オーガ退治しなくちゃ、です。
第18話です。
できるかどうか不安だったが、頭の中に地図を展開してみた。周辺部がぼやけていたが、森の中だけなら十分使える精度だった。エラを探す。彼女を示す光点は少し離れた場所で停止していた。
止まっているとはどういうことだろう?
オーガに遭遇し戦闘中なのか、それとももう殺されてしまったのか? あれ、死んでしまっても地図には示されるのだったっけ?
おれは道からはずれ、樹々の間を、エラの光点に向かって、最短距離を進んで行った。大きな木の根元でアンドレを見つけた。騎士の従者は大木に巻きついた蔦に向かって、畑に生えた足について、涙ながらに語っていた。バッドトリップだよなあ、と思いながら、おれは先を急いだ。
老いぼれ騎士のやつはどこにいるんだ?
地図で探すとアギーレのジイさんは少し遠い場所にいた。ジイさんは川沿いを上流方向へ移動中だった。その辺りは急流で、川は切り立った絶壁の間を流れている。ジイさんがいるのは、その絶壁の上だった。
おれはジイさんを無視して、まずはエラの方へ向かった。
樹々の連なりが途絶えて、急に視界が開けた。そこだけ小さな広間のように平らになっていた。
午後ののどかな日差しを受けて、ロバが草を食んでいた。おれの気配に気づいてビクッと頭を上げたが、近づいているのがおれだとわかると、また食事に戻った。
エラはロバのすぐそばに、頭を草むらに突っ込んで尻だけ高く持ち上げた、妙に扇情的な姿勢で倒れていた。ロバから落ちたようだ。一瞬死んでいるのかと思ったが、近づくにつれ規則正しい寝息が聞こえてきた。
おれはエラの尻を蹴とばした。
「あ、ひひょう、おはようほはいまふぅ」
エラは口元のよだれを拭いながら起き上がった。これからオーガ退治に行こうとは思えない暢気さだった。
「騎士さんたちはどこ行ったんですかあ?」
「みんなバラバラになっちまった」
「さてはこの森に結界魔法がかけられていたのですね? それで奥へ行こうとする者は皆、離れた場所に飛ばされてしまう」
「いやいや、そんな高級な仕掛けなんかありゃしませんって」
「じゃあ、どうして? だいたい、何で、あたしはここにいるんでしょ? あたたた、思い出そうとすると頭が痛くなる」
「頭が痛くならなくたって思い出せないくせに。昼飯にキノコを食ったのは覚えてるか?」
「はい、おいしかったですよね?」
「あれ、毒キノコだった」
「はあ? 毒キノコ? はあ?」
エラは唐辛子でもかじったみたいに真っ赤になった。
「あのジジイ、今度会ったらタダじゃおかねえ。ブッ殺してやる」
「おいおい、口が悪いよ」
おれはエラの腕をつかんで立たせると、川へ向かった。その方向にはアギーレがいるはずだった。
突然、吠え声が森に響いた。ひっ、とエラは首を縮めた。おれも突然のことで肝を冷やした。オーガはおれたちの誰かに気がついたのかもしれない。
声が聞こえてきた方向はよくわからなかった。聴覚が低下しているせいだ。五感のすべてが鈍っている。いつもの感覚が失われていることに、おれは不安を覚えた。
おれは周囲を見回した。
オーガらしい気配は感じられなかったが、標準装備能力が現地一般人レベルまで下がっている身では、どれだけ近くにいても感じることはできないかもしれない。
頭の中の地図に大型動物をすべてマーキングさせた。全部で五つ。この中のどれかがオーガということだ。端から確認していくしかないだろう。
つんつん、とエラに袖を引っ張られた。
「ねえ、師匠、このまま逃げちゃいません?」
「おまえには責任感というものがないのか?」
「そんなもの、いくらあったって何の役にも立ちゃしません! 責任感でパンが捏ねられますかってんです! あたしなんか、そんなもの、とうの昔に犬に食わせてやりましたよ!」
「何で怒ってんだよ?」
「こわいからですよ! 決まってんじゃないですか!」
ハーフエルフの娘は、おれの胸にしがみついてきた。
おれはその背中をポンポンと軽く叩いた。
「それってもっと胸を押しつけろってサインですか?」
「違う。安心しろって意味だ。おれがいる限り大丈夫だよ」
「へへ、やっぱり師匠はやさしいです」
エラはおれの胸に顔を埋めた。
大口を叩いたものの、今のおれでは彼女を守りきれるかどうか覚束ない。
とにかく一刻も早く替えの基体が準備されることを祈るしかない。
エラの華奢な身体を引き剥がすと、アギーレを探しに行くと告げた。
「わかりました。ブン殴りに行くんですね?」
「いや、殴りたいのはやまやまだが、いつどこでオーガと遭遇するかわからない状況だからな、今は二人より三人でいる方がいい。あれでも一応騎士だから、盾がわりぐらいにはなるさ」
おれはアギーレのいる場所へとまた歩き出した。地図では、ジイさんはさっきから動いていなかった。ジイさんのすぐそばに大型動物を示す点が光っていた。
助けが必要なのはおれたちよりもむしろジイさんの方らしい。
おれは急ぎたかったが、エラがまだ毒が抜けきっておらず、ふらふらと泳ぐような足取りだった。
アギーレのいる川原にたどり着く前に、激流の水音に混ざって、オーガの吠え声が聞こえてきた。どうやら想像通りの状況らしい。
おれたちは樹々の間から様子をうかがった。
痩せ馬が急流に首を突っ込んで倒れていた。腹が大きく裂かれて、はらわたがはみ出していた。
「おジイさんが危ないですよ」
エラが囁いた。
そんなこと、彼女に教えてもらわなくてもわかる。
アギーレは年寄りのわりに健闘していた。すでにカブトはどこかに飛んでいて、額からは血が流れていた。鎧の胸当ては大きく凹み、盾は無惨に割れていた。
オーガはアギーレを水際まで追い詰めていた。太い棍棒を振り回して、老騎士をいたぶっていた。
重い騎士鎧は動きを鈍くする分、アギーレに不利に働いていた。振り下ろされる棍棒を何とか剣で受けているが、それもいつまで続くものか危うかった。
しかし、今のおれが出て行ったところで、アギーレ以上のことができるわけでもない。二人まとめてやられてしまうだけだろう。
オーガが牙を剥き出して吠えた。アギーレが濡れた石の上で足を滑らして尻もちをついた。おれの隣でエラが身をすくめた。
おれは管制を呼んだ。
「あとどれくらいだ?」
――もうじきよ。作業終了次第、そこへ送るわ。
オーガが棍棒を横へ薙いだ。アギーレの剣が中ほどから折れて、刃は川へ落ちた。
「もうじきって何分だ?」
――大急ぎで二分!
ダメだ、間に合わない!
オーガが棍棒を振りかぶった。
アギーレはあきらめたのか、祈るようにうなだれた。
おれは叫び声をあげながら、木の陰から飛び出した。
「うわあああああああああ」
オーガの注意がこちらへ向いた。棍棒を持った手が頭の上に振りかざしたまま止まった。
おれは全力でオーガの下半身へタックルした。
おれとオーガはもつれるようにして川へ落ちた。
激流がおれたちを呑み込んだ。
「師匠ー!」
「キーファー殿!」
泡立つ水がおれとオーガを翻弄した。上も下もわからなくなった。今のおれには息ができないことでさえ苦しかった。頭や肩や腰に川底の石がぶつかった。
オーガの手がおれを引き離そうと頭をつかんだ。おれは死に物狂いでオーガの腰にしがみついた。鼻や口から冷たい水が入ってきた。
ぐるぐる回転しながら、おれたちは川の中ほどへと運ばれて行った。
苦しいのはオーガもいっしょだった。やつの指がおれの右目に食い込んだ。
おれはオーガの胃袋に、今残っている力で作れる一番大きな爆弾を出現させた。そして、爆発させた。
オーガの身体が飛散するのがわかった。そして、おれの身体も。
世界が白い光に覆われ、おれの意識も消えた――。
…………目の前に苔に覆われた大樹の根っこがあった。
……遠くないところから、娘の泣き叫ぶ声が聞こえた。
おれは両手を前に出して、開いたり閉じたりしてみた。どの指もちゃんと動く。
立ち上がり、木の下から川原へ降りて行った。
爽快な気分だった。新しい基体は軽く、スムーズに動いた。
アギーレは川べりに立って、水面を凝視していた。そんなところに何を見つけようとしているのだろう?
おれは、川原に突っ伏して慟哭しているハーフエルフの娘に向かって、歩いて行った。
よろしければブックマークしていただくとうれしいです。