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草原の少女ハンネは〈生ける阿片〉でした。

第53話です。

「師匠、感謝してくださいよね」


 土手に腰を下ろして水門の修復作業を眺めているおれの周りを走り回っていたと思ったら、エラはおれの前にペタンと座ってそう言った。


「何でだよ?」


 おれがエラに感謝する?

 万歩譲ったってそんなことはありえない。


 製粉所爆発で水門も閉まらなくなってしまったので、おれたちはアプレーデルの宿にもう三日も足止めをくらっていた。

 毎日することもないから、おれは川辺まで来て修復作業の進展状況を眺めている。

 ノッポの薬屋もレモネード売りの姉妹もしばらくはおれを放っておいてくれるようで、身辺で騒がしいのはわが弟子だけだ。

 あいつもヒマなものだから、近所のパン屋へパン捏ねのアルバイトに出て小遣い稼ぎをしている。

 製粉所を破壊した責任を感じているのか、魔法の修行の方は当分お休みらしい。


 これだけ動かなければ、管制(コントロール)がギャアギャアわめくだろうと思ったのだが、今回に限ってあっちの方から「そこに止まっていろ」という指示である。


――ノッポの薬屋の件、上に報告したんだけどさ、そしたら、あんたをそこから動かすなってことになってんのよ。

「どういうことだよ?」


 早くオトランのダーゲンへ向かわせろ、「緊急時特殊移動」の使用もやむなしって話になるのが普通じゃないか?

 オーパーツのスマホが聖遺物認定されてからでは遅いんじゃないのか?


――あのさ、これから言うことは内緒だよ。あたしから聞いたなんて言わないでよ。

「おれがあんた以外の誰から聞けるんだよ。というか、いったい誰に話すなってんだ。ここの住民に言ってもまるで通じない話なんだから」


――うーん。とにかく内緒ね。上はさ、そこのオーナー様は怪しいんじゃないかって考えているようよ。

「あの酔っ払いが怪しいってどういうことさ?」


――詐欺じゃないかって。そこで科学を発展させて、それを理由に契約違反を訴えるつもりなの。公表しないことを条件に高額の示談金ををせしめようとしているのよ。

「そ、そうなのか?」


――まだ、そういう疑いがあるって段階よ。だから、あんたをむやみにスマホに近づけるなという判断よ。罠が仕掛けられている可能性もあるし。本社としては、あんたの前任者のときの二の舞は避けたい――あっ。


 前任者の二の舞は避けたい?

 どういうことだ?


「前任者はどうなったんだ? どこかに転勤したわけじゃないのか? おれはてっきり不始末をしでかして石と岩だけの世界にでも左遷されたんだと思ってた。違うんだな? いいかげん、本当のことを教えろよ」


――えー、言いたくないなあ。あんたがそこに赴任するとき、あんたにだけは教えちゃいけないってきつく言われたのよ。

「わかった。それなら、上に直接連絡を取って、管制(コントロール)がどっかのホストに貢いでいるようだけど大丈夫かって言ってやる。この前も業務中に外出して、こっちはあやうく異世界へ転生させられちまうところだったって」


――もう、変なこと言うのはやめてよ。ヒロ君はホストじゃないから。

「じゃあ、何なんだよ?」


――自由な魂を持っている男よ。

「でも、仕事は持ってないんだろ?」


――ヒロ君のことはいいじゃないの。あんたは前任者のことが聞きたいんでしょ? いいわよ。教えてあげる。だけど、あたしから聞いたって言っちゃダメよ。

「だから、誰に言うんだって!」


――そう、三百年前の話。そこで一人の特殊能力者が発見されたの。これが災厄の始まり。キンメリヤ大陸のときもそうだったけど、そこの世界はどうもツキがないのよね。


 管制(コントロール)はため息を一つ吐いて、前任者をみまった不幸な運命を語り始めた。


 ツキがないと言われたおれの世界に三百年前にも訪れた災厄とは、たった一人の特殊能力者だった。

 その者の名はハンネ。のちに〈生ける阿片(リヴィングオピウム)〉のハンネと呼ばれた特殊能力者。

 草原の遊牧民の娘として生まれたため、その能力が知られるようになったのは、彼女が成長して王都グリダへ出てきてからだった。


 グリダへは自分の意志で出てきたのではなかった。

 その頃、東の王国は大陸統一の野望を抱き、大陸中央に広がる草原地域へとその版図を広げようとしていた。

 ハンネの家族は侵攻してきた東の王国軍に殺害され、美しかった彼女は羊と一緒に戦利品としてグリダへ連れて行かれたのだ。

 彼女は将軍の妾の一人として王都の屋敷に囲われたが、そこで能力が発露した。

 将軍は彼女の許へ入り浸り、やがて公務をおろそかにするようになった。

 しまいには御前会議すら欠席するようになり、王の不興を買った。

 王の使者が将軍の屋敷へ踏み込んだとき、将軍はハンネの傍らで白痴同然の状態だった。

 目は虚空を見つめ、だらしなく開いた口からは涎を垂らし、自分の名を呼ばれても、何もわかっていない様子だったという。


 好色な王は使者から話を聞いてハンネに興味を持った。

 まだ誰も、彼女の能力を正しく理解してはいなかったのである。

 王がハンネの虜となるまで数日を要しなかった。

 王だけではない。後宮にいる女たち、宦官たち、そして王妃までが彼女の能力に囚われた。


 本社の調査によれば、ハンネの特殊能力はその視線にあった。

 彼女に見られた者はその視線を意識するしないに関わらず全員が深い陶酔状態に陥ったという。

 しかも、その体験には依存性があった。

 ひとたび彼女に見られた者はもう一度見られることを望み、二度見られた者はもっと見られることを渇望した。

 彼女に見てもらうためなら、ためらいもなく人を裏切り、親でも売るし、子も殺す。

 王宮の主人が王ではなくハンネに替わっていることに人々が気づいたときにはもう遅かった。

 東の王国は彼女の国になった。

 しかし、草原で羊を追っていたハンネに為政能力などあるはずもなく、彼女は己が贅を尽くした生活を送ることしか考えていなかった。

 

 王の権威は地に堕ちた。だれもが王国は滅ぶと予感した。

 ただ、ないがしろにされたのは王だけではない。

 神もまた忘れ去られようとしていた。

 民衆が求めているのは、あてにならない神の救いではなく、ハンネが与える快楽だった。

 このままでは世界の文明そのものが堕落し滅亡へ向かうのは明白だった。


 オーナー様が黙って見ているはずがない。猛クレームを会社へ入れた。

 特殊能力の内容はランダムという設定で会社の免責事項だが、さすがに文明崩壊の可能性を看過するわけにはいかなかった。

 そして、〈生ける阿片(リヴィングオピウム)〉を排除しろという指示が、おれの前任者に下された。

〈生ける阿片〉です。ふむ。

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