賠償
虹の王宮に入った水の王ウォーレスは与えられた客室で一時の休憩を取っていた。
しかし、休んでいる暇などなかった。
「ナイトの容態はどうだ?」
「まだ意識は戻られておりませんが、命に別状はないそうです」
アルトが答えると、ウォーレス王は顎に手を当てて、
「好都合だな…」
と呟いた。
「アルト、ランド領主の下へ謝罪に行ってきてくれ」
突然下った最も危険な王命にリュックとルビは身を竦ませた。
ウォーレス王から指名されたアルトは眉一つ動かさず、拝命する。
「大任を賜りましたこと身に余る光栄です」
「頼んだぞ」
「必ずや国王陛下とナイト王子殿下のためにランド領主から和睦を取り付けて参ります」
ウォーレス王は書状をアルトに手渡した。
「ナイトに代わって私が賠償金と詫びの品々の品目をここにしたためた」
リュックとルビがまた反応した。
中身が見たいのだ。
アルトも同じ気持ちだった。
ナイト王子に代わってとウォーレス王は言った。
つまり、ナイト王子の財産から賠償の品々を出すということだ。
ナイト王子の財産となれば領地シープールに関係するものもあるはずだ。
「確認してもよろしいですか?」
「構わんぞ」
ウォーレス王の許可を得て、アルトが書状に目を通す。
リュックとルビも近づいてきて一緒に覗き込んできた。
「1兆ゴールド!?」
賠償金額を見てまずリュックが悲鳴のような声を上げた。
アルトでさえ声を上げそうな額だった。
シープールの領地予算の5倍。
賠償額としては2500億ゴールドを考えていたがその4倍ときた。
いくら裕福な領地とはいえ、予算の5倍もの賠償金を払ったら潰れてしまう。
「安心せい。半分は国庫から出す」
国の予算から出ると聞いて安心したが、考えていた賠償額は2倍だ。
ギリギリ出せる額だ。
シープールの財政は苦しくなる。
しかし、賠償金はまだ序の口。
まだ賠償の品として差し出さなければならない財産がある。
宝飾、貴金属はもちろん、武具、防具などの宝具、農産物や海産物などの特産品、高価な織物などなどの品々。
これらの出費も痛いが、最も痛いのは領地の一部を差し出すことだった。
「…マーメード島をランド領主に差し出すのですか?」
リュックがかすれた声を出してウォーレス王を見る。
ナイト王子なら絶対に手放さない要所だった。
シープールの繁栄の3分の1はここで生まれていると言っても過言ではない。
「無論だ。むしろ、他は外してもこれ1つは外せん。大袈裟に言えばこのマーメード島を差し出すだけでランド領主の怒りは収まるだろう」
ウォーレス王は自信たっぷりに言ってくる。
元虹の国に住んでいただけあって、虹の国のことには詳しい。
それほどマーメード島は要所だった。
マーメード島海域は岩礁が多いうえに霧も出る難所だった。
その難所の航路を多くの犠牲を払って見つけ出したのは元海賊だったシープール領民だ。
マーメード島は安全な航路のための言わば目印だった。
ここに灯台を設置し、港町を開かせたのはほかならぬナイト王子だ。
マーメード島海域が安全に通れると聞きつけた商人達がすぐさま集まってきた。
マーメード島海域を通れればかなりの航路短縮になる。
その商人達が港を利用することで多額の利益が出る。
まだできたばかりの港で利用料や物価はかなり高めだが、それでも利用者は多い。
話に乗っていた投資家達は左団扇だ。
言うまでもなく、言い出しっぺのナイト王子も多額の投資をしている。
だが、この港を開いてまだ1年しかたってない。
無論、投資資金の完全回収には至っていない。
それに完全回収した後の利益が莫大なのだ。
ナイト王子は自業自得して泣く泣く応じるかもしれないが、それを引き継ぐシリウスが問題だ。
シリウスはナイト王子に心酔しているが、根っからのシープール領民だ。
相談もなしにランド領主に差し出したとなれば抗議は必須だ。
アルトが難しい顔を上げると、ウォーレスは意地悪な笑みを返してきた。
「そのために領主補佐としてお前をつけるのだ。シリウスを説得し、シープール領民を納得させるのだ」
リュックとルビが心配そうにアルトを見つめてくる。
シープール領民の怒りの凄さを知っているだけに心配なのだ。
かつて、シープールは見捨てられた領地だった。
そのため、王侯貴族への憎悪は凄まじいものがあった。
そんな場所に王は心から愛した前王妃の忘れ形見を放り込んだ。
まだ15歳になるかならないかの少年をだ。
しかし、蛙の子は蛙だった。
ナイト王子は1年足らずでシープールを平定してみせた。
シープール領民が大人しくしているのはナイト王子の存在が大きい。
その大きな重しが除かれた後、シープールがどう動くかわかない。
アルトはその重責を今ひしひし味わっていた。
かなりの無理難題だが、後輩2人の手前、逃げ腰は見せられない。
「必ずやシリウスを味方につけ、シープール領民に同意させましょう」
アルトはウォーレス王を真っすぐ見つめて返答した。
「頼んだぞ」
「は、水の国の繁栄のため身を粉にして働く所存です。それでは、ランド領主の下へ行ってまいります」
アルトは書状を納めると深く敬礼し退室した。
「アルト!」
リュックとルビが追いかけてきた。
さっきの賠償内容がどうにも納得できなかったようだ。
「ねぇ、マーメード島を差し出すんだよ、もっと減らしてもらっても良かったんじゃない?」
リュックが歩きながら必死に訴えてきた。
これからのシープールのことを心配しているのだ。
「そうだな…だが、このままでいいのだ」
「何で!?」
「それはな、虹の王の座がそれ以上に価値があるものだからだ。王子が虹の王になればマーメード島は返ってきたも同じだ」
確かに、1領地の富より1国の冨の方が大きいに決まっている。
「でも!国の富はナイト王子個人が好きにできるものじゃないでしょう!」
「それならシープールも一緒だ。現にこれから私が苦労するのだからな」
リュックは口を噤んだ。
「確かにそうだけど、ウォーレス王はシープルを好きにしていないか?」
ルビが不思議そうに頭を傾げる。
その鋭い質問にアルトは微笑を漏らす。
「シープールは特別な領地だ。なぜなら、ナイト王子と一心同体みたいなものだからな。こんな領地他にはほとんどない」
ルビとリュックは納得した。
「私もリュックの意見には賛成だ。だが、この目録には陛下の親心も隠されているのだ」
「どんな?」
「水の国力を見せつけるためだ。あえて、法外な賠償金や高価な品々を差し出すことでランド領主を威圧する目的も含まれている。我々を敵に回した場合どうなるかとな。結果、ナイト王子の身の安全も守れるというわけだ」
リュックとルビは深く納得した。
「なるほど、さすが、陛下」
「うちの王子に対しては鬼だとばかり思ってた」
ルビの言葉にアルトは苦笑を漏らした。
「傍目にはそう見えるているかもな。だが、見る人間から見れば陛下はかなりの親馬鹿だぞ」
「まあ、そんな面もあったよね…」
「そうなのか?」
ナイト王子の供として一緒に学生時代を過ごしたリュックにはわかるようだが、シープール領主に任命されたときに従者となったルビにはまだ王の奥深さがわからないようだ。
「さてと、シープールも大変だが、まずはランド領主を片付けなければな」
明るかったリュックとルビの顔が急に引き締まった。
「案ずるな、この後にシープールを相手にするのだ。彼らに比べればランド領主など襲るに足りん」
アルトが不敵に笑って見せると後輩2人の顔が綻んだ。
「そうだよな、アルトだもんな」
「アルトなら何でもできるよ」
「無論だ、私ほど優秀な人間は他にいないからな」
ちょっと盛ってい言うと、後輩達の顔が引きつった。
「それ自分で言う?」
「本当のことだろう?」
「そうだけど…」
肯定はされたが苦笑いが返ってきたので、アルトは2人に背を向けて手を上げた。
「それじゃ、行ってくる。お前達は王子がお目覚めになるまでお守りしろ。婚姻が無事に済むまでは我々は王子の配下だ」
「わかってるよ」
リュックとルビは顔を元に戻して、アルトを送り出してくれた。
***
ランド領。
ランド領主ジャミルはロンド領主ブラッド、ジュエル領主ヘーゼルを急遽招待していた。
「いいところまで行ったのに惜しかったな、ジャミル。旅の傭兵にネティアを横取りされたんだってな」
愉快そうに話しかけてくる紫の頭髪の男はブラッド。
まるでジャミルの失敗を面白がっているような笑いに、ミゲイルはムッとする。
ジャミルもブラッドにはあまり好感を持っていないが、同じ王の一族の仲間なので無下にもできない。
「事実だ。俺も、まさか、ネティアがあんな尻の軽い女だとは思わなかった」
「お前よりいい男に見えたんだろうな。お前、面白味ないからな」
ネティアへの失望を零したジャミルをブラッドは一言付けたして笑う。
ミゲイルが美しい額に青筋を浮かばせている横で、長いダークブルーの髪を束ねたヘーゼルが真剣な顔で口を開いた。
「ネティアを奪ったその男…本当にただの旅の傭兵だったのか?」
その言葉にジャミルは口を噤んだ。
腑に落ちないことが多いのは事実だった。
「何か言っていたようだな。話せ」
「あの男、どうみても水の国の者でありながら、余所者ではないと言っていたな。虹の王にならなければならないとも言っていた…」
「何だよ、それ!」
ジャミルが思い出しながら言った言葉に爆笑するブラッド。
だが、ヘーゼルは無言で立ち上がり、王都がある方角の窓辺に立つ。
「お前が負けるのは当然かもしれん」
ヘーゼルの意外な言葉に3人は口を閉ざした。
「ヘーゼル、何か知っているようだな?」
ジャミルが強い興味を示すと、ヘーゼルは振り返った。
「水の国の王が虹の王都に来ているのは知っているか?」
「無論だ」
「一民のやらかした罪状に対して王自ら謝罪に出向いてくるなど、大袈裟ではないか?」
「…確かにな…」
ブラッドもようやく頭を回し始める。
「つまり、どういうことなの?」
ミゲイルがイライラしながら結論を急かす。
「その傭兵、ナイト王子だったのではないか?」
ヘーゼルの静かな爆弾発言にその場の空気が固まった。
次期水の国の玉座を確実視されている第一王子だ。
水の国は実質、宗主国である光の国を抜いて世界一豊かな国だ。
そんな国の王子が貧しい辺境の国である虹の国の玉座を欲するなどあり得ない。
だが、
「ナイト王子なら辻褄が合う。先の水の王が亡くならなければウォーレス王は虹の国で生涯を全うするはずだった。ナイト王子は余所者ではない。それにネティア姫との縁談の話も密かに約束されていたという情報もある」
「つまり、その約束が復活したと?」
「水の王には後妻との間にもう1人息子がいる。ナイト王子を厄介払いするにはちょうどいいとは思わんか?」
「ないとも言い切れないね…」
苦々しく言ってミゲイルはジャミルを見る。
「…確証はあるのか?」
「今にわかるだろう。水の王がお前のところに使者を立てたそうだからな」
「つまり、誰が使者として来るかでわかるということだな」
トントン
遠慮がちなノックが響いた。
「噂をすればだ」
「入れ!」
ジャミルが許可すると扉が開いて、兵が入ってきてジャミル達の前に跪く。
「王都より水の国の使者が発ったようです」
「使者の名は?」
「アルト・オーウェルです」
「アルト・オーウェル…間違いない。ナイト王子の側近の1人だ」
ヘーゼルが仮説を証明した。
ジャミルは兵を下がらせて、難しい顔をする。
「どうする?」
「無論、会うに決まっている」
「金で解決するつもりだぞ。賠償金高く吹っかけてやれ!」
「ああ、そのつもりだ」
ブラッドの煽りにジャミルは力強く応じる。
その様子をヘーゼルは冷めた目で見つめる。
「してやられなければいいがな…」
***
虹の王都から水の国の使者が発ったとの知らせを受けてから丸1日が過ぎた。
噂の使者、アルト・オーウェルがジャミルの居城にやってきた。
ランドの門番が槍で行く手を塞ぐ。
しかし、アルト・オーウェルが怯むことはなかった。
「私は水の国の騎士アルト・オーウェルだ。即刻ランド領主にお目通り願いたい!」
アルトはその先頭に立ち、堂々と敵陣に乗り込んできた。
殺気が満ちる城内をたった5人の従者を伴って進んでいく。
虹の世継ぎ姫との婚姻を台無しにした重罪に対して、そして、使者の身分からしてもあまりに少ない数だ。
水の国の権威を笠に着ているとに苛立たたしく思う。
だが、正式な使者に刃を向けることはできない。
「何用か?大国の傲慢な使者殿?たった6人とは私も侮られたものだな」
思いっきり皮肉を込めてジャミルはアルトを冷遇した。
それ応じるようにランドの騎士達も武具を鳴らした。
しかし、アルト一団に怯みはなかった。
アルトが眉一つ動かさすジャミルに頭を垂れる。
「ランド領主殿に拝謁できたと感謝いたします。この度は、『我が主』が大変失礼をいたしました」
「主とは?お前の主は旅の傭兵か?」
情報は入っていたが、あえて知らないふりをする。
「これは失礼、もうご存知かと思っておりました。この度、あなたからネティア姫を奪った男は我が国の第一王子ナイトでございます」
問われたアルトは悪びれた様子もなく真実を述べた。
その口調から誰かの意図を感じる。
「なぜ、水の国の第一王子が我が国にいたのだ?」
まともな答えは返ってこないだろうが、ジャミルは聞いてみた。
「王子は王と親子喧嘩で図らずも王に怪我を負わせてしまった罪で謹慎されていました。しかし、その謹慎場所がかつて王子が住んでいた虹の国の国境近くだったものですから、お忍びで出かけられたようです」
「随分と緩い監視だったようだな」
「我々は王子に同情しておりましたから。それに、王子がすることに間違いはないと思っておりました」
「それがこの様か…」
「旧知の双子姫にお会いしたいと思い立ったのでしょう。ランド領主には大変申し訳なく思っておりますが、なってしまったことは仕方ありません」
相手は罪を認めている。
賠償金を吹っかけるのは容易いようだ。
「私は虹の王になり損ねた。この始末、どうつけてくれる?」
「むろん、それ相応のお詫びはさせていただきます」
アルトは書状を取り出し、それを近くにいたランドの騎士に渡した。
ジャミルの下に届けられる。
「どうぞ、ご覧ください」
アルトに促されてジャミルは書状の紐を解いた。
開いてすぐ、目を疑うような金額が飛び込んできて、思わず書状を落としそうになった。
それを見たアルトの顔が少しニヤケた顔になった。
「金銭で解決できるとは思っておりません。お詫びの品もはずんでおりますのでじっくり目をお通しください」
アルトに促され、ジャミルは賠償の品目に目を通す。
頭がくらくらするような宝飾品や宝具、超高級品の数々、そして、極めつけはマーメード島の譲渡。
海の要所であるマーメード島は莫大な富を生む。
下手すると小国の玉座よりも価値があるかもしれない。
「どうでしょう?お気に召されましたか?」
アルトの笑いを含んだ声が気が遠くなりそうになっていたジャミルを正気に戻した。
いつの間にか形勢が逆転している。
「マーメード島の譲渡は本当か?」
「はい。我々としてもマーメード島を手放すのはキツイのですが、我が主の恋路には変えられませんので」
しかし、ジャミルは疑いの目を向ける。
「民が従うのか?」
「ナイト王子の為ならばシープール領民は従います。彼らは王子を英雄だと称えておりますので」
ジャミルは品目をまじまじと見つめ、まだ信じられない気持ちだった。
本当にこれらの品をくれるのなら、虹の王の座など譲ってもいいくらいだ。
「………誠意は認める。だが、虹の王の座を横取りしたことは許せん」
何とか虚勢をはり、信念を貫くジャミル。
虹の王の座は悲願だったのだ。
「むろん、我が主も許してもらうつもりはないと思います。ナイト王子が虹の王に相応しいか否かはあなた方が虹の民お決めになることですから」
アルトの言葉にジャミルは面食らった。
「ナイト王子を虹の王と認めるか否かはあなたの自由です。ですが、我が主にもチャンスを与えてください。これらの品はすべてそのために用意したものです」
「この私にナイトを見守れと言うのか?」
「そうしていただけると嬉しいです。無理強いはしませんが、その方があなたのためになると思われます。光の国を始めとするすべての国が虹の国に注目していますから」
アルトの鋭い視線がジャミルを射抜く。
冷たい汗が背中を伝う。
ナイトの後ろのいるのは水の国だけではないと暗に言っていた。
「…わかった、チャンスをやろう…」
「ありがとうございます。これで私も胸を張って王の下へ帰れます」
アルトの態度が柔和になった。
気さくに差し出された手をジャミルが握ると強く返された。
「これから長いお付き合いになると思いますので、困ったことやわからないことがありましたら私を頼ってください。必ずやお力になりますから」
使者としての役目を終えたアルト・オーウェルは来た時と同じように堂々と帰っていった。
「お前が金に転ぶとはな」
「目は眩んだ。だが、転んではいない。あの使者の異様な圧力に負けた」
「どちらでもいい。水の国は世界一の大国だからな、何かと介入してくるだろう。お前はその窓口に選ばれたようだ」
ジャミルが負けを認めると、ヘーゼルは今後の彼の役割を予言した。