特殊能力は〈ぺったんぺったん、ぐにぐにぐに〉です。
第44話です。
エラがこっちを見た。手を振ってくる。
おれも振り返した。
エラがこっちへ戻ってくる。悪い予感は杞憂だったか。
と思ったら、回れ右。
全力でアッププロ川に向かって走り出した。
げっ!
何考えてんだ、あいつ?
おれも慌てて川へ走り出した。
が、とても間に合わない。
加速――
管理人の標準装備能力の限界まで速度を上げてエラを止めようとしたが、あと一歩足りなかった。
エラは思い切りよく踏み切った。
彼女の身体は川の上へふわっと浮かんだ。
そのまま飛んでいくんじゃないか、と一瞬期待した。
しかし、期待は瞬きする間も続かなかった。
エラの身体は派手に水しぶきを上げて川面に墜落した。
季節が良くなったとはいえ、まだ水は冷たい。
ごく最近川に飛び込んだばかりだから、おれはよく知っている。
あいつ、泳げるのか?
船で育ったからといって泳げるとは限らないよなあ。
あー、やっぱり、あっぷあっぷしながら流されているじゃんか。
おれが川へ飛び込もうとした瞬間、エラが溺れているそばに黒い影が現れた。
それはガイドの娘だった。
え? どうして、そこにいる?
彼女はエラに近づくと、その腕をエラの肩に回した。
次の瞬間、見えなくなった――
二人とも濁流の下へ沈んでしまったのか。
激しい流れの中に、おれは黒い頭を探した。
どこかに浮かび上がるはずだ。
だが、どこにも二人の姿は現れなかった。
おれは焦った。
頭に地図を展開させ、エラを検索した。
すると、ハーフエルフの存在を示す光点は思いもよらぬところに表示された。
おれの真後ろ。
故障だぞ、管制、と叫びそうになった。
「ふぇー、師匠~」
哀れっぽい声に、おれは振り返った。
全身びっしょり濡れた姿のわが弟子が、ガイドに肩を支えられてそこに立っていた。
「お、おまえ……」
「ふえーん、死ぬかと思いましたあ。しかも、びしょ濡れですう。あ、師匠、透け乳がエロいとか思ってるでしょう? カンベンしてくださいよ、もう」
エラは胸を隠してしゃがみこんだ。
そんなこと考えてるヒマがあるか、バカ。
心配したぞ、というのはグッと呑み込んで、ダメ弟子を睨みつけるにとどめた。
川原にいる水車見物の客たちがこっちを見ている。
そりゃそうだ。
突然、川に飛び込むバカがいるかと思えば、そいつが一瞬後にはまた岸に戻っているのだ。
傍からすれば、こんなに面白い見ものもないだろう。
どこかに隠れたいが吹きっさらしの川原にそんな場所はなかった。
元はと言えば、おまえが川に飛び込んだからだからな、エラ。
「おまえ、何で飛び込んだんだよ? 泳げもしないのに」
「泳げると思ったんですよ。船乗りたちが泳ぐところは何度も見てましたからね。だから、泳いで大水車のところまで行って、大水車のどこかにつかまれば、スーッと上まで上がれるはずだったんです。うーん、あと一歩でしたね。おしかった」
いや、いつもどおりぜんっぜんおしくない娘なのである。
おれは実家の隣に住んでいるオッサンの名前を呪文代わりにして、エラとガイドの服を瞬間乾燥させた。
「お兄さん、スゴイですね」
「すごいのはあんたの方だろう。さっきのは〈瞬間移動〉だな?」
ガイドの娘は一瞬で岸辺から川の中へ、そしてまた、一瞬で岸辺に戻っている。
それは〈瞬間移動〉としか考えようがなかった。
しかも、自分だけではなくエラを連れて、彼女は移動したのだ。
正直、おれはまだ、自分が見たものを信じられない気持ちでいた。
「〈瞬間移動〉……〈瞬間移動〉、あー、そーですねー。そういう言い方もありますねえ。気がつかなかったわあ。あたしは〈あっという間にこっちからあっち〉って呼んでいるんですが」
〈瞬間移動〉くらい、普通は考えつかないか? ……つくよなあ。
「〈あっという間にこっちからあっち〉ですか。あたしも〈瞬間移動〉より、そっちの方がしっくりくるなあ」
エラが、うんうん、うなずいている。
何言ってんだ、こいつ。
ウチの弟子に否定されると本当に腹が立つのである。
「ガイドさん、すっごい魔法が使えるんですねえ」
「違うよ、エラ、この人が使ったのは魔法じゃない」
おれは否定した。
エラはキョトンとおれを見ている。
ガイドは恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべていた。
「エラ、〈瞬間移動〉は魔法じゃないんだ」
「それ、間違っていますよ、師匠」
「間違ってなんかいない。〈瞬間移動〉は魔法じゃない。魔法の体系には〈瞬間移動〉を行う呪文は存在しないんだ。〈瞬間移動〉というのは古来、多くの魔術師が研究してきていまだ成し遂げられていない事象の一つなんだよ」
魔法でできるんなら、おれはスマホが見つかったというオトランのダーゲンへ、とっとと瞬間移動してるわ。
こんなところに足止めなんかされてない。
〈瞬間移動〉っていうのはなあ、管理人だって管制に「緊急時特殊移動」を申請して許可されたときしか使えないようなモンなんだからな。
今回、このスマホの一件じゃ緊急時に当たらないと却下されてんだからよお。
ハーフエルフが溺れてるくらいでバンバン使っていいモンじゃねえんだよ。
「だから、違うって!」
エラは首をブンブン振った。強情な弟子だ。
「違わないよ。〈瞬間移動〉は魔法ではないんだ!」
「だーかーらー、〈瞬間移動〉じゃなくてー、〈あっという間にこっちからあっち〉が正しいんですよ!」
問題はそこかよ!
「お師匠様のおっしゃるとおりなんですよ、お嬢さん。〈あっという間にこっちからあっち〉は魔法じゃありません」
「ええっ! 〈あっという間にこっちからあっち〉は魔法じゃないんですか!」
「そうなんだ。〈瞬間移動〉は魔法じゃない」
おれは念押しした。
エラは聞こえないふりをしている。
「わかったよ! 〈あっという間にあっちからこっち〉って言えばいいんだろ? 〈あっという間にあっちこっち〉は魔法じゃないんだよ。これでいいか?」
「ちがいますよ。〈あっという間にあっちこっち〉じゃありません。〈あっという間にこっちからあっち〉ですから。ね、ガイドさん?」
「そうですね。できれば、お師匠様には〈あっという間にこっちからあっち〉とおっしゃっていただきたいですね」
なんだ、これ? 新手のいじめか?
「はいはい。〈あっという間にこっちからあっち〉は魔法じゃない。〈あっという間にこっちからあっち〉はこの人に備わった特殊能力なんだ」
「はあ、特殊能力ですか。それならあたしにもありますよ」
えええええええええ、おまえ、自分が〈生ける調味料〉だって知ってたの?
隠してて損しちゃったなあ。
「ガイドさん、あたしの特殊能力はですね、〈ぺったんぺったん、ぐにぐにぐに〉なんです」
「〈ぺったんぺったん、ぐにぐにぐに〉?」
ガイドは頭を抱えて悩んでいた。
エラ、それ、違うから。
それは特殊能力じゃなくて、単なる特技だから。
しかも、履歴書に書けないヤツな。
だいたい〈ぺったんぺったん、ぐにぐにぐに〉ってなあ、何だ?
おまえはなぞなぞ大会にでも出ているつもりか?
「つまり、その特殊能力を使って製粉所の中へ侵入しようということだな?」
「係の人の前でパンを捏ねてみせればいいんですか、師匠?」
おまえとは話してないぞ、エラ。
「ええ、そうなんです」
ガイドはうなずいた。
「この特殊能力〈あっという間にこっちからあっち〉を使えば、製粉所の中へ入れます」
「間に壁があっても平気なのか?」
「ぜんぜん。何の問題もありません。どうします? 製粉所の中、行きますか?」
ガイドは、おれを試すような顔で訊ねてきた。
二人目の特殊能力者を出してみました。特殊能力バトルにはたぶんならないです。すみません。




