一鍋入魂です。
第12話になります
「ああ、これはこれは。誠にありがとうございます。ささ、こちらへ。こちらのテーブルでお書きください」
おれは無理やりテーブルにつかされ、手に羽ペンを握らされた。
しかたがないので、サササッとサインした。
ヨーゼフ・キーファー
生まれて初めて書く名前だ。ずいぶんとヘタクソだった。
「ありがとうございます。ただ、一つだけお願いさせていただきたいことがございまして……」
「何です、兵隊さん? 名前は書いたじゃありませんか」
「はあ、お名前に何か一言書き添えていただきますと、また一段とその方らしさが出ると申しますか、何と言いますか――」
壁の署名を見ると、たしかにみんな、一言書き添えてあった。
「愛こそすべて。グース大司教」
「龍昇飛天 ユング将軍」
「一ギルを笑う者は一ギルに泣く。 毛皮商トドロフ」
「はあ、なるほどねえ……」
「師匠も何かカッコいいのを、バチッと決めてくださいよ」
カッコいいのねえ……。
管理人の心得って何だっけ?
管理マニュアルの表紙には「すべてはオーナー様のために」と書いてあるが、アレだっけ?
なんか違うような気がする。
それにおれは今、鋳掛屋なのだ。
エラのせいでカン違いされているが武芸者などではない。
断じてない!
が、状況は複雑だった。
今のおれを厳密に言うなら、「鋳掛屋のふりをしている武芸者と勘違いされている鋳掛屋のふりをしている管理人」だった。
ブレては良くない。
ここで日和って「武芸者」なんてことにしてしまうと、きっと後から面倒なことになるに違いないんだ。
つまり、ここは「鋳掛屋」で押し通すべきだろう。
おれは鋳掛屋らしい一言を残すことにした。
一鍋入魂 ヨーゼフ・キーファー
「?」
右にいた警護兵が、羊皮紙を覗き込んで首をかしげた。
「?」
左にいた警護兵は、おれの一言を見るなり、顎を撫でて天井を見上げた。
「深ーい! 深いです、師匠! 感動しました!」
エラは素っ頓狂な声をあげた。
彼女は目に星を浮かべて身体を震わせていた。どうやら本気で感動しているらしい。
たちまち右の警護兵が同調する。
「うむ、なかなかに深いですな」
左のも合わせてくるからおそろしい。
「これほど含蓄のあるお言葉をいただけるとは!」
もしかしたら、オツムが弱いのはわが弟子ばかりではなく、この町の住民は全員そうなのかもしれないと心配になってきた。
とにかく、これでどうにかおれは解放された。
警護兵たちは上機嫌で、おれたちを城外へ見送ってくれた。
門外には丘陵地帯が広がっていた。
遠くに黒い森が見える。その先に山地がある。
オトランのダーゲンは、その山を越えた向こうだ。
ここから国境まで急がなくてはならない。
先を急ぐ旅だということもあるが、「八月軒」の主人はきっとこれくらいではあきらめないに違いないからだ。
あの店の今までの繁盛は、全部とは言わないまでも、大部分がエラの特殊能力によるものだったのだ。
それがなくなってしまったら、せっかく積み上げてきた評判も地に落ちるだろう。店は廃業まで追い込まれてもおかしくない。
あの主人は全財産をはたいても、強力な追手をかけてくるだろう。
まずは国境までが勝負になるはず。
さすがに隣国に入ってしまえば、「八月軒」も自由には動けなくなる。
おれは足を速めた。エラも粉を撒き散らかしながらついてくる。
そのおれたちをパカパカと追ってくる馬の足音があった。
追手としちゃ、いくらなんでも早すぎるだろ?
「八月軒」はまだ城門のところでオネンネしてるのに――と振り返ると、おれたちを追いかけているのはロバだった。
ロバの背中には小太りの中年男が乗っかっている。
「ちょっと! ちょっと! お待ちくだされ」
男はロバの背中から振り落とされそうになりながら追いかけてきた。
嫌な予感しかしない。
もちろん、標準装備能力の範囲内で走っても、男を振り切ることは簡単だ。
エラを担いだって逃げ切れるだろう。
だが、そんな常人離れしたところを、エラに見せるわけにはいかないのだ。
おれはあきらめて、足を止めた。
「何ですかね、師匠?」
「どうせ、ロクでもない話だよ」
「あら、投げやりですねー。もっとポジティブにいきましょうよ」
「ヤダよ。おまえみたいにお気楽になりたくないよ」
「いいじゃないですか。めんどくさかったら、またブン殴っちゃえばいいんですよ」
そんなことを話しているうちに、ロバの男はおれたちに追いついた。転げ落ちるようにロバから降りてきた。
「あいや、しばらく、しばらくぅー。トン!トトン!トントン!」
何だろう。本当にめんどくさそうだ。ブン殴って逃げちゃおうかな……。
「おもしろーい。オジサン、もう一回やって」
エラは手を打って、喜んでいた。
「お、面白かったかい、お嬢ちゃん。もう一回だね、大サービスだよ。ウォッホン! あいや、しばらく、しばらくぅー。トン!トトン!トントン!」
「おもしろーい、もいっかい、もいっかい!」
「お嬢ちゃんも通だねえ。よおーし、オジサン、もう一回がんばっちゃおうかなア。あいや、しばらく、しばらくぅー。トン!トトン!トントン!」
「おもしろーい――」
「おいおい、いいかげんにしなさいよ。こういう人をのせると際限がないんだから」エラを説教すると、おれはロバの男へ向き直った。「あなたもいい大人なんだから、こんな子どもにつきあってどうするんです?」
「いやー、これは面目ない」
ロバの男は頭を掻いた。人なつこい笑顔。まあ、悪い人間ではなさそうだ。
「キーファー殿、しばしお待ちくだされ。わが殿が貴殿に茶を一杯馳走したいと申しておる。いかがでござろう、招待をお受けいただけるかな?」
「へー、お茶の招待だって。受けましょうよ、師匠。面白そうですよ」
「嫌だよ。急いでるんだからさ。おまえ、自分が追われているって自覚がないだろ?」
「へ?」
おいおい、本当に自覚がなかったのか!
「すみません。お誘いいただいて大変ありがたいんですが、先を急いでおりますんで失礼させていただきます。またどこかで見かけましたら誘ってやっておくんなさい」
おれはロバ男に頭を下げて、また歩き出した。
「先を急がれる旅とは存ぜず、これは申し訳ないことでござった。今日の泊りはノイヴィートでござろうか? それでは、そこまでご一緒させていただくというのはどうかな?」
ロバ男はロバの手綱を取って、おれと肩を並べて歩き出した。
エラはロバの首を撫でながら歩いていた。ちらちらとロバ男の方をうかがっている。きっとロバに乗せてもらいたいのだろう。
おまえは幼児か?
「まあ、それはかまいませんが――お殿様はどちらに?」
「うむ。ほら、あそこに。じきに追いつきますぞ」
ロバ男が指差した方を振り返ると、灰色の痩せ馬が近づいてくるのが見えた。
痩せ馬にまたがっているのは、総身を大鎧で包んだ騎士だった。
近づいてくるにつれて、ガチャガチャと金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
おれは呆れかえった。
こんな陽射しの中、あんな物を着込んでいるのは正気の沙汰じゃない。
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