軟禁少女は逃亡しました。
第7話です。
おれはあんぐり口を開けて、娘を見つめた。
まさかこの娘の口から、あの名店の名前が出てくるとは思わなかった。
「八月軒」といえば、この町のみならず、この国を代表するレストランだ。
権威あるグルメ本のどれを見ても軒並み☆が三つ以上並ぶ。
高級レストランだけあって、鋳掛屋一日の収入では、スープ一杯飲めやしない。
もちろん、おれは、この町に来れば必ず一度は行っているけどな。
ポケット一杯の金貨が必要になるが、そんな物、おれはいくらでも空中から取り出せる。
管理人の役得だ。これくらい許してもらおう。
そして、この店の味には、行くたびに感激させられる。
しかも、長い歴史を持つ店であるにもかかわらず、最近またレベルを上げた。
もはや、この国随一どころか、世界最高の一店かも知れないのだよ。
そんな店から、どうしてこの娘がスカウトされたんだろう?
「あたしは魔法を習わせてもらえるならってことで働くことにしました」
「ほう、良かったじゃないか」
娘は首を振った。
「ぜんぜん」
「ぜんぜん?」
「あたし、だまされたんです。お店に連れて行かれて、あたしは地下室に放り込まれました。そこで二年間、来る日も来る日も、ご主人は嫌がるあたしに――」
おれはゴクリと唾を飲んだ。
「八月軒」の主人の顔はおれも知っている。
あの男がそんなクソ野郎だったとは――
「あいつに何をされたんだ?」
「毎日毎日、パンを捏ねさせられたんです!」
「ん、なんだって? 」
「ナンじゃありません。パンです」
「そう……パンをね」
「はい、捏ねさせられたんです」
「そっかー。パンをねえ、捏ねさせられちゃったんだ。うーん、おじさん、今の流行語に疎くってさあ、そのパンを捏ねさせられるってのは、何かな、エッチな意味とかあったりするわけ? 『どうだ、おれのバケットは太いだろう』みたいな?」
「は?」
「うん、そうだよね、は? だよね。わかる、わかるよ。つまり、キミはこの二年間ずっと休まずパンを捏ねていたと、そう言いたいわけね。捏ねて捏ねて二年間ね? 大変だったねえ。それで、焼くのはどうしてたの?」
「カマドは一階なんで。あたしは捏ねるだけです」
「あー、そーなんだー。焼くのは一階の仕事で、キミは捏ねるだけね。それは辛いねー。捏ねるだけだもんねー、そりゃキミだって少しは焼きたいよね?」
「いえ、べつに。焼きたくはないです」
「そっかー、焼きたくはないと。捏ねるだけで十分だと。なるほどなあ、食べる物も十分に与えられず、寝る間もなくパンを捏ねさせられていたわけだねえ」
「あ、ゴハンは三度三度いただきました。さすが高級レストランのまかないだけあって、とても美味しかったです。お店で出す新メニューも、これ今度出すんだけどちょっと試食してみてくれない? とかありましたからね。いやもう、食べ過ぎてちょっと太っちゃったかも、えへへ。それから、働いていたのは営業時間だけで、あとは何しててもいいよーって」
「ホワイトか、ブラックかって聞かれたら、そうだなー、ここの設定的にはホワイトのほうじゃないかなあ、と思うんだけど。何が不満?」
「何ですか、ここの設定って?」
「いや、いいんだ。こっちの話。聞かなかったことにして。だまされたって言ってたけど、どういうことよ?」
「だって、魔法を習わせてくれなかったんですよ。お給金だって住居費と食費を天引きされてスズメの涙だし、お買い物に行きたいなあって思っても、店の外は危ないから誰かと一緒じゃなきゃダメだって用心棒とかついてくるし。これじゃいつまで経っても、お母さんに会いに行けないじゃないですか」
「まあ、そのへんはアウトかもなあ。で、ここもやめたわけ?」
「ハイ、さっき、逃げ出してきました!」
ハーフエルフの娘は背筋をピンっと伸ばして、店中に聞こえる大きな声で答えた。
「はい。元気なお返事、ありがとう。なるほど、現在逃亡中と、そういうことですね?」
「そういうことになると思います、師匠」
「そのホコリっぽいのは、ホコリじゃなくて小麦粉だったんだ?」
「あー、全身粉だらけですよね、あたし。お風呂に入らずに逃げてきちゃったから。先にお風呂入ってから逃げた方が良かったですかねえ?」
「うーん、まあ、どっちでもいいんじゃない」
「良かった。じゃあ、師匠、これからよろしくお願いしますね」
「はい?」
「よろしくお願いします」
「はあ?」
「だから、師匠、よろしくお願いしますって言ってんですよ」
ハーフエルフの娘はキレ気味に言った。
「いつの間におまえを弟子にすることになってるんだ? おまえを弟子にはしないって言ったろう」
「えー、ウソ」
「ウソじゃない。おまえを弟子にはしない。というか、できない。魔法を教えられるのは魔術師だけだ。おれは鋳掛屋だから、おまえを弟子にするにしても、鍋の穴のふさぎ方しか教えられない。それでいいなら弟子にしてやるが、嫌だろう?」
「師匠は魔法を教えてくれないんですか」
「そういうギルドの決まりなんだ。しかたがない」
これは世界の設定ではないが、事実だった。この世界の現地人たちが作り上げたルールだ。
魔術師たちのギルド、鋳掛屋のギルド、石工のギルド、傭兵のギルド。
この世界には職業ごとのギルドがあり、それぞれに決め事がある。
他のギルドの技術を勝手に教えないというのは、その基本原則の一つだ。
たとえば、本当の魔法鋳掛屋になるには、まず鋳掛屋ギルドの徒弟となり、一人前の鋳掛屋となったあとで、魔術師ギルドに所属する魔術師のところへ、鍋の修理に必要な魔法だけを習いに行くという手順を踏まなければならない。
面倒だが、そういう仕組みなのだ。
もちろん、ギルドなんてこの世界の最初からあったわけじゃなく、この先いつまで続くのかもわからない。
だが、今この世界で守られているルールである。
管理人が勝手に破っていいはずがない。
もちろん、おれはどんなギルドにも入っていない。
そして、おれの頭には、この世界の仕様書がインストールされている。
つまり、この世界で使用可能な魔法のすべてが入っている。
教えようと思えば、目の前の娘に、その全部を教えてやることもできる。
だが、おれは管理人なのだ。
本来の業務に支障をきたすような現地住民との関係は避けなければならない。
しかも、今はおれの将来を左右するかもしれない事態の真っ只中なのだ。
オーパーツのスマホ。
それを忘れるわけにはいかない。
弟子などとっている余裕はないのだ。
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