婚約破棄からもう一度
ロフリン家の嫡男であるユーリイに、婚約話が持ち上がったのは六歳の時だ。
相手はドレイシー家のリーディアという、ユーリイと同じ年の少女だった。
父からその話を聞かされたとき、ユーリイの隣にいた母は眉を寄せて厳しい表情をした。
ドレイシー家は海運業で成功したこの国屈指の富豪ではあるが、爵位を持たない。国王から伯爵位を賜っているロフリン家に相応しくないのではないか、というのが母の主張である。
それに父は、静かに言ったのだ
「このまま何もせずにいれば、いずれ我が家は没落する」
技術革新により産業資本家が急成長する時代になって、貴族の経済的衰退は進んでいる。旧態依然とした領地経営だけでは、立ち行かなくなりつつあるのは事実だった。
毎年課税される土地と屋敷の税も安くはなく、更にはそれらを相続するための税は莫大だ。
父の言葉は母には衝撃的だったようで、母はもともと白い肌を更に青白くして押し黙った。
「ユーリイ、お前はどう思う?」
父からそう尋ねられ、ユーリイは父が望むであろう言葉を選択した。
「……是非、会ってみたいです」
彼女に興味を持ったというよりは、ただ父の意向に従うべきだと判断したに過ぎない。もとより貴族の結婚に、自由などほとんどないことは理解していた。
そうして彼女と引き合わされた。
リーディアは薄い金色の柔らかい髪と、明るい空色の瞳をした、とても可愛らしい女の子だった。
良く笑い、良く話す。そんな彼女には天真爛漫という言葉が相応しいと思った。
ユーリイは年の割に口数が少なく大人しかったから、子供らしい明るさを持つリーディアが眩しくもあった。
ユーリイとリーディアは正式に婚約者になる前から、互いの家に行き来する間柄になった。思えばあれは、両家の父母たちによる観察期間だったのだ。子の配偶者として、本当に相応しいのかどうかを判断するための。
ロフリン家を初めて訪れた時、リーディアは歴史ある美しい屋敷に目を輝かせた。
「素敵なお屋敷。お姫様になった気分」
にこにこと可愛らしく喜ぶリーディアに、母は神妙な顔つきで尋ねた。
「気に入って貰えてとても嬉しいわ。でも、いつか時代が変わって、この家に住めなくなることもあるかもしれないの」
リーディアはきょとんとして小首をかしげる。
「どうして住めなくなるんですか?」
「……それはね、今と同じようにお金があるとは限らないからよ。そうなったら、リーディアはどう思う?」
するとリーディアは、何だそんなことかと言わんばかりの表情で明るく笑ったのだ。
「その時には、小さな家に引っ越せばいいと思います。ユーリイと一緒なら、どこだって平気です」
「まあ」
その夜、母は父に言ったのだ。柔軟なリーディアは、自分のように貴族という肩書や地位にしがみつくようなことはしないだろう。どんな状況でも、きっとユーリイと一緒に幸せを見つけるはずだ。だから是非、リーディアとの婚約の話を進めて欲しいと。
それから半年後、無事にユーリイとリーディアは婚約した。
後になって知ったことだが、リーディアにはもう一人、婚約者候補がいたらしい。相手はカイゼル家の令息だという。カイゼル家はドレイシー家を凌ぐ、おそらくこの国で一番の大富豪だ。
条件としては、比べるまでもなくあちらが上だ。にもかかわらず、ドレイシー家はユーリイを選んでくれた。
そのことに疑問を感じてユーリイは、ドレイシー家を訪れた際に、彼女の父親に尋ねたことがあったのだ。
「何故僕を選んでくれたのでしょう?」
リーディアの父は、ユーリイを見て鷹揚に笑った。
「カイゼル家のことかい? あれは手を組む相手ではなく、いつか追い落とすべき相手だよ」
さらりとそう言われて、ユーリイは体に痺れが走るような感覚を味わっていた。
目を見開いたユーリイの前で、リーディアの父はゆったりと答える。
「君の父上は貴族らしい品格があり、かつ謙虚さも持ち合わせた聡明な人間だ。互いに戦場が違い、パートナーになるには良いと思った。その息子である君にも同じように期待している。私が君を選んで正解だったのかどうか、分かるのはまだ先のことだがね」
そう言われてユーリイは、彼の半分ほどしかない背をまっすぐに伸ばして、真摯な眼差しを返したのだ。
「決してご期待を裏切ることのないようにします」
◇ ◇ ◇
七歳になると、ユーリイとリーディアは揃って王立学院に入学した。
その頃のユーリイは、リーディアのことを婚約者として特別に思ってはいたが、彼女に恋をするという感情はまだ芽生えていなかった。彼女への好意よりはむしろ、彼女の父親の期待に応えたいという気持ちの方が大きかった。
ユーリイはその当時、遠い海の向こうの国とも貿易を行うドレイシー家のことを良く知ろうと、世界地図や異国の写真をいつも眺めていた。
ある日学院の庭園にある木陰で、ユーリイはいつものように本を読んでいた。隣にはリーディアがいて、彼女はとりとめのないおしゃべりを続けている。
ユーリイは本に掲載された海の向こうの世界を理解するのに必死だったけれど、リーディアの可愛らしい声は好きだったので邪魔には思わなかった。
そこにユーリイの友人たちが男女合わせて数人、連れ立ってやってきた。
「ユーリイ、先生が呼んでいるよ。歴史の授業の参考になる資料を見せてくれるって。行こう」
「……うん」
促されて立ちあがるユーリイに、リーディアが慌てて声を上げた。
「私も行く」
そうするとユーリイの友人たちは、彼女を馬鹿にするように鼻で笑ったのだ。
「あなたには必要ないわ。だってこの国の王侯貴族の歴史なのよ」
「君の家には関係のないことさ。行こう、ユーリイ」
ユーリイは手を強く引かれたが、リーディアのことが心配になって振り返る。彼らの言うように、リーディアには関係がないとは思えなかった。彼女だってこの学院の生徒なのだ。
だから一緒に行こうとユーリイは口を開きかけたのだが、それよりも早く友人たちの言葉がユーリイの思考を止めてしまう。
「ほら、先生が待っているわ」
更に強く手を引かれて、従うしかないという気持ちになった。学院に入学したばかりのユーリイにとって、先生という存在は絶対だ。
歩き出そうとするユーリイの背後で、悲鳴のような声が響いた。
「行っちゃやだ!」
ユーリイはリーディアから体を引き戻されていた。が、腕や手を引かれたわけではない。
リーディアが手にしたのはユーリイが持っていた本で、それは引っ張られた拍子に音を立てて破れてしまっていた。
「あ……」
それを見て、リーディアは顔を蒼白にして手を離す。
ユーリイは一瞬言葉を発することができなかった。破れた本が視界に入る。思わず声が漏れた。
「大事な本……」
それを聞いた友人たちが、一斉にリーディアを非難した。
「あーあ、ひどい」
「ユーリイ、かわいそう」
「なんて乱暴なことをするんだ」
突き刺さるような言葉の数々に、リーディアは真っ青な顔のままその場から走り出してしまった。
ユーリイはリーディアを引きとめようと手を伸ばしたが、その手は何も掴むことができなかった。
「謝りもしなかったわよ」
「最っ低」
友人たちのその言葉に、さすがにユーリイは顔を曇らせる。
「……言い過ぎだよ。これは僕の本で、君の本じゃない」
そうすると、一人の少女が不機嫌そうに顔をしかめた。
「何よ。もういいわ、行きましょ」
そのまま彼女はぷいっと顔を背けて立ち去り、残りの友人たちも彼女に続いた。
結局、先生のところには行けなかった。
その日のうちに、リーディアは彼女の母と一緒にロフリン家を訪ねてきた。
泣き出しそうな顔をしてごめんなさいと言って、リーディアはお詫びにといってクリスタル製の白鳥の文鎮をくれた。リーディアの父が隣国に行った際のお土産だというそれは、ダイヤモンドのように輝いていて、ユーリイは思わず言葉をなくして見とれていた。
「ユーリイ、あの」
「……いいよ、もう」
あまりに短い答えだった。この頃は自覚していなかったが、自分はどうも言葉足らずなところがあるようだった。どうか気にしないで、こんなに素敵なものをありがとうと、それくらいは言うべきだったと気付いたのは、ずっと後になってのことだ。
◇ ◇ ◇
それからの彼女は、これまでのようにユーリイと一緒に過ごさなくなった。
とはいってもそれは学院の中でのことで、月に数度はお互いの家を行き来することがあったから、ユーリイはあまり気にしていなかった。
リーディアは年々華やかに美しくなっていて、いつしかユーリイもほのかな恋心を抱くようになった。それを自覚したのは、十三歳の時だ。
ロフリン邸の庭で母がお茶会を催しているとき、ユーリイとリーディアは一緒のテーブルでリーディアの母が手土産に持ってきた外国製のお茶を飲みながら、他愛もない話をしていた。
「ユーリイ、最近はどんな本を読んでいるの?」
「経済経営法の本。君のお兄さんに勧められた」
本の内容を少しだけ話すと、リーディアはああ、という表情をした。
「その本、お兄様が教えてくれて、一緒に読んだわ」
それから彼女は、本で面白かったところや疑問に思ったところをユーリイに語った。中にはユーリイが思いもよらなかった鋭い指摘もあって、ユーリイは内心で舌を巻く。
普段は可愛らしいお姫様のようにふわふわした彼女が、彼女の父や兄と同じような力強い目をするものだから、ユーリイは彼女にくぎづけになってしまい、そしてそんな自分に気がついて動揺した。
「どうしたの?」
いつもの表情に戻ったリーディアに、どぎまぎしながらユーリイは視線を逸らす。
「何でもない……」
それからはもう、好きになる一方だった。
にもかかわらず、学院では、リーディアとは話をする機会すらあまりなかった。
リーディアはいつもたくさんの人に囲まれていた。彼女の楽しそうな笑い声が耳に入れば、ユーリイは思わずそちらを振り返る。一緒にいる友人たちを羨ましいとも思ったけれど、人の輪に遠慮せず入っていけるほどユーリイに社交性は備わっていなかった。それに、ユーリイは彼女の友人たちに自分がどういう風に思われているかを知っている。
できれば少しくらいは一緒にいたいと思ったけれど、そんなことを言って彼女を困らせたくなかった。
そして、ユーリイにとって運命の日がやってきた。
◇ ◇ ◇
爽やかな風を感じる初秋、ユーリイは十六歳の誕生日を迎えた。
その日、ロフリン家ではユーリイの誕生日を祝うパーティが催されていたが、主役にも関わらず、人に囲まれることに少々疲れを感じてユーリイは、バルコニーに避難して一人休息をとっていた。
背後から、人の近づく気配がする。ユーリイはゆっくりと振り向いた。
そこにいた人の姿に、ユーリイの表情が自然と緩む。
「……リーディア。久しぶりだね」
彼女とこうして二人きりになるのは、二週間ぶりだった。
「お誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
彼女が今日来てくれたこと、おめでとうと言ってくれたことに、ユーリイはさっきまで感じていた疲れも消え去ってしまう気分だった。
しかし、リーディアの様子がいつもとは少し違うことに気がつく。
「ユーリイ、あのね」
「何?」
「私たち、婚約破棄した方がいいと思う」
「…………」
一瞬で、足元にぽっかりと開いた穴に突き落とされたように錯覚した。
さっきまでほほえんでいた表情が凍り付く。
「どうして?」
「……私とあなたじゃ、釣り合わないから」
「…………」
彼女の友人たちからは良く言われていた。ユーリイのような無表情で面白くない男は、リーディアには相応しくないと。一応は伯爵位を持つ貴族とはいえ、所詮ドレイシー家の資産頼りの、落ち目になった家の人間だと。
彼女自身から直接言われたわけではなかったから、気にしないようにしていたが、もしかすると彼女もそう考えていたのだろうか。
「それが君の気持ち?」
しばらく沈黙した後そう聞いたら、リーディアは顔を上げないままうなずいた。目も合わせてくれないことに、泣きたい気分になった。
「分かった」
みっともない姿を見せたくないと言う最後のプライドが、ユーリイに冷静さを捨てさせなかった。感情を出さないように、淡々と話す。
「だけど、僕たちだけで勝手には決められない。父と母にも相談するから、返事は少し待っていて」
そう答えることで、猶予期間を設けてしまった。彼女が婚約破棄を望んでいるのなら、引き伸ばしても仕方がないのに。
ユーリイの胸の中では、ひどく冷たい風が吹き荒れていた。
◇ ◇ ◇
さんざん悩んで、結局父母には打ち明けられなかった。
彼女から見放されてしまった自分自身を情けないと思う感情も勿論あったが、そんなことよりも正式に婚約を破棄して、彼女とこれきりになってしまうことが本当に怖かったのだ。
もう一度だけ、何とか彼女と話をしてみよう。ユーリイはそう決心して学院に向かった。誕生日の日から、一週間後のことだ。
学院でリーディアを見つけ、いつもの木陰に誘った。驚いた顔をしながらもついてきてくれた彼女に、ユーリイは強張った表情のまま話を始めた。
「この間の話だけど」
「……はい」
「リーディアはもうご両親には話しているの?」
リーディアは首を横に振った。
「あなたの返事を聞いてからにしようと思って」
「そう」
すこしほっとして、それからユーリイは、かすかに眉を寄せた。
「僕もまだ両親には話していないんだ」
「え? でも、あの時相談するって――」
「ごめん。やっぱり無理だ」
そう断ってから、ユーリイは縋るような気持ちで彼女を見つめた。
「僕のこと、どうしても嫌?」
リーディアは大きく目を見開いた。
「私、嫌だなんて一言も言ってない」
「自分には釣り合わないって言った」
思わず、少々恨みがましい言い方になってしまった。
ところがリーディアは驚いたような顔をして、何度も大きく首を横に振った。
「あなたには釣り合わないって言ったの」
するとユーリイは一瞬沈黙して、それから小首をかしげていた。
「……誰が?」
「それはもちろん、私が」
「どうして?」
彼女の言うことが、本気で理解できなかった。すると彼女は、少々言いにくそうに口を開く。
「私、我侭だから。そうあなたも言っていたじゃない」
「…………」
「ごめんなさい。聞き耳をたてるつもりはなかったけれど、この間ここでお友達と話しているのを聞いてしまったの……」
確かにそんな話をした。でもそれは、彼女を非難する目的で言ったのではない。
「それ、最後まで聞いた?」
「最後? ううん途中で……」
不思議そうな顔をしたリーディアに、ユーリイは思わず息を漏らした。
彼女に誤解させてしまっていたことを、その時ようやく理解したのだ。
「君は我侭なところもあった。でもそれが可愛かったって言ったんだけど」
するとリーディアは目をしばたたかせて、気の抜けた声を漏らした。
「え?」
「今だって我侭くらい言って欲しいと思ってる、とも言った」
「え?」
「なのに君は、せっかくの誕生日に婚約破棄だなんて言う。こんなショックな誕生日は初めてだった」
「……え?」
言いたいことを言い終えたら、ユーリイはじっと彼女の瞳を見つめた。
すると十分に時間が経ってから、リーディアは顔を赤くして困り顔になった。どうやらユーリイの気持ちを、理解してくれたらしい。
「誤解、解けた?」
「……はい」
それからリーディアは、上目遣いにそっとユーリイを見ながら、おずおずと口を開いた。
「……昔、私のせいで、大切な本を破ったことがあったから。ユーリイが私のことを嫌だと思っても仕方がないって思ったの」
「ああ……。あの時はわざわざ謝りにきてくれて、僕ももういいよって言ったはずだったけど」
「それは、そうだけど……」
「君はお詫びにって綺麗なクリスタルの白鳥をくれた。今でも大切にしてるよ」
そう答えると、リーディアはますます赤くなってうつむいた。
目の前の彼女から、自分を拒絶する意志はまったく感じられない。
ユーリイは、ここに来たときとは打って変わって落ち着いた気持ちでリーディアに尋ねた。
「婚約破棄、したいの?」
「……したく、ない」
「そう、良かった」
ユーリイは、ほっと息をついた。
心の中でもう一度繰り返す。良かった、本当に。そう思うと同時に、ユーリイはそっとリーディアの手を取っていた。
ほっそりとした白いリーディアの手。いつか彼女への恋心を自覚してからは、緊張して逆に触れることもできなかった。それを今、後悔している。
「僕たちはもう少し、二人でいる時間を作るべきだった。そうすれば、こんな誤解をしなくて良かった」
「ごめんなさい。私、嫌われたくなくて近づけなかったの。私は貴族でもないし、おしゃべりが過ぎる時があるから」
申し訳なさそうに彼女はそう言ったが、ユーリイはいかに自分の気持ちが彼女に伝わっていなかったのかを思い知る。
「僕は君の話を聞くのが好きだよ。天真爛漫な君といるのは楽しい。そうは見えないかもしれないけど」
「でも一緒にいると、また嫌なことを言われるかも……」
「ああ……」
ユーリイは納得した。この学院の生徒たちは、自らの属する集団を、そうではない集団と明確に区別しようとするきらいがある。特に貴族がそうで、自分たち貴族以外を中々認めようとしない。
「そうか。僕は気にしていなかったんだけど、君は傷ついていたんだね。そこまで気が回っていなくてごめん」
「ユーリイが謝ることじゃ……」
「リーディアが望むなら、君以外の他の誰とも話さないようにしてもいい」
「えっ。そ、そんなこと駄目よ。あなたはいずれお父様の跡を継ぐのだから、お付き合いも大切な仕事だわ」
慌てたリーディアを、ユーリイは心配そうに見つめた。
「嫌じゃない?」
「嫌……な時もあるけど、大丈夫」
「そう、ありがとう。君の言う通り、僕は仕事だと思って彼らと付き合ってる。基本的に雑談は全部聞いてない」
「え、ええ?」
「他人は適当なことを言うから、聞かないことにしてる。そういえば君の友達にも色々言われたよ。金目当てだとか、あんな無表情で面白くない男が相手じゃリーディアがかわいそうだとか」
そう打ち明ければ、リーディアはショックを受けたような面持ちになった。
「そんなひどいことを言う人がいるの!?」
「うん。でも、他人に何を言われてもどうでも良かった。だから君が傷ついていたことに気づかなかった。本当にごめん」
本当は、学院で彼女に気軽に話しかけられないくらいには気にしていたけれど、それは黙っておくことにした。さすがに情けない。
「謝らないで。私が早とちりしたり、勝手に遠慮したりしただけだから」
「遠慮なら、僕の方もだ。君が友達と楽しそうに話しているのが本当は羨ましかった。だけど入っていけなかった。話すのは得意じゃないし。場を白けさせるだけかなと思ったから」
「でもユーリイ、今日は沢山話しているわ」
リーディアからそう切り返されて、ユーリイは自分で自分に驚く。
「……本当だね」
自分自身にとっても、新しい発見であった。思わずユーリイは笑みをこぼす。
するとリーディアの細い指が、ユーリイの手をきゅっと握り返した。
「ユーリイ。私、あなたのことがずっと大好きなの」
いつも笑いかけてくれるから、そうだと信じていた。あの誕生日の時までは。
「うん、知ってた。勘違いだったのかと落胆したけど、そうじゃなくて良かった」
心がふわふわと浮ついた気分になり、思わずユーリイは彼女に顔を近づける。
そのままリーディアの額にそっとキスをすれば、彼女は動揺したのか、顔を真っ赤にしてよろけてしまった。
そんな反応がとても可愛くて、こんな顔が見られるなら、遠慮なんかしなければ良かったとユーリイは思う。よろけた彼女を支えながら、こみ上げる喜びに、彼女を見つめてもう一度ほほえんだ。
「我侭、言ってもいいよ。でも、僕の前だけ。約束」
◇ ◇ ◇
気恥ずかしさもあって、学院ではやはりいつも一緒にいるというわけではない。以前よりはずっと自然に話すようになったとはいえ、ユーリイにもリーディアにも自分のスケジュールというものがある。
今日もユーリイは一人、いつもの場所で座っていた。
するとそれを見つけたユーリイの友人たちが側にやってきた。皆、爵位を持つ家の令息、令嬢たちだ。
「ユーリイ、何してるの? 今日は本を読んでいないのね」
「……手紙を書いてるんだ」
一度だけ顔をあげてそう答えたら、ユーリイはまた便箋に視線を戻す。いつも読んでいる本は、今日は下敷きにしてしまっている。
「誰に?」
「リーディアに。僕は気持ちを伝えるのが下手だから、手紙で伝えたらいいって思いついて」
そう答えたら、その内の一人が無遠慮にも手紙を覗きこんできた。
「……ラブレターだな」
「うん。分かったら見ないで欲しいんだけど」
「ごめん」
もう一度視線を上げて少し睨んだユーリイに、彼はバツが悪そうに肩をすくめた。すると彼の隣に立っていた一人が、真顔で尋ねてきた。
「リーディアのこと、そんなに好きなの?」
どうしてそんなことを聞かれるのだろうと、ユーリイは僅かに小首をかしげる。
「好きだよ。はやく卒業して、結婚したいって思ってる」
「…………」
何故か固まってしまった彼女の腕を、隣にいた彼がそっと引く。
「邪魔しちゃ悪いから、もう行くよ。午後の授業で、またな」
ユーリイが頷いたのを見て、彼は皆を引っぱるように連れて行った。少し離れてから「もう諦めろ」という声が聞こえた気がした。
ユーリイは再び便箋に視線を戻し、自らの想いを綴ることに集中した。
彼女を想いながらペンを走らせるのは思った以上に楽しく、ユーリイは幸せな気持ちになっていた。
『親愛なるリーディアへ
先日は、僕の言葉も配慮も足りなかったせいで、君に悲しい思いをさせてしまいました。とても反省しています。
昔から、僕は人の気持ちに疎いところがあるようで、感情表現が不得手なことと相まって、しばしば相手に不愉快な思いをさせてしまいます。
できるだけ君にそのような思いをさせずに済むように、せめて自分の気持ちくらいは素直に伝えるべきだと気がついて、こうして手紙を書いています。
君は僕の太陽です。
そんな陳腐な言葉しか思い浮かばないくらいに、僕は君が好きなのです。
君はいつも輝いていて、僕はその光に照らされると幸福感に包まれます。
この先も、君の笑顔が陰ることのないように、僕は君を精一杯大切にします。
愛をこめて ユーリイ』
(THE END)