第陸話
ーーみぃつけたぁ
「……こ」
「……いこ。圭子!」
「ん。……パパ?」
耳元で子供の声が聞こえたと思った。だが実際には圭子を呼ぶ父と母の呼び声で起こされた。圭子が目を開けると、眩しい光が飛び込んでくる。
あちらこちらから賑やかな音楽や子供達の笑い声で溢れていた。遠くからは楽しそうな声に混じり、悲鳴まで聞こえてくる。
「あぁ、ビックリした。圭子ったら急に寝ちゃうんだもの」
「本当にヒヤヒヤしたよ」
「パパ、ママ……?」
圭子の知る父と母よりも数十歳は若い二人が随分上から見下ろしているものだと思った。
「ねーね、おきた?」
「まーくん?」
学、と呼ぼうとして実際に出た言葉は“まーくん”だった。まだ圭子が幼い頃の弟の呼び方だ。丸みを帯びた幼げな輪郭、クリクリとした大きな黒い瞳は学が六歳の頃の姿だった。圭子自身も弟と目線の高さは同じぐらいで、プニプニと柔らかそうな手が圭子の意思に合わせて動いている。
「気分悪い所はない? 大丈夫?」
「無理なら帰るか」
「え、ヤダー!」
弟は意識を失った姉の心配よりも遊ぶ事の方が大切らしい。圭子は後で覚えてなよとひと睨みきかせた。
「……っ、ねーねこあい」
「あたしはもうだいじょぶだから。まーくんも泣かないでフーセンもらおう」
「うんっ!!」
『ようこそ裏野ドリームランドへ! 良い子のみんなに風船のプレゼントがあるよ〜!』和かに笑うお姉さんとお兄さんが風船をくれた。弟はニカッとトレードマークの笑顔を見せてあっという間にご機嫌になった。
そうだ。今日は父の知り合いからチケットをもらって家族で裏ドリへ遊びにきたんだった。圭子がモタモタしているうちに待ち切れなくなった弟は手を振りほどき、メリーゴーランドへと走っていく。
「まーくん待って!」
「パパもママもねーねもはやくっ」
「そんなに慌てると転ぶわよー!」
思わず圭子も大好きなメリーゴーランドを前に駆け出した。
始まりの合図のように軽快な音楽が流れてゆっくりと回り始めた。白馬に乗った圭子の後ろにはママが座っている。白馬にはパパが良いって言ったのに、弟がパパと一緒に乗りたいとゴネたから仕方なくママと乗った。
一回じゃ満足できなくて、おねだりを行使して何度も乗る。白馬も馬車も上下に動き景色が流れていく。クルクル、クルクル回る……まわる。
「……こ」
「……いこ。圭子!」
「パパ。こんどはアレに乗りたい!」
「もう、圭子ったら。こんなにはしゃいじゃって」
「まーくんものるー!」
今度は観覧車。『さぁ、準備はいいかな!?』急にお姉さんに話し掛けられて弟はパパの後ろへ隠れてしまった。『いってらっしゃ〜い!』お姉さんの声にドキドキ胸が高鳴った。
「すごぉい!」
初めて見る世界に興奮と驚きを感じ、遠くなっていく景色に歓喜した。弟が必死にパパへしがみ付く。
「まーくん、お外みないの?」
「ね、ねーねがかわりにみておいて」
「うん、わかった!」
「学ったらあんなにはしゃいでたのに怖くなっちゃったの?」
「こ、こあくないもんっ!」
クスクスと笑うママへ強がってみせるが、そんな見掛け倒しは通じなかった。
やっと一周が終わり出ようとしても腰が抜けて動けなかった。また連れて行かれてしまうと泣き始めた弟をパパが抱えて降りてくれて事なきを得る。弟は泣きながらもう絶対に観覧車には乗らないと言っていた。
+ + +
「さ、ミラーハウスに着いたよ。行こう」
「ねーねいこっ」
「行きましょう」
「……や。いきたくない」
何故かミラーハウスだけは行きたいとは思わなかった。どんどん手足が冷たくなっていく。
「大丈夫だから、ほら。ウサギもいらっしゃいってお辞儀しているよ」
「……ホントだ。かっこいい服きてる!」
「あら? 圭子はタキシードが好きなの?」
あれよあれよという間に、入口の中へ吸い込まれた。手を引かれてギュッと瞑っていた目を開ける。色とりどりの洋服が鏡の中でクルクルと回っていた。色んな方向に人が踊る。回る。顔が目が、たくさんたくさん圭子を見つめていた。
「……っ、こわいっ!」
その場に座り込んでしまい、パパとママが困っていた。
「大丈夫……。怖くないよ」
「怖く、ないよ……」
口元だけが笑っているパパとママを最後に、一瞬にして辺りが真っ暗になった。何も見えず、何も聞こえず暗闇の中へとらわれる。
(あぁ……あぁそうか、あたしは……)
「……こ」
「……ちゃん、姉ちゃんっ」
圭子が目を開けるとライトの眩しい光と、今にも泣きそうな顔の蒴と学が覗いていた。