プロポーズ
「アルト…ライアスに王子を任せていいのか?」
半強制的にシープール行きの船に乗せられたシリウスがアルトに訪ねた。
「王子がお決めになったことだ。それにライアスが来た時点でもしかしたらこうなるのではないかと思っていた。何か起きた時、いつも選ばれるのはライアスだったからな。案の定、今回もそうなったな」
前例を上げ、アルトは溜息を吐く。
「ライアスごときが王子の役に立つのか?」
ナイト王子の身がシリウスは心配でならなかった。
ライアスは5騎士1強いが、頭の方はさほど良くない。
それにナイト王子に対してあまり敬意も持っていない。
「血筋も落ちぶれたとはいえ光の民の血を引いている。実力で中隊の指揮官になっている。王都でもそれなりの地位もある。それにあいつなら何かあったら我々に泣きついてくるだろう」
意外にもライアスは必要な条件をすべて持っていた。
シリウスは気に入らない。
「あれでも国王陛下の信頼は厚い。残念だが、シリウス、国王陛下はお前よりライアスを信用していらっしゃらる」
アルトの一言にシリウスはハッとして唇を噛みしめる。
ライアスはナイト王子の最初の従者。
一方、シリウスはナイト王子の右腕だが、従者になって一番日が浅い。
元海賊と言う致命的な経歴もある。
過去にナイト王子に危害を加えたことがあったのだ。
ウォーレス王がライアスの方を信頼するのは当然のことだった。
どんなに心を入れ替えても、シリウスの生い立ちではライアスには適わないのだ。
肩を落とすシリウスに、アルトは励ましの言葉を掛ける。
「国王陛下はお前のことをよくご存じない。だが、王子はライアスよりお前の方を信頼していらっしゃる。だから、お前にシープールを任せられたのだ」
「王子のご期待に応えないとな…」
シリウスはアルトの言葉で少し元気になった。
「その意気だ。その意気でバネッサ殿へのプロポーズを成功させるのだ!」
その一言で、シリウスの元気が半減した。
「…いきなりそんなことを言われてもな…どう切り出していいものか…」
「大丈夫だ、補佐の私が手を打っておいた!」
「…どういうことだ?」
シリウスが怪訝な表情で訪ねると、アルトは手紙を取り出した。
「船に乗る前に私からバネッサ殿へ速達で手紙を出しておいた」
「手紙?」
アルトは頷いて、送った内容を披露する。
『バネッサ殿へ
私はナイト王子よりシリウスの補佐を命じられたアルトと申す。突然の手紙、失礼する。この度、シリウスはナイト王子の命を受け、シープール領主の座を引き継がれることになった。至急、シリウスと結婚していただきたい。もし、元海賊であることを恥じ、領主夫人など務まるはずがないとお思いなら、即刻シリウスと別れていただきたい。こちらでシープール領主夫人に相応しい女性をシリウスに娶せるので。シリウスと結婚したい女性はけっこういる。こちらがシープールの港に着くまでに心を決めていただきたい。港でのお出迎えを期待してお待ちしている。
シリウスの補佐アルトより』
「と言う内容で送っておいた」
「なんてもの送っているんだ!?」
シリウスは人生最大の危機を迎えた。
「大丈夫だ。バネッサ殿にフラれた時のために、我が家からお前と結婚してもいいという女を見繕っておいた」
「プロポーズするのに他の女がいたら、プロポーズどころじゃなくなるだろう!」
シリウスは頭を抱える。
「まるで私がバネッサに喧嘩を売っているみたいじゃないか!?」
船縁にしがみつき、ガタガタと震え出すシリウス。
アルトはしばらく沈思した後、『すまん』とポツリと呟いた。
恐怖に震えながら丸1日の船旅が終わった。
懐かしの故郷シープール。
シリウスはアルトを伴って、死人のような顔で馴染みの港に降り立った。
「あ、シリウス、アルト様!お帰りなさい!」
何も知らない港の人々が挨拶をしていく。
シリウスはビクビクしながら活気に溢れる港を見渡す。
だが、愛しの恋人の姿はまだ見当たらない。
「シリウス、これを…」
アルトからシリウスに真っ赤なバラの花束と指輪の入った箱を持たされた。
プロポーズの定番アイテムだ。
花束と指輪の小箱、重量はさほど重くない。
だが、これに人生がかかっているかと思うと、鉛のように重く感じる。
シリウスは直立不動で、恋人バネッサが現れるのを待った。
ところが、
「アルト〜」
「きゃ、シリウス様!」
先にアルトが用意したオーウェル家の令嬢達が現れた。
ナイト王子を襲った女達と同一のようで、皆、胸が大きい。
標的をナイト王子からシリウスに変更してきたのだ。
あっという間に、女達に取り囲まれるシリウス。
シリウスは脂汗を垂らす。
「あれ、シリウス様の恋人は?」
1人の女がアルトに聞いてきた。
「まだのようなだな…」
辺りを見回して、アルトが答えると、女達の目が鋭く光った。
女達の包囲網が一気に狭まる。
「もしかしてシリウス様。フラれちゃいました?」
「シープールの領主夫人は責任重大ですもの。逃げ出したくなるのも仕方ありませんわ」
「え、お可哀そう。わたくしが慰めて差し上げます」
シリウスの頬に女がキスをした。
女達の甘い誘惑の中、シリウスは黙って耐えていた。
恋人は必ずくると信じて…
『バネッサ…』
いつ死ぬかわからない海賊稼業をしている時、彼女に励まされて生き抜いてきた。
いつの間にかずっと傍らにいて欲しいと思う女性になっていた。
バネッサも同じ気持ちであることをある時知って、2人は永遠の愛を誓った。
その思いは今も変わらなかった。
「シリウス!!!!!!」
人込みの遠くから、絶叫するように勇ましい女の声が響いた。
人で溢れていた港に道が作られる。
赤いロングドレスを身に纏った、小麦色の肌にウェーブのかかった紺の長い髪をバンダナでくくった女が大股で歩いてくる。
シリウスの思い人、バネッサだ。
その圧倒的な存在感に人々は唖然と道を開ける。
プロポーズを受けるため、慣れないお洒落をしてきたようだ。
どキツイめの真っ赤な口紅もしている。
恋人のそんな意地らしい一面を見て、シリウスは嬉しくなった。
「バネッサ!!!!!!!!」
同じくらいの大声で名前を呼び返して、恋人を迎えた。
バキャ!!!!
「ぐはあ!」
「きゃあ!!」
オーウェル家の令嬢達が思わず顔を背けた。
港にいた通行人達も皆一様に痛そうな顔をする。
アルトなど目を見張っていた。
両手を広げて恋人を迎えたシリウスだったが、その恋人からいきなり拳で顔面を殴られたのだ。
盛大に地面に倒れた込んだシリウスをバネッサは踏んずける。
「あたいにプロポーズしようって時に、女を侍らせてるなんていい度胸してんじゃないか!!」
「…………ご、誤解だ、バネッサ…」
バネッサはシリウスの胸倉を掴んで持ち上げ、キスマークの残る頬を叩く。
「これのどこが誤解だって!?」
「…それは、女達が勝手に…」
怒れるバネッサの視線がオーウェル家の令嬢達に向けられた。
恐れをなした女達はアルトの後ろに慌てて隠れる。
「あなたがバネッサ殿ですか。お初にお目にかかります」
鬼がドレスを着たようなバネッサを前にしてもアルトは平静だった。
「あんたがアルトかい?あたいにあんなふざけた手紙を送りつけてきたのわ!」
「お気に障ったのなら謝ります。ただ、あなたのシリウスへの愛の強さを確かめたかったのです。シリウスが領主になったらあなたの態度が変わるのではないかと思いましてね…」
シリウスはアルトがバネッサを査定していることに気づいた。
だが、バネッサはそんなことには一切気付いていない。
「態度を変える!そんな必要ないね。あたいはあいたさ。シリウスも同じさ。騎士になろうが、領主になろうが、何も変わらない。変わるのは周りだけだよ!」
バネッサが言い放った言葉に、アルトは少々驚いていたが微笑を漏らした。
「なるほど…さすがはシリウスが選んだ女性だ。我々がお仕えするのに不足はない」
「シリウスが領主をやるってんなら、あたいは夫人にでも何にでもなるよ」
バネッサは強い眼差しをアルトに向けて言い放った。
「バネッサ…」
シリウスがバネッサの顔に手を伸ばすと、表情が和らいだ。
「わかってるよ、あんたはあたいが見張ってないとだめな奴だからね」
「ありがとう…」
シリウスは自分で立ち上がると、吹き飛ばされたバラの花束と指輪の箱を取って戻ってきた。
「私と結婚してくれ」
バネッサにバラの花束を渡すと、バネッサが噴き出した。
「そんな顔で言われてもね…」
「…お互い様だろう。その口紅にまるで口裂け女みたいだぞ」
「な!あんたがやっとプロポーズしてくれるっていいうから頑張って化粧してきたのに、それはないんじゃないのさ!?」
「…わかってるよ、バネッサ…」
シリウスは苦笑いを浮かべてバネッサの左手を取る。
そして、指輪をはめた。
「お、やっと、身を固める気になったか、シリウス」
「おめでとう、バネッサ!」
周りから祝福の拍手が沸き起こった。
シリウスとバネッサは気恥ずかしい表情で腕を組んで見せた。
祝福の拍手が鳴りやむ頃合いを見計らって、アルトが2人に歩み寄ってきた。
「おめでとう、シリウス、バネッサ殿。2人のその愛の強さがあれば、閉鎖的な貴族社会に入っても大丈夫だろう」
祝福の言葉を述べた後、アルトの顔から笑みが消える。
「早速だが、初仕事をしてもらいたい…」
アルトは集まってきていたシープール領民達の方を向いた。
領民達はナイト王子が虹の国に婿入りすることを知らない。
まだ、ナイト王子が水の国の王位を継ぐと信じて疑っていない。
「結婚なんて、急にどうしたんだ?」
「いつかはするだろうと思ってたけどな」
馴染みの友人達が笑いながら聞いてきた。
シリウスとバネッサは顔を引き締めた。
「皆、驚かないで聞いて欲しい。今から私がシープールの領主を務めることになった…」
シリウスは声を震わせないように集まっている領民達に宣言した。
領民達は一瞬シリウスが何を言ったのか理解できなかった。
「…待て、シープールの領主はナイト王子だろう?ナイト王子に何かあったのか!?」
領民達の表情が一変して、真剣な顔になる。
「まさか、ウォーレス王がナイト王子からここを取り上げたのか!?」
あり得ないことではない。
親子喧嘩でナイト王子が謹慎処分になっていることを聞いていた領民達は一気に総毛立つ。
「シープール領主はナイト王子だ!ウォーレス王の好きにさせるか!」
ウォーレス王への不満が噴き出る。
シープールを見捨てた王。
ウォーレス王のことをシープール領民は根強くそう思っていた。
「シリウス、ナイト王子はどこだ!?」
「ナイト王子が囚われているのだったら、助けに行くぞ!」
シープール領民達は今にも武器を持ってきそうな勢いだった。
ナイト王子はシープールを救ってくれた英雄だ。
どんな罪を犯そうが、シープール領民は決してナイト王子を見捨てない。
「皆、違うんだ!落ち着いてくれ!」
シリウスは声を張り上げて領民達を制した。
領民達はとりあえずは、足をとめた。
「ナイト王子はご無事だ。たが、シープールへは戻ってこられない…」
「どういことだ?」
「王子は…」
シリウスは説明しようとするが、うまく言葉が出てこない。
バネッサが心配そうにシリウスを見上げる。
「ナイト王子は今、虹の国にいらっしゃる」
代わりに言葉を発したのはアルトだった。
シリウスからアルトに領民達の視線が移行する。
「虹の国!?」
「どういうことですか、アルト様!?」
アルトは少し間を取ってから続ける。
「ナイト王子は虹の国の世継ぎ姫ネティア様と運命的な恋に落ちられた。しかるに、ナイト王子は虹の王になられる」
思わぬ展開に領民達は思考がついていかない。
沈黙が数秒流れる。
「虹の王!?」
「え、でも、ネティア姫はご婚約されてたんじゃ…」
「そうだよ、俺もその話聞いた…」
領民達は互いの情報を出し合って、再びアルトの方を見る。
「その通りだ。ネティア姫はご婚約なさっていた。だから、今、大変なのだ。だが、ナイト王子とネティア姫の恋は本物だ。我々はナイト王子を応援しなければならない」
アルトは理解を求めるように領民達を見渡す。
領民達は混乱したようにしばらく顔を見合わせていたが、
「急な話だが、ナイト王子が真剣なら我々は応援する」
皆、ナイト王子の味方だった。
シリウスは安堵の溜息を漏らした。
バネッサも緊張から解放されて微笑を漏らしていた。
「ことは、賠償の話になるだろう。シリウス、お前はシープールに残って、連絡を待て」
シリウスは不満だったが、ぐっとこらえた。
もうシープール領主なのだ。
「…わかった…使者は誰にする?」
「私が行く」
アルトの即答にシリウスは目を見開いた。
「危険だ!」
「百も承知だ。だが、こちらも誠意を見せねばならん。私くらいがちょうどいいのだ」
「しかし…」
「大丈夫だ。ランド領主も水の国を敵に回すような愚かな真似はしないだろう」
アルトの言葉には説得力があった。
「わかった、もう何も言わん。無事に戻ってきてくれ」
「無論だ。お前を一人前の領主に教育するという使命もあるからな」
アルトはシリウスに笑ってみせる。
その笑いにちょっと悪戯っぽさが混じる。
「私が戻ったらお前の領主就任式と結婚式を挙げよう。それまで宿題を出していく」
「宿題?」
オーウェル家の令嬢達がシリウスとバネッサの前に進み出た。
「アルト様が戻られるまで、わたくし達があなた様方のお世話をさせて頂きます。オーウェル家と変わらぬ作法、立ち振る舞いと教養をお教えいたします」
頭を垂れるオーウェル家の令嬢達にシリウスとバネッサは気後れする。
「大丈夫だ。すぐ慣れる。後のことは頼んだぞ」
「お任せください」
アルトはオーウェル家の令嬢達に任せてまた船に乗ろうとする。
「アルト、王子のこと頼んだぞ!」
居残りを命じられたシリウスはそう頼まずにはいられなかった。
「王子なら大丈夫だ。お前同様、勝利の女神がついているからな」
アルトはシリウス達に手を振ると船に乗って虹の国へと戻って行った。
***
ー水の国、王都ー
シリウス同様、ライアスもプロポーズに挑んでいた。
夕暮れの大きな噴水のある公園のベンチで、リュックとルビは今か今かとライアスの帰りを待っていた。
ライアスは噴水の向こう側にある花壇で愛の告白を行っていた。
噴水の向こう側からトボトボとライアスが返ってきた。
手には何も持っていない。
行く前に定番のバラの花束と指輪を持って行っていた。
「どうだった?」
期待を込めてリュックが訪ねた。
しかし、ライアスは力なく首を横に振った。
彼女はプレゼントだけ受け取ったようだ。
ガックリと項垂れるライアス。
「虹の国に行けばもっといい女に巡り合えるさ」
ルビが励ますも、失恋したライアスの耳には届いていなかった。
かくして、ライアスは王命でシープールに向かっていた時以上の悲壮感を漂わせながら、意地悪王子が待つ虹の国に旅立つことになった。