ヒワイだ、ヒワイすぎます。
第22話です
日が落ちきった頃に、おれたちは修道院に着いた。二人とも腹を空かしてブッ倒れそうだった。
「あ、師匠。肉ですよ、肉」
「弟子よ、それはふつう、生きている間は牛と言うんだ」
おれは厚い木の扉をガンガン叩いた。もっともそんなにムキになって叩かなくても、「歌う石板」のせいでおれたちがやってきたのは修道女たちにわかっていたはずだ。
悲鳴をあげている胃袋をなだめながら――胃袋なんかないんだけどな――扉が開くのを待った。
扉がほんの少しだけ開かれ、そこから修道女の顔が右半分だけ覗いた。若い修道女の怯えたような目が、おれの頭のてっぺんから爪先まで、三度くらいは往復した。
「どんなご用でしょう?」
「流しの鋳掛屋でございますが、ここまで来たところで日暮れてしまいまして、一晩泊めていただければと訪ねてまいりました」
「ここは女子修道院です。申し訳ありませんが男性をお泊めするわけにはまいりません。旅の商人であれば野宿は珍しいことではないはず。幸い今夜は天気も良さそうですし、雨に悩まされることもないでしょう」
修道女は扉を閉めようとした。
おれはあわてて扉の隙間に爪先を突っ込んだ。
履いているのが靴ではなくサンダルだったことを忘れていた。
新品の基体の爪先がグシャッと潰れた。
「ぎゃあああああ!」
おれの悲鳴は夜の荒野に響き渡った。
「だ、大丈夫ですか?」
修道女は急にオロオロしだした。
「あー、こりゃあ、ダメですわ。骨までいかれてもうてる。一歩も歩けまへんわ。兄貴、しっかりしいや。今、このお嬢ちゃんに、一休みさせてくれるよう頼んでみるさかい。アンタ、ウチの兄貴に何してくれはりまんの? もしかしたら、この人一生歩けえへんかもしれんよ? 人をこんなんしといてまさか出て行けなんて言うつもりやおまへんやろなあ?」
エラは変な口調になって修道女に絡んでいた。
「いえ、あの、そうおっしゃられても……」
「人がこんなん困ってんのに泊めてくれへんの? 鬼や。アンタは鬼や。やさしそうな顔してからに、オバチャン、コロリとだまされてもうたわ。アンタの本性は鬼やな。外面似菩薩内心如夜叉とはよう言うたもんや。女はホンマ、信用できひん。兄貴、この女、修道女の皮をかぶった悪魔やで」
エラは絶好調である。いつの間にかどこかのオバチャンになっている。爪先から脳天にまで突き抜ける痛みさえなければ止めるところだが、おれに今できることといえば地面に転がり足を掴んで奥歯を噛みしめることだけだった。
「悪魔? 今、悪魔とおっしゃいました? それは聞き捨てなりません。他の言葉ならどんな侮辱も甘んじて受けましょう。でも、でも、悪魔だけはダメです。訂正してください!」
修道女もキレた。事態はどんどんめんどくさい方向へ進んでいる。おれはとりあえず苦痛を我慢する。
「悪魔を悪魔言うたらアカンの? オバチャン、初めて聞いたわ。どこぞの法律で決まってはるの? 教えてほしいわあ」
オバチャンモードが止まらない弟子を見上げて、おれは痛みかひくのを待っていた。その間も背中の頭陀袋の中では、石板が歌を歌い続けていた。
「♪神の与え給う〜 苦難の道も〜 ♪われらが信仰の〜 糧となりて~ ♪果てなき道を~」
「あ、もう一人いらっしゃいます?」
修道女はふと冷静さを取り戻して、辺りを見回した。おれの他にはオバチャンモードのハーフエルフしかいないのをたしかめると、もの凄く嫌な顔をして、転がっているおれを見下ろした。
「この歌は?」と修道女は言った。
とてもわかりやすい質問だ。おれは転がったまま彼女に答えた。
「信じられないかもしれませんが、これは石板が歌っているのです」
おれは、久しぶりに人が本当に絶望したときの顔を見た。
修道女は泣きそうな声で叫んだ。
「院長〜! 大変です〜! 石板が戻って来ましたあ〜!」
おれたちは食堂へ通された。うるさい石板は礼拝堂へ置いた。そこには、石板を乗せるための立派な台があった。
修道院長は髪が真っ白い女性だった。それが年齢による白髪なのかどうかは判断しづらい。シワの数だけ数えるなら、彼女はまだ四十代で通用するだろう。
おれたちは老若さまざま修道女に囲まれていた。おれが男だからなのか、彼女たちは皆、怖い顔でおれたちを睨んでいた。
しかし、そんなことには無頓着に、エラは出された白パンとシチューをがっついていた。
おれも泣けてくるほど腹は減っていたが、院長の話が終わるまでは手をつけないつもりでいた。ただ、これがなかなか終わらない。
「そうでしたか。石板はオーガの巣にあったのですか。それをあなたが取り戻してくれたのですね?」
「いえいえ、わたしは遍歴の騎士アギーレ・オン・ロゴントス様について行っただけで、実際アギーレ様がオーガを退治されるのをボーッと見ていただけですから」
「何を申されます。それだけでも偉業でございますよ」
「そうですよ」木の匙でシチューを口に運ぶ途中だったエラが手を止めた。「見てるだけでも結構大変なんですから、師匠。院長様、ちなみに私もその場におりました」
「それはそれは。お弟子さんもかわいい見かけによらず大変勇敢でいらっしゃるのですね」
「へへへ、かわいいだって、師匠、かわいいだって」
おれは弟子を無視した。
「つまり、あの石板はもともとこちらの物だったのですね?」
「そうなのです」修道院長はうなずいた。「五百年前から当修道院に伝わるものだと言い伝えられています」
五百年前なら、おれの前任者の時代だ。
「これまでも何度か石板が修道院を離れたことはありました。プラント王国の占領期には彼らに略奪されましたし、百年戦争の際にはこの辺りの領民の年貢の代わりに提出されたこともあります。湖に沈められたこともあります。そのときは奇跡的に漁師の網にかかって見つかりました。このように必ず石板はここへ戻ってきていたのです。しかし、半年前に誰かに盗まれたときはもう戻らないと喜んで、いえ、覚悟していたのですが、やはりこうして戻ってくるのは、当修道院との間には切っても切れない絆があるのですね」
「あまり嬉しそうではありませんね?」
おれは単刀直入に聞いてみた。
院長はため息をついた。
「そうなのです。由緒ある聖遺物を所有していることは、修道院にとって大変誇らしいことには違いないのですが、じつは困ったこともありまして……。もうじき夜刻になりますね。口で説明するよりも実際に聴いていただいた方がわかりやすいでしょう」
院長は黙り込んだ。
礼拝堂から途切れることのない石板の歌が聞こえていた。
おれがどういうことか聞こうとすると、院長は口唇に指をあてて、シッ、と言った。
何を聴けってんだよ、と思ったときだった。
石板の声が変わった。歌の調子も陽気な感じになった。
そして、食堂にいた修道女たちの顔が青ざめた。
「♪聖女アガタの×××は×××で〜 ♪おいらの×××は×××よ〜」
「こ、これは?」
聞こえてくるのは聖歌ではなく、エロくてどうしようもなく下品な春歌だった。
「♪×××を××××してー ♪×××に××××なのよ〜 ♪×××は××××だけどね〜 ♪××××が×××よ〜」
ヒワイだ。ヒワイすぎる。
「これが一晩中続くのです」院長が暗い声で言った。「他の場所では歌わないのです。ここにあるときだけ、このような歌を歌うのです」
エラもシチューをすくう手を止めて、顔を真っ赤にしていた。
「こ、こんなのを毎晩聞かされたんじゃ、エロに飢えている人はたまりませんよねえ」
おれはテーブルの下で弟子の足を蹴とばした。
「これがこのキャンペ女子修道院の秘密なのです」
院長はまっすぐおれを見つめていた。
他の修道女たちもおれをじっと見つめていた。
な、なんだ?
これからエロに飢えている者の組んずほぐれつが始まるのか?
「この秘密を知った者を外へ出すわけにはまいりません」
院長の冷え冷えとした声。
修道女たちはおれたちを囲む輪を狭めた。聖衣の下に隠していたのだろう、その手には鎌や包丁や麺棒が握られていた。
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