そんな名前知りません。
第13話になります。
近くまで来ると全身鎧は本当にやかましかった。
痩せ馬に揺すられているだけでもガチャガチャと規則的な金属音がうるさいのに、手や足を動かすとさらに余計な音が加わるのだ。
鎧はみすぼらしい物だった。しかも、ここ数年は鎧鍛冶に出していないらしく、表面は傷だらけで、ところどころに凹みがあった。乗っている馬も駄馬だ。これを駄馬じゃないというなら、この世界の設定では馬は全部駿馬ということになってしまう。
騎士はおれの横へ馬を並べると、カブトの頬当を上げた。そこに現れたのは、馬同様に痩せさらばえた老人の顔だった。
「拙者は遍歴の騎士、アギーレ・オン・ロゴントスと申す。〈雷光のアギーレ〉といえば、お聞きになったことがあるやもしれませぬな」
いや、ぜんぜん。ここに三百年いますけど、一度も聞いたことがありません。申し訳ない。
遍歴の騎士と言えばかっこいいが、つまりは主なしの騎士である。もっと若ければどこかの王侯に仕える機会もあるかもしれないが、こんなジジイはもう誰も相手にしないだろう。
そういうことを、本人もわかっているのだろうか?
どこかに落ち着いて老後を過ごしたらいいんじゃないか、と思ったが、これはしょせん他人の考えだ。当人にはまた別の考えがあるのだろう。
「騎士様、私は名乗るのもおこがましい旅回りの鋳掛屋でございます。この徒弟と二人で鍋釜を直しながら、諸国を巡っております」
「いやいや、鋳掛屋とは隠れ蓑でござろう。その正体は天下無双の武芸者ヨーゼフ・キーファー殿。ご高名はかねがね承っておりますぞ」
ウソつけ!
ここにもお調子者がひとり、ということだ。さて、このジジイは何が狙いだ?
「先ほどの門前で貴殿が披露された腕前、拙者もほとほと感心いたしました。はじめはかわいそうな行商人がイジメられているのかと思い、弱気を助け強きを挫くこそ騎士道の誉れ、これは拙者が助太刀いたさねばなるまい、と痩せ馬に一鞭当てたか当てないかという間に、貴殿は群がるゴロツキ兵どもをことごとく打ち倒しておられた」
群がるゴロツキ兵ねえ。そんなにいたっけ?
「さては名のある武芸者に違いないと推察していたところ、弟子殿が告げたる名前を耳にして、ああ、あのキーファー殿ならさもありなん、と納得したのでござる」
「いえいえ、そんなたいそうな者ではございません」
「謙遜めされるな。お互い武芸の道に生きる者同士、過ぎたる謙遜はむしろ相手に失礼であろうよ」
「はあ」
いちいち言うことがめんどくさいジジイだ。これはエラの言う通りブン殴っちゃうのが正解かと思って振り返ると、いつの間にかわが弟子はロバにまたがってケラケラ笑っている。
「これ、降りなさい」
「いいじゃありませんか。まだ先は長い。娘の足ではつらいでしょう」
ロバ男がとりなすので、エラも調子に乗って、もう疲れたしー、もう歩けないしー、などとほざいていた。
「わが従者のアンドレも、かように申しておる。見たところ弟子殿はまだ幼い。たまには甘やかしてもよかろう。ときにキーファー殿、そこらで休憩するのはどうかな? 北方の珍しい茶など馳走したいが」
「すみません。先を急いでおりまして」
「左様か。じゃが、袖振り合うも他生の縁、と申すぞ。旅は道連れ、世は情け、とも申すな。先を急ぐと言うても、野宿ではあるまい?」
「はあ、若い娘も一緒でございますから」
「今日の宿はノイヴィートであろう。それではそこまで同道しようではないか?」
馬に乗っている相手に、徒歩の人間が「先を急ぐので」とも断れなかった。
「殿様がよろしければ、ご一緒させていただきます」
「貴殿に殿様と呼ばれるのは面映ゆい。アギーレと呼んでくれたまえ」
宿屋が見えてきたあたりからもう、おれはドキドキワクワクが止まらなくなっていた。
そりゃそうだろう。
宿屋に着いたらメシが食えるのだ。
そこで提供されるのがどんな粗末な物でもかまわない。
野鼠のローストだろうと、干し藁のサラダだろうと大歓迎だ。
何と言っても、こっちにはエラがいる。〈生ける調味料〉様がついているのだ。
宿屋に着くと部屋に荷物を下ろすのももどかしく食堂へ行った。
腹がグウグウ鳴きっぱなしだ。
「あたし、ゴハンの前にお風呂に入りたいんですけど。いいかげん粉を落としたいですぅ」
「湯浴みなんか後でいくらでもさせてやる。今はメシだ。メシ、メシ。粉も、砂も、ホコリも、汗も、今はとにかくガマンしろ」
「えー、ガマンですかー? そういうプレイなんですかー?」
ハーフエルフの妄想は放っておいて、おれは宿の女将を呼んだ。
べつにこの世界の宿屋の女将の体型について仕様書に記載があるわけではないが、たいていどこへ行っても、女将というものはビヤ樽のような体つきをしているものだ。
ここの女将も例外ではなかった。
「何が食えるんだい?」
「鶏か魚だね」
「鶏はどうやって出すんだ?」
「焼くよ」
「魚は?」
「焼くよ」
「どんな味付なんだい?」
女将はよくわからないという顔で、おれを見つめていた。
「味はどうやってつけているのか聞いているんだけど?」
「もちろん塩だよ、お客さん」
「塩のほかには何も使ってないのかい?」
「塩のほか?」
女将は、この人は何の話をしているのかしら、という顔だった。
「野菜はあるかな?」
「ジャガイモが茹でてあるよ」
「で、そのイモは――」
「塩だよ」
女将はおれを睨みつけていた。
いいだろう、この店の食文化がほぼ石器文明段階にあることはわかった。
だが、こんなことで泣くおれはもう過去のものだ。
今、おれの前にはエラがいる。
彼女だけで飯が三杯は食える。いや、無限に食える。
エラよ、エラ。
おれは一生おまえを離さない。
あ、本社栄転が決まればべつだけど。
「おれには鶏をくれ。ジャガイモは大椀に山盛りで持ってこい」
「あたしはお魚ください」
「あいよ。鶏と魚とイモね」
先にイモと魚が運ばれてきた。イモは先に茹でてあったようで、もう湯気を上げてはいなかった。魚はおれの知らない川魚で、大口を開けて凶暴そうな歯列を見せていたが、身はこんがり焼けて美味そうだった。
シンプルな料理もバカにはできないようだ。
「いただきまーす」
エラには、師匠を待つなんて発想はまったく出てこないらしい。
彼女は魚の真っ白い身を指でむしり取ると口に入れた。
熱かったらしく、しばらくハフハフしていたが、やがてとろけるような笑顔になった。
「美味しいいいい!」
おれもそれを見てよだれがこぼれそうになった。
エマは続けてジャガイモの大きなのをつかむと、両手で二つに割ってかぶりついた。
「たまりませんわー」
そっかー、たまらんかー。
おれは厨房の方をうかがった。もう待ちきれん。鶏よ、早く焼けて来い。目から熱線が出て厨房ごと焼き尽くしそうなぐらいに睨みつけて、おれは鶏肉が運ばれてくるのを待った。
脂の焦げる美味そうな匂いが流れてくる。もうじきだろう。
胃袋が焦れてちぎれてしまいそうだ、と思ったが、おれには胃袋なんかないんだった。
おれが忍耐の限度を超えて意識を失う直前になって、女将が皿を掲げて厨房から出てきた。
その瞬間だけ、女将が天女に見えた。
「ほいよ!」
女将がおれの前へ皿を置いた。
鶏は黄金色に焼かれて、おれのテーブルへ舞い降りた。
おれはナイフも使わずに腿をむしり取ると、金色の脂の滴る肉にかぶりついた。
おー、これは……これは……案外、ふつうだな……。
不味くはない。焼き加減は上等だと言っていいだろう。ただ、期待していたのとはだいぶ違う。あの塩漬け肉の店で受けた衝撃と感動とは比べ物にならない。
どうなってるんだ?
まさか〈生ける調味料〉とは、おれのカン違い? このハーフエルフの娘は、単にコネチが高いだけの妄想少女でしかないのか。
いやいや、そんなことはないはずだ。
それなら「八月軒」があんなムキになってエラを引き留めようとするはずがない。傭兵をそろえるだけだって馬鹿にならない出費のはずだ。
じゃあ、いったいどういうことなんだよ?
おれはブチ切れ寸前で、エラを睨みつけた。
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