兄の背負った運命
ビンセント・レイスがレイス家当主の座を退くという話はウォーレスの耳にも入ってきた。
かつてのライバルの隠居話に溜息を吐く。
「あのクソ真面目め」
ビンセントの性格をよく知るウォーレスはぼやいた。
彼は正義感に溢れ、他人を貶める言葉など吐かぬ者だった。
しかし、彼はウォーレスとの会談で口にした。
フロントを、闇の民を冒涜する言葉を吐いた。
それを聞いたのはウォーレスだけだった。
会談後、正気に戻った後、ビンセントは自分を許せなかったようだ。
虹の国で言葉一つで王家と貴族達を動かせる唯一の重鎮でありながら、あっさりと隠居を決めてしまったビンセントにウォーレスは半ば呆れた。
『私が他言するとでも思ったのか?』
フロントの育ての親として、息子を冒涜されて確かに激高したが、他言するつもりは毛頭なかった。
あの場所だけの話だったのだ。
本音でぶつかりあうこともたまには必要なことだ。
しかし、ビンセントは本音を漏らすことなど絶対にあってはならないことのようだ。
しかし、これはナイトにとっては幸運なことかもしれない。
ビンセントがいなくなったら虹の王都はしばらく大混乱に陥るだろうが、後を継ぐ眼鏡の青年を思い出す。
ナイトと同じ年、世代交代にはちょうどいいのかもしれない。
『ビンセントが死ぬわけではない。陰ながら見守るつもりだろう』
口うるさい重鎮が消えたことでナイトは持ち前の行動力を制限されることなく存分に生かせることだろう。
もちろん、ウォーレスも気兼ねなく虹の王都に出入りできるわけだ。
それにフロントにとっても、ビンセントがいなくなってくれた方が気苦労しなくていいはずだ。
「ソーダ、今夜ナイトと話をする。連れてきてくれ」
「承知しました」
ウォーレスは作戦を考える。
愛息に隠しておきたかった恥ずかしい過去を話さなければないらないからだ。
しかし、それだけでは収まらない。
ナイトにはもっと重要な話をしなければならなかった。
***
ナイトは困惑していた。
硬直していた事態が急速に動き出したからだ。
ビンセント・レイスがレイス家当主を退くという話が広がってから、妨害行動は一切なくなり、ナイトとネティアの結婚式の準備が着々と進んでいた。
それは喜ぶべきことなのだが、どうも釈然としない。
それは兄フロントの様子の激変ぶりだ。
飄々としていたのに、ビンセント・レイスの隠居の知らせを聞いた途端驚愕に震えていた。
それは何か深い関係があるからに違いないが、ナイトは直接聞く勇気が持てなかった。
聞いた話によると、兄は大罪を犯して一度王都から追放されたらしい。
どんな大罪なのか?
あの優しい兄が罪など本当に犯したのだろうか?
離れていた12年間、兄がどんな生活を送っていたのか知りたい衝動に駆られる。
しかし、時折見せる、あの苦しそうな顔を思い出すと聞けなかった。
ナイトは悶々とした気持ちを抱えながら1人で虹の王宮をブラブラと彷徨っていた。
「ボーっとしてちゃいけないっすよ、ナイト様」
突然声を掛けられて、ナイトは我に返った。
ナイトは人気のない池のある庭でボーと水面を見ていた事に気づいた。
顔を上げると、木の上にライガの姿があった。
「ライガか…」
ライガは木の上からナイトの横に飛び降りる。
「王の一族の妨害行為はなくなりましたけど、1人でボーとしてらたら狙われるっすよ」
「ああ、すまない…ちょっと、考え事してたら1人になってた…じゃ、帰るか…」
「ちょっと、待つっす!」
踵を返そうとしたナイトをライガが引き留める。
「ナイト様に言いたいことがあったすから、ちょうどいいっす」
「言いたいこと?何だ?」
「ネティア様のことっす!」
「ネティアのこと?」
突然、怒り出すライガ。
しかし、ナイトには身に覚えがない。
「忘れたとは言わせないっす!山の中でネティア様を何度も危ない目に合わせたっすよね!?」
「山の中……………ああ、あの時か!?」
ナイトはようやく記憶を捻り出した。
ネティアが闇の騎士団を探しに行くと意気込んでいいた時のことだと思い当たった。
闇の騎士団が虹のネティア達に近い者達ではないかと疑い、わざとネティアを危ない目に晒したのだ。
その時、間違って本当にネティアを川に落としてしまった時に現れたのがライガ扮する闇の騎士だった。
「思い出したすっか!?」
ライガはネティアに対するナイトの非道を怒っているようだ。
「あの時は本当助かったわ。お前達をおびき寄せるためにちょっとネティアに危ない目にあってもらうつもりが本当に落ちちゃってさ…」
「もっと、大事に扱うっす!正真正銘の深層の姫なんすからネティア様は!?」
「はは、それはわかってったけど…お前さ、注意の仕方間違ってないか?」
『川の増水時、遊泳禁止!
気をつけろ、バカ!』
喋るとバレるので、ライガはネティアを助けた後、看板をナイトに見せつけた。
「あれは…咄嗟に浮かんだのがあれだったんすよ…ていうか、そんなのどうでもいいしょ!」
「どうでもいいな…でも、無言で去った方がカッコよかったと思うぞ」
「そうしようかと思ったっすけど、一言いっておきたかったんすよ!」
「ははは、次はないと思うけど、次はあんなこと絶対にしないよ」
ナイトが謝るとライガはプンスカ怒っていたが、気が済んだようだ。
「さあ、帰るっすよ」
「ちょっと、待った!」
帰ろうとしたライガを今度はナイトが引き留めた。
気になっていることを知るにはライガは絶好の相手だと気付いたのだ。
「何すか?」
せっかく気が済んだのに引き留められて、ライガの顔が曇る。
「…あのさ、フロントとビンセント・レイスってどんな関係があるんだ?」
ナイトが思い切って聞いてみると、ライガは少し無言になったが、溜息を1つ吐いた。
「フロントのことが知りたいんすね…」
ナイトは強く頷いた。
「俺もあまり詳しくは知らないっすけど、フロントは王宮に来てからまず料理長に預けられたそうすよ」
「え、料理長に!?それまた何で!?」
意外な切り出しにナイトは仰天した。
剣術の天賦の才があった兄だ。
レイガル王に引き取らたからてっきりすぐに騎士見習いになったとばかりナイトは思い込んでいた。
「レイガル王の隠し子だと、変な噂が立つの恐れたんすよ。それで、フロントは騎士とは程遠い料理人への道を進むことになったんす」
「えええ!!?」
「なわけないっしょ。何年かして、ウォーレス王がフロントの様子を見に来て激怒したそうよ。それで、レイガル王が困っているのを見かねてビンセント様が養子に引き取ったんす」
ナイトはホッとした。
「何だ、びっくりした…」
「でも、料理は滅茶苦茶うまいっすよ」
話は少し脱線したが、フロントとビンセントの関係はわかった。
「それから?」
「そりゃもう、後はトントンしょ?あの顔にあの腕っぷし、頭もいいし、あの性格。ビンセント様達大人の期待も大。フローレス様を始めとする女達がメロメロだったそうっすよ」
「だろうな…」
しかし、今のフローレスはそこまでフロントにメロメロではないように見える。
「じゃ、フロントは何の大罪を犯したんだ?」
ナイトが確信を突くと、ライガの顔が急に曇った。
そして、辺りを伺ってから声を潜めた。
「…やっかみにあったんすよ」
「…誰からだ?」
「ビンセント様の1人息子っす…」
「!?」
ナイトは言葉を失った。
1人息子とは実子だ。
しかし、ナイトが会ったのは養子のシュウだ。
養子と言うことは実子はもういないということになる。
「…フロントは、そんなことしないっすよ…決闘を仕掛けられたらしいっす」
「決闘か…それで、ビンセントの息子が亡くなったのか…」
「そうっす」
「自分が仕掛けた決闘で死んだのなら、自業自得じゃないか!?」
「そうなんすけどね…立会人がいなかったんすよ…本当に決闘だったのか疑わしいとか、いちゃもんつけられて、重い処分になったんすよ」
「そんな…レイガル王とティティス女王はなぜ助けてくれなかったんだ?」
「運悪く、魔期だったんすよ。レイガル王は出兵してていなくて、ティティス女王は体調を崩されていて誰も助けられる人間がいなかったんす」
兄の背負った重い過去を知ってナイトは絶句した。
ビンセント・レイスはフロントにとって恩人であり、一生を償う相手だったのだ。
「フロントの前ではあんまりビンセント様の話はしない方がいいっすよ。せっかく立ち直ったのに暗くなるっすから…」
「ああ、わかったよ…ありがとう、ライガ」
「さあ、帰るっすよ」
ナイトはライガに背を押されて部屋に帰された。
「王子、どこ行ってたんだよ!」
戻ると、部屋の前でリュック、ルビ、アルトがナイトを血眼になって探していた。
「悪い、悪い、ちょっと散歩してたら迷った」
「王子にしては珍しいですね」
ルビが珍しそうな顔をする。
「俺にもそんなときがあるんだ」
アルトが恭しく前に進み出てきた。
「ご無事で何よりです。王子が留守の間、ソーダ将軍がお見えになりました。陛下が今夜お話があるとのことです」
「やっときたか…わかった…」
ナイトは肩をほぐしながら自室に入った。
ソファに腰を下ろして物思いに耽る。
ずっと、隠されていた話が聞けるのだ。
ネティアとの婚姻の話がいつからだったのか。
母はなぜ、いなくなったのか?
ナイトを始めから水の玉座に着けるつもりはなかったのか?