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管理人は二日酔い気味です。

「ねえ、そこ、どいてくれる?」


 酒でつぶれた声がした。

 目を開けると、女がおれを見下ろしていた。

 髪は長いが、美人かどうかは逆光でよくわからなかった。

 声の感じじゃ若いはずがない。


 うるせえ、ババア、と言おうと思ったがやめた。

 重そうなバッグを持っている。あんなので殴られたらかなわない。


「そこねえ、うちの店の前だから。あんた、ジャマだから。営業妨害なの。わかる? わかんないなら、わかるようにうちのヒト呼んで説明させようか。言っとくけど、うちのヒト、怖いよ」


 女は靴の尖った爪先で、おれの脇腹をチョンチョンと蹴ってくる。

 強く蹴られているわけではないが、結構痛い。

 腹は立つが、それよりなによりだるい。頭が痛い。吐き気もする。完全に二日酔いだ。


 あれ、昨夜はどこで呑んだんだっけな?

 最初はクナップの店だった。あそこで名物の強い林檎酒を何杯かやって、それからゼラツキーのおやじとアナスタシアの酒場へ行ったんだった。

 ああああ、覚えているのはそこまで。

 目が覚めたら道端だ。

 いま気がついたんだが、左足はドブに突っ込んでいる。

 靴のなかがグチャグチャだよ。カンベンしてくれよ、まったく。


 最低だな。

 気持ち悪い。吐きそうだ。頭がガンガンする。

 眠い……このまま寝かせてくれ。おれのことは放っておいてくれ。


「ちょっと、アンター。早くこっち来てよ。ホラ、こいつ見て、こいつ」


 女が狭い路地の向こうへ手を振っていた。

 首を回すのが面倒なので、目だけ動かしてそっちを見ると――おやまあ、ご立派なオークの旦那の登場だ。


 金回りがいいのだろう、緑色の肌はスキンオイルでテカテカだし、トウモロコシのヒゲみたいな髪の毛はていねいに七三に撫でつけられている。

 狂暴そうには見えないが、狂暴でないオークは、オークではない何か別の物だ。

 この旦那がその何か別の物の可能性がないわけじゃないが――そんなモンがこの世界にいたら、おれにとっちゃゆゆしき問題だ。

 むしろこの旦那が狂暴きわまりないオークのなかのオークで、おれを見るなり首を掴んで表通りまで投げ飛ばしてくれる方がずっとありがたい。


「なんだ、こいつ? おまえの知り合いか?」

「まさか! 来たらここに転がってたんだよ。何とかしてよ、アンタ」


 オークの旦那は顔をぐっと近づけてきた。

 臭いかと思ったら良い匂いがする。おれの方がずっと臭い。オークが薔薇なら、おれは生ゴミだ。


「兄さん、何してんだ?」

「寝てんだよ」ああ、本当に正直者だな、おれは。


「それは見りゃわかるよ」

「あんた、オークにしちゃ知能が高いな」


「おれを怒らせたいのかもしれないが……兄さんはゲロみたいな匂いがするぜ」

「そうなんだ。あんたの実家みたいな匂いだろ?」


「早く家に帰って風呂に入った方がいいな」

「そいつがどうもね……へへ、ここでクイズです。わたしはいま、早く帰って風呂に入りたいが、そうもいかない事情があります。さて、その事情とは何でしょうか? 一、家に帰っても風呂がない。二、そもそも家がない。さあ、どちら――」


 オークが毛むくじゃらの手でおれの胸ぐらをつかんだ。

 次の瞬間、おれの身体は宙に浮かんでいた。

 足が上にあって、頭が下で。そのまま路地の反対側の家の壁にぶつかった。


 背中が痛い。

 頭が痛い。

 吐きそうだ。


 このままじっとしていようと思ったのに、オークはおれの襟首をつかんで無理やり立ち上がらせた。

 馬鹿野郎。その手を離してみろ。絶対にまた転がってやる。

 そんなおれの悲壮な決意をよそに、オークは軽く助走をつけて、おれを突き当りの柵の方へ投げ飛ばした。


 おれの身体は軽々と柵を越えた。

 柵の向こうは――堀だった。

 空中を移動しながら、おれは自分の現在位置を把握した。


 おれの(ガンガン痛む)頭のなかで、この町のマップが展開された。

 中央の青い光点が(頭がガンガン痛む)おれだ。

(頭がガンガン痛む)光点は町を馬蹄状に流れる運河の上にあった。


 町の南西。

 アナスタシアの酒場からはずいぶん離れている。

 なんでこんなところまで来たんだろう?


 そんなことを考えながら、おれは冷たい水に落ちた。

 心臓が止まるか、と思った。

 まあ、思っただけだけどな。

 おれ、心臓とかないし――

 ほんと、胃袋だってないんだぜ。

 どうして吐き気なんてするんだよ?


 おれはブクブクと沈んでいった。

 この口から出てくるあぶくはどこから?

 肺もないのにさ。


 おれは川底の泥にあぐらをかいて、しばらくじっとしていた。

 水の冷たさが痛む頭に心地よかった。


 もう二度と酒は飲むまい。


 ……少なくとも来月まではやめておこう。


 …………とりあえず自分の金では飲まないことにしよう。


 上の方が騒がしいので顔を上げた。

 水面にオークとその女房の顔が揺らいで見えた。

 こっちを覗き込んでいる。

 おれが浮かんでこないので心配になったらしい。

 心配するくらいなら初めから人を堀に投げ込んだりするなと言いたい。


 オークたちの他にもいくつも顔が見えた。

 ちょっと騒ぎになりかけているようだ。

 オークの慌てぶりか面白い。ざまあみろ、だ。

 しかし、いつまでもそのままにさせておくわけにもいかないので、おれは水面へ浮かび上がった。


 水から顔を出し、オークと女房に手を振ってみせた。

 ついでに、集まっている連中にも手を振った。

 皆、驚いている。

 心配したり驚いたり、まったくいそがしいやつらである。

 そんなに長く沈んでいたつもりはないのだが、どうやら少し度が過ぎたらしい。


 おれはオークたちにまた絡まれるのが嫌だったので、反対側の岸へ上がった。

 髪の先から水のしずくがポタポタたれる。

 服も靴もぐっしょりだが、もう生ゴミの匂いはしない。

 頭はまだ重いが、痛みはだいぶ楽になった。

 吐き気も治った。

 これならまた飲める。――まあ、これは冗談だが。


 堀沿いをフラフラ歩いて町の中央へ向かった。

 濡れている服がだんだん不快になってきた。

 とくに股間が気持ち悪い。

 ガキの頃、遊ぶのに夢中になってションベンを我慢して、結局、便所までもたなかったときみたいだ。

 内股に布が張りついて、そこへ体温が移って妙に温かいので、自然とガニ股になってくる。


 早足に歩いて人気のない路地へ入った。明るいが誰もいない。

 頭の中に地図を広げて、袋小路になっているのを確認すると、奥へ歩いて行った。


 誰もいないと思っていたのに――

 突き当りまで行ったら、そこにオークがいた。

 こっちを振り返った。人相が悪い。

 まあ、人相の良いオークなんていないけどな。

 しかも、目がどんよりだ。

 夢詰草の葉っぱをきめて、すっかりいい気持になっているらしい。


 また、面倒なモンにぶつかった。

 どうも今日はオーク運がない。


 おれはクルッと回れ右して路地の出口へ向かった。

 あまりに見事な右旋回にわれながら惚れ惚れしていたとき、背後からか細い声が聞こえた。


「た、たすけて……」


 マヌケなおれでも、さすがにそれをオークが言っているとは思わなかった。

 おれはもう一度右旋回し、オークへ向き直った。

 オークが、ぐるるる、とうなった。

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