真夜中の来訪者
霊廟で号泣したその夜、ナイトはモチベーションが下がらないうちに財務部改革の案を練っていた。
その作業は深夜まで及んでいた。
「そろそろ、寝るか…」
ナイトが作業を止め、寝る準備を始めた頃、何者かが窓を叩く音が聞こえた。
不審に思って、そっと窓を見ると、なんとフロントだった。
差し入れを持ってきてくれたのか、手には何やらバスケットを抱えている。
兄らしい心遣いだ。
日中は人目があってゆっくり話ができないから、夜中にやってきたのだろう。
ナイトも兄とゆっくり語り合いたかった。
離れ離れだった12年間の空白を埋めたかった。
ナイトは窓を開ける前に、上着を脱ぎ棄てて大きく深呼吸をした。
準備はできた。
窓を開ける。
「夜分遅くにごめんな、ナイト…昼間はゆっくり話できないから…・・うわあ!!」
窓から顔を出したフロントをナイトは一気に部屋の中に引きずり込む。
脇に抱えていたバスケットが窓際に落ちる。
バスケットに掛けられていた埃避けの布が外れる。
おいしそうなトマトとレタスのサンドウィッチだ。
しかし、そんな物には騙されない!
ナイトはフロントの右腕をひねり上げて、腹ばいで床に押さえつける。
「俺もゆっくり話をしたかったよ、兄ちゃん!!」
「うわあああ、痛い、痛いぞ、ナイト!!!これが話をしたい行動かあああ!!!」
「はははははあああ、わかってるよ、何を話に来たのか!ライアスのことだろう!?」
ナイトの予想は当たった。
痛みに顔を歪めていたフロントが微笑を零した。
忍び衆にナイトとライアスの関係を調べさせたのだろう。
「そうか、わかっているのなら話は早い!」
言うが速いか、フロントは腹ばいの状態で左腕だけで上に乗っているナイトごと体をジャンプさせ宙に浮かせた。
抑えが利かなくなった。
フロントは体を回転させて向き直り、ナイトの顔目がけて左手でパンチを繰り出してきた。
ナイトは体を回転させて、間一髪それをかわした。
両者、床に足がつくと距離を取った。
「兄ちゃんは悲しいぞ!お前が自分の地位を利用して、ライアス殿に意地悪をしていたなんて!!」
「俺だってな、ライアスには苦労させられてんだ!あいつの馬鹿さ加減でどれだけ俺が苦労したと思ってるんだ!!?」
「それは、お前の使い方次第だ!!」
「あいつは、兄ちゃんと同い年で、俺は年下!!ガキなの!!ガキにそんな高度な人使いできるか!!」
ナイトは靴を脱ぎ捨てるとフロントに掴みかかった。
フロントも上着と靴を脱ぎ捨てた。
兄弟喧嘩に刃物はご法度。
12年ぶりの兄弟の取っ組み合いが始まる。
「兄ちゃんだってさ、『魔王』って、皆から恐れられてんじゃん!稽古とか称して、憂さ晴らしてんだろう!?」
痛いとことを突かれてフロントは一瞬口籠ったが、すぐに体制を立て直す。
「これもお互いのための訓練の一環だ。不測の事態に際しても対応できるようにな!だが、兄ちゃんはお前と違って地位を利用して特定の誰かを集中的には虐めない!!虐める相手は上級騎士以上、憂さの度合いに合わせて100人単位で増やして兄ちゃんは1人だ!」
と開き直り、ナイトを押し返した。
1人対多数となると、一騎当千。
相手が魔物なら英雄だ。
だが、それが味方なると、魔王と称される。
『さすが兄ちゃん、規模が違う』
自分が小さく見えた。
ナイトの標的は主にライアス1人だったからだ。
圧倒されたナイトだったが、
「ライアスは特別なんだよ!!」
と押し返した。
そうライアスは1人だが、その強さは折り紙つきだった。
フロントと同じで、一騎当千の実力者だ。
だから、ライアスは弱者ではないのでいじめではないというのが、ナイトの主張だ。
『王子、強くなられましたな。ですが、まだまだですな…』
剣の稽古の後、笑いながら必ず言われる一言。
ライアスに真っ正面から挑んで、ナイトは勝ったことがない。
毎回悔しい思いをする。
『王子、あまり無理を成されないでください。私が強くあらなければならないのは王子を命を懸けてお守りしなければならないからです。これでは命がいくつあっても足りないではないですか』
平定前のシープールでナイトが襲われた時に言われた言葉だ。
ナイトを命を懸けて守ると言っていた。
なのに、シープールが平定されると、ライアスは去っていった。
『何で、俺の下を去った…?』
最初の従者に去られた衝撃は大きかった。
ずっと、最期まで傍にいてくれると思っていたから。
強さは折り紙付きなのに、頭の切れが悪から相談役には適さない。
だから、他の者を起用する。
自然と距離が生まれ、だんだんと離れていく。
だが、一番頼りにしていたのはやはり、ライアスだった。
「ナイト?」
押し倒していたフロントの声で我に返る。
ナイトの涙が、フロントの頬に落ちていた。
「たく、どいつもこちも、『俺の兄貴達』は一番いて欲しい時にいてくれないんだからな!」
ナイトは一度フロントから離れると、起き上がろうとしているフロントにジャンプキックを食らわせようとしたが、逃げられた。
「一緒にいてやれなくてごめんな!!」
ナイトの間合いの死角を狙ってフロントが回転してながらラリアットを繰り出してきた。
避けそこなって、壁まで吹き飛ばされた。
差し入れのバスケットが目に入った。
「俺が勝ったら、サンドウィッチ全部俺のだからな!!」
立ち上がるとそう、宣言して再び憎き兄に突っ込んで行く。
「いいだろう!!私に勝てたらな!!」
兄は愛しき弟を迎えうつのだった。
***
深夜、王都にあるランド領主邸では密会が行われていた。
ジャミルは人払いをした室内にその者を迎え入れた。
真っ黒なローブで全身を包んだ男が平伏す。
「ランド卿、ご尊顔を拝して恐縮でございます」
「そなたを呼んだ理由はわかっているな?」
ジャミルは不快そうな顔でローブの男を見下す。
「…ライアスのことですね?」
承知していたように、ローブの男はすぐさま聞き返した。
「ナイトの腹心を親衛隊に引き入れるとはどういう魂胆だ?」
「不信を抱かせてしまったのなら、お詫び申し上げます。ですが、ご心配には及びません。あのライアスという男、利用価値があります」
「ほう、その根拠は?」
「聞きましたところ、ライアスとナイト王子の関係はあまりよくないようです。取り込んでおけば後々役に立つかと思わられます」
ジャミルは顎に手を当てる。
「信じられんな、そんな人間を傍におくか?」
「私も始めはそう思いました。しかし、ナイト王子は現にライアスを突き放しております。水の国でも不遇な扱いを受けて、ナイト王子の下を去っていたのも調べがついております」
ジャミルは眉間に皺を寄せる。
ナイトの行動がどうにも理解できないのだ。
「ナイトは何を考えているのだ?」
「私にもわかりません。ただ、ライアスの話によれば、『自分は捨て駒にされるために連れてこられた』と言っておりました。現状からみて、真のことのようです」
ジャミルは唸った。
「ナイトめ、なかなか薄情な奴のようだな」
「そのようでございます」
「話はわかった。ライアスのことはお前に任せる」
「はい、お任せください。必ずやランド卿のお役に立てるよう飼いならしておきます」
ローブの男はそう宣言した後、
「ランド卿、我が主のことですが…」
声音を落として話題を変えた。
「わかっている。我々は同胞を決して見捨てない。お前達は諦めず、主を説得し続けるがいい。私も折をみて会いに行こう」
「痛み入ります」
「お前達の主が戻ってきた暁には、ネティアをくれてやってもよい」
ローブの男が驚いて顔を上げる。
すでにジャミルの頭の中では次の計画が始まっていた。
ナイトを亡き者にした後のことだ。
「それでは、ランド卿は王になられるのを諦められたのですか?」
「他の男の手垢がついた女など興味はない。私はその次にする」
「と、仰いますと、お妃様を娶られるのでございますか?」
「ランドのためにな」
「おめでとうございます。して、どなたを迎えられるのですか?」
「それはこれから決める」
「左様でございますか…ランド卿が結婚相手を探していると知れば、さぞ、多くの貴族達が押し寄せてきましょう」
「ネティアとの結婚を決めた時よりも気が重いな。ドス汚い私利私欲の匂いがする」
ジャミルは結婚に対して悲観的だった。
自身の男色は国中に知れ渡っている。
そんな自分の下に来るのは地位と名声と権力しか目のない者に決まっている。
「ランド卿のお立場ならば仕方ありません。しかし、ランド卿がどのような女性がお好みなのか気になります」
ローブの男は控えめながらも、好奇心を押さえられずに質問してきた。
「女の好みは特にない。求めることはただ1つ、私を理解してくれる女だ。貴賤は問わん」
「…理解してくれる人間ですか…確かに、それが一番大事なことですね」
ローブの男はジャミルの理想の女性像に深く頷いた後、
「ランド卿の理想に叶った女性が現れることをお祈りしております」
と答えた。
***
ジャミルが密会を終える頃、ナイトとフロントの兄弟喧嘩は終盤を迎えていた。
「ギブ!ギブ!!兄ちゃん、許して!!」
腕を固められ、堪らずナイトは白旗を上げた。
成長して、体格差はほとんどなく、勝てると思ったのだが、やはり、兄は強かった。
「ふはははは、まだまだな、ナイト」
フロントは満面の笑みを浮かべて、ナイトに差し入れのサンドウィッチを手渡す。
「ほら、お腹すいたろう?一緒に食べよう」
「うん」
仲直りに2人でサンドウィッチを食べる。
久々に食べた兄の手製のサンドウィッチはとてもおいしかった。
「兄ちゃん、腕上げたね」
「まあな」
食べ終わり、お茶を飲んで一服していると、フロントがソワソワし出した。
「あのさ、ナイト…あれを返してくれないか?」
「え、あれって、何?」
「間違って渡してしまったデートブックだ。返してくれ、あれは私がフローレス様とのデートの時に使うから」
顔を赤らめて手を差し出してくるフロントにナイトは目を瞬かせた。
「持ってないよ。拘束された時に持ち物全部没収されたもん」
「え、じゃ、今どこに!?」
「シュウが持ってるんじゃないの?」
フロントの顔色が赤から青へ変わってった。
「何か、まずいのか?闇の騎士の件、もみ消してくれだろう?言えば、返してくれるんじゃないか?」
「そうだな…でも、シュウに弱みを握られた…ははははは…」
フロントは絶望的な笑いを零して肩を落とした。
デートブックを回収できたとしても、フロントはシュウに一生頭が上がらなくなる。
「初めからバレてたんじゃないのか?」
フロントには確実なアリバイはあったが、動機は十分だった。
「まあな、でも、証拠がなければ証明はできない」
「その証拠があれか…」
フロントはうめき声を上げると、頭を抱えて床を転げまわる。
「恥ずかしすぎる!!!レイガル様達にも顔向けができない!!」
「あれを渡された俺はもっと恥ずかしかったぞ!!」
ネティアにあのデートブックを見られて、ナイトがどんなに慌てふためいたことか。
フロントは転げまわるのをやめた。
「終わり良ければ総て良し!!」
振り回されたナイトは呆れてガックリきた。
兄は開き直りがとても早くなっていた。
「とてもいいじゃないか」
ナイトが顔を上げると机の上の財務部改革の計画書を勝手に見てフロントが微笑んでいた。
「まあ、一時凌ぎだけどな。まずは環境を整えないとな。うまくいくかな?」
「うまくいかせるさ。それが補佐の役目だからな。それにこんなことは次期虹の王のお前にしかできないよ」
「うん、頑張るよ。兄ちゃん、頼りにしてるかな」
「存分に頼ってくれていいぞ」
兄弟は笑いあった。
頼りになる者傍にいてくれるだけで、心が軽くなった。
「これ貰って行っていいだろう?シュウに渡しとくよ」
「うん、頼むよ」
「早く寝ろよ」
「わかってる、お休み」
フロントは計画書を持って入ってきた窓から帰っていった。
***
翌日、ナイトが考えた財務部改革の計画書が発表された。
「受付嬢を置く」
財務部職員達は沈黙し、目を瞬かせた。
「…受付嬢?それは女性に受付をさせるということですか?」
「そうだ、紳士な男性客なら女性に強く出ることはしないだろう」
「それは一理ありますが、うちに女性職員はいません」
「心配は無用です」
控えていたシュウがここぞとばかりに出てきた。
「他の部署にお願いして移動させてもらいました。さあ、入ってきなさい」
「「「失礼します!!」」」
3人の魅力的な女性が入ってきた。
ほとんど眼鏡職員である財務部の眼鏡が落ちる。
新職員の女性達の自己紹介が始まる。
最初に挨拶したのはスタイル抜群の金髪美女。
「初めまして、外交部から来ましたレナです。よろしくお願いします!!」
次にはにかみながら銀髪の美女。
「商部から来ましたマロンです。事務仕事をしていたので少しは財務部お仕事わかると思いますので、よろしくお願いします」
最期に明るい茶髪の小柄な美女。
「福利厚生部から来ましたピーチです。堅苦しいのはちょっと苦手です。でも、楽しいことは大好きなので、皆が疲れたときは私が癒してあ・げ・る!!」
ピーチがウィンクすると10名近くの職員が倒れた。
どうやらドストライクのタイプだったようだ。
ナイトの思惑通りの人選だ。
シュウに耳打ちする。
『昨日の今日でよく見つけてきたな』
『仕事ができる美女、しかし、中身は腹黒。この三拍子そろった人材ならどこにいても目立ちます。声を掛けたらすぐに乗ってきました』
シュウは陰のある笑いを零す。
『弱小の財務部のやる気を出させるために、腹黒美女に尻を叩かせる。さすがです、ナイト様。奴ら、死に物狂いで働くことでしょう。くくく…』
『まあ、外れではないけど…』
ナイトはフロントの耳に寄せる。
『兄ちゃん、シュウってなんか女性関係でなんかあったの?』
『さあ、小さい時は良く知ってましたけど、最近のプライベートなことは謎です。たぶん、あったんでしょう』
シュウは人を見る目はあるようだが、女性コンプレックスの塊だった。
財務部職員一同は新女性職員に見惚れている。
続いて、第2の改革案を発表する。
「それともう1つ諸君らにも頑張ってもらうことがる!」
「何ですか!?何でもやります!!」
腹黒美女とも知らず、やる気に満ち溢れた財務部の男達。
「騎士に交じって基礎訓練に参加しろ」
と言うとたちまち気が萎えてくる。
「あの、我々は文官です。体力がないから文官になったのです」
「適性がないのはわかっている。だが、お前達、自分を貧相だと思わないか?弱そうに見えるから舐められるんだ。そんなんじゃ、意地汚い客が来たら彼女たちを守れるのか!?」
ナイトの言葉で男達はハッとした。
新女性職員、美しくか弱い、財務部に初めて咲いた花。
この美しき花を守らなければ。
「やります!!」
「よし、良く言った。では、まず部長以下、各リーダーはついて来い」
始めから全員は無理なので、まずはリーダー格の財務職員を連れて行く。
連れて行った場所は、親衛隊の詰め所だった。
白けた空気の中、ライアスが驚いてやってきた。
「王子、どうなされたのです?」
「ライアス、お前に仕事を頼みに来た」
「え、私にですか!?」
ライアスは信じられないような顔をしたが、仕事をもらえるとあって嬉しそうだった。
「ああ、財務部の仕事終わりにこいつらに基礎訓練をさせてくれ」
「はい、喜んで。ですが、それでだけでよろしいのですか?」
「それだけだ。文官だからな。頼むぞ」
「はい、お任せください!」
ライアスは満面の笑みで引き受けてくれた。
放り出したとはいえ、一応数少ない従者の1人、繋がりを持たせた形だ。
ライアスを取り込もうとしている親衛隊は何も言わなかったが、面白くなさそうに様子を見守っていた。