父王の決断
「あ〜あ………、やっちまったな……」
ナイトは薄暗い硬い天井を見つめてぼやいた。
今彼がいる場所は牢屋の中だった。
遡るごと半日前。
ライアスからこの縁談攻撃の首謀者が父王であることを知ったナイトは、夜を待って父王を部屋の前で待ち伏せした。
そして、凶行に走ってしまったのだ。
『親父の奴、あんなに弱かったけ…』
いくら怒りにかられたからと言ってナイトの不意打ちぐらいでやられる父ではなかった。
小さい時から何度も挑んでいるが、かすり傷一つつけられなかった。
ところが、斬れてしまったのである。
父の血を見たときはさすがのナイトも青ざめた。
しかし、傍にいた宰相は冷静だった。
すぐさま近くにいた兵に呆然自失のナイトを取り押さえ、この牢屋にぶち込んだ。
「王子、陛下がお目覚めになるまでここで反省しておいてください」
「スパーク、俺は…!」
「わかっておりますとも。しかし、陛下も調子がお悪いときもあります」
ナイトは言葉を飲み込んだ。
スパークは、ナイト親子の関係をよく知っている。
だが、他の者の目にはただの謀反にしか見えない。
「関わった者達の口止めはしてあります。しかし、事は重大です。王子、それなりの覚悟はしておいてください」
宰相の言葉は重かった。
去っていく宰相の後ろ姿を見送りながらナイトは床に崩れた。
王太子になるどころか、反逆者になってしまった。
野望は潰えたのだ。
山ほどあった縁談もこの事件のせいですべて消えただろう。
今まで築き上げてきた実績も信頼もすべて消えるのだ。
地位も名誉も何もない。
父王が一命を取り留めれば、命は助かるかもしれない。
しかし、それならば命も奪ってほしいとナイトは思った。
自分で手に入れたものはすべて失ったのだ、生き恥は晒したくなかった。
残ったものは与えられたものだけ、この命と水の国第一王子という欲しくもない地位だけ。
「くそ、俺は何のために今まで………!!!!」
湿っぽく冷たい床に這いつくばったナイトの目から悔し涙が溢れた。
王族という血筋も、王位もナイトは欲しくなかった。
ただ、父のために頑張ってきたのだ。
父が前の水の王の弟だと知らされた時からナイトの人生は狂った。
養子で、1人血が繋がらない兄と別れて、親子3人で父の故郷水の国へやってきた。
父と駆け落ちして一緒になった母とナイトは王族の身分に慣れるのに苦労した。
それも水の国の王位を継いだ父のためにだ。
ナイトは母と励まし合いながら父を支えた。
しかし、その母は8年前、謎の失踪を遂げた。
父は母を探さなかった。
それどころか、母そっくりの後添えを連れてきたのだ。
ナイトは怒り狂った。
そして、1人でも真相を究明しようとした。
ところが、父の権力に阻まれた。
ナイトは光の国の学園に無理やり入学させられた。
その間に異母弟が生まれた。
この時、ナイトは何が何でも王位についてやろうと決心した。
だが、戻ってきて早々水の国で最も治安の悪い領地の領主を命じられた。
だが、逆境をバネにして、数少ない臣下と共に、苦難の末に見事その領地を治め切った。
この実績はナイトの実力を大いに国中に知らしめた。
王位まであと一歩というところまで来ていたのだ。
それなのに…
「…母さん…何で俺も連れて行ってくれなかったの…?」
ナイトはいなくなってしまった母に弱音をもらした。
父にはもう他の家族がいる。
1人取り残されたような寂しさにかられた。
***
「宰相閣下!ナイト王子に会わせてください!!!!」
昼間から執務室ではシリウスが決死の直談判をしていた。
「ならぬと言っておるだろうが!!!!」
「そこをなんとか!!!!」
ものすごい形相の宰相とシリウスが激しい応酬を繰り広げていた。
「すごいな、シリウス…さすが、王子の右腕…」
「ああ、あの宰相閣下に立てついてる…」
リュックとルビは震え上りながらシリウスを見守っていた。
アルトは撤収していく王侯貴族達を窓から見送った。
彼らはナイトの凶行を知った途端に掌を返したのだ。
反逆者に王位はない。
ナイトの味方は今ここにいる側近4人だけになってしまった。
『…気の毒な方だ…』
アルトはナイトを思って、頑張っているシリウスに希望を託した。
しかし、面会は叶わなかった。
夕方まで粘ったが、近衛兵に城門まで追い出されてしまった。
それでもシリウスは諦めなかった。
「どうか、ナイト王子にご慈悲を!!!!!」
城門前に座り込み必死に訴え続けた。
「なあ、俺達もやるのか?」
ルビが聞くと、
「当たり前だろう!王子の命が懸かっているんだぞ!!!!」
シリウスに一蹴された。
しかし、
「シリウス、王子の助命を父上にお願いしてみる」
アルトが申し出ると、シリウスは重く頷いた。
「頼む、オーウェル家が動いてくれるなら助かる…」
「…難しいかもしれんがな…」
アルトの声は険しかった。
「僕んちだって、頑張るよ!」
リュックも負けずと声を上げた。
家柄ならアルトの家にも負けない。
「頼んだぞ、2人とも!」
シリウスは熱い眼差しで2人を見送った。
「ちょっと、待て、お前らだけずるいぞ!!」
「黙れ、ルビ!我々身分の低い者は行動で示すしかないのだ!」
「ええ、そんな!!!」
「つべこべ言わずに嘆願しろ!」
ルビはシリウスにどつかれた。
「頑張ってくるから、頑張ってね!」
リュックは明るくルビに手を振ってアルトともに歩き出した。
「ねえ、アルト。今回はさすがにヤバいんじゃない?」
「だろうな、王子の凶行はこの一日で国中に広まったかもしれん」
街中ナイトの凶行話で持ちきりだった。
「動いてくれるかな?」
「無理だろうな、王子は縁談に応じなかった」
「じゃ、うちも駄目だよ…」
リュックはお手上げという感じで頭で腕を組む。
「お前のところだけじゃない、すべてだ」
いつになく緊迫したアルトの声にリュックは腕を解く。
「どういうこと?」
「王子には国王陛下以外に縁者がいない。それが意味するところは、誰も王子を助けられる者がいないということだ」
「え?えええええええええ!!!?」
リュックは心を落ち着かせてからアルトを見る。
「それって、かなりヤバくない?」
「当たり前だ、国王陛下に対抗できる後ろ盾が王子にはない。つまり、国王陛下の意思一つで王子の運命は決まる」
リュックの顔が青くなった。
「そそそそ、それって、死罪とか…?」
「ありうるかもな」
「親子だよ、血を分けた!」
「国王陛下は後妻を娶られ、セリオス王子がいらっしゃる。前妻の子であるナイト王子が邪魔になったのかもしれんな」
「邪魔って…そんな…」
アルトの冷静な物言いにリュックは泣きそうになった。
確かに、ナイトと国王の関係はあまりよくなかった。
だが、反発しながらもナイトが国王のために頑張っていると、リュックは薄々気づいていた。
「そんなのあんまりだよ…」
足を止めたリュックの頭にアルトは手を乗せた。
「ただの憶測だ。俺は国王陛下がそんなに非道な方とは思っていない」
「でも…」
リュックは反論したそうな目で見つめてくる。
今までのナイトへの仕打ちをみれば考えられないことでもない。
「国王陛下には何かお考えがあるのだろう。でなければ、王子にあんなに縁談を持ってこないだろう?」
もし、ナイトが1件でも見合いを受け入れていればこんな事態にはならなかったはずだ。
「どんな?」
「さあな…ただ言えることは、これは王子にとって最大の試練だということぐらいだな」
アルトとリュックはナイトが幽閉されている城の一角に目を向けた後、それぞれの屋敷へ向かった。
***
『そろそろ丸一日か…』
高い牢屋の窓から差し込む月の光を見て、ナイトは身を起こした。
未だ宰相は姿を見せていない。
まだ父は目を覚まさないのか?
それほどの大怪我を負わせてしまったのか?
ナイトは恐怖にかられた。
今父がいなくなったら、国はどうなるのだろう?
ナイトが表に立つことは許されない。
残る選択肢はただ一つ、幼いセリオスが玉座に就くことになるだろう。
後妻のセリアは顔はナイトの母そっくりだが、教養のないただの街娘だった。
佞臣達の操り人形には持って来いだ。
『また荒れた時代の戻るのか?』
伯父の玉座を父が引き継いだ時、水の国の政治は不正が蔓延っていた。
それを今日まで父が抑えてきたのだ。
抑えがなくなってしまったら、息をひそめていた佞臣達が動き出すだろう。
そうなればナイトの領地シープールもまた昔のようになってしまう。
『ああ、俺は何てことをしてしまったんだ…』
懺悔してもしきれない。
自分の命を失うことよりもそっちの方が辛かった。
ナイトが愛した理想の領地だ。
それが汚されることなど到底耐えられない。
『シリウス、アルト、ルビ、リュック…シープールを頼んだぞ…』
ナイトが断腸の思いで側近達に心の中で願いを託しているときに、扉が開く音がした。
『ついに来たか…』
ナイトは固唾を飲み込んで、近づいてくる複数の足音を待った。
ランプの光が現れ、強面の宰相の顔が目の前に浮かんだ。
ナイトは覚悟を決め、口火を切る。
「スパーク、父上の容態は?」
たった一言発しただけなのに、ナイトの口はカラカラになった。
だが、スパークはその問いには答えず、後ろを振り返った。
背後には3人が控えていた。
2人は兵士、もう一人は全身をローブで覆っていた。
ローブを着た者が進み出た。
神官のように見えたが、それにしては体格が良かった。
スパークが身を引きローブの者がナイトの前に立った。
スパークに合図され、兵士2人が下がっていく。
足音が遠ざかり扉が閉められる音が聞こえると、ローブの者がフードに手を掛けた。
現われた顔を見たナイトは思わず固まった。
「だははははは、驚いたかナイト!!?」
ナイトの父、水の国の王ウォーレスが豪快に笑い声を挙げた。
「陛下!!」
スパークが押さえた声で王を叱る。
息子に切りつけられ、大怪我を負って生死の境を彷徨っているはずの王が牢屋で大笑いなどあってはならないことだ。
「あ、すまん、すまん…」
叱られた父王はナイトの前にグッと顔を寄せてきた。
「何だ、お前泣いていたのか?」
我に返ったナイトは顔を拭う。
忘れていた怒りが沸々と湧き上がる。
「てめぇ、クソ親父、これはどういうことだ!!!?」
ナイトは鉄格子に掴みかかり父王を睨む。
「ふふふ、見ての通りだ。まんまと私の名演技に引っかかったな、わはははは!!!!」
「…演技…だと…?」
「そうだとも、お前ごとき青二才にやられる私ではないわ!わははははは!!!」
「………言いやがったな、クソ親父!!!!」
「まだまだ修行が足りんな!!!」
「いつか絶対に本当にぶっ殺す!!!!!」
「はははは、やれるもんならやって見ろ!まあ、後20年は無理だろうがな」
「んなわけねぇだろう!!絶対、5年以内であの世に送ってやるよ!!!」
王と王子というより一般的な親と子の喧嘩になり果てていた。
「てめら、いい加減にしやがれ!!!!」
ヒートアップする親子喧嘩に元海賊の頭の怒号が割って入ってきた。
咳ばらいを居住まいを正すと元海賊の頭は元の職業に戻る。
「これは陛下が仕組まれた極秘会談であることをお忘れなく!」
宰相の言葉遣いに戻したスパークはピシャリと言うと入口の方へ下がって行った。
親子二人だけになった。
「…仕組んだってどういうことだよ?」
「お前と二人だけでじっくり話がしたくてな…」
父は言葉を切った。
「話っていったいなんだよ?王位のことじゃないのか?」
勿体ぶる父をナイトは促した。
「まあ、そうだ。だが、その前にお前に聞きたいことがある」
「…何だよ?」
「気に入った相手はいたか?」
「何だよ、見合いの話かよ…」
「答えろ、重要なことだ」
父の目はいつになく真剣だった。
「いねえよ」
「そうか…なら、学生時代にはいなかったのか?」
突然、過去の女性関係まで聞かれてナイトは困惑した。
「…そんな暇ねぇよ…」
「なら、身近にいる侍女達はどうだ?」
「は?そんなこと思ったこともないぜ…」
「…遊びで関係を持った女は?」
「いるわけねぇだろう!」
しつこく質問を掘り下げてくる父にナイトは激高して鉄格子を叩いた。
そんなナイトを父は静かに見降ろしていた。
「俺より自分はどうなんだよ?駆け落ちしていなくなった女と似た顔の女を後添えに連れてきたくせに!」
「…確かにな、私が愛した女性は2人だけだ…そうか…お前も私に似たか…」
自分を引き合いに出された父は静かに目を閉じた。
目を開けると次の質問を繰り出した。
「夢の乙女の夢はまだ見るのか?」
ナイトの聖域に触れてきた。
幼いころから見てきた夢で、当然ナイトの父は知っていた。
「…最近見なくなった…」
ナイトは急に弱々しくなった。
無邪気に何でも話していた子供の頃に戻ったような気がしたのだ。
「…そうか、なら、最後に見た夢の乙女の様子はどうだった?」
ナイトは太腿のズボンの生地を強く掴んだ。
「…泣いていた…とても、悲しそうに…」
「そうか…」
父は静かに立ち上がるとナイトから離れた。
「今の話で決まった。お前に私の跡を継がせるつもりはない」
「え!?」
「私の跡目はセリオスにする」
突然の決定にナイトは目を丸くした。
「今ので決まったのか?」
「そうだとも。どんなに国民に人気があろうともすべての縁談を拒んだお前には私に対抗できる強力な後ろ盾はいない。つまり、王である私の決定を覆せる者はいない。せっかく頑張ってきたのに残念だったな」
まんまと父王の策略にはまった。
ナイトが縁談に応じないことも、自分が斬られることによって国民の人気をそぐことも計算のうちだったのだ。
「何だよそれ…」
ナイトは失意で床にへたり込んだ。
「シープールは残してやる。あそこはお前が実力で勝ち取った領地だ。私よりお前の方が人気が高い。こんな事件でお前を見捨てる領民ではないだろう」
命と領地は保証された。
だが、理想の領地といえど王位を継げない今となっては牢獄と同じ。
ナイトは年の離れた異母弟の下に置かれるのだ。
才能を生かせず、屈辱にまみれたまま生涯を終えるかと思うと、ナイトは父王を恨まずにはいられない。
憎悪の目を父王に向けると、不敵な笑みが返ってきた。
「しかし、お前の手腕を埋もれさせるのはもったいないな…」
一旦言葉を切り勿体つけてから、父王は話し出す。
「お前に最後の縁談をくれてやろう」
「…最後の縁談?」
「そうだ、ネティアちゃん覚えているか?」
急に砕けた口調になった父王にナイトの頭はぐちゃぐちゃになった。
その頭で昔の記憶を探る。。
先の水の王の訃報を持ってきたレイガル夫妻が連れてきた双子の娘の姉の方だと思い出す。
妹思いのどこか大人びた女の子だ。
「ああ…って、まさか…」
ナイトは慌てた。
「そう、そのまさかだ。ネティアちゃんと結婚して虹の王になれ」
「なれるわけねぇだろう!だって、ネティアは婚約したって聞いたぞ」
「ただの政略結婚だ。お前の魅力で落とせ!」
「政略結婚は覆らねぇよ!それに結婚をひかえた女が突然現れた男に普通惚れるか!?」
父王は指を立てて揺らす。
「惚れる。人はそれを一目ぼれという」
「どっちが一目惚れするんだよ?」
「そうだな、両方」
「あるか、そんなもん!」
「ある!なぜなら、恋とはそういうものだからだ!」
断言する父王にナイトは頭を押さえた。
「で、どうする?」
「どうするって…」
ナイトは全く行く気は起きないのだが、父王は押してきた。
「王の一族に実権を握られるとこちらとしても外交しずらくなる。お前なら対抗できると期待してのことだ」
「…水の国のためか…」
自国の利益のために働くのは当然のことだが、目指していた王位が継げないのだからやる気など出ない。
謀反の罪を帳消しにしてやると言われてもだ。
「やる気にならんか、なら、兄のためなら行くか?」
「兄ちゃんのため?」
1人虹の国に残った兄フロントは、虹の王レイガルに引き取られ、今は双子の姫の専属の護衛となっていた。
「フロントもレイガルも闇の民の出だ。王の一族の権勢が強まれば迫害されかねない」
「迫害されるほど闇の民は弱くはないだろう…」
兄フロントは強くて頭が良かった。
虹の王レイガルは魔物退治で先陣を切る強者だ。
闇の国は神から見放された死の国と呼ばれ、作物は満足に育たず、猛獣が闊歩する国と伝わっている。
そのような環境下で生きてきたのだから、他の民よりも遺伝的に優れてい有能な者が多かった。
しかし、彼らの置かれている地位は低い。
そんな中、例外が生まれる。
虹の王レイガルだ。
彼は幸運に幸運が重なり虹の王に上り詰めた。
そして、彼が王になったことにより闇の民の地位が向上した。
締め出された既存の貴族達の不満の種になっていた。
「そうだな、闇の民は強い。だが、女子供となるとどうだ?私が王の一族なら、女子供を人質に取って、闇の民を従わせるな…」
ナイトは目を怒らせた。
父は肩をすくめて見せる。
「当然の考えだと思うが、お前ならどうする?」
「…そうだな、俺もそうする。俺が腐った貴族ならな…」
ナイトが立ち上がると父の口角が僅かに上がった。
「行くか?」
「ああ」
「それでこそ私の自慢の息子だ」
「勘違いするなよ、俺は兄ちゃんが理不尽な目に合わないように、ネティアの縁談をぶち壊しに行くだけだからな!終わったら必ず帰ってくるからな!」
「ああ、別にそれでも構わんぞ。お前の人生だ、好きなように生きろ」
父王ウォーレスは最後に満面の笑みをナイトに向けて送ると、颯爽と牢屋を出て行った。
1人牢屋に残されたナイトの心には騙されたことによる怒りと王位を失った悲しみがあった。
しかし、同時に父が無事だったという安堵と大好きな兄と再会できるという喜びも感じていた。
そして、大人になったネティアとの再会にも微かにときめいていた。
『いくら何でも一目惚れはないよな…』
子供の頃のままのネティアの顔を思い浮かべて、ナイトは父の言葉を否定した。