どうして耳がとんがっているかはヒミツです。
第37話です。
エラは一二〇〇ギルでゴブリンを解放してやった。
これはおれの殺害報酬の前金として連中が受け取ったカネだった。
一二〇〇ギルなんて「八月軒」じゃ下手したら一食で終わりだ。
管理人殺しなら安すぎるが、鋳掛屋殺しとしては高価すぎる額だ。
そして、一族を焼き殺されないためには妥当な額かもしれない。
ノッポの薬屋に渡されたという写真に写っていたおれはまだ、前の基体を使っていた。
背景の街並みからすると、二か月ばかり前に暮らしていた街のようだった。
つまり、おれが狙われたのは、特殊能力〈生ける調味料〉を持つ娘とは無関係ということだ。
しかし、この世界でいいかげんに働いてきたおれには、恨みを買うような理由が思い当たらなかった。
まさか、秘書課のポーちゃんか受付のマインちゃんを狙っている男が、有力ライバルのおれを排除しようと――
まあ、そんなことはないだろうな。
ノッポの薬屋。
いったい何者だろうか?
「師匠、見て、海ぃー!」
エラが前方を指さして叫んだ。
急坂をおれは登って行った。
坂の上でエラは目をキラキラさせて待っていた。
そこまで行くとまっすぐ下っていく道の突き当たりに輝く水面が広がっているのが見えた。
「あれは海じゃない。湖だ。アップラ湖。向こう岸はもうジランデ、隣国だな」
「湖かー! 湖も広いですね」
頭の中に展開させた地図によれば、アップラ湖は東西にのびる水滴のような形をしている。
水滴の北側がおれたちのいる方で、南側がジランデ領だった。
目の前の道を行けば水滴の尖っている方にぶつかる。
そのまま湖に沿って西に向かうと、水滴の尖端に至る。
ジランデ領との関所はそこにある。
何とか日暮れまでにはたどり着けそうだ。
関所さえ抜けてしまえばひとまず「八月軒」の追手を心配しなくてもよくなるだろう。
「ねえ、師匠」
「何だ?」
おれは馬の口を取って湖に向かう坂を降り始めた。
「あたしは弟子じゃないですか」
「うん、まあ、そうだな」
弟子のわりには態度がでかいがな。
「弟子なら、ホラ、修行をしなくちゃいけないですよね」
「あー、修行かあ」
それは考えていなかった。
「まさか考えていなかったんじゃないですよね?」
「バ、バカを言うな! おれは師匠だぞ。師匠が修行を考えなくて何を考えるってんだ? 四六時中、考えることといったらそのことばかりだ」
「アノコトばかり?」
そういう耳か? お前の耳はそういう耳なんだな!
「アノコトなんか考えてない!」
「え、アノコトじゃなけりゃ、どのことを考えてるんですか!」
「何でそんなケンカ腰なんだよ? 修行のことに決まってるだろ」
「わかってますか? 魔法の修行ですよ。鍋直しの修行じゃないですからね」
「刃物砥ぎでもないんだよな?」
「当たり前じゃないですか! 何のために刃物砥ぎの修行をするんですか? お母さんの住む森に行ってエルフ相手に何を砥げってんですよ? エルフだけに耳ですか? 耳を砥ぐんですか? 奥さん、最近耳の先が鈍ってるんじゃない? 少し磨いとこうか? ほら、こんなにとんがった。これで旦那さんも大喜びだ。今夜は寝かしてもらえないよ〜、ヒヒヒヒ。とかやるんですか? 何ですか、それ? 師匠はエルフをなめてんですか?」
「いや、べつになめてなんかいないけどさ。それ、ちょっとわかんないんだが」
「何がわかんないんですか? エルフの森で包丁を砥ぐなって話ですよ」
「いや、そこはいいんだ。わかんないのは耳を尖らすと旦那が眠らせてくれないというクダリだ。何で耳が尖っていると寝かせてもらえないんだ?」
「へ?」
ハーフエルフはキョトンとした顔でおれを見返した。
「『へ?』じゃないよ。尖った耳だと旦那は寝かせないってのはどういう意味なんだよ?」
「ヤダ、師匠ったら。あたし、そんなこと言ってませんよ」
エラは尖った耳まで真っ赤にして首を振った。
何を急に恥ずかしがってるんだ?
「いや、言ったから。間違いなく言った。おれはこの耳でたしかに聞いた」
「しょうがないなあ……ほら、尖ってる方が具合がいいでしょ、ウフフ」
「具合がいい? 耳がとんがってると具合がいい? どういうこと? 何で、おまえ、顔を隠すんだよ? そんなに恥ずかしがることか?」
「もうっ、師匠ったら! 昼間っから言葉責めはやめてください」
言葉責め?
これはセクハラにして、パワハラなのか?
ビックリだなあ。
おれは仕様書の「エルフ族」の章をひっくり返してみた。
綿密にチェックしたが、エルフのトンガリ耳については種族の外見的特徴とあるだけで、そこに特別な機能や使用方法の記載は一切なかった。
つまり、エルフの連中、初期設定にない使い道を編み出したというわけだ。
しかも、こいつは連中だけの秘密らしい。
この三〇〇年の業務期間中、おれは一度も気づかなかった。
どんなくだらないことであれ、管理人が知らない、設定外の用法や目的があるのはマズイ。
ここの管理人やってもう三〇〇年だからなあ。職務怠慢と言われても反論のしようがない。
「どういうことなんだ? エルフのトンガリ耳にはどんなヒミツが隠されているんだ?」
おれはもはや個人的な興味というよりも、業務上の必要性に迫られて、エラを追及した。
「まあ、いいじゃないですか」
「よくないよ。ぜんぜんよくない。このままじゃ、おれ今晩眠れなくなっちゃう」
「はあ、悶々として? 襲わないでくださいよ」
「そういうことじゃない! 気になって眠れないってこと!」
「いやー、そこを何とかなりませんかね?」
「何とかってどういうことだ?」
「だからー、聞かなかったってことで」
「聞かなかったってわけにはいかないよ。実際聞いちゃったんだから」
「お願い。ね、後生だから。ね、この通り」
エラは両手を合わせておれを拝んだ。おまえ、どこの人だ?
「後生」なんて言葉、久々に聞いたなあ。
「聞いたモンは聞いたんだなんて野暮なことは言いっこなしですよ。ここは女の顔を立てて、聞かなかったことにしてやっておくんなさいな。ね、若旦那」
「誰が若旦那だ!」
「え? 大家さん?」
「違うだろ!」
「あ、ご隠居かあ!」
「バカ! おれはおまえの師匠だろうが!」
「三味線の?」
「はあ? 三味線の師匠か、おれは? おまえは三味線の稽古をつけてほしいのか? だいたい三味線て何だ? そんな物、この世界に存在するか!」
うわー、弟子ったらこの世界の設定に真っ向から逆らうようなことを無造作に言い放ちやがった。
こいつこそオーパーツだな。
こいつのとこからこの小さなかわいらしい世界にヒビが入るんだ。
「あー、そうでした。あたしは師匠から魔法を教わるんでした」
「だろ? おまえは魔法使いの弟子だろ?」
「プフッ」
エラは吹き出し、手にしていた木の枝でおれの肩をピシピシと叩いた。
「何だよ? 何がおかしいんだ?」
「だって、魔法使いの弟子って言うから――プフッ」
「笑うようなことかあ?」
「だって、あたしが知ってる魔法使いの弟子はですねえ、ネズミなんですよ。ネズミのくせに白い手袋とかはめちゃって、音楽に合わせて魔法でホウキを歩かせたり、水桶に自分で水を運ばせたりしてですねー」
「音楽に合わせて?」
「そうなんですよ。音楽付きなんです。でね、ネズミが棒を振ると、花火がドーン、ドーンて――」
「言うな!それ以上は言うな」
おれはあわててエラの発言を止めた。
エラは馬から落ちそうなほど身をよじって笑っている。
おれはこの弟子にこそ、恐ろしい秘密が隠されているような気がしてきた。
「おまえさ、トラックが来てバーンとか、そういう前世の記憶はないか?」
「トラックって何ですか? それがバーンてどういう意味?」
エラは頭の上にクエスチョンマークを浮かべておれを見下ろしていた。
どうやらよその世界からおれの世界へ「転生」してきたとかいう設定ではないようだ。
良かった。
このうえこの娘にチートなんか目指されたら、管理人としてどうしていいかわからなくなるところだった。
あらためて仕様書を確認してみたところ、この世界は転生者の受け入れを拒否していた。
おれに言わせれば、これはオーナー様の賢明な判断である。
管理人仲間によれば、転生者が無理やり資本主義を導入したために、オーナー好みの封建主義社会が崩壊してしまい、訴訟にまで発展している事案もあると聞く。
「ねえねえ、トラックがバーンて何ですか?」
「いいんだ、忘れてくれ」
「忘れてくれ? いったん口にしたことを忘れてくれと言うんですか?」
「おまえだって聞かなかったことにしてくれって言ったじゃないか」
「あーあーあーあー、聞こえません、聞こえません。ぜんぜん何も聞こえないわー」
耳をふさいでハーフエルフの娘は馬を走らせた。
取り残されたおれは、尖った耳と寝かしてもらえない人妻について深く考察しながら、坂を下りて行った。
アレはなぜとんがっているんでしょうかねえ?




