人イヌたちがすぐそこにいます。
第29話です。
おれは見えている三人を、頭の中の地図にマークした。
こうしておけば、いつどこにいても三人の位置は把握できる。
おれは礼拝堂へ降りると、院長に馬を一頭欲しいと言った。天使様のお願いを彼女が断るはずもなかったが、本気で心配している顔で出発を引き留められた。
「今は出て行かない方が良いのではありませんか? あなた様は心配ないとしても、その子が一緒ではそんなに速くは動けませんよ」
「ここにいたら、逆に出発できる機会を失ってしまうかもしれません。行けるところまで行ってみようと思います」
おれはウソをついた。本当のことを言うのはさすがにためらわれた。
修道院の馬はどう見ても駄馬だった。普段は畑で働かせている馬だ。人を乗せて競走させるようには作られてもいないし、訓練されてもいない。もっとも、そんなことは承知していた。
おれは馬に跨ると、後ろにエラを乗せた。
「もっとしっかりしがみつけよ」
「わかりました。もっとおっぱいをくっつけろと」
馬鹿なことを言っている娘が落馬しないよう、あの体格のいい修道女ヘルガに頼んで、彼女をおれの身体にヒモで縛りつけてもらった。
「ううっ、緊縛プレイですか?」
「だまれ! 口を閉じてろ。舌噛むぞ!」
おれは馬の腹を蹴った。馬は全速力で――とぼとぼと歩き出した。
「師匠ー、ヤル気ないですよ、こいつ。こんな馬ならヘルガに背負ってもらった方がマシですよ」
エラの言葉を聞いて、俄然ヤル気になっているヘルガが視界の端に見えた。
おれはあわてて馬の視神経をいじって――馬の目の前にニンジンを一本浮かばせた。馬は実在しないニンジンめがけて走り出した。
頭の中へ地図を展開させる。いちばん近い獣人を表す光点は、今走っている道をまっすぐ行った先だ。
じきに見えてくるだろう。
道はジャガイモの畑に挟まれた緩やかな上り坂になっていた。
馬はありもしないニンジンの幻影を追いかけて駆け続けていた。
「ふんげ、ほんが、ふんにゃ――痛ーい!」
エラが何かしゃべろうとして舌を噛んだ。「痛い」しかわからない。
「だから、話すんじゃないって!」
坂を登りきると、獣人の姿が見えた。ハウンド系犬人間だった。
よく手入れされた革鎧を身につけていた。手には使い込まれた槍を携えている。
訓練された兵隊だと一目でわかった。
風向きが違うのだろう。そいつはまだおれたちに気づいていなかった。
やがて、馬の足音を聞いた人イヌはこちらに顔を向けた。
おれは槍の届かない距離を測って、その脇を走り抜けた。
人イヌ兵が追いかけてくる。
常人とは比べ物にならない速さだ。だが、それでも馬ほどではない。
頭の地図ではもう一つの光点も近い。
おれは道を外れてジャガイモ畑に入り、その方向へ馬の鼻を向けた。
人イヌは「しめた」と思ったのだろう。
追いかけてくる速度が落ちた。
仲間と挟み撃ちにできると考えたに違いない。
もともとイヌは群れて生きる獣だから、こういうときは一人よりも集団で動く方を選ぶ。
人イヌが遠吠えした。仲間への合図だ。
二人目の人イヌが見えてきた。そいつはおれたちを待ち構えていた。
ゆっくり距離を詰めてくる。
おれは三つ目の光点の位置を確認していた。
遠吠えを聞いて、そいつもおれたちの方へ向かっていた。
かなりの速度で接近しつつある。
おれはまた進路を変更した。
最初の一人と三つ目の光点の間へ向かった。
地図上では敵を示す三つの光点が、おれを囲む形になっていた。
徐々に光点が作る三角形が小さくなっていった。
エラはギュッとおれに抱きついていた。
もう何もしゃべらない。いや、しゃべれないのだろう。
おれはまっすぐ馬を走らせた。
このまま進めば、三人目の人イヌの前へ飛び出すことになる。
三人目の人イヌが槍を構えた。馬を刺すつもりなのはわかっている。
おれは速度を緩めず、そいつに向かって行った。
そいつの槍が突き出されるだろうタイミングをはかる。
鼻面を燃やしてやろうとして、直前に大事なことに気づいた。
後ろにはエラがいるのだ。
また呪文を唱えずに人イヌの鼻なんか燃やしたら、後で追究されてうるさい。
「¥”+#*$%&@!」
おれは実家の住所を叫んだ。エラにわからなければ何でもいいんだ。
そして、人イヌの鼻を燃やしてやった。
突然目の前に炎が現れたそいつは、驚いて槍を突き出すどころではなかった。
おれはすぐそばを通り過ぎながら、そいつのうなじにチョップを入れた。
運が悪ければ頸椎破損で死亡だろう。
運良く生き延びられても、鼻を焼かれたイヌにどんな生き方があるのだろう?
おれは幻のニンジンを二本に増やした。
馬が、グンッ、と加速する。
地図で残りの光点を確認した。
一人は必死についてきている。
もう一人はおれたちから離れて街道の方へ向かっていた。
遠吠えしながらだ。
本隊へ連絡に向かったのだろう。狙い通りだった。
おれは馬に泡を吹くほど駆けさせて、修道院へ戻った。
馬を降りると身体に縛りつけたエラを引きずって、修道院の石造りの建物に転がり込んだ。
修道女たちはおれたちが駆け抜けるや否や、玄関の分厚い扉を閉めてカンヌキをかけた。
「おケガはありませんでしたか?」
院長が駆け寄ってきた。
「こちらは大丈夫ですが……申し訳ありません。敵をここへ引き寄せることになってしまったようです」
すぐに敵本隊が修道院へやってくることだろう。
ただ、初めからそのつもりで出て行ったことは黙っていた。
「隠し砦の三悪人」のあのシーンとか「スターウォーズ」のあのシーンとか、まあ、ああいう感じです。




