第弐話
久しぶりに両親が外食にしようと言い出して家族揃って近所のファミリーレストランへ向かった。食事を楽しみながら裏ドリの話も出て、弟が面白おかしく話していたのが気になっていた。圭子と一つしか違わない弟はこんなに笑うキャラだったろうか? と、急に気になる。
昔はもっと大人しくて人見知りが激しく心配していたのだが、いつの間にか別の意味で心配するようになるとは圭子も思わなかった。
高校へ入学してから少し過ぎた頃、突然髪を脱色して金髪に近い色になっていた。姉としてはもっと落ち着いた色の方が好ましいと思いつつも口には出さず、顰められた顔で察した弟はヘラヘラ笑って受け流していた。
友人達と一緒に高校デビューでもして殻を破ろうとしたのかと思おうとしたが、圭子はそんな弟の変わり様に違和感を感じていた。
「ねぇ、ちょっとアンタどうしちゃったの?」
「え? 何が?」
外食から戻って帰宅すると、先を歩く弟へ今までの疑問をぶつけるように口から出てしまう。
「何がじゃないわよ。あんなに目立つ事は嫌がっていたのに……」
「高校デビューっしょ。いーじゃん、姉ちゃんには迷惑かけないしさ。それよりも知ってる?」
「え?」
唐突に話を振られ、何よりもヘラヘラと締まりのない顔から何もかもを見透かすような真っ直ぐと見つめてくる眼差しに驚いた。けれども口元は弓なりの形を作っており、その目だけが歪に見えて思わず圭子は一歩後ろへと下がる。
「姉ちゃんの同級生が入れ替わりにあったってウワサ。ギャルから地味子に変わったってオレらの学年じゃ、めっちゃウワサになってる」
「あぁ……。あったね」
「ミラーハウスの入れ替わりだ、って」
「またそんな事……」
またミラーハウス。数週間前の光景が脳裏にチラついた。確かにアレだけの変わりようならそう思われても仕方ないのかもしれないと思う反面、朔が言っていたように仮面を脱いだ本来の彼女なのかもしれないという思いもあった。それにしては友情をアッサリと捨てる様は恐ろしくもあったが。
一歩、圭子が開けた間を詰めるように弟は近づいてくる。
「オレも行ったんだよねー。ミラーハウス」
「っ、学……?」
「あの先輩、急に倒れて様子がおかしくなるから先輩達をビビらせるための演技かと思ったんだけど」
人懐っこく笑っている筈の、目の前の弟が怖いと何故か圭子は弟に対して恐怖を覚えた。一歩、一歩と後ろへ下りとうとう壁際に追い詰められてしまう。
「先輩達もさー、マジでパニクってんの」
「まなぶ、」
喉がカラカラに渇いて声が掠れれば、弟は喉の奥でクッと笑った。
笑っている弟が怖い。目だけが笑っていない弟が怖い。心臓の鼓動がヤケに大きく聞こえて不快でしかなかった。
不意に伸びてきた腕が視界に入ると、圭子の意思とは裏腹に体がビクリと跳ね上がる。
「なぁんてね。姉ちゃんすんげぇビビってんのー」
「きゃぁっ!」
ポンっと頭上に乗った弟の手が圭子の頭を撫で回して綺麗にセットされた髪の毛をグチャグチャにする。
「も、もうっ! 何なの!?」
「アハハ、じゃぁねー」
「学ーっ、待ちなさい!」
先ほどまでの不穏な空気はあっという間に飛散された。ヘラヘラ笑ういつもの笑顔に揶揄われたのだと理解して、ほんの少しの怒りを発散させようと弟を追いかけた。
結局、弟が何を言いたかったのか有耶無耶にされた事にも気付かず、圭子は安堵の息を吐き出した。
+ + +
「ねぇ、朔」
「ん?」
「私さ……裏ドリのミラーハウスに行こうと思うの」
「え? 何、急にどうしたの」
朝日の光が教室の中に降り注いで、まだ電気の点いていない教室に柔らかな明るさをもたらしていた。HRが始まるにはまだ早い時間で、ガランとしている教室の自分達の席に座りながら、眠そうな顔の朔と圭子の二人が頭を突き合わせて毎朝の日課でもある談笑に花を咲かせていた。
「うん。気になる事があって」
「あの噂?」
「……うん」
あのグループと一緒にいた子は、今では関わる事を嫌ってかつての友人だった彼女達と距離を置いている。独りでいる事にも気にならないのか本を読んでいる事の方が多いように思えた。授業も真面目に受けるようになり、成績も上がっているおかげかは分からないが、先生達にはすんなりと受け入れられているみたいだ。
「圭子がそんなに気にするとは思わなかったなぁ」
「そうかな」
「呼ばれているなら、行かない方が良いよ」
一瞬にしてスッと朔の顔から全ての感情が排除された無表情な顔があった。黒い瞳の中には朔の意思は無く、圭子を見つめているはずなのに何も映していないような感じがして背筋がゾッとする。
「え、何? 朔?」
「そうだよ! だってさぁ、あんまり話した事なかったし。彼女と友達になりたいとかそう言うのはないんでしょ……って、もー。圭子聞いてる?」
でもその次の瞬間には、何事もなかったかのようにまた普通に話し始めたのだ。圭子は何が起きているのか理解できずに呆然としてしまい、朔の訝しげな視線に更に困惑するしかなかった。
先ほどの会話を聞き返しても、朔は首を傾げるだけで「行かない方が良い」と言った言葉だけがポッカリ抜け落ちてしまったようだった。