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彼女は生ける調味料だったようです。

第8話になります。

 ハーフエルフが鼻をズズッとすすった。


「どうしても、ダメなんですか?」

「かわいそうだとは思うが、ダメだ。こればかりはどうにもならない」


「弟子にすれば、毎晩どころか朝昼晩犯し三昧ですよ」

「そんなことは関係ない」


 ハーフエルフの目から大粒の涙がボロボロとこぼれた。

 涙は頬を伝い、顎から落ちて、テーブルを濡らした。

 彼女はグスグスと泣き続けた。

 やめてくれ、と思ったが、大声をあげて泣かれないだけまだマシかとあきらめた。


 なぐさめる言葉などない。

 相手が勝手にカン違いして、勝手に泣いているだけの話なのだ。


 ……………………

 ………………

 …………


 店主がおれだけのための塩漬け肉を運んできた。


 おれは目の前で泣いているハーフエルフなど、存在しないことにした。


 パンに肉を乗せ、辛子をたっぷり塗り、その上にパンを乗せた。

 そして、肉のはみ出たところにかぶりつく。


 肉のしょっぱすぎるくらいの塩味が、ずっしり重いパンに絶妙に合っていた。

 鼻孔の奥を貫く辛子の刺激もこたえられない。


 おれはようやく味わえた至福の一口を飲み込むと、間髪をおかずに次の一口をかじりとり……あっという間に喰い終わってしまった。

 お替りを頼まずにはいられなかった。


 店主が驚いた顔でおれを見た。

 それから、ハーフエルフを見て、わかったようにうなずいた。


「そりゃ精をつけなきゃな」


 何言ってんだ、オヤジ?


 店主の頭はおかしいが、ここの店はとても良い仕事をしている。

 塩漬け肉を出す店としては、おれが知る限りでも十本の指に入る。

 そのうち七軒まではもう、数世代前の店だから、現時点では世界最高だと言っても過言でない。


 それにしても、これだけの味を出す店を、どうして今まで知らなかったのだろう?

 たまたま飛び込んだ店が美味かったという経験なら、これまで何度もあった。

 だが、この店はそんなレベルじゃない。

 評判になって、行列ができて、わざわざ他国から食道楽が訪ねてくるぐらいの味だ。

 三百年、この世界でメシを喰い続けてきたおれが言うのだから間違いない。


 噂さえ聞いたことがないなんてどうしてだ?

 満席で、待っている客がずらっと並んでいてもおかしくないのに、テーブルは三分の一も埋まってない。


 何か変だ。


 店主がお替わりの皿と、先に頼んであったエールをようやく運んできた。


 エールなんて樽からジョッキへ注ぐだけなんだからもっと早く持って来られるはず。

 この店、味は申し分ないが、サービスに少々難ありか。

 ふん、☆を一つ減らしておこう。


 さて、さっきはあまりの美味さにほとんど飲むように食ってしまった。

 今度はゆっくり味わって食おうではないか。

 まずはエールで口の中をデフォルトに戻し、あらためて塩漬け肉の味に新鮮な衝撃を受けるとしよう。


 おれは、口唇に残った塩と脂を舐めとり、泡立つエールのジョッキを持ち上げた。


 うむ、この芳醇なポップの香り……。

 そろそろとジョッキの縁へ口を近づけた。


 一口飲んで、おれは愕然とした。


 鼻孔に馥郁と広がる香り、舌の隅々にまで心地よい苦味、喉にすっきりとしたキレ。

 こんなに美味いエールを飲んだことはなかった。


「おい、オヤジ、おまえんとこはたしかフッサールのとこからエールを卸しているんだよな。特級酒を買っているのか」

「皮肉はやめてくれよ。一番安いのに決まってるじゃないか」


 たしかにフッサールの蔵が造っているエールは美味い。

 この町でエールを飲むならフッサール一択だ。

 だが、ここまで美味くはない。

 これはフッサールのエールとは別物だ。


 どういうことだ?


 おれは周囲を見回した。

 どのテーブルの客も目を丸くしている。

 自分の食った物が信じられないのだ。


 これは何か特別なことが起きていると考えるべきだろう。

 店主が嘘をついているか、そうでなければ、おれのこの味覚が間違っている。


 おれの舌がおかしくなったというのか?

 個人的には、それはオーパーツのスマホどころの問題ではない!


 おれはおそるおそる塩漬け肉に手を伸ばした。


「あたし、もう行きますね、グスッ。助けてくれて、ありがとうございました」

 ハーフエルフの娘が立ち上がった。


「お、おう。気をつけてな」

 正直、娘のことなどどうでもよかった。そこにまだいたことさえ忘れていた。


 おれは去って行く娘へ、顔を上げることもなかった。

 目の前の塩漬け肉の方がずっと重要だった。

 ナイフで端を切り、その一片をナイフの先に突き刺して、顔の前へ持ち上げた。


 ゴクリ。

 つばを飲む。


 持ち上げた肉片の向こうに、ぶら下がった腿肉の間を出口へ向かうハーフエルフの影が見えた。


 おれの手は震えていた。

 肉片がプルプル揺れる。

 この一口はどんな味なのか?

 おれの舌はどうなっているのだろう?


 塩漬け肉を口唇の間に押し込んだ。

 奥歯でギュッと噛みしめる。

 たちまち押しよせる圧倒的な幸福感!

 舌から脳みそまでしびれさせる美味!

 気がつくと、おれは涙を流していた。

 

 くううっ! キミは塩漬け肉で泣いたことがあるか?

 笑うなよ。

 自分でも何を言っているのかわからないが、実際に体験してみなくちゃわからないことってのがあるんだよ。


 涙で滲んだ視界の端に、店を出て行くハーフエルフの姿が見えた。

 その瞬間だった。


 ん?

 フルカラーの写真が一瞬でモノクロ写真に変わってしまったようだった。

 おれの口の中にある物は、何かグニグニとした、ただ塩辛いだけの、得体の知れない物に変わってしまった。


 官能的な香りだったはずの匂いはただ臭いだけ。

 舌にとろける脂だった物は、ベタベタと口の中全体を粘りつかせていた。

 味とかそんなことを問題にする以前の代物。

 むしろ、吐き気すらもよおさせる。

 おれはたまらず足許へ吐き捨てた。


 それを見て、店主は怒るかと思ったら、満足そうにうなずいた。

 作った本人も納得の不味さかよ!


 おれの頭はこういうときだけ回転が速くなる仕組みだ。

 たちまち、わが身に起きた現象とその原因の因果関係を理解した。


 なぜあの娘がレストランの地下に閉じ込められていたのか?

 その答えは明らかだった。


 つまり、特殊能力だ。

 周囲の人間の味覚に働きかけ、どんなブタの餌も究極の美味に変えてしまう能力。


 そんな力を、あのハーフエルフの娘は持っていたのだ!

 あの娘こそ「生ける調味料リヴィングシーズニング」と言えよう。


 おれは店を飛び出した。

 辺りに娘の姿は見当たらなかった。


 おれは、数ブロックの範囲に、あのホコリっぽい娘の姿で検索をかけた。

 頭の中へ展開させたマップに、娘の位置がマーキングされる。


 おれは走り出した。

 いま見失ったら二度と会えないかもしれない。

 冗談じゃない!

 こんなとんでもない力を、みすみす見逃すなんてできるもんか。


 あの娘さえいれば、すべての食い物屋が☆☆☆だ。

 知らない土地へ行っても何も恐れることはない。

 わはははは。

 もう二度と、店の選択を間違えてどうしようもないクズ料理を食う羽目になることはなくなるのだ。

 まさに砂を噛むような思いをすることはなくなるわけだ。


 あ、おれ、今ウマいこと言った。


 娘の姿が見えた。

 彼女は市場を波止場の方に向かって歩いていた。

 呼び止めようと思ったが、まだ名前を聞いていなかった。


 おれは音速まで歩速を上げて、娘に追いついた。

 近くにいた者には、おれが瞬間的に消えて、また別の場所に現れたように見えたろう。


 ハーフエルフのホコリっぽい肩に手をかけた。


「待て」


 娘が振り返った。

 目に涙を浮かべておれを見た。


「おまえ……おまえを弟子にしてやる」


「ホント……ですか?」


「ああ、本当だ。弟子にしてやるから、おれについてこい」


 娘の顔に日がさしたように笑みが広がった。

 その笑みがだんだん不気味な感じになって――


「グフフ。さてはあたしの色香に惑わされましたね?」


 おれは首を振った。ちぎれそうなくらいブンブンと振った。

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