オーナー様も暴走します。
第33話です。
焼きあがったパンの端をひとかけら摘まんで、エラは口に運んだ。
そして、うなずいた。
「とても、上手にできました。最高の焼き加減です。マルゲリータさん、ありがとうございました。明日の朝の分まで焼きましたから、皆さんで召し上がってください」
おれたちはエラが捏ねたパンを遅めの昼食とした。
エラの〈生ける調味料〉能力に初めて触れた修道女たちは、何も知らずに彼女のパン捏ね技術を褒め称えた。
エラは調子に乗って修道院にある小麦粉をすべて捏ねようとし、院長に羽交い絞めにされて止められた。
その間も建物の外では、獣人たちが打ち鳴らす戦鼓の音が響いていた。
中のおれたちを脅すつもりで叩き続けているのだろうが、修道女たちはおれを天使と信じ切っているので――実際、そのとおりなのだが――まったく怖がってはいなかった。
修道女たちは食後、祈祷に戻った。
そうしていれば神様が敵を追い払ってくれると疑いもしない。
おれは鐘楼に上がった。
地図上の光点に大きな変化はない。
「ヴンターデルフの猟犬団」の団長がテントを張って、その中に引っ込んだくらいだった。
それだって日没が近づけばまた顔を出すことだろう。
遠巻きに近隣の住民たちが見に来ているのが見えた。
彼らは修道院の危難を面白がっているのではなかった。
皆、心配してくれているのだ。
地面にひざまずき、神に祈っている姿を、そこここに見ることができた。
――ねえ、まだなの?
管制だ。
「まだですが、なにか?」
――こっちは、オーナー様から催促の嵐なんですけど。ねえ、早くしてくれない? オーナー様がうるさくて、ぜんぜん仕事になりゃしないのよ。
「今出るところですからとか言っておけよ」
――ソバ屋の出前じゃないんだからさ。いつまで待てはいいのよ?
「日没まで。それが敵の出してきたタイムリミットだ」
――わかった。日没ね。オーナー様にはそう伝えるわ。
おれは鐘楼の縁に足をかけ、人イヌたちを見渡した。
ふと変なことに気がついた。
ジャガイモ畑のところどころに生えている木の影が、急に伸びだしたのだ。
「?」
空を見上げると、お日さまが目にはっきりとわかるスピードで西へ動いていた。
「管制! 管制!」
――なによ?
「大変だ。星系システムの緊急点検をしてくれ! 自転速度が上昇しているようだ!」
――ああ、それ? 心配ないから。こっちでやってることだから。ほら、太陽の運行は速くなっても、地上じゃ暴風が吹き荒れたりしていないでしょ?
たしかに暴風は吹いていなかったが、住民たちは空を見上げて恐れおののいていた。
人イヌたちにも動揺が見られた。
団長のテントの出入りが激しくなった。
団長もテントから出てきて空を見上げている。
イヌの表情というのがよくわからないので、団長が怒っているのか怯えているのか判断がつかない。
口を開けて舌を垂らしているのはアホに見える、というだけだ。
尻尾が見えていれば、ビビっているかどうかわかるのだが、残念ながらズボンの中だ。
「どういうことなんだ、おい!」
――どうもこうも、あんたが日没まで待てって言うからこうなっちゃったのよ。
「はあ?」
――オーナー様にね、日没まで待ってくださいって伝えたらさー、ほら、オーナー様酔っ払ってるから、いや、そんなには待てないって。そうおっしゃられましても現場の方でそう決まってしまいましたので変更のしようがございませんって言ったのね。そしたら、ブチ切れちゃって、現場とオーナーとどっちがエライんだ、日没なんて悠長に待ってはいられない、そうだ、それなら日没を早めろ、おれの世界なんだからそれくらいできるだろうって。そういうことよ。
「そういうことって――そんな酔っ払いのわがままで、惑星の自転速度が速まってんのか?」
――そう。元はあんたが修道女にお祈りなんかさせるから、こうなるのよ。
管制はもう怒りの極限値を振り切ったらしく、妙に落ち着いた声で言うと、通信を断った。
あっという間にお日さまは西の山の稜線に近づいていた。
「天使様」
振り返ると院長が目を輝かせて立っていた。
「これも神の奇跡でございましょうか?」
「まあ、そういうことになるのでしょう」
まさかあんたたちの神様は酔っ払いだとも言えない。
「ありがたいことでございます」
院長は山の端にかかった太陽に祈りを捧げた。
西の空が真っ赤に染まっていた。
「聞いているか、院長!」
戦鼓の音がひときわ大きくなった。
「刻限の日没も迫った。これが最後のチャンスだ。ハーフエルフの娘を引き渡せ。さもなくば、日があの山の蔭に沈むと同時におまえらの敷地に踏み込むぞ!」
「決心は変わりません! 日輪の進みを見ても神のご意志は明らか。あなたたちこそ、とっとと自分のねぐらにお帰りなさい!」
おれが増幅させた院長の声は、近くの村々にまで届いたはずだ。
ここにきて日の沈み方はゆっくりになった――というより元に戻ったのだろう。
人イヌの傭兵団長は荒ぶる馬をなだめながら、日が沈み切るのを待っていた。
次回はいよいよ約束の刻限となりました。




