小さな不満
ナイトは悶々としたものを抱えながら、シュウを伴って虹の神殿を後にしようとしていた。
妻ネティアが初めての結界継承の儀式で倒れたのだ。
すぐにでも駆けつけたかった。
しかし、実父である水の王ウォーレスに呼び出しを食らったのだ。
「王子!!」
後ろからナイトを追いかけてくる者がいた。
ライアスだ。
親衛隊に入り込ませている、ナイトの従者だ。
「聞きましたぞ、昨日、『死にかけった』そうじゃないですか!」
ナイトの額に亀裂が入る。
ライアスに悪気がないのはわかっている。
しかし、その大声、タイミングの悪さ、誰が聞いているかわからない神殿という場所で話しかけていい話題ではない。
「お前さ、時と場所を考えろ」
ナイトに注意されたライアスは辺りを見回して、はっとする。
「お、お元気そうで何よりです!」
ライアスは頭を掻きながらナイトの後に続く。
「たく、お前と言い、俺の周りにはどうしてこんなにデリカシーのない奴ばかり集まってくるんだ」
「私はちゃんと時と場所を考えてお話ししましたよ」
シュウがあっけらかんと答える。
ナイトは苦虫を噛み潰して、2人を睨んだ後、自室へ向かう。
父が勝手に入り込んでいるのだ。
「おう、ナイト戻ったか!」
満面の笑みを浮かべて侵入者はナイトを迎え、熱い抱擁を交わそうとやってくる。
ナイトはさらっとそれをかわし、
「いきなりやってきて、いきなり呼び出すなよ!」
怒りを露わにした。
「そう怒るな、ネティアの結界継承の儀式を見物したかったのだ。虹の国の身内の者しか見せない密儀だからな」
「女王の夫の俺の地位を利用して、こっそり入り込んできたのか」
「人聞きが悪い。私はちゃんとレイガルの許可を取ったぞ。まあ、こっそりは認めよう。王の一族共の反発は必至だったからな」
ウィンクをして大声で笑うウォーレスにナイトは大きな溜息を吐く。
他所の王が虹の国の密儀に参加したのだ。
虹の王宮内でのナイトの心証は更に悪くなったのは間違いない。
「まあ、お前に知らせなかったのは悪かった。しかし、ネティアちゃん大丈夫かな?」
「俺が今一番気にしてることだ!親父の呼び出しがなかったら付き添えたのに!!」
「はははは、それは悪いことをしたな。だが、都合が良かった」
「はあ?」
信じられない父の言葉にナイトは目を丸くした。
「お前、さっそく、親衛隊に命を狙われたらしいな」
「うっ…それは…」
ナイトは具の音も出なかった。
「あれほど気をつけろといっただろう?」
「ちょっと、油断しただけだ…」
ナイトはぶっきら棒に言い返した。
「まあ、無事で何よりだ。虹の王宮内で死んだとあってはマルコ王以上の恥だからな」
「わ、わかってるさ!」
「わかればいい…」
ウォーレスはいきり立つナイトを素通りし、シュウの方へ歩みを進めた。
「シュウよ、突然の来訪許してくれ。『出来の悪い息子』が心配だったのだ」
「別に構いませんよ、ウォーレス王。大切なご子息が殺められそうになったとあっては、親としては『駆けつけて守りたい』気持ちはわかります。御心労をおかけして申し訳ありません」
シュウは謝罪した。
「それに、あなたは女王の義理の父君にあたる方ですから、結界継承の儀式に参加する資格はあります」
「そうか、問題はなかったか、それは良かった」
ウォーレスは目的を達成して満足そうだった。
目的は結界継承の儀式に参加することだ。
ナイトの身など、ただの口実に過ぎない。
しかし、シュウは更に謝罪の言葉を続けた。
「我が領土の出身の者が大変失礼なことをいたしました。領主として深くお詫び申し上げます」
カインのことを謝罪した。
どうやらカインが水の王である父に食って掛かったようだ。
突然やってきてた父が非礼なのはだが、水の王という身分だとそれも許されてしまう。
権力者の前では、純粋に職務を遂行した一騎士の方が悪いことになってしまう。
「…そうだったな、レイス領主は今そなただったな。つい、コロッと忘れてしまっていた」
ウォーレスは笑ってごまかしたが、シュウとしては屈辱だ。
「はい、若輩者ですので、皆に覚えて頂けないのです」
「父が偉大だと、苦労するな…なあ、ナイト?」
突然、ナイト振ってきた。
「勝手に言ってろ!誰が偉大だ!」」
「息子は父を尊敬するものだぞ…」
ナイトに冷たくされたウォーレスは大きな溜息を吐いた。
「ナイト、せっかく来てやったのだから私をもてなせ」
「はあ?」
そう言って、ウォーレスは部屋のソファに腰かけて寛ぎ始めた。
「積もる話もあるだろう?」
「あるか、まだ数ヶ月しかたってねぇだろう!?」
冷たいナイトの態度を受け、ウォーレスは助けを求めるようにシュウの方を見る。
「まあまあ、親子水入らずでお話をなさったらどうですか?」
「さすが、シュウ。話が分かるな」
シュウの協力を得たウォーレスはナイトに満面の笑みを向ける。
「おい、シュウ」
「いいではないですか。何かナイト様にお聞きしたいことがあってやってこられたのでしょうから。相手をなさってあげてください。それに、今の虹の国のことをお知りになりたいのでしょう」
「そうだぞ、私は元虹の国の民だ。今の虹の国がどんなふうに変わったのか興味があるぞ」
シュウに説得され、ナイトは仕方なく父の向かいに座る。
「では、ごゆっくり」
「私も失礼します、ウォーレス王」
シュウとライアスが気を利かせて退室する。
「すまんな、2人とも。ナイトを今日は借りる」
ウォーレスはにこやかに2人を送り出した後、ナイトに向き合った。
その顔をは真剣だった。
「さて、許可も出たことだし、話を聞かせてもらおうか?いろいろと虹の国を見て回っただろうからな」
ナイトは大きな溜息を漏らして、父の事情聴取に応じることとなった。
***
ネティアは夢の中にいた。
遠い遠い昔、前世の自分を見ていた。
虹の国がまだ国になる前の夢だ。
未開の土地を切り拓き、魔物と上手に距離を取って、人々は安住の土地をやっとの思いで手に入れた。
人々は皆幸せそうだった。
ネフィアも、そうだった。
ただ、少し、不満があった。
それは、今思えば、贅沢な不満だった。
我が家へと戻ると、人だかりができていた。
その中心にいるが誰か、すぐにわかる。
彼女の夫だ。
「スカイ、また、出かけるの?」
「ああ、ネフィア、すまない…同盟を結んでいる街が攻められてるんだ。だから、ちょっと、皆で行って、追っ払ってくる…」
「そう…気を付けてね」
「ああ、わかってる。すぐ戻るから…」
軽く抱擁を交わすと、スカイは仲間達と共にすぐに出立した。
人に頼まれると断れない優しい夫。
この小さな国に危険が起きる前に、排除してくれているのもわかる。
だから、言い出せない。
傍にいて欲しいと…。
「おぎゃおがやあああ!!!」
夫達の背中を見送る横で、赤子が泣き出す。
「お父さんが出かけて寂しいのね、大丈夫よ。すぐ戻ってくるから、泣かないでね」
母親が周囲にすまなそうに頭を下げてから、我が子をあやしながら家へ帰って行く。
その顔は幸せそうだった。
それをとても羨ましく思う。
ネフィアにもイリスという女の子がいる。
まだ10歳に届かないが、父親に似てとてもしっかりした子だ。
双子の妹を失い、故郷を旅立った後に生まれた子。
どん底の精神状態と旅の最中ということもあり、娘には母親らしいことほとんどできなかった。
だから、イリアは早く大人になったのかもしれない。
ほとんど手を煩わせることはなかった。
それどころか、幼いながらに両親を手助けする術をいつの間に
か身に着けていた。
とてもいい子。
自慢の娘。
だが、ネフィアは寂しかった。
娘とのつながりがないように感じていたから。
ネフィアは両親を知らなかった。
ずっとそばにいたのは双子の妹フローネだけ。
彼女のことは何でもすぐにわかった。
そして、彼女も自分のことを何でもわかってくれた。
何でも分かり合える、それが家族だと思っていた。
しかし、今、夫のことも娘のことも何もわからなかった。
だからだろうか、もう1人子供欲しいと思ったのは。
失われてしまった子供を産み、育てる時間を、もう一度体験することができたなら、他の家族のような幸せを実感できるのではないか?
ネフィアはそんな思いを抱え、それを夫に伝えようと機会を窺っていた。
しかし、夫は一からの国造りに夢中になっていた。
そんな夫に共感し、ドンドン人が集まってくる。
いつの間にかネフィアは夫に近づくことができなくなってしまった。
自分の想いを伝えられないまま、時間だけが過ぎて行く。
国造りが一段落したら、思いを打ち明けよう。
そう決意するも、国造りが終わるまで待てば、もう遅いかもしれない。
娘が10歳になった時、ネフィアは諦めようと思った。
国造りが終わることはないのだ。
今、皆、一生懸命で幸せだ。
ネフィアだって、小さな不満はあるものの不幸ではない。
家族がいて、家があって、食べ物がある。
苦労はあるものの皆、楽しく生活している。
これが不幸であるはずがない。
今のままが一番いいのだ。
これからも、今の幸せが続く。
しかし、それは幻だった。
一週間後、凶報が届く。
百戦錬磨の夫がまさかの敗北。
同盟を結んでいる街の救援の帰りに、別の大軍隊に襲われ、重傷を負って行方知れず。
そして、その軍隊はこの国を目指していた。
「ネフィア!」
夫の右腕であるレイスがすぐさま駆けつけてきた。
「落ち着いて聞いて欲しい…」
降伏。
レイスの提案に衝撃を受けるも、せっかく気づき上げた国を守るために他に選択肢はなかった。
***
「ほう、闇の国には5つの国とその他の国があるのか…」
ナイトは父ウォーレスに流民達から聞いた闇の国の話をしていた。
人と獣の交配で生まれた種族の話は広く噂されていたが、闇の国に5つの国があることは知らなかったようだ。
「神竜には驚かないのか?」
ナイトは、闇の国を統べる竜に一番驚いたが、父はそこには反応していない。
「ああ、神竜のことは知っている」
「え、何で?」
「レイガルだ」
「義父上が何で出てくるんだ?」
「実はな、あいつ、神竜に庇護されていたらしい」
「え、え、え、何で???」
「詳しくは知らんが、あいつは化け物の並みの力を持っているてるだろう?たぶん、何か強力な魔物の血を引いているから、親が神竜に預けたんじゃないかと、私は思っている」
「…そうだったのか…」
まさか、義父が神竜と繋がっているとは知らずに、ナイトは驚いた。
「さて、闇の国の話はもう終わりにして、お前に聞いておきたいことがある」
「何だよ?」
「バイソン家のことだ」
その名を聞いて、ナイトは押し黙った。
父の本当の目的はこれだったのだ。
「現在のバイソン家当主がどこにいるかお前は知っているか?」
「いや、知らない…どこにいるんだ?」
「森の国だ。女王のお気に入りらしいぞ」
「え、エメラの!?」
ナイトは叫んで、顔を赤らめた。
森の国では、寵臣は女王の夜伽もする。
『あいつ…あいつの子孫も節操ないな!!』
ナイトの様子にウォーレスは溜息を漏らす。
「夜伽は女王が指名するんだぞ」
「そ、そんなことは知ってるさ…」
「まあいい、現在のバイソン家当主は森の国で大人しくしているから安心せい。だが、旧臣共が今でも忠誠を誓いに訪れている」
カインの顔が浮かんだ。
ナイトに向けた敵意から察するに、今もバイソン家に忠誠を誓っているのだろう。
バイソン家の臣下なら当然だろう。
「旧臣共はバイソン家の再興を願っているが、本人は虹の国へ戻る気はないようだ」
「え……」
ナイトは驚いて顔を上げる。
バイソンはとてつもない家族思いだった。
家族がいる故郷を捨てるなど絶対にあり得ない。
「お前がバイソン家をそのまま捨て置くかは知らんが、バイソンの者には注意することだな」
父の忠告は的確だ。
ナイトの顔を見て、バイソン家に対する複雑な思いを読み取っている。
「ありがとうな、親父…」
「ちょくちょく様子は見に来てやるが、あまり心配かけるなよ」
父に頭をグシャグシャと撫でられてナイトは子供のように笑った。