2
あぁ、今でも覚えている。
じんわりと体が暖かくなってくのを。ぼんやりと意識が遠のいていくのを。
そして、目の前に迫る『死』を。
痛みなんて忘れる『死 』の恐怖を味わった。
辛いのは嫌いだ。痛いのは嫌いだ。怖いのなんてもっと嫌いだ。
だから…。
「え、えぐっ!ご、ごはっ!
ち、ぢぐしよー、ふざけるな!おれがァ!俺が何をしたァァァァァ?!!!?」
きっかけはなんて事はない。大学の講義でたまたま近くにいて少し話した男がいた。それを見てその男が好きなメンヘラ女が俺に嫉妬して、帰り道にナイフを突きつけられて殺された。
あぁ、馬鹿みたいな理由だ。俺の人生はいつからコメディーになったんだ。
「俺の人生がァ!幸福な未来がァ!!なんで!なんで俺かぁ!かハッ!
ヒーァァァ、くっ!うっ、ぐ、うぅ。
ごロス!殺してやる!!ぞうた!オレ!ハ、ごうふく、に!なるんだ!!」
例え、どんな事情が、どんな理由があるにせよ。俺は俺の身に降りかかる不幸を許さない。
俺はそう誓いながら意識を手放した。
◆◆◆
「チャンス、欲しいかい?」
「は?」
そこは和室だった。畳から香るイグサの匂いと心を癒してくれる茶の匂い。
そんな部屋の中で、俺の目の前に座るのは白髪を腰ほどまで伸ばした男だった。顔の作りは西洋風、目は碧眼で十人いたら男女問わず振り返るほどのイケメンだ。
「あ、え、は?」
なぜ自分がここにいるのか、目の前の男は誰なのか。頭がこんがらがって、馬鹿みたいな音しか出ない。
「混乱しているね。まぁ、少し落ち着きなよ」
そう言って男はお茶を渡してくる。
わけがわからない。そんな中、俺は言われた通りにお茶を飲む。暑くもなく、冷たくもない暖かい苦味を舌で感じながら、喉へと流し込む。
「うん、少し落ち着いたようだね。
君はここに来る前のことを覚えているかい?」
「ここに、来る前…」
雨とナイフと血と。
あぁ、だんだん思い出してきた。
「あ、あのクソ女!!アイツがァ!アイツが俺を!
勝手な勘違いで人を殺しやがって!!」
何もできなかった。俺ができたのはただ口の中に溢れる血を吐き出しながら、呪詛を叫び相手を呪うことだけだった。
「僕は君に、チャンスを与えることができる」
「チャンス、だと…」
歯を食いしばり、肌に爪がめり込むほど握られた手が少し緩む。
「あぁ、そうだ。それが今君がここにいる理由でもある」
ここにいる理由。
そこで初めて俺はここに存在している自分に疑問を持った。俺は死んだはずだ。あのクソ女に殺されて。
「思い出したかな。
さて、この話をするためには先ず僕の存在を伝えなければならないね。
聞いて驚くなかれ、僕は君達人間でいうところによる神のような存在さ」
「は?」
あまりに突拍子もない話で目が点になってしまった。
神、神とはどういうことだろうか。いや、しかし本当に神なら俺を生き返らせることもできるだろう。そうすれば先程のチャンスという言葉も納得できる。
「お、けっこう冷静じゃないか。
まぁでも、君の考えていることは恐らく不正解だ。僕達は人間を生き返らせることなんてできない」
「神なのにできないのか?」
俺はだんだん頭に血が上っていくのを感じる。何故できないんだ。あのクソ女に復讐するチャンスをくれるんじゃないのかと頭に言葉が浮かぶが、すぐに頭を冷やして冷静にする。
この人に怒るのは違うだろう。
「うん、やはり君は冷静だね。
…だからこそ、感情に支配されにくく、感情を爆発させることができる」
「感情?支配?」
「いや、なんでもないさ。
そうだね、君を生き返らせることだけど、僕は君達が考えているほど万能じゃないんだ。
僕達がやっていることは魂の管理だ。魂は有限でね。なるべく減らすことなく、転生を繰り返して魂の寿命を引き伸ばすことが僕達の仕事なわけだ。
まぁ、そこらへんの魂云々の話は置いておこう。
重要なのはね。ある世界で起こっている魂を消滅させる魔王のことだ」
「ま、魔王?」
なんだ?ゲームの話だろうか?
いや、この期に及んで、そんな事はないだろう。
俺は大きく息を吸いこんで冷静さを取り戻し話を聞く。嘘だったらぶん殴ろう。
「ハハハ。め、目が怖いね。
えーと、僕達は魂の寿命を引き伸ばすことが仕事だと言ったと思うけど、そもそも魂ってのは高次元の神だけが作れるものでね。そう易々と作ることはできないんだ。でも世界を保つためには魂が必要で、だから転生という形で魂を循環させて引き伸ばそうとしている。
そんな時、ある世界で厄介なことが起きた。
魂を消滅させることのできる能力を持つ存在が現れた。これは我々の魂の管理者にとってとんでもない厄災だ。だから、僕達管理者は他の世界から魂に細工をして持ってくる。
細工ってのはつまり、魂に力を宿すって事だ。魔王を倒せるだけの力を渡すためにね」
管理者を名乗る男は、そこで一旦話を区切ってお茶を飲む。一息付いたところで管理者の男はこちらを見る。
「そこで、君の出番なわけだ。君の魂に力を宿して転生させ、魔王を倒してもらいたい。
もちろん、君の復讐のことも考えて、君の復讐相手も異世界へと送る。転生という形ではなく、転移という形でね。
この方法をとっている管理者は僕も含めて五人、そして異世界へ送るという手段はそう何度も使えないから、一人の管理者につき五人転生させることができる。これ以上増やすと世界のバランスを保っている管理者から苦情がくるからね。無理に増やすと世界が崩壊しかねない。
それでだ。僕は君をサポーターとして送る」
「サポーター?」
「あぁ、だって転移させたところで彼らには衣食住もないだろう?だから死んだ魂を先に転生させて君が死んだ年齢に合わせて送るんだ。
そうだねぇ。君は二十歳で死んだから、君が転生して二十年後に異世界人が送られてくるようにする。
その間に君はその世界の事を知って、異世界人がそこで暮らしていける受け皿を作る。まぁ、サポーターは僕も含めた管理者五人が、選んだ五人の中から一人選出するわけだから君以外にもあと五人いる」
「ややこやしいなぁ。
整理すると、管理者は五人、管理者が異世界へ人を送る人数が五人で、その中からそれぞれの管理者が一人サポーターとして死んだ魂を先に異世界に送る」
「あぁ。まぁ、君以外にも4人いるんだ。どういう形であれ受け皿があれば君が送られてくる異世界人をサポートする必要はないよ」
「そうか…。
お前が選んだほか四人の人間は誰なんだ?」
「そうだね。他の管理者のことは知らないけど一応僕が送る人間を話しておこう。
一人は君の復讐相手である桜木舞子
二人目はアイドルと遜色無いほどの顔とスター性を持つ男。桐谷零時
三人目はどこにでもいる普通の高校生犀川透
四人目は神社で巫女をしている松姫凛」
「どう選出したんだよ」
適当に選んだ感がすごいな。
「まぁ、管理者は人間に平等とかいうよくわからない暗黙の了解があってね。選出方法は完全なランダムだ。といっても桜木舞子に関しては君を迎え入れるために無理矢理ぶっ込んだ」
「…聞きたかったんだが、なんで俺にだけそんなに肩入れするんだ?」
コイツは管理者として、ほかの世界で起きている厄災を止めようとしている。なのに何故そこまで俺に肩入れするのか、俺にはそれがわからなかった。
「君に、やってほしい事があるから、かな?」
「やってほしい事?なんなんだ?」
「それは言えない」
「はぁ?!」
「管理者として言っちゃいけないんだ。
でも君にやってほしいことがある」
「どういうことだよ」
わけがわからん。やってほしいことがあるのに、言えないってどういうことだ?
でも男は辛そうな顔をしている。喉元に来る言葉を押し殺すように。
「あんたが何を考え、なんで俺にそんなに肩入れするのかはわからない。
でも、俺はあんたに救われた。あんたにチャンスを貰った。あんたが望む行動をしよう」
「ありがとう」
男は安心したようにうなづいて、お茶を飲む。
「よし、とりあえず僕の目的について考えて行動してみてくれ。もちろん、なんの情報も与えてないんだ。失敗したからといってお咎めはないよ」
「わかった」
「よし、それじゃあ君を異世界に送ろうと思う。魂を天界に留めておく事は難しいんだ。あんまり長いと消滅してしまうかもしれないからね」
そう言った後、管理者の男は少し考えるようにしてからこちらに目を向ける。
「うーん、これはただの興味本位で聞くんだけど、なんでそんなに彼女を恨んでいるのかな?
いや、殺されたんだから恨むのは当然かもしれないけど、君の資料を見る限り、どうもね。恨み辛みを溜め込む人には思えなかったからさ」
なぜ恨むのか。
なんだ、そんな事か。妙に深刻そうな顔をするからコチラも身構えてしまった。
「確かに、昔の俺は死ぬ事なんてなんとも思ってなかった。ただ平凡に時間が過ぎて、ただ平凡な毎日を生きることが当たり前で、そんな日常が、俺は大嫌いだった。
でも、ある時に考えが変わった。
今、この日常がつまらないのは、俺が幸福じゃないからだって。幸福になれば、俺は人生を楽しく生きることができるんじゃないかって。
この灰色の風景に、色を染めることができるんじゃないかって…」
幸福になることは俺の人生の全てになった。
そんな俺の人生を、幸福を奪ったクソ女を俺は許さない。
俺はそう決めた。あのクソ女を殺さない限り、俺は幸福になる事ができず、この灰色の景色に色を塗ることはできない。
「……よしわかった!
うん、いいね。合格だ。君を異世界に送る。魂に宿す能力は向こうに行ってから確認してくれ。僕達神には色々と制限があってね。教えることができない。その宿した力を発揮できるかは君次第になる」
「あぁ、構わない」
「よしきた!
それじゃあ、すぐに準備をしよう。魂と体は二つで一つ、どちらかが欠ければ存在することのできない代物だ。君は今体を失くした魂だけの状態だからね。そろそろ消えちゃうかもだし急ごう」
消えるって、そんなに切羽詰まってたのかよ。
俺は内心ツッコミながら、立ち上がって管理者の前に立つ。
管理者は右手を光らせて、俺の額にかざす。
「さぁ、行くよ!
世界ネラゼラ!魔法という君にとっては摩訶不思議な力が存在する世界。そこで君は、魂に力を宿して転生することになる。目的は魂を消滅させる能力を持つ魔王を打ち倒すためだ。この問題に取り組んでいるのは僕達じゃなくて他の管理者達も同様だ。君と同じように異世界に召喚された人達と力を合わせて討伐してくれ!!
それじゃあ、行ってらっしゃい!」
「あぁ、ありがとう。チャンスをくれて」
「気にする事はないよ」
そう言って俺は光に包まれて、眠るように意識を手放した。
和室の中で一人になった管理者は目を細めて、消えて誰もいなくなった空間を見つける。
「魔王を倒す、ね。
頼んだよ、これは一か八かの賭けだけど。どうか、彼女を救ってほしい」