体も荒い肌触りの布と毛皮のベストに変わっている。
そして、身動きした際に見えた崖下に溜まる水溜まりを見て、俺は悟る。
「あははっ、嘘だろ。俺じゃない」
水溜まりに移るのは、茶髪に茶色い目をした白人っぽい人種の成人男性の顔だ。
だが、その人間は紛れもない今の俺だ。
体の痛みに何度か浅い息を繰り返し、崖を背にするように寄り掛かり、考えを整理する。
「……普通は、子どもとかだろ」
俺の読むネット小説にある転生の中にも似たような状況がある。
だが、それは大抵が幼少期や少年期に記憶を取り戻したり、死んだ現地人の肉体に精神が憑依するという形を取られる。
「まさか、成人男性からスタートからかよ。ふははっ……」
確かに残業の多いブラック企業から逃げるために転生を望んだことはないわけじゃない。
だが、まさか見知らぬ男の体に乗り移るとは思わず、乾いた笑いを浮かべる。
「おーい、アラン! 大丈夫か!」
崖上から誰かが見下ろしてくるので顔を僅かに上げる。
どうやらこの体の主は、アランというらしい。
「大丈夫、じゃない。動けない」
「今助けるぞ!」
そして、何人もの男が集まり、ロープを使って引き上げてくれるのだ。
その際、助けてくれた男たちは皆、狩人のような格好や道具を持っている。
アランである自分の体もそれなりに引き締まった体をしているので、きっと同じ狩人なんだろう。
ただ、アランとしての記憶がないので、どう立ち回ればいいか分からない。
「ほら、もう大丈夫だ。教会の神父様が治して下さる」
「ああ、歩けないのは辛い」
「お前は、勇敢だったぞ。新人の狩人を逃がすために、フォレストベアに立ち向かって時間を稼いだ!」
そう言って、何本もの矢が刺さったクマの死体を見せてくれる。
どうやらアランは、自己犠牲で時間を稼ぎ、フォレストベアと対峙した際に崖から落下して死んだのかもしれない。
「無茶しすぎだ。もしお前が死んだら、エリンちゃんやサーシャちゃんが悲しむだろ」
「エリン……サーシャ?」
「おいおい、忘れたのかよ。大事な嫁さんと娘だろ」
どうやらアランには、妻と娘が既にいるようだ。
その事実を知った俺は、様々なことを考えた。
異世界に転生したのなら、チート能力で自由気ままに生きる。
例え成人男性に憑依した状態で始まっても、チート能力さえあれば、残りの人生は楽しく暮らせる。
適当な理由で村で知識を蓄えたら旅に出て、ハーレムでも築いて素敵に面白く暮らすんだ。
そう漠然とした思いを妨げるアランの妻エリンと娘のサーシャ。
俺の心の中でそんな見ず知らずの邪魔者は捨てて旅に出ろ、と囁くが、それは鬼畜外道の所業ではないだろうか。
こんな面倒な状況に転生させたあったことのない神を罵倒しつつ、教会に運ばれ、治療された。
教会の神父は、治癒魔法を使えるらしく、体の傷や怪我、骨折などは治された。
だが、骨折の際の熱などは引かず、表面上だけなので様子見として俺は、一日教会に泊まることになる。
「アラン! 大丈夫!? 崖から落ちたって聞いたわ!」
「おとーしゃん、だいじょうぶ?」
教会のベッドに寝かされた俺の元に、金髪の美女と同じく金髪の三歳くらいの子どもが訪れた。
「……エリン? サーシャ?」
「ええ、そうよ! 崖から落ちて運び込まれたって聞いて心配したわ!」
「……すまない」
「おとーしゃん、どこもいたくない?」
「ああ、大丈夫だよ」
心配したアランの妻のエリンとサーシャの頭を撫で、痛む体に顔を顰める。
「エリンさん、サーシャちゃん。今はもう大丈夫ですが、体調を見るために教会で一日預かります」
「すみません。でも、アランが無事でよかったわ」
「おとーしゃん。バイバイ、またあした」
「ああ、また明日」
俺は、エリンとサーシャに別れの挨拶をして再びベッドに横になり考えに耽る。
「俺は、なんてことを考えていたんだ」
異世界転生して楽しむために、アランの妻と娘を捨てろだと!? 中身が違うがアランを心の底から心配する人間を捨てて自分だけ自由に生きるなどできるわけがない。
それに、あんな幼い女の子を抱える捨てられた女性の人生を考えたら、とてもでないが、そんな身勝手な行動は取れない。
この体の持ち主であるアランは、妻子から信頼されている様子を体験してアランという人間が眩しく感じる。
「俺は、あの妻子の夫を奪ったのか?」
そんな罪悪感が頭を過ぎり、その日は中々寝付けなかった。
そして翌朝退院して家に帰る前に、教会の礼拝室でこの世界の神像に祈り、自分の考えを整理する。
(アランは死んで俺がアランの体に憑依した。だが、アランには愛すべき妻子が残されている。ならば、俺がアランのふりをして二人を守っていこう)
転生特典のチート能力はよくわからない。
だが、前世と同じように状況に流されたまま、アランという役割を演じるのだ。
そう心に決めて、俺は教会の外に出る。
「アラン。迎えに来ましたよ」
「おとーしゃん、おからだ、だいじょうぶ? おうちかえってやすもう」
教会の前では妻のエリンと娘のサーシャが待っていた。
「ありがとう、すまないな。俺たちの家に帰ろうか」
そうしてアランを演じる俺は、エリンとサーシャを欺して三人で生活することになる。
俺は、アランとして演じるが日々の生活には戸惑うばかりだ。
一日の予定がまず分からない。
アランは、どんな日常を過ごしているのか分からず、不信に思われないように怪我による体調不良を装って寝坊をして、慌てて朝食を食べながらエリンに話を振る。
同じ狩人仲間には、崖から落ちた時に記憶が飛んだことを話し、エリンとサーシャには不安を与えたくないと言って普段のアランの様子を聞き出した。
それから狩人の仕事だが、アランの記憶はないが技術が体で覚えているのか、弓矢を引くのは問題なかったのは僥倖だ。
ただ、罠の作り方の知識がない俺は、記憶の欠落という理由で新人と共に学び直し、転生前の地球の知識が役立たないか色々と考えたり、仲間内で談笑ついでに話したりして狩りが少し楽になった。
それから日常で困ったことは、アランは夜に妻のエリンから僅かなお金をもらい酒場に繰り出していたらしいが、この村の酒は温いエールで地球のビールの味と喉越しを比較して飲めなくなってしまった。
それ以来は、自主的に酒場に寄ることはなくなった。
その突然の行動の変化の理由としては、一度崖から落ちて死にかけたから何時死ぬか分からないから妻子の傍に居たい、ということを言った。
次に困ったことは、存命しているアランの両親と兄弟についてだ。
その記憶もなく、エリンとサーシャ以上に俺がアランではないと気付く可能性のある人物だ。
そのために、家族の交流の際には、サーシャの子育てについてこれから困ることがある時の参考としてアランの子ども時代を尋ねて聞いた。
そして分かったのは、エリンとは幼馴染みの関係でそこから結婚したとのことだ。
子ども時代の二人の秘密などがあった場合には、非常に危うそうだ、と感じエリンとの会話の端々からそれっぽい会話の時は――「ああ、そういうこともあったな」と言葉を濁す。
それが俺の照れ隠しのように見えたのかエリンはいつもニコニコと楽しそうに微笑み、俺はアランではないので気まずさを覚える。
最後に困ったことは、エリンとの夜の生活についてだ。
正直、アランとエリンがどのような子作りをしていたかよく分からない。
そして、俺の体は健全な成人男性のために性欲に負けてエリンと一夜を過ごした。
俺は、30代半ばまで童貞だったが知識として知ってるエロテクでエリンとの一夜を過ごしたら、エリンから怒られた。
今までの夜のあれこれとまるで違うことに不信感を抱かれたので、狩人の既婚者や冒険者として町に出て娼館などに寄った男たちの話からそういうものがあるらしい、と話した。
実際、狩りの休憩の合間に男同士の下ネタトークはあるので嘘ではない。
今までのアランは、非常に激しく自分本位な夜の生活らしく、今回の変化はエリン自身戸惑ったようだが、優しくて気持ちよかったのでエリン好みだったらしい。
優しくて良かったと言うが、初めての行為に臆病になっていたとも言える。
それにアランの妻を抱く、という行為は、一種の寝取りではないか、と考えたが未亡人と変わらないと思い、寧ろ金髪美人を抱ける快楽に負けてその時だけはアランを演じると言うのを忘れるようになる。
そして、やることをやれば、エリンに子どもができる。
もちろん、アランの肉体に憑依した後の俺との子どもだが、初めての子どもだ。
サーシャは、なんだか連れ子と言った感覚でエリンとの間に生まれる第二子と平等に愛せるか、など色々と心配になる。
そのために、サーシャと共に二児の父になるには、姉になるには、など色々なことを話しあった。
ただ、お姉ちゃんだから、と言う理由でサーシャに我慢させないようになど色々考えたり、妻のエリンの負担を減らすように、色々と身の回りの手伝いをする。
だが、男の俺では頼りないのか、前回同様(サーシャの出産時)に近所にするアランの兄弟の嫁が手伝いをしてくれた。
そうして慌ただしい日々を過ごしていると、いつの間にかエリンの出産となり、俺はただサーシャと共に心配しながら待つだけだった。
そして、女の子が生まれ、サーシャはお姉ちゃんになり、家族が四人になった。
その頃には、エリンとサーシャにとても愛着というか愛情を抱くようになり、前世では夢見た結婚して子どもを作るは、最初から達成されていたのだ、という気になる。
もしも、崖から落ちた後、二人を置き去りにして村を飛び出したらこの幸せを味わうことができなかっただろう。
アランという人間を演じている俺は、ごく自然にアランになれていると思う。
エリンとサーシャ、そして新しい家族のリーシャと共に穏やかに暮らす。
子どもが教会の学び屋に行くようになれば、俺も欠落した知識を補うためにサーシャやリーシャの勉強について聞き、父としての威厳を保つという名目で学ぶ。
そうしてサーシャやリーシャが大きくなり、二人への愛情は差をなく与え続けたので何故か二人ともファザコンになってしまった。
それでもそんな娘たちにも恋人ができて、寂しさにエリンに慰めてもらった。
時が経ち、アランの両親が亡くなる。
俺は、アランではなく両親の記憶はないが、村社会と言うことで両親に助けられていたために涙を流した。
両親の見送りの場でアランの子どもの頃の両親のエピソードを話せなかったのは悲しかった。
俺の体も衰え狩人として引退するようになり、村で畑を耕すようになる。
狩人時代から前世の知識を思い付きのような形で提供していた俺は、少しずつだが村が豊かになっていたが、畑をするのは手探りだった。
家を守り、昼間は畑仕事をしていたエリンに色々と教わりながら、小麦を育てる。
そんなエリンとの共同作業は、年老いて皺が目立ち始めても美しい妻にやはり惚れているのだと思う。
そしてアランとなった俺は、娘を嫁に出し、エリンとの穏やかな日々を過ごしそして老衰した。
最後の最後までエリンとサーシャ、周りに人たちには俺がアランではないことを欺し通せたことを満足する。
「エリン……愛しているよ」
「ええ、私もよ」
年老いて、畑仕事でシミのある皺だらけの手が優しく俺の手を包み込み、息を引き取る。
とある村では、一人の青年が常に酒場で語り継がれている。
その青年の名前は、アラン。
勇敢さを持つ村一番の狩人。
美しい妻とその子どもを愛する愛妻家。
様々な自然や経験から村を豊かにする知識を見つける知恵者。
成人しても子どもと共に様々なことを学ぶ探求者。
両親や兄弟、その配偶者にも配慮を欠かさない孝行者。
休みには、教会に赴き神像に向かって祈りを捧げる信仰者。
晩年には、多くの人に慕われ、頼られた年長者。
人生の様々な場面で人としてのお手本のように語られる彼。
実は、アランという男の人生を騙っていたのは、誰一人として気付かれることは無かった。
昔、ウルトラマンで事故で地球人を殺してしまった宇宙人が、その地球人になりかわりその人間を演じるというお話を思い出し、なろうらしい雰囲気や設定で作りました。