反対を押し切った結果
ネティアがランド領に赴く日が来た。
虹の王宮はてんてこ舞いになっていた。
侍女達が慌ただしく持っていく荷物をまとめていた。
王宮の内外を使用人達が荷物を持って移動している。
兵士達も装備の点検に余念がない。
殺気立った人々の群れを通り抜け、フローレスは双子の姉ネティアの部屋に向かった。
トントン。
ノックをするが反応がない。
いつもなら侍女のサラが出てくるのだが、今日はいないようだ。
なら、主であるネティアもいない、と言うことにはならない。
ネティアは一人を好む。
侍女を下がらせ、一人自室の窓から街を見下ろすのが大好きなのだ。
フローレスがそっとドアを開けて中を覗くと、ネティアはいつもの場所に立っていた。
バルコニーで風を受けながら、街の景色を眺めていた。
その後ろ姿を見ると、フローレスは何故か切なさを感じてしまう。
何か重要な秘密を抱え込んでいるように見えるのだ。
そのことについて、フローレスは何度か尋ねたことがあった。
『あなたは何も心配しなくていいわ』
と言って、いつもネティアは優しく微笑むだけだった。
何とかネティアの力になりたいと思うのだが、フローレスは魔法が使えなかった。
虹の王家の血を引いていながら魔力がないと言うことは前代未聞のことだった。
そのため、貴族達には『役立たずの姫』と陰口を叩かれ、無下に扱われていた。
そんなフローレスをネティアはいつもそばに置いて守ってくれた。
子供の時から、どんな状況においても毅然とした態度を誰に対しても崩さなかった。
なのに、反対勢力の親玉であるジャミルを伴侶に選んだ。
フローレスは双子の片割れであるのに、ネティアの考えていることが分からなくなった。
兄のような存在である従者のフロントも遠ざけた。
そして、心配していくれている父と母もネティアは拒んだ。
自分を除いて、今ネティアの傍には誰も近づくことができない。
フローレスは街を眺めている双子の姉の元へ行くと、そっとその背中から抱き着いた。
「…ネティア、本当に行くの?」
「…ええ、もちろん」
訪ねてもネティアの強い意志は変わらなかった。
「あなたは何も心配しなくていいわ…ただ、傍にいて…」
回した腕にネティアの頬が当てられた。
頷くしかなかった。
『私じゃだめだ…誰か、ネティアを止めて…』
フローレスにはネティアを止められるだけの力も知恵もなかった。
身近な者以外の誰かに心の中で懇願するが、そんな人間がいるはずもなかった。
***
虹の国東方の領地ランド。
東に海、領土中心は緑豊かな平地、西には山脈が広がる豊かな領地。
東に水の国、北東に森の国、南に風の国と3つ国と国境を接し、貿易が盛んな領土。
その豊かな領土のお蔭で、ランド領主は国主である女王よりも豊かな生活を送っていた。
領主ジャミルは自室で黒いバスローブ姿で寛いでいた。
「ネティア、来るかな?」
部屋の奥からオレンジ色の髪と瞳を持つ色白の美青年が白いバスローブを着てジャミルの傍にやってきた。
「来るさ」
ジャミルは事も無げに言って2つのグラスに赤ワインを注いだ。
1つを美青年に渡す。
「来たら困るな…」
美青年は赤ワインを回しながらジャミルの様子を窺う。
「何故だ?」
ジャミルはソファーに深く腰掛けて、ワインを楽しむ。
「僕が来ずらくなるってこと」
「どうして?」
「どうしてって…」
思いが伝わらず、美青年のモヤモヤが集約する。
「ジャミルが結婚するからだろう!!!」
爆発すると美青年はツンと背を向けた。
「何だ、妬いているのか?」
「そうだよ!今気づいたの!?」
ジャミルはグラスを置いて美青年の元へ歩み寄る。
「普通に来ればいいだろう?」
「できないよ!だって結婚したらジャミル王様じゃないか!そうなったら、周りの目があるだろう…」
不安をぶちまける恋人をジャミルはそっと後ろから抱き寄せた。
「ミゲイル、俺達の仲を恥ずかしいと思っているのか?」
「思ってない!思ってないけど…」
「なら何も問題はない。お前は俺の傍にいればいい」
「…でも、今まで通りとはいかないだろう?」
「少しの間だけだ。子供ができるまでの辛抱だ」
「それが嫌なんだよ…ジャミルが心変わりするかもしれないから…」
「ミゲイル、俺達もう何年一緒にいると思っているんだ?心変わりなどあり得ない」
ジャミルは微笑を漏らして、恋人を抱きしめる腕に力を込めた。
「俺の目的はただ一つ。ネティアを利用して我々王の一族に王権を復活させることだ。ネティアはただの道具だ。用が済んだらこの国のため祈り続けるただの人形だ」
「人形か…ひどいね」
「虹の女王の宿命だ。逃れることはできん」
ミゲイルはジャミルの腕を解き、向き合う。
「信じていいんだね?」
「無論だ、俺の心は生涯お前のものだ」
「僕もだよ」
ミゲイルは少女のようにはにかむとまだ飲んでいなかったワインをジャミルに掲げ、飲み干した。
***
ランド領主がロマンスに更けているころ。
虹の王都ではネティアが両親である王と女王に出発の挨拶をしているところだった。
挨拶などものの十分程度済むものだが、紛糾していた。
「ネティア、フロントを連れて行かないというのは本当なの?」
母、女王ティティスは問い詰めるように聞いてきた。
「はい」
ネティアは迷うことなく即答した。
「フロントは貴方たち専属の護衛なのよ。それを連れて行かないなんてあり得ないでしょう」
「私の誠意を込めて、先方の要望に応えたまでです」
「誠意は臣下であるジャミルが見せるべきでしょう?王族が見せるものではないわ」
「いいえ、母上、ジャミルは誠意を見せてくれました。1人で王宮に現れて、わたくしに求婚しました」
「無礼にもほどがあります。わたくし達を通さずあなたに直接求婚するなんて」
「申し出はあったはずです。それを父上と母上が握りつぶしていたのでしょう?」
ティティスは沈黙した。
すべてネティアが言っていることは的を得ていた。
はやる娘を引き留めようとあの手この手を使ったがすべて突破されてしまった。
助けを求めるようにティティスは夫に視線を投げた。
父レイガルは組んでいた腕を解いて口火を切った。
「フロントを連れて行かないのは分かった。だが、私の正規軍の同行も許さなとは本当か?」
初めて聞いたのかティティスは動揺を隠せないでいた。
「本当です。ランド領主がわたくしのために迎えの軍を派遣してくれています」
ネティアは広い窓の外に目を向けた。
そこからランドの赤獅子の旗が多数がはためているのが良く見えた。
「軍の派遣は止めよう。だが、フロントに代わる従者はいるのだろうな?」
「ライガがいます。後フローレスも」
ネティアは後ろに控えている双子の妹に視線を送った。
フローレスは心配そな視線を返してきた。
「他には?」
「わたくしが選んだ正規軍の騎士10名を連れて行きます」
横に控えていた宰相が進み出て同行する兵士のリストをレイガルに渡した。
レイガルはリストに目を通すと、ネティアに無言で強い視線を送ってきた。
国王の沈黙と眼光は臣下に恐れられていた。
しかし、それに怯むネティアではなかった。
逆に真っすぐ見返した。
無言の攻防がしばらく続いた。
先に折れたのは父だった。
「大した覚悟だ、ネティア…」
「恐れ入ります…」
レイガルはリストを置いて立ち上がり、退席する。
ティティスが慌ててその後を追いかける。
「あなた、ネティアを止めないのですか!?」
「止めても無駄だろう。一度決めたら曲げない子だ」
「でも、このまま行かせるなんて…」
「私とて同じ思いだ。だが、もう何も手はない。あとは成り行きに任せるしかない…」
「そんな…」
両親が引き留めを諦めたことで、ネティアはやっと馬車に乗ることができた。
同乗するフローレスの顔が浮かない。
1人足りないからだとすぐに気づく。
従者のフロントはどこに行くにもいつもネティア達と一緒だった。
強いだけでなく、話術も巧みだった。
面白い話をしてはよく2人笑わされたものだった。
「フロント、どこにいるのかな?」
フローレスがポツリと呟いた。
2人は、今日一度もフロントの姿を見ていなかった。
「どこか遠くでわたくし達の出発を見ていることでしょうね…」
ネティアは溜息を吐いた。
反対されると覚悟していた。
しかし、実際にフロントが離れてしまうととても心細かった。
兄のように慕っていただけにその喪失感は大きかった。
「ネティア姫、もうすぐ出発いたします」
「わかりました」
ランド軍の指揮官が出発を告げに来て、ネティアは心を引き締めた。
それから10分ぐらいたった。
しかし、まだ出発していなかった。
「変ね、まだ出発しないのかしら?」
周りを見るが誰もいない。
「私、ちょっと見てくる」
「その必要はありませんよ」
フローレスが馬車を降りようとすると影が降ってきた。
「ライガ、何が起きてるの?」
フローレスが聞いたのだが、ライガはネティアの方を向いた。
「フロントが1人でバリケード張ってるんですよ」
「何ですって!?」
フローレスは仰天した。
ネティアも驚きを隠せなかった。
フロントは良識がありとても温厚な性格の持ち主だった。
とても大軍を相手に1人でバリケートなど作る人物ではなかった。
そんなフロントがとんでもない凶行に走ったのは、ネティアの決断のせいだ。
ネティアはすぐに心を鎮めた。
「何故、フロントを止めなかったのですか?」
「怪我したくなかったからです。あいつは強いですからね。それに、俺もネティア様がランド領に行かれるのは反対ですから…」
ライガはぶっきら棒に答えた。
フロントを抑えるつもりは毛頭ないようだ。
「ネティア、どうする?」
「約束は反故にはできないわ。言うを事を聞かないのならわたくしが直接フロントを排除するわ」
「え!!?」
フローレスは悲鳴を上げた。
ライガにも動揺が見えた。
まさかネティアが直接赴くとは考えてもいなかったようだ。
「どどどど、どうぞご自由に…」
絞り出された言葉は消え入りそうだった。
ネティアは馬車を降りるとスタスタと軍の先頭に向かった。
ライガが言った通り、大勢のランド兵とフロントが対峙していた。
すでに戦闘があったのか、傷を負っているランド兵が何十人もいた。
「放て!」
『ファイアボール!』
指揮官の命令でランドの魔導士部隊が炎の魔法を繰り出す。
「消えろ!『霧雨!』」
辺りが真っ白になるほどの霧雨に包まれて火球弾はあっけなく消えた。
「突撃!」
直後、ランドの騎士達がフロントに切りかかる。
だが、フロントは槍のたった一振りで蹴散らし、攻撃に転じる。
『氷河!』
辺りが一瞬にして凍り尽くした。
先ほどの霧雨で周辺に水分を行き渡らせていたせいで、氷結は速かった。
圧倒的な強さを見せつけられてランド兵士達の士気が一気に下がった。
恐れ戦き、後退しようとする。
「狼狽えるな!」
ランドの指揮官が檄を飛ばすと兵士達は何とか踏みとどまった。
しかし、脚はガタガタを震えていた。
「おのれ…!」
ランドの指揮官はフロントを睨みつけた。
フロントは涼しい顔で見返し、強者の余裕を見せた。
「フロント、何をしているのです?」
「ネティア様!」
ランド兵の間から出てきたネティアにフロントは跪いた。
「ランドの騎士達の力がどれほどのものか、力量を量らせてもらいました…」
フロントは凍り付いた地面に右拳を打ちつけ、
「ランドの兵は弱いです!このような者達に私の主であるあなた方を預けることなど到底できません!!どうか、私をお連れください、ネティア様!」
決死の嘆願を申し出た。
フローレスとライガが背後で事の成り行きを黙って見守っている。
しかし、
「ダメです」
ネティアは決定を覆さなかった。
「あなたはランド領主に嫌われています。あなたを連れて行くことはできません」
フロントは肩を落として俯いたが、その場を動こうとはしなかった。
「フロント、わかって。わたくしとて心細いわ」
「いいえ、わかりません!絶対にわかりません!心細いなら私を連れて行けばいいんです!」
フロントは執拗に食い下がってきた。
「それはダメだと言ったでしょう」
「何と言われようと嫌です!私もジャミルが大嫌いです!嫌いな奴のところに実の妹のようなあなたを行かせることはできません!」
ネティアは口をつぐんだ。
実の妹のような存在であると言われて正直嬉しかった。
ネティアもフロントをただの従者ではなく本当の兄のように思っていたからだ。
「嬉しわ、フロント。わたくしもあなたのことは本当の兄のように思っているわ。だから、わかってほしいの。わたくしの気持ちを…」
「その気持ちは偽りです!あなたはジャミルのことなんか全然好きじゃない!」
周囲からどよめきが起こる。
2人の間に特別な情はない。
周知の事実だが、こんな公の場で堂々と真実を話す者はいない。
「この国のことを思ってのことよ…」
ネティアも否定はしなかった。
「本心ですか?私にはそうは思えません。あなたは他の誰かを待っている」
フロントの言葉が胸に突き刺さった、
それは諦めたことだったからだ。
「そんな人はいません!」
ネティアは強く否定した。
「フロント、いますぐそこをどきなさい!」
話を終わらせようと命令口調になる。
しかし、フロントの意思も固かった。
「嫌です!どうしても行きたいと言われるなら、この私を倒していってください!」
「な…!」
絶句するネティアにランドの指揮官が歩み寄る。
「どうなさいますか、ネティア姫?我々は任務遂行のために尽力しますが…」
その申し出を横で聞いていたフローレスが息を飲んでフラフラとライガにもたれかかった。
支えるライガも手に汗がにじんでいた。
ランドの兵達はリベンジに燃えていた。
そこにネティアの力が加われば、いくらフロントでも勝ち目はない。
ランドの兵士達の力を借りてフロントを倒して進むか、フロントの決死の嘆願を受け入れてランド行きを諦めるか。
決断はネティアに委ねられた。
それは非常な選択だった。
ここでフロントを倒して進めば、何物にも代えがたい絆が切れ、ただの主と従者の関係に成り下がってしまう。
ランド行きを諦めれば、せっかく漕ぎつけた王家と王の一族の和解が破綻してしまう。
それどころか、もっと関係が悪化してしまう。
ネティアは悩んだ。
だが、どちらにも明るい未来はなかった。
根本的に問題を解決できる第3の選択肢など存在しなかった。
ネティアは心を決めた。
意思が伝わったのか、フロントは身構えた。
ランドの指揮官が部下に目で合図を送ると、兵士達がフロントを囲うように広がり始めた。
張り詰めた空気が辺を静寂にする。
「これは何の騒ぎだ!!?」
突然の怒号が静寂を破った。
皆、一斉に声の主を探す。
「国王陛下…」
ランドの指揮官が慌ててひれ伏した。
続いて兵士達も武器を下ろし、跪く。
騒ぎを聞きつけた国王レイガルが正規軍を連れてやってきたのだ。
フロントもしぶしぶひれ伏す。
「フロント、気持ちはわかるが未来の女王に手を上げることは許さん。そして、女王の決定は絶対だ」
レイガルに諭されたフロントは顔を強張らせた。
そして、諦めて氷の魔法を解いた。
勝利の歓声がランドの兵士達の間から上がった。
その様子をフロントは不満そうに見つめる。
レイガルがランドの指揮官に歩み寄る。
「私の部下が失礼した。ランドまでの道中は長い。娘達をしっかり守ってくれ」
「は!お任せください、国王陛下!」
「頼んだぞ」
ランドの指揮官はレイガルに対してビシッと敬礼した。
ネティアは父に歩み寄った。
「父上…」
ネティアは安堵の気持ちに襲われた。
「もう止めはしない。お前が好きなようにすればいい。私はお前の気持ちを尊重する」
父の言葉にネティアは目頭を抑えた。
フロントがトボトボとこちらにやってきた。
まだ不満そうな顔をしている。
「私は認めませんから!」
「結構です」
口火を切ったフロントにネティアは即座にい返した。
せっかく収まった感情がまた高ぶる。
「あんな弱い奴らに守らせたら、すぐ危ない目に合うんですからね!」
「その時はライガが守ってくれます」
ネティアはライガを見る。
ライガはフロントの顔を窺いながら小さく頷く。
「ライガがやられたら?」
「その時は自分達の身くらい守れます。ね、フローレス?」
「あ、うん…」
フローレスもそう言わざる得ない。
フロントの額には亀裂が走る。
「そ、そうですか!なら、私はいりませんね!」
「いりません!」
ネティアは無碍もなく言い放った。
「どんな目にあっても絶対助けに行きませんからね!」
「もちろん、覚悟の上です!」
喧嘩のフィナーレに、ネティアとフロントはふんと横を向いた。
兄妹喧嘩の様相に周囲は呆れモードになっていた。
「行きましょう、フローレス!」
ネティアは踵を返すと馬車へ大股に歩いていく。
「絶対、何があっても助けに行きませんからね!!」
フロントは再度去っていくネティアの背中に叫んだ。
「フ、フロント、お土産買ってくるから、機嫌直してね」
フローレスは不貞腐れているフロントにそう約束をして、慌ててネティアの後を追いかけた。
「フローレス、何があってもランドに行きましょうね!」
「う、うん…」
馬車に乗り込む前に宣言したネティアに、フローレスは複雑な気持ちで頷いた。
その後、馬車の中ではフロントのことはタブーになった。