あんときのアレって粉の神様だったらしいです。
第54話です。
「おれが来たときにはもう、東の王国は滅んでいた。ハンネなんて女もいなかったな」
――国の一つぐらいはあきらめなければならなかったのよ。それくらいあの女がもたらした被害は大きかった。
滅んだ王国があった場所には、傾国の魔女の伝説が残っていた。
魔女は西の草原からやって来て国を滅ぼしたが、自身も悪魔に連れ去られてしまったという。
つまりはその悪魔というのが、おれの前任者ということなのだろうか。
「前任者はどこ行っちまったんだ?」
――消えた。
「消えた?」
――消えた。
「消えたってどういうことだよ?」
――文字通り消えたの。ハンネとあんたの前任者は突然、消滅したのよ。あたしはずっと見ていたんだから。それ以外言いようがないわ。ねえ、あんたなら魔女を強制排除しろって命令されたらどうする?
「そうだな。対象から見られたらマズいんだろ? それなら、遠隔攻撃か。対象の座標はそっちで常時追跡しているだろうから、あとは対象が屋外へ出たタイミングで雷を落っことしてもらうかな。こっちの住民は特別な世論誘導をしなくてもきっと、神の怒りに触れたと思ってくれる」
――そうよね。それが一番妥当な方法だとあたしも思う。あんたの前任者も同じだったわ。
「当たり前すぎる手だからね。まあ、ちょっとくらいは〈生ける阿片〉に見てもらいたい気もするけど」
――前任者もその誘惑に負けたのかしら? 作戦は実行寸前だったのよ。ハンネは毎朝宮殿のバルコニーから王都を見渡すのが日課だったから、そのときを狙って雷撃する計画だった。前任者もハンネの視界が及ばない範囲へ退避していたの。準備はすべて整って、あとはハンネがバルコニーへ出てくるだけだった。作戦はもう終了したも同然という感じ。そのときよ。二人の存在が同時に消えたの。何の故障かと思ったわよ。でも、違った。その後、二人はその世界のどこにも現れなかった。じつは今でも監視対象なのよ。そこの世界だけじゃなくて、ウチの社が管理している世界全部で監視している。でも、この三百年、二人は一度も姿を現してない。
「死んだんだろ」
――どうやって? 前任者はずっと離れた場所にいたのよ。ハンネは目撃者の証言によれば煙みたいに消えたそうよ。
「説明がつかないなら、どうして後釜のおれに調査命令が出てないんだ?」
――そりゃ表向きは解決したからよ。とりあえずクレーム対象の住人を排除できたわけだから、その経緯がどうあれオーナー様には作業終了の報告をしたし、管理人の異動や退職なんて珍しい話でもないし。
「臭いものには蓋、というわけだ。わが社の体質ですか、それは。でもまあ、三百年も経てばもう忘れていいことかな。ハンネは人間だったんだろ? エルフみたいな長命種でなけりゃ、さすがにもう死んでる」
――その可能性も一つ。だけど、こっちは別の可能性を怖がっているわ。どこかの世界で冷凍睡眠してるんじゃないかって。
「それってハンネやこの世界の住民にできることじゃないぜ。誰か【世界-内-存在】あらざる者が絡まなきゃ無理な話だ」
――だから、前任者の裏切説が出てくるわけ。もちろん管理人一人でどうこうできる話じゃないから、他にも外部で絡んでいるやつがいるんでしょうけど。
おれはノッポの薬屋が言った、どこの会社の管理にも入っていない独立の世界という話を思い出した。
前任者はそんな世界の一つでのうのうと暮らしているのかもしれない。
「ノッポの薬屋かな?」
――前任者と話していてそいつの話が出たことはなかったけど、隠していたのかもしれないしね。
「ノッポの薬屋については上は何て言ってるんだ? 他社の工作員とか?」
――あんたんとこみたいにチンケな世界に他社の工作員なんか入るわけないじゃない。たちの悪いハッカーだろうって言ってるわよ。そこのシステムは比較的楽に攻略できるらしいのね。それでさ、オーナー様とそのハッカーがしめし合わせて会社からカネを引き出そうとしているんじゃないかって。
「そうかなあ。あいつ、〈瞬間移動〉できたんだぜ。管理人の権能以上の能力を持ってるみたいなんだけど」
――だからこそ、たちの悪いハッカーなのよ。管制の許可が必要なことまでできるなんて、たんにその世界へ潜り込みましたってだけじゃムリだもの。こっちのオペレーションシステムにも入り込んでるんだと予測できるわけ。もしかしたらさ、こっちにも内通者がいるんじゃないかって、そういう話。ね、だから、絶対ナイショの話よ。
短気で酔っ払いのオーナー様まで敵なのだとしたら、もう誰を信用したらいいのかわからない。
というか、誰のために一生懸命働いているのかわからない。
おれは自分の仕事に初めて虚しさを覚えた。
何で世界の管理人になんかなったんだろうな。
べつになりたくてなったわけじゃなし……。
というわけで、足止めをくらって三日間、おれは軽いウツ状態で、もう仕事なんかしたくないなー、毎日弟子と一緒にゴハンが食べられたらそれだけでシアワセなんだけどなー、ノッポの薬屋の誘いにのればよかったかなー、などと思いながら、毎日ゴウゴウと流れるアッププロ川を眺めて過ごしてきたのである。
「ねえ、師匠、さっきからあたし待ってるんですけど」
エラがおれの前でホッペタを膨らましている。
「待ってる? 何を?」
「もう! 言ったじゃないですか。感謝の言葉を待っているんですよお」
「誰の? おれの? おれがおまえに感謝するわけ? おまえがおれに感謝するんじゃなくて? 何で? どうして?」
「あー、もう、いやだなあ。思い出してくださいよ。師匠が製粉所の中でグッチャグチャにやられてたときですよ」
「あー、あのときね。おれはメッタメタにやられてましたね。はいはい、あのときね。うん、あのとき、キミが何かしてくれたかね?」
「えー!」
びっくりした。グーパンチがとんできて、右目にヒットした。
エラは顔を真っ赤にしている。どうやら本気で怒っているようだ。
「師匠は柱に吊るされてて、もうダメだってなったでしょ?」
うん、あやうく〈トラックでバーンッ〉式世界転移装置をはめられてしまうところでした。
いや、ほんと、あのときは危なかった。あと一瞬遅かったら――
「あのとき、粉の山の中から粉の神様が出てきて助けてくれたじゃないですか!」
「へ?」
粉の神様?
あのオーブンへ入れる前のジンジャーブレッドマンのことを言っているのかね?
「へ、じゃないですよ。あのとき、あたしは一生懸命祈ったんです。どうか、師匠の生命を助けてくださいって。その祈りが天に通じて粉の神様が助けに来てくれたんじゃないですか!」
「あれは……粉の神だったの?」
「あれが粉の神様じゃないなら、何が粉の神様だって言うんですか!」
いや、粉の神様なんて求めてないから。
その汎神論的な思想は、キミ、オーナー様の意向に沿わないんですけど……。
「いいですか、もしもですよ、あのとき、師匠が粉の神様に祈ったとしましょう」
「祈らねえよ」
左目も殴られた。
「祈ったとしてって話をしてるんです。考えてもみてください。師匠が粉の神様に祈って、粉の神様が助けに来てくれるでしょうか?」
「いや、粉の神様に祈るなんて、そんな発想はどこからも出てきませんて」
鼻の下を殴られた。エラ、そこは急所だからな。死ぬぞ、おれ、死ぬぞ。
「師匠がいくら祈ったって粉の神様が助けに来てくれるはずがありません。あたしが祈ったからこそ、粉の神様は助けに来てくれたわけじゃないですか!」
「おまえはあのとき、粉の神に祈っていたのか? 粉の神だけに?」
「当たり前じゃないですか。あたしが神様と言えば、それは粉の神様以外にありえません」
「神ひとり信者ひとりの宗教ですか? ――バカ、やめろ。その石を置け!」
「だからですねー、あたしに感謝しろって言ってんですよ、ウー」
「そんな犬みたいに唸るなよ。わかったから。感謝すればいいんだろ? ん、アリガト」
「そんなんで感謝が伝わるか、バウワウ!」
「イテテ、噛むなよ。ごめん、ごめん。ありがとうございました。エラさんが祈ってくださったおかげで命拾いすることができました。このご恩は忘れません。――これでいいか?」
「ウウウウ、まあ、よしとしましょう」
「まいったなあ、こんなとこに歯形がついちゃったよ」
急にエラが真っ赤になった。
「宿の人にエロいことしてたとカン違いされちゃう!」
弟子よ。
二の腕だの、向う脛だのにガッツリついてる歯型を見ても、人はイヤらしいことは想像しないと思うぞ。
宿の人はきっと、おれがおまえに喰われそうになってたと思うんじゃないかな。
「ねえ、師匠、いい機会ですから、この際、粉の神様を信仰したらどうですか?」
おれがひりひりする腕を撫でていると、暢気な弟子は布教活動まで始めたのだった。
おーおー、調子に乗って話を膨らましてますけど、国境を越える前にはとうてい回収できませんからね。読んだ以上は、広げたモン畳むまでよろしくお付き合いお願いいたしますですよ。




