レモネード売りの娘に手で抜かれちゃうらしいですよ。
第52話です。
おれは水門へ駆け上がった。
音速を超えるおれのスピードで発生した衝撃波は、土手の草を引きちぎり、大水車の見物客たちをなぎ倒した。
おれは右手に持っていたスマホが発熱しているのを感知し、水門の上にいるノッポの薬屋へ投げつけた。
薬屋は思ったよりも年老いた基体を使っていた。
経年劣化は皮膚を弛ませて皴となり、毛髪を真っ白にしていた。
しかし、その反応はすばやく、自分の手にあったスマホを、おれが投げたスマホめがけて投げていた。
二台のスマホは空中で衝突し、小さく爆発した。
おれは空いた右手に片手剣を出すと、さらに加速して薬屋に斬りかかった。
手応えはなかった。
薬屋は〈瞬間移動〉していた。
どこだ?
おれは背後から飛んでくる火球を察知し振り返ると、前方の空気圧を上昇させて不可視の壁を展開した。
火球は壁に衝突し無数の火の粉となって飛散した。
薬屋は土手にいた。
〈瞬間移動〉は使えても、ガイドの娘同様に遠距離の移動はできないのかもしれない。
物凄い形相でおれを睨んでいた。
ここまでが一秒。
おれの足元に芋虫のように縛られて転がされているエラも、その向こうに立っているガイドの娘も、目の前で起きていることをまだ認知できていない。
「管制! 追加支援効果三番申請! 目標、ノッポの薬屋! 座標はおれの視点に同期!」
――え? え?
「ノッポの薬屋がいるんだ! 急いでくれ!」
――薬屋がいるの? 了解、申請受理しました。即時発動します。
雷がノッポの薬屋の上へ落ちた。
白光が一瞬視力を奪い、轟きが響き渡った。
川原にいた見物客たちが頭を抱えて地に伏せた。
おれは雷が落ちた場所へ走って行った。
焼けた地面からは白い煙が立ち上り、草の焦げた匂いがした。
しかし、そこに薬屋の焼死体はなかった。
雷撃はわずかに遅かったらしい。
――どう? やっつけた?
「ダメだ。逃げられちまった」
――バカ! グズ!
「何とでも言え。まだその辺にいるかもしれないから、いつでも攻撃できるように用意していてくれ」
反撃を用心しつつ、エラのところへ駆け戻った。
おれはエラの縄を切って自由にしてやった。
そこでようやく彼女はおれに気づいた。
「師匠、怖かったですぅ」
「たぶんもう大丈夫だ」
エラが抱きついてきたのと、ガイドの娘がエラに手を伸ばしたのが同時だった。
ブォン!
おれたちは〈瞬間移動〉していた。
「あ、おまえまで!」
ガイドの娘はエラだけ連れて移動したかったのだろうが、エラがおれに抱きつく方が一瞬だけ早かったということだろう。
おれたちは川原にいた。ちょうどガイドの娘が声をかけてきた辺りに戻っていた。
エラがガイドを蹴とばした。
ガイドは後ろへよろけて、エラの肩を掴んでいた手が離した。
おれはエラを抱えてガイドの手の届かないところへ跳んだ。
「おまえのことは絶対に赦さない。あたしたち姉妹は一生かけてもおまえを追いかけて復讐してやる。あたしと妹の力でおまえを絶対に殺してやる」
妹の力?
レモネード売りの方にも特殊能力があるというのか!
「あの娘も特殊能力者なのか?」
「はい、あたしも特殊能力あるんですよ。名づけて〈ぺったんぺったん、ぐにぐにぐに〉っていうんですけど――」
「うるさい、エラ」
「なぜあたしだけだと思った? あたしたちは双子だぞ。姉のあたしに〈あっという間にこっちからあっち〉の力があって、どうして妹にはないと思うんだ?」
「妹も〈瞬間移動〉ができるのか?」
「いや、違う」
「そうです、違いますよ、師匠。〈瞬間移動〉じゃなくて〈あっという間にこっちからあっち〉ですよ」
「いや、そうじゃない」ガイドの娘が首を振った。
「何言ってんの。あんたがそう言ったんじゃないの。〈あっという間にこっちからあっち〉って、あたしは確かにそう聞きましたから。いまさら変えようったってそうは問屋が卸さないんだからね」
「そういうことが言いたいんじゃなくて――」
「あれ、〈あっという間にあっちからこっち〉だっけ? んー、こっちからあっち? あっちからこっち? 師匠、どっちでしたっけ?」
「そういう問題じゃないな、エラ」
「〈あっという間にタネ抜いちゃいました〉だ!」
業を煮やしたようにガイドの娘が叫んだ。
「えー、さっきとぜんぜん変わっちゃってるじゃん」
「これは妹の力なのよ!」
「何ですって! お、おそろしい……」
「どこがだ? どの辺が恐ろしいのか教えてくれ」
「だからー、あっという間にタネを抜いちゃうんですよ。恐ろしいじゃないですか。師匠には想像力というものがないんですか? タネの身にもなってくださいよ、あっという間に抜かれちゃうんですよ。わかります? うーんと、使うのは手かな? ――手でいい? いいのね? はい、手ですって。いいですか、手で抜かれちゃうんですよ。あのレモネード売りの少女に手で抜かれちゃうんですよ。村娘に素手で抜かれちゃうんだから、もう。――想像できました? あ、違いますよ。師匠、変な想像してるでしょ、今?」
こいつは川に落としておくべきだったかもしれない。
「具体的にどういう特殊能力なのかな?」
「妹はね、レモンの実を握るだけで一瞬にして中にあるタネを全部抜くことができるのよ!」
「えええ! 握って抜いちゃうんですって!」
「うるさい、エラ! それから、そっち。そっちもどういうつもりで、そんなことを言っている? その能力が何の役に立つんだ?」
「何言ってるのよ! 切る前からタネが抜けてるのよ。レモンを絞るのにこんな便利なことってある? レモネードを作ってからタネを拾ったり、濾したりしなくていいんだからね」
「それって、つまり――レモネードを作るのに役に立つ能力ということでいいかな?」
「そうよ。だから、妹はレモネードを作って売ってんじゃないの!」
「うーん。あー。何だあ、そのね……、そのレモネードを作るのに便利な〈あっという間にタネ抜いちゃいました〉という力をさ、おれに復讐するのにどう使おうっていうのかな?」
「な、なにぃ! 妹のこの力、おまえの前には無力だというのか!」
「そうよ! 師匠は何回抜かれたって元気なんだからね!」
やめてくれよ、おまえら。
「そう言うあんたはどう? あんたはタネを抜かれても平気なの?」
「うぐっ! 痛いところを突いてきたわね? だ、大丈夫よ! きっと大丈夫に違いないわ!」
「あら、強がっているようにしか見えないけど……。さては、あなた、タネを抜かれたことがないわね?」
「バカにしないで! タネぐらい抜かれたことあるわよ。もう何回も抜かれてんだから」
「本当かしら? 最近じゃいつ抜かれたの? 言ってごらんなさいよ。いつ? 昨日? 先週? 先月?」
「えっとー、それは、ぬぬぬ……師匠、あたしがこの前タネを抜かれたのはいつでしたっけ?」
「ふふふふ、ウソをついているのはバレバレよ。あんたが一度もタネを抜かれたことがないのは間違いないわね」
「ええい、うるさい! 『アマルフェドニドゥメロイル』!」
弟子が突き出した手のひらから枝豆大の炎が、ビョーンと飛んだ。
ガイドの額に向かっていく。
当たるかと思ったら、ガイドはヒョイと頭を傾けた。
炎はガイドの耳をかすめて川の方へ飛んでいった。
おりから日暮れ間近で薄暗くなってきていたから、エラが放った炎は蛍のように目立った。
川の上まで飛んでいくと風にあおられて、ツーッと高度を上げた。
あー、キレイだなー、どこまで飛んでいくのかなー、と見ていたら、炎は製粉所の屋根の方へ流れていった。
そして、おれが抜け出せなかった窓の中へ、スゥ、と吸い込まれるように入って、見えなくなった。
次の瞬間――
轟音。
衝撃。
熱波。
世界が一瞬で真っ白くなって、おれは地面に打ち倒された。
何が起きたかわからなかった。
ただ、エラを抱き、その頭を抱え込んで、地面に伏せていることしかできなかった。
気がつくと、辺りの草がチロチロと燃えていた。
川原に大勢いた人たちが皆、倒れていた。
おれたちのそばにいたはずのガイドの娘の姿はなかった。
そして、他に見かけないものといえば、製粉所の大きな建屋だった。
製粉所は跡形なく吹き飛んでいた。
大水車が川の中央に斜めに傾いで倒れていた。
おれは何が起きたのか理解した。
やがて人々がのそのそと起き上がってきた。
さいわい大怪我をした者はいないようだった。
「何が起きたんですか?」
エラは怯えた顔でおれに抱きついたまま離れようとしなかった。
そこにいた人々は一様に、何が起きたかわからずにいた。
神の奇跡か、悪魔の災厄か、何を見たと言えばいいのか戸惑っている表情だった。
おそらく答えがわかっているのは、そこにおれ一人だけだったろう。
「粉塵爆発だ」とおれは答えた。
「フンジン――?」
「いいんだよ、わからなくて」
製粉所の空気中に充満していた小麦粉に、エラの作った炎が引火して、連続的に燃焼、爆発したのだ。
いやいや、伏線回収するまでめんどくさかったこと! 無事、粉塵爆発させていただきました。いかがでしたでしょうか、粉塵爆発。お楽しみいただけましたか、粉塵爆発。




