とんでもなくヤバイ蛇の口に頭を突っ込んでいます。
第41話です。
「いやー、これは捏ね師として製粉所の方も見たいですねー」
「見てんじゃん」
「違いますよ。製粉所の中ですよ。中を見学させてもらいましょうよ」
「中を見たって、どうせ粉を挽いているだけだ」
「何言ってるんですか! その粉がいいんじゃないですか!」
「えー、粉が山とあるだけだぜ?」
「粉が山とあるんですよ。想像するだけでもワクワクしてきませんか?」
「するわけないだろ。そんなの吸い込んでクシャミが止まらなくなるのがオチだ」
「吸い込んで何が悪い! それがいいんでしょ! 白い粉が山盛りですよ! テンション上がるぅ! フゥー! 白い粉でテンション上がりまくりですよ! 白い粉を吸い込みまくれ、ですよ!」
「そういうことを大きな声で言うなよ。誤解されるだろ」
「コソコソ言っていたら余計に誤解されますって」
エラは立ち上がると、ピョンピョン跳ねるように製粉所へ向かった。
その様子は、完全にあぶない粉をきめてるヒトである。
やめてくれよ、もう。
おれもしかたなくそのあとをついていった。
製粉所が近づくにつれ、その音はすさまじく大きくなって、思わず耳をふさぎたくなってしまうほどだった。
製粉所の鐘の下には、まだ鐘を鳴らした若者が立っていた。
エラはその若者に話しかけていたが、水車と製粉所の音が大きすぎて、そばまで行っても話している言葉は聞こえなかった。
聞こえなくても何を言っているのかはわかる。
中へ入れろと言っているのだ。
若者がしきりに「音がうるさくて聞こえない」と手真似しているのだが、エラの方はまるで理解していないようだった。
端から人の言うことなど聞かないタイプだからな。
おれは二人に近づき、自分たちの周囲に半径二メートルほどの空気の球を作った。
その外側を十センチほどを真空にする。
これで外の音はほとんど球の中に聞こえなくなった。
驚いたのは若者だった。
いつもうるさい製粉所が急に静かになったのだ。
故障で止まったかと思ったのだろう、キョロキョロとあたりを見回した。
「魔法だよ」とおれは嘘をついた。「魔法で聞こえなくしたんだ」
「呪文唱えました?」
エラがまた疑いの目でおれを見る。
「ちゃんと唱えたよ。うるさくて聞こえなかったんだろう」
「ホントですかあ?」
「おれのことはいい。この人にお願いしたいことがあるんだろ?」
「あ、そうだ。すみません、お兄さん。製粉所の中を見学させてほしいんですけど」
「はあ、見学ですか? それなら、日が沈んでから来てください」
若者はムダに明るい笑顔で答えた。
きっと村一番の好青年とか言われているのだろう。
エラはちょっと困ったようだった。
「日が沈んだら水車も止まっちゃうんですよねえ?」
「はい、そうです」
屈託のない笑顔で青年はうなずいた。
エラは眉間にしわを寄せた。
「水車が止まったら製粉も終わりですよね?」
「はい、そうです」
一点の曇りもない晴れやかな笑顔の青年である。
エラのこめかみに血管が浮いているのが見えた。
「動いている製粉所を見学したいんです」
「なるほどー」
明朗快活という言葉はまさにこの青年のためにあるのだろう、とおれは思った。
エラは、孫子の代まで祟ってやる、という顔で睨んだ。
「中に入れてください」
「工場見学なら日が沈んでから来てください」
青年は弾むように答えた。
エラはアリンコの巣に熱湯を流し込むときのような笑みを浮かべていた。
「日が沈んだら水車も止まっちゃうんですよねえ?」
「はい、そうです」
青年は朝日のようにさわやかな笑顔で答えた。
エラの全身からドス黒いオーラが立ち上っていた。
「水車が止まったら製粉も終わりですよね?」
「はい、そうです」
さっぱり、きっぱり、とても気持ちのいい返事だ。
ウチの弟子の方からは、オマエノカゾクヲミナゴロシニシテヤル、という心の声が聞こえてきそうだった。
「動いている製粉所を見学したいんです」
「なるほどー」
世の中の老人はみんな、この気持ちのいい青年が好きに違いない。
エラは頭の中が真っ白になったような顔になっていた。
「中に入れてください」
「工場見学なら日が沈んでから来てください」
「『アマルフェドニドゥメロイル』!」
エラの手のひらから、小さな炎がビョーンと飛んで、青年のオデコに当たった。
「あちっ! 茹で立ての枝豆をぶつけるのはやめてください」
青年は泣きそうな顔で抗議した。
「中へ入れろと言っとるじゃろうが!」
エラは老婆のような口調になっていた。
「だから、ダメなんですって。水車が動いている間は誰も中に入れないんです。働いているボクらだってダメなんですから」
「中は誰もいないのか? 無人で動いているの?」
おれは驚いて確認した。
「そうですよ。今、建物の中は誰もいません。ボクらは水門を開ける前に原料の麦を用意しておくんです。水門を閉める頃にはそれが全部粉になっているという仕組みです。えっと、何て言うんだっけな。ぜ、ぜ、ぜ――」
「絶好調!」と弟子が言った。
「『全自動』かい?」とおれが聞いた。
「そう、それです。全自動、全自動」
動力は確かに水力なのだろう。
だが、その力を利用して製粉の一から十まで全部自動でやるとなるとそれはもう――
この世界の設定をはるかに超えた技術力と言わざるを得ない。
「昔からそうなのか?」
「ここができたときからそうですが、何か?」
おれは青年におれたちのことなど忘れてもらうことにした。
今日はもう家へ帰って寝るよう、直接に青年の脳みそへ暗示をかけた。
単純な脳みそは抵抗なく暗示を受け入れた。
「ああ、眠いなあ。今日はもう家へ帰ろう」
と青年は棒読みにひとりごとを言うと、おれたちに背を向けてアプレーデルの宿場の方へ去って行った。
「何なの、あれ? 追けてって家に火をつけてやろうかしら」
すぐに一族郎党皆殺しにしたがるエラが青年の後ろ姿を見てつぶやいた。
おれは製粉所の壁を透視して中を見ようとした。
が、できなかった。
不可視化の魔法がかけられているようだった。
おれは魔法を解除するため、建物全体にかけられている呪文の解析に取りかかった。
最初の十秒であきらめた。
歌う石板と同じだ。
管理人の解析能力を超える術式構成になっていた。
おれは天を仰いで嘆息した。
と、見上げた視線の先にあった鐘の内側に、何か円い傷のようなものがあることに気づいた。
イヤな予感がして、おれは視力を上げた。
円い傷と見えたものは傷ではなく、鐘の地金に彫られた刻印だった。
蛇が輪になっている印。
蛇の頭が尾を呑んでいるならウロボロスだ。同じことを繰り返す円環――進歩を否定したこの世界の象徴。
だが、この蛇は尾をくわえていない。
頭は尾の外側で嗤うように口を開けて、牙を剥き出している。
こいつは――
【三重に知恵のあるヘルメス(ヘルメストリスメギストス)の会】の紋章。
たぶん、おれはとんでもなくヤバイ蛇の口に頭を突っ込んでいるのだ。
ははは、ぜんぜん話を畳む気がないですよ。




