三ツ星レストラン主人が逆上しているんです。
第62話です。
夜が明けた。
窓から朝日が差し込み、ベッドのハーフエルフの少女の寝顔を照らした。
彼女はうどん屋の小汚い看板を抱きかかえて寝息を立てていた。
さまざまな準備に追われて、とうとうおれは一睡もしなかった。
もっとも、おれのメンタルもフィジカルも疲労しないモードに切り替えてあるから問題はなかった。
朝の爽やかな風を入れようと思って窓を開けて驚いた。
下の通りに人がウロウロしている。
ごった返しているというほどではないにしても、少なくない人通りだ。
そういえば、夜半過ぎから外が騒がしくなってきたとは思っていたのだ。
逃げ出した住人たちが戻ってきたというのではないらしい。
どうやら昨夜のあの魔法で、この町にいるなんてポロッと言ってしまったから、神の使いをひと目見ようと信心深い信徒や物見高い野次馬が集まってきたらしい。
索敵してみると、信徒に紛れて何人か領主の兵士が入り込んでいる。
彼らはおれを見つけて暗殺するのが狙いだ。
しかし、昨夜の魔法ではおれの顔には修正をかけていたから、実際のおれを見てもわからないだろう。
だいたい、魔法を直接受信しなかった者にいたっては何を頼りに神の使いを探すつもりなのだろうか。
厨房にある物は何でも使っていい、と宿の主人が言っていたから、おれは階下に降りて朝食の仕度をした。
宿の裏に鶏舎があるのを知っていたので、そこへ行って新鮮な玉子を手に入れた。
パンは前日、エラがバイト先から持ち帰ったのがある。
新しいミルクはなかったが、壺に残っていた分も悪くなってはいなかった。
おれはベーコンを厚く切ってフライパンで焼き、卵を割ってベーコンエッグを作った。
高そうな茶葉を見つけたので、お湯を沸かし紅茶を入れた。
匂いで目覚めたのか、ちょうどできあがる頃にエラが二階から降りてきた。
「おはようございます」とエラが眼を擦りながら言った。左の脇に看板を抱えている。
食欲がわかないと言う彼女に無理やり食べさせてから、おれも朝食を摂った。
ほんの少しだけしょっぱいような気がした。
エラの涙の分かもしれない。
弁当用のサンドイッチを作り、皮袋に宿でいちばん高級なワインを入れて昼食の用意を整えた。
運が良ければ食べる時間があるだろう。
おれは部屋に戻って荷物をまとめると、弟子の用意が終わるのを待った。
彼女はちょっとつつかれただけでもすぐに泣き出しそうな顔をしていた。
安心させてやりたかったが、かける言葉はなかった。
仕度が整うとすぐにおれたちは宿を出発した。
エラを馬に乗せ、おれはその口を取って宿場の出口へ向かった。
看板は邪魔だがエラは抱えたまま捨てようとしなかった。
そんな物、何の役に立つんだよ?
頭の中の地図で点滅していた光点が、急に接近してきた。
前後左右、八つの光点。
明らかにおれたちに向かっていた。
どうして気づかれた――?
「あいつです! あそこ、あそこ!」
聞き覚えのある声がした。
エラも驚いた顔で振り返った。
でっぷり太った男がおれたちを指差して怒鳴っていた――他でもない「八月軒」の主人だった。
なるほど、やつならおれたちの顔がわかる。
領主様もバカじゃないということだ。
人混みの中、商人や農民に化けた暗殺者がおれたちに殺到した。
おれは急襲してきた八人を特定すると、そいつらの三半規管へ直接ちょっとしたダメージを与えた。
足早に迫っていた連中はよろめき、何が起きているのかもわからないままひっくり返った。
起き上がろうとしても起き上がれない。
やつらからすれば、大地が不安定に揺れて立っていられない感じのはずだ。
今日という日が終わるまではそのままでいてもらおう。
おれは逃げ出そうとした「八月軒」の前に回って微笑んだ。
「おはようございます」とおれは言った。
「おはようございます」と「八月軒」も震え声で返してきた。
「あきらめの悪い男だな、あんた。いっぱしの料理人を気取るなら自分の腕だけで勝負したらどうなんだ?」
「あんたもわかっているだろう? どんなに修行しようと、どんな新しいメニューを作ろうと、あの娘の力の前では霞んでしまうんだ。あの娘がそこにいるだけで、自分のやってきたことがまるで無価値だと思い知らされるんだよ。それなら、修行なんてバカらしいだけじゃないか? いっそその力を利用すべきじゃないかね? 私のしたことの何が悪い? たとえ豚の餌を出しても、客は喜んで大金を払うんだ」
「八月軒」は開き直り、馬上からこっちを見ているハーフエルフの娘を睨みつけた。
その眼にはドス黒い憎悪が滾っていた。
この男がエラを地下室に閉じ込めておいたのは、金儲けのためばかりじゃない。
自身の何十年を否定されたことに対する復讐だったのだ。
「私の許に戻ってこないなら、あんな力はこの世に存在しない方がいい!」
「八月軒」はそう叫ぶなり、懐から何か取り出した。
その手にはこの世界にはありえない物が握られていた。
燧石式銃!
筒先はエラに向けられていた。
おれは隙をつかれ、「八月軒」が引き金を引くのを防げなかった。
轟音。
銃声に慣れていないこの世界の住民たちは、頭を抱えて地に伏せた。
馬が後脚立ちしたのと、エラが転げ落ちるのが同時だった。
おれは「八月軒」は殴り倒し、その上を乗り越えてエラの許へ走った。
エラはうつぶせに地面に倒れていた。
はじめからそこで眠っていたかのようにピクリとも動かなかった。
「エラ! エラ!」
おれは弟子の身体を抱き起こした。
エラの顔は土に汚れていた。
彼女は薄目を開いた。
「し、師匠……あたし……」
「どこだ? どこを撃たれた?」
「撃たれたって……何ですか……?」
そうなのだ、この世界の人間は銃なんて見たことがないのだ。
彼女は撃たれたことさえわかっていなかった。
おれは彼女の身体をまさぐった。
どこを撃たれたんだ?
「朝っぱらから……こんな……人の見ている……ところでですか?」
「バカ……こんなときに冗談なんか言うな! どこが痛い? エラ、痛いところを言え」
「ええっと……そういうプレイですか……やっぱり、師匠はSだったんですね……それなら、オデコ……オデコが痛いです……」
「オデコ? そこは大丈夫だ。タンコブはあるが、これは落ちたときにぶつけたんだろう。え? 他に痛いところはないのか? おまえ、どこ撃たれたんだよ?」
「だからー、撃たれたって何ですかって言ってるでしょ!」
エラはブチ切れて、おれを突き飛ばした。
そして、元気にピョンッと立ち上がった。
「まったく往来の真ん中でいったい何をしようってんですか! やりたいなら昨夜やってもいいって言ったときにやればよかったんですよ! 何を今さらトチ狂ってるかなあ!」
「おまえ、撃たれたんじゃなかったのか?」
「だから、撃たれたって何ですよ?」
エラはブウブウ言いながら、地面に落ちている看板を拾い上げた。
さっきまで「元祖アプレーデルうどん あたりや」だった看板が、「元祖アプレーデルうどん・あたりや」に変わっていた。
「ん」と「あ」の間の黒丸は、どうやら「八月軒」の燧石式銃から発射された弾丸のようだった。
なるほどなあ、エラ。粉の神様のご加護ってやつですか。
管理人 VS 領主軍 PART1 でございます。




