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レモネード売りおそるべし、です。

第38話です。

 緩やかな下り坂の途中に卓を出して何か売っている娘がいた。

 地元の農家の娘らしい。

 うちの弟子はその露店の前で馬を止め、店番の娘と話をしていた。

 近くまで行くと大きく手を振って早く来いという合図。


「師匠―! ノドが渇きましたー。レモネード飲みたいですぅ」


 見ると、露店の卓の上には大きな壺があった。

 レモンの爽やかな香りも漂ってきた。


 飲めよ。勝手に買えよ。

 今、おまえの財布にはゴブリンからまきあげた一二〇〇ギルがあるだろう。


「一杯一ギルですって!」


 どう考えても一杯一ギルは高い。

 おまえが閉じ込められていた「八月軒」レベルの高級レストランでようやく言える値段だぞ。

 だからって、なぜおれが一二〇〇ギルもお持ちのお嬢様に奢らなけりゃならない?


「この先にはもうレモネード売ってるとこはないんですって」


 そんなことあるわけないじゃないか。

 何ですぐだまされる? おまえは子どもか?


「あー、ノド渇いたー。ノドが渇いてもう一歩も歩けない―!」


 おまえ、歩いてないから。馬に乗ってるから。

 とは思ったが、べつに硬貨を何枚ひねり出したところでおれの懐が痛むわけじゃなし、店番の娘に三ギル払って真鍮のカップに二杯たっぷり注がせた。


「二杯も飲めませんよ」

「一杯はおれが飲むんだよ」

「あ、なるほどね」


「せめて飲むときは馬から降りなよ」

「そういうもの?」

「そういうもの」


 エラは不器用に馬から降りた。


 そして、おれは彼女が喉を鳴らしてレモネードを飲むのを眺めた。

 それからおもむろにカップへ手を伸ばした。


 エラの〈生ける調味料リヴィングシーズニング〉の力は、カップに手が触れた瞬間からすでに発動していた。

 手のひらに浸み入るような冷たさ。

 たった今搾られたかのような刺激的な香気が鼻を貫く。

 カップの中でゆらゆらと揺れる蜜のような液体は、日の光をチラチラと反射させてノドを誘う。


 おれはそろそろとカップへ口を近づけた。

 新鮮な果実をそのまま閉じ込めたような濃厚で冷たく甘い液体が舌を流れ、ノドを潤した。

 神気と言って過言でない鮮烈な香りがノドの奥から鼻へ抜け、脳髄を震わせた。


 ネクタル。

 それはまさに神々の飲み物であった。


 おれがほとんど酩酊せんばかりにレモネードを堪能していると、店番の娘はおれの飲みっぷりによほど感動したらしくサービスだと言ってもう一杯注いでくれた。


「お兄さんたちはこれからどこへ行くんですか?」

「ジランデに行くの」


 空のカップを卓に戻したエラがおれの代わりに答えた。


「アプラッシュの関を通るつもりですか?」


 娘の問いにエラがおれを振り返る。

 おれはうなずいてみせた。


「そう。その関所を越える予定」

「そうですか。じゃあ、今日はここからアップロ―ン街道へ出てアプレーデルの宿泊まりで、関を越えるのは明日ですね?」


「え? 日暮れまでには関所まで行けると思うんだ。こっちは馬なんだけど」


 いや、馬なのは、弟子よ、おまえだけだ。

 おれは徒歩だからな。


「だって、もう昼過ぎですから、今から急いでもアッププロ川を渡れませんよ」

「ごめん、わかんない。どういうこと?」


 エラがわからないのは毎度のことだが、レモネード売りの娘の話はおれでさえわからない。


 アッププロ川とは、アップラ湖から流れ出ている、アプレーデルの宿場の先にあって、アプラッシュの関所の手前で、アップロ―ン街道を横切る川である。

 まあ、早い話がアップアップいってるこの辺の川だ。


 おれは頭の中の地図を確認した。

 アッププロ川はそんな大きな川だったか?

 いや、地図にあるアッププロ川は確かに子どもでも渡れるような小川だった。


「日没までの二時間は大水車を回すために水門を開けるんです。すっごい勢いで水が流れますから、その間は誰も渡れなくなるんですよ」

「大水車って大きい水車があるの?」


「そうなんです。大人の背の十倍くらいある水車なんですよ。一度に百石も粉が挽けるんですって」

「へー、一度に百石も!」


 コネチの高いハーフエルフは粉と聞いて目を輝かせている。

 おれはもう、エラが次に何を言い出すか見当がついた。


「師匠、大水車、見に行きましょうよ。どうせ今日はもう関所まで行けないんだし、せっかくだから見ない手はないですよ」

「おれ、水車になんか興味ないよ」


「師匠になくても、あたしにあるんです。ここまで来て百石挽きの製粉所を見なかったとあっては、捏ね師としての名折れですからね」


 捏ね師? 何だ、それ?


 結局、エラに押し切られて大水車を見に行くことになった。

 レモネード売りの娘の話では、かつては大水車の持ち主が勝手に水門を開いたり閉じたりしていたらしい。

 それでは川を渡りたい人間にはいい迷惑だ。

 そこで、領主が大水車を動かしていいのは日没前の二時間だけと決めたのだという。


「前に来たとき、そんな水車あったっけかな?」

「何言ってんですか、お兄さん。大水車は一〇〇年以上前からありますよ」


 そうか、おれがこの前アプラッシュの関所を通ったのは、二世紀くらい前だった。


 アプレーデルの宿場には一時間ほどで到着した。

 おれが前に来たときは、大抵の旅人に素通りされる、さびれた湖畔の宿場町だった。

 今では大水車のおかげで、旅籠が乱立する大宿場に変身していた。


 客引きたちが道に出て旅人たちに声をかけていた。

 おれたちは片方が馬に乗っているとはいえ、鋳掛屋の装束だから、高価そうな旅館の客引きには無視された。

 べつに腹は立たない。

 金貨なんかいくらだって作れるから、そういうところへ泊ったってかまわないが、そんなことばかり続けていたらきっと、ウチの弟子があやしむだろう。

 エラのことだからまた、わけのわからない妄想を膨らませるに違いないのだ。


 かといって雑魚寝の木賃宿では、さすがにエラが可哀想だ。

 おれはアプレーデルの宿でいちばん清潔そうな旅籠を選んで、宿を取った。


 部屋に荷物を降ろすと早速、大水車まで行ってみることにした。

 宿の主に聞くと一時間も歩けば着くと言う。

 今から行けばちょうど水門を開いて放水を開始するところに間に合いますよとのこと。


 おい、ちょっと待て。

 今から行けばちょうど間に合うだと?

 じゃあ、こんな宿場なんか無視して先を急げば、アッププロ川を渡河できたんじゃないのか?


 なんだかなあ。

 地元の観光業者の口車に乗せられてしまったような気がする。


 ヘルガは厩に残して、おれたちは歩きで大水車へ向かった。

 ヘルガというのは馬の名前だ。エラがつけた。

 もちろん、背中自慢の修道女ヘルガにちなんだのだ。

 本人が知ったらどう思うだろう? 天国行きの確約でチャラとはならないかな。


 おれは〈レモネード売りの娘にしてやられた〉感でいっぱいだったが、腹が立つというより妙な爽快感を覚えていた。

海の家のラーメンとか、フェス飯とか、何であんなに高いんですかね? ぼられてる感ハンパないんですが。

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